数学史

[エウクレイデス(ユークリッド)][エウクレイデスの書物][「幾何学原論」の内容][エウクレイデスの他の著作][エウクレイデスの著作の直接の影響][マイナーな著述家]
エウクレイデス(ユークリッド)(1)

 アレウサンドリアと結びつけられているすべての偉大な名の中で、エウクレイデス(ユークリッド)の名が最もよく知られている。彼は、世界がこれまで知っている中で、最も成功を収めた教科書の著者で、1482年以来、彼の幾何学の書は、1000版以上印刷されてきた。(2)また、この著作の写本は、それに先立つ1800年間の間、幾何学の教授を指導支配してきた。彼は、当時蓄積されていた数学的知識の本質的な部分をすべて、自らの著作の中にうまく体現したという栄誉が与えられた、あるいは、今でも再び与えることのできる唯一の人物である。
 エウクレイデスの生涯については、はっきりとしたことは何も分かっていない。最近、ある著述家は、文献資料は、エウクレイデスはBC365年頃に生まれ、40歳ぐらいの時に「幾何学原論」を書いたということを示していると信ずるに足ると表明したが、(3)私たちは、彼の生誕の地、生没年、さらにどこの国の人かに関してさえ、正確な情報は何も持っていない。以前、彼は、ギリシアの都市、メガラで生まれたと主張されたが、今では、メガラのエウクレイデスは、アレクサンドリアのエウクレイデスより一世紀も前に生まれた哲学者であることが知られている。私たちに関心のあるエウクレイデスは、ギリシア人であったかもしれないし、エジプト人で、アレクサンドリアというギリシア植民都市へ、学び教えるために来ていたのかもしれない。彼がアテネで学んだと信ずるいくつかの理由があるが、正確な情報ということでは、私たちは、彼について何も知らない。どのような状況であれ、彼が数学に影響を及ぼすのは、BC300年頃に始まる。

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エウクレイデス(ユークリッド)の書物

 すべての著作が、羊皮紙やパピルスの細長い帯に書かれていた時代に習慣であったように、彼の著作も分割され、その一部一部は、巻(volumes)、ラテン語起源で巻くの意味であるが、そう呼ばれた。大きな巻物は、扱いが困難であったので、それらは、書物を意味する単語であるビブリア(βιβλια, bibles)として知られる小さな巻物に分けられた。それで、私たちは、ホメロスの書、幾何学の書、聖なる書などを持っている。エウクレイデスの最も偉大な著作は、「幾何学原論(Elements)」(4)として知られる。幾何学に関するその書物の中に、ピタゴラスの死以来2世紀の間に蓄積された、円、直線図形、比などに関する膨大な量の資料が配置されている。疑いなく、エウクレイデス独自の命題も多くあっただろう。しかし、彼の著作を有名にし、今日でも現実に使用されている最も古い学問的書である事実を説明する特徴といえば、単純ではあるが、論理的に組み立てられた一連の公理と問題である。シェークスピアについて、シェークスピアは「大したことのない人間の脳では死産の子供たちを取り上げ、彼らに生命の息を吹き込んだ」とずっと言われてきたが、それはエウクレイデスについても同じである。

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「幾何学原論」の内容

 「幾何学原論」の様々な書は、それぞれ次のような内容である。I. 合同式(congruence)、平行線、ピタゴラスの定理、II. (a+b)^2=a^2+2ab+b^2のような、今日私たちは代数的に扱うが、当時は幾何学的に扱われた恒等式。黄金分割。III. 円 IV. (円に)内接及び外接する多角形。V. 幾何学的に扱われた比。一部、分数代数方程式の幾何学的解法。VI. 多角形の相似。VII-IX. 幾何学的に扱われた算術(古代の数の理論)、X. 通約不能の数量、XI-XIII. 立体幾何学。 私たちは、このテキストの中に、体系的に、定義、公理、公準、命題が配置された現存する最古の証拠品を持っている。エウクレイデスは、一層大きな目標に向けての真剣さにおいて、より厳密でありたいという願望において、そして次のような扱いの詳細さにおいて、現在の幾何学についてのほとんどの著述家たちとは異なっている。彼には、論理への導入としての直感的な幾何学はない。彼は、そのようなものとして代数を用いない。彼は、それを用いる前に作図の正確さを証明している。一方、私たちは、普通、図形が描ける可能性を仮定し、かなりの数の公理ができるまで作図に関する証明を延期する。彼は、完全に論理的な仕方で通約不能な数量を扱うことを恐れない。そして、彼には、どんなものであれ、練習問題はない。

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エウクレイデスの他の著作

 エウクレイデスは、他にも多くの著作を書いた。その中には、天球(celestial sphere)を扱い、25の幾何学的命題を含むパエノメナ(Phaenomena)(5)、恐らく音楽についての論文であろう ダータ(Data=知識(資料))(6)、そして、光学(7)、不定命題(porism)(8)、反射光学(catoptrics)(9)についての著作がある。彼は、また図形の分割についての著作も書いた。例えば、それは測量の際に生ずる問題についても触れている。(10)

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エウクレイデスの著作の直接の影響

 エウクレイデスの著作の幾何学に対しての当然の帰結として、初等幾何学は完成され、数学の発展の次のステップは、何らかの高度な幾何学、あるいは測量術以外の分野の方向にあるに違いないという感情を引き起こしたことだった。その結果、数学はその両方の方向に進んだ。エウクレイデスに先立つ人たちの場合のように、初めはほとんど進展がなく、そして、その後別の天才が現れると急速に(進展した)。

