プトレマイオス、すなわちクラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)(1)、その最も活動的な時期は、AD140-160年頃であるが、彼は、平面幾何学でエウクレイデス(ユークリッド)が、円錐曲線でアポロニウスが、算術においてニコマコスが成し遂げたのと同様のことを、天文学において成し遂げた。彼は、先立つ人々の発見を一つの論にまとめ、資料を体系的に配置し、上述の初めの二人のように、自らの著作が何世紀もの間、優れた標準となるほどの天才的才能に恵まれていた。彼の生涯については、アテネとアレクサンドリアで教えていたということしか私たちは知らない。彼のもっとも偉大な著作、一般にアルマゲスト(Almagest)(2)として知られているが、それは古代の天文学の歴史について多くの情報を含んでいる。彼は、また、平面天体図(planisphere)、音楽、応用数学についても書いた。しばしばプトレマイオスのものとされる光学についての著作の天才性に関しては疑問がある。アルマゲストには、地球の大きさ、ある場所の位置、そして島や国の大きさに関するエラトステネスやポセイドニウス(Poseidonius)その他の人々の計算法についての要約がある。天文学や地理学への数学の応用において、プトレマイオスは、ギリシア人の学者たちの間で群を抜いている。彼は、60進法の分数の使用をより詳細なものとし、ヒッパルコスによってすでに用いられていた弦の表(the table of chords)を一層精巧なものとした。また、平行線の公準についての論と、英語では一般にテトラビブロス(Tetrabiblos)(3)として知られる占星術の性質についての著作も書いた。
プトレマイオスの後に続くマイナーな著述家の中に、法律学者のドミティウス・ウルピアヌス(Domitius Ulpianus)(AD170-228年頃)がいた。彼は、法学に多大な貢献をし、私たちが何らかの知識を持っている最初の死亡率統計表の編集者であった。
恐らく同じころ(10年頃)、ローマの測量家、マルクス・ユニウス・ニプスス(Marcus Junius Nipsus)が生きていたが、彼の学問科学への貢献は、主に測量術に関するもので重要ではない。(4)ほぼ同じころ(200年頃)エパフロディトゥス(Epaphroditus)という名の別のローマ人測量家が活躍していた。彼は、測量についてだけでなく、数の理論についても著述した。(5)彼は、もし直角を挟む二辺が a,bで、斜辺が cの直角三角形に内接する円の半径が rならば、2r=a+b-cであることを示した。主として学問が堕落した低い状態を示すためには、セウストゥス・ユリウス・アフリカヌス(Sextus Julius Africanus(220年頃))のクロニコン(Chronicon)に言及するのがよいだろう。その著作のかなりの部分は失われているが、現存する部分は、暦の歴史について価値ある情報を含んでいる。また、彼に帰せられている別の著作、それには数学のほかの分野の歴史についていくつかの覚書があるが、それに言及するのもよいだろう。
それほど著名でないローマの幾何学者や天文学者の中に、ケンソリヌス(235年頃)がいた。彼は、誕生日について(De die natali)という題名の書物を書いた。第一に占星術の著作であるが、年代学(chronology)、天文学それと計算法の一部を含んでいる。彼は幾何学を書いたとずっと言われてきたが、たとえ存在したとしても、その著作は失われている。
また、裕福なローマの学問愛好家、クィントゥス・サムモニクス・セレヌス(Quintus Sammonicus Serenus)(212年没)によって数学に向けられた関心について、初期の著述家たちは、私たちに語っている。彼は、多作の著述家であって、その著作には、薬学、数学、その他諸学問が含まれているが、全般には、それらは単に学問のレベルの低下した状態を示している。彼をすでに述べたアンティノポリス(Antinopolis)のセレノスと混同してはならない。
少し後、ニケーアのスポルス(Sporus of Nicaea)(6)は、私たちが初期の数学の歴史に関するある情報、特に立体の体積を二倍にすることと円の面積に等しい四角形を作ることに関する情報がそこに由来する著作を書いている。彼は、パップスの師であったかも知れない。一般にパップスは、1世紀後に置かれるが。(7)
ギリシアのアンソロジー(詞華集)(9)の中にある算術のエピグラムの編集者であるメトロドルス(Metrodorus)(8)は、325年頃、活躍した可能性があるが、500年頃の方がより可能性があるだろう。これらのエピグラムは、水槽を管で満たす問題のようなパズル的問題であった。私たちは、今では代数で解くだろう。そうした問題は、長い間、算術や代数の生徒に関心をもたれてきたし、疑いなく、これからの時代ずっとそうありつづけるだろう。トーマス・ヒース卿(Sir Thomas Heath)は、それらが用いられたのは、少なくともBC5世紀にまでさかのぼると信じている。