数学史

[マハーヴィーラ][マハーヴィーラの資料][マハーヴィーラの著作][マハーヴィーラの面積の扱い][バクシャリ写本]

マハーヴィーラ

 この時期、偉大なヒンドゥーの著述家の第三の人物は、マハーヴィーラーカーリヤ、学識あるマハーヴィーラである。彼は、ガニタ・サーラ・サングラハ(Ganita-Sara-Sangraha)(1)を書いた。この著述家は、恐らく、今日ミソレ(Mysore)の王国であるところを支配し、その名はアモガヴァルシャ・ニルパトゥンガとされる古いラーシュトラクータ(Rashtrakuta)の君主の一人の宮廷に、恐らく住んでいただろう。この王は、9世紀前半に王位についたので、私たちは大雑把に問題の著作(論文)の年代を 850年頃、すなわち前者の方に近いのだが、ブラフマグプタとバスカラとの間の年代(2)、と定めることができるだろう。
 その著作は、東洋の論文では珍しく、宗教的な性格の挨拶で始まる。この場合、その言葉は著者の守護者である聖人でブッダと同時代人である、ジャイナ(ジナ)(Jainas(Jinas))教の創設者に向けられている。

 マハーヴィーラ、ジナの主、[忠実なるものたちの]守護者への挨拶、その四つの特質は、[あらゆる]三つの世界[すべて]において尊ぶべき価値を有し、[優れていることにおいて]最高のものである。
 私は、かの高き栄光あるジナの主に礼したてまつる。彼により、数の知の輝ける光明は形作られ、宇宙全体が輝き照らされるようになったから。 

目次へ

マハーヴィーラの資料

 全般にマハーヴィーラはプラフマグプタの著作を知っていたようだと言われている。そうでなければ奇妙なことになるだろう。というのは、ブラーフマスプタ・シッダーンタ(Brahma-sphuta-siddhanta)は、恐らく、彼の時代、標準的な権威の一つとして認められていたから。マハーヴィーラは、彼に先立つ人たちの著作を改良しようと努めたように思え、確かに演算の分類や規則の表現の仕方、問題の性質や数においてそうしている。一つの結果として、彼の著作は南インドで非常に知られるようになった。ずっと北の方、ウジジャイン(Ujjain)に住んでいたバースカラ(Bhaskara)(1150年頃)が、それをよく知っていたという決定的な証拠は全くないけれども。

目次へ

マハーヴィーラの著作

 著作自体は9章からなっている。第1章は序論(導入)で、主として用いられる単位、演算、数え方(命数法)、負の数と零に言及している。8つの数の演算法が与えられているが、加法(級数を除く)と減法(分数の減法さえ)は、あたかも必要条件であるかのように省略されている。興味のある特徴は、零に言及している規則で、こう述べられている。「(零をかけた数は=ある数に零をかけると)零であり、その[数]は、零で割られても、零を加えられても、減じられても変わらない。」すなわち、バスカラによって、零で割るときに与えられた規則は、ここでは認められていず、零による除法は効果がないとみなされている点である。負の数による乗法は述べられているが、虚数は次のように処理されている。「物の性質において、負[の数]は平方[の量]ではないので、平方根はもたない。」
 算術の演算において、彼は最初に乗法を扱っている。それから順に、除法、平方、平方根、立方、立方根、それから級数の総和という課題を考える。彼の著作では、級数に、算術的及び幾何学的数列やヴィュトカリタ(Vyutkalita)すなわち、初めの項のある数(ista)を切り取った後の級数の総和の扱い方をいくつか含んでいる。その理論は、私たちが見たように(p.155)アーリヤバタの関心を占めていたものである。
 分数の扱いで最も著しい特徴は、除数をひっくり返すことである。その規則は次のように書かれている。「除数の分母を分子に(そしてその逆)した後、その時に行われる演算は[分数の]乗法と同じように行う。」この工夫は、他の資料から、私たちは東洋で用いられたことを知っているが、16世紀にヨーロッパで再び採用されるまで失われた技術となったことは奇妙である。
 二次方程式及び無理方程式のテーマへの彼の接近法は、次にあげるような奇想天外な問題が典型的なものである。

 ラクダの群れの 1/4が森の中に見えた。[その群れの]平方根の数だけが二度山の斜面に向かった。そして三度5匹のラクダが川の土手にいるのが[発見された]。ラクダのその群れの[数の]合計はいくらか。