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マイナーな著述家

 例えば、先ず、サモスのコノン(11)マイナーな著述家がいた。彼は、コイル状のかご細工を観察することで影響を受け、アルキメデスがその特性を詳細に説明した螺旋形を発見したのかも知れない。彼は、また、アポロニウス(c.225BC)によっても、二つの円錐形の交点の数を研究したと言及されている。また、キュレネのネイコテレス(Neicoteles)(12)もいた。恐らく、アレクサンドリアの学生で、アポロニウスは、彼のことを、円錐曲線の研究の先駆者であると語っている。もう一人、影響力のある著述家は、サモスの生まれであるが、アレクサンドリアで教師をしていた天文学者アリスタルコス(13)であった。ピタゴラスの三角形で地球から太陽、地球から月までの相対的な距離を見いだす方法を最初に示したのは彼であった。それからおよそ2000年の間、それより良い方法は知られなかった。彼の観測器具は、おおよそ正しいという結果からもかけ離れたものでしかないようなものではあったが。(14)彼の最大の栄誉は、彼が宇宙の中心に太陽を置き、その周りを地球その他の惑星が回っていると主張した事実にある。これは、コペルニクスに先立つこと17世紀(1700年)である。算術の分野では、彼はルート2を、恐らく、連分数(continued fraction)の方法に類似した方法で見いだしたのだろう。(15)
 また、プトレマイオスの時代の様々なパピルスが残されており、それには、エジプトの財政問題に関する情報が含まれている。これらの問題は、主として、税と様々な必需品の費用に関するものだが、古代の計算方法に関する情報は何も与えてくれない。(16)
 コノンのような人々は、天才の到来を告げる、単なる布告者に過ぎなかった。彼らが到来を布告した三人の人物は、アルキメデス、アポロニウスそしてヘロンであった。しかし、アルキメデスについて話す前に、関心があまりに広範に及んでいるので、純粋な数学への貢献は比較的小さい学者について触れておかなければならない。この人は、詩人であり、司書であり、算術家であり、地理学者であったエラトステネスである。

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原注1

 Ευκλειδηs. fl. c. 300B.C. ユークリッドと「幾何学原論」に関する主要な著作は、Sir T.L.Heatの "The Thirteen Books of Euclid's Elements”, 3 vols.,Cambridge,1908である。ユークリッドの著作の最もよいギリシア語及びラテン語版は、Heiberg and Menge, "Euclidis Elementa", Leipzig,1883-1916である。ユークリッドの生涯についての多くの著作や論文の中では、次のものが挙げられる。A.De Morgan, "Eucleides,"in Smith's Dict. of Greek and Roman Biog.; T.Smith, "Euclid, his life and system," New York,1902; W.B.Frankland, "The Story of Euclid," London,1902; G.B.Biadego,"Euclid e il suo Secolo," in Boncompagni's Bullettino, V,1; P.Tannery, "Pour l'histoire de la science hellene, Appendix II (Paris, 1887); Gow, "Greek Math.,"p.195; M.C.P.Schmidt, "Realistische Chrestomathie aus der Litteratur des klass, Altertums, I,1 (Leipzig, 1900)以後、Schmidt, "Chrestomathie"として挙げる。; Pauly-Wissowa's Real-Encyclopaedie, Vol. VI (Stuttgart, 1909),は、ユークリッドに関する膨大な記事を載せている。

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原注2

 P.Riccardi, "Saggio di una Bibliografia Euclidea,"p.4. Bologna,1887.

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原注3

 H.Vogt,"Bibl.Math.,"XIII(3),103; しかし、Heath,"History",I,354を見よ。

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原注4

 Στοιχεια. ユークリッドの名声は非常に高く、ギリシア人たちには、ο στοιχειωτηs(「幾何学原論」の教師)、として知られていた。

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原注5

 Φαινομενα.

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原注6

 Εισαγωγη Αρμονικηあるいは、Κατατομη Κανονοs、共に疑わしい。Heath, "Euclid," I,17を見よ。

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原注7

 Οπτικα.

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原注8

 解決法を述べている。M.Breton, in Journal de Math. pures et appliquees, XX(1),III(2).を見よ。

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原注9

 Κατοπτρικα.

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原注10

 Περι Διαιρεσεων βιβλιον. R.C.Archibald, "Euclid's Book on Divisions of Figures," Cambridge, 1915.

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原注11

 Κονων. Fl.c.260 B.C.

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原注12

 Νεικοτεληs あるいは、Νικοτεληs. Fl.c.250 B.C.

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原注13

 Αρισταρχοs. c.310 B.C.生まれ;c.230B.C.没。Sir T.L.Heath, Aristarchus of Samos, Oxford,1913; The Copernicus of Antiquity, London,1920 .を見よ。

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原注14

 Carl Snyder, The World Machine, Chap.vii,"Aristarchus and the distance and grandeur of the sun"(London,1907); Bigourdan, L'Astronomie,252

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原注15

 P.Tannery, Memoires de Bordeaux, V(2),237; IV(3),79.

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原注16

 文献資料、パピルスの一覧、役立つ情報の要約は、H.Maspero, Les Finances de l'Egypte sous les Lagides, Paris,1905.を見よ。

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