 これは、明らかに 1/4x+2√x+15=x という方程式の正の数の解を、あるいは一般に、x-(bx+c√x+a)=0 という型の方程式の解を求めることを要求している。その公式は与えられている。その章は、また、何らかの無理数の知識を含む他の様々なタイプの方程式も含んでいる。
 彼の不定(方程式)の問題の性質を示すには、一つ例を挙げれば十分だろう。

 明るくさわやかな森の周辺へ。そこは(多くの木々が)花や果実の重みで枝を垂れた多くの木々であふれている。ジャンブの木、ライムの木、バナナの木、びんろう(じゅ)、はらみつ、ナツメヤシ、ヒンタラの木、パルミラやし、プンナーガの木、そしてマンゴーの木のような木々で。--[森の周辺では]その様々なところに泉があり、そこでは蓮の花が咲き、その周りを蜜蜂たちが飛び交っている。その近くではオウムやカッコーのたくさんの群れの鳴き声で満ち満ちている。[そうした森の周辺に]多くの疲れた旅人たちが歓びに溢れて入っていった。[そこには一山同じ数だけの]63山のバナナの実が集められ、それと同じ果実が[さらに]7つあった。これらは23人の旅人に等しく余りなく分け与えられた。一山のバナナの実の数を私に教えてくれ。

目次へ

マハーヴィーラの面積の扱い

 面積を求める彼の著作は、幾分ブラフマグプタの論中の章と呼応しているようだ。明らかにブラフマグプタより進んではいるが。マハーヴィーラは、ブラフマグプタが台形?(trapezium(trapezoid))の面積の公式に関して、それを周期的数?(cyclic figure)に限定していない点で同じ誤りを犯している。その同じ間違いが四辺形の対角線の公式にも紛れ込んでいる。それは次のようなものである。

 maha1 あるいは、maha2

 ピタゴラスの三角形について、マハーヴィーラは、ブラフマグプタと同じような公式を与えている。πについては、彼は東洋を通じて、また中世ヨーロッパでと共通の数√10を用いている。彼は、楕円を真剣に扱おうとしたインドの学派で唯一の学者であった。しかし、彼の著作は不正確なものであった。
 彼の球の公式は面白い。近似値として 9/2*(1/2*d)^3を、正確な値として 9/10*9/2*(1/2*d)^3をあげている。それはπを 3.03*3/4としなければならない。
 すべてのことを考慮にいれると、マハーヴィーラの著作は、恐らく3世紀に生きていたバースカラの著作を除けば、ヒンドゥー数学への貢献という意味では最も著しいものであろう。マハーヴィーラは中国の学者の著作を知っていたかも知れない。なぜなら、彼が円の弓形の面積に与えている数値は、張蒼(Ch'ang Ts'ang)によって6世紀前すでに与えられていたから。しかし、いずれにしろ彼は科学の学識ある人であった。

目次へ

バクシャリ写本

 この時期に何らかの優れた内容を持つ別の著作は、バクシャーリー写本である。(3)この著作は、起源と年代とは不確かであるが、算術と代数との両方に関する資料を含んでいる。以前、それは私たちの時代の初期の頃のものとして言及され、それから8〜9世紀に言及されたが、その時代より後に書かれた証拠があり、恐らくヒンドゥー起源でさえないだろう。その著作の性格は次の一つの問題から類推することができよう。

 一人の商人が三つの異なる場所である商品の税を支払う。一つ目の場所で、商品の 1/3を支払い、二番目では[残りの] 1/4を、三番目では[残りの] 1/5を支払う。税は合計で24である。もとあった商品の数はいくらか。(4)

目次へ


原注1

 M.Rangacarya,"The Ganita-Sara-Sangraha of Mahaviracarya, Sanskrit and English," Madras,1912; 以後 Mahaviraとして言及。Ganita-Saraは「計算の要約」の意味である。

もとに戻る

     


原注2

 彼は、1150年頃生きていた。275ページを見よ。

もとに戻る

     


原注3

 R.Hoernle,"The Bakhshali Manuscript," Indian Antiquary,Vol.XVIII(1888); G.R.Kaye,"Notes on Indian Mathematics," in Journ. and Proc. of the Asiatic Soc. of Bengal,III(2),501 (以後は、Kaye,"Notes"として言及); と "The Bakhshali Manuscript," ibid.,VIII(2),349 (以後 Kaye,"Bakhshali"として言及)

もとに戻る

     


原注4

 答えは40。それは括弧で括った言葉を必要とする。

もとに戻る