カルケドンの生まれで、プラトンとアリストテレスの友人、哲学者としても外交官としても傑出していた。哲学や政治についての様々な著作の他に、彼は、物理学、幾何学、算術、そして天文学についても著述した。プルタルコス(1世紀)は、彼は、魂を「自ら運動する数と捉えていて、単一性(unity)と二元性(duality)(2)とを神格化したと語っている。単一性は、父であるゼウスであり、最初の男性の存在であり、奇数そして精神として天を支配する。二元性は、神々の母である最初の女性、そして全世界を支配する宇宙の魂として語っている--この理論は、すべて、ピタゴラスの影響を受けていることを示している。彼は、また、分割不可能な直線の存在を仮定し、それらをあるプラトンの三角形の要素として、恐らく、何らかの直感で、微積分学的なことを語った。彼は、スペウシッポスの後を継いで、アカデメイアの学頭となり、五巻の幾何学の歴史を書いたが、他の著作と同様に失われてしまった。
アリストテレス(3)
アリストテレスは、アテネで、プラトンの下で学んだ。彼の勤勉さと明晰さは、プラトンに「学派の知性」(4)と呼ばせるに至った。彼はアレクサンダー大王の家庭教師の一人となり、後のアテネに戻り、哲学のペリパトス(逍遙)学派を創設した。恐らく、彼の教えた場所からそう呼ばれたのであろう。(5)彼は膨大な著作をした著述家であったが、多くの著作が現存しているにもかかわらず、多くの部分は失われている。数学への学問の関心は、主として、物理学(自然科学)への適用にあった。彼は、数学のことを、自然科学と形而上学との中間に立つものとして語っている。彼は、数学の性質について二つの著作を残した。一つは、不可分な直線についてであり、もう一つは、機械学(力学)の問題についてである。二つとも編集され出版された。ピタゴラス学派の教義に反対して、彼が算術と幾何学との分離を擁護したことを、私たちは知っている。彼は、論理学を体系化する中で、間接的にユークリッドの偉大な著作に貢献している。また、最初の連続の定義「二つの直線の端の部分がそこで触れていて、一つにまた同じになっており、また、その言葉が暗に意味するように、繋がっている場合、それは連続している」(6)というのも、彼に負っている。アリストテレスは、また、学問の歴史的発展にも興味があった。これは、数学の資料を収集するとき、そして、弟子たちの著述に影響を及ぼしたように思える。これへの関心からこの分野に入った人たちの中に、プラトンの弟子でありアリストテレスの弟子でもあったテオフラストゥス(Theophrastus)(7)がいた。彼は、哲学、修辞学、詩学、植物学、物理学、政治学、そして数学について書いたが、彼の著作は、主として断片によって知られている。(8)
アリストテレスのもう一人の弟子で、BC335年頃に絶頂期であったロードス島のエウデモス(9)は、また、数学の歴史に非常に興味を持っていた。彼の著作はほとんど失われてしまったが、ある断片が残されており、アリストテレス学派の数学にかなりの光りを投げかけている。私たちにアリストテレスのある著作が残されたのも、彼の配慮によるところがあったように思える。
シチリア島のシラクサのちょうど北にある都市メッシナのディカイアルコス(10)もまたアリストテレスの弟子であっただろう。私たちは、彼の生涯についてほとんど知らないのだけれど。彼は、BC320年頃絶頂期であって、BC285年頃没したように思える。彼の数学についての著述は、主として、地理学に応用された測量術と関連づけられていた。同じ名のピタゴラス派の別の哲学者がいたが、イアンブリコスは、彼を数学の歴史に貢献した人として引用している。しかし、その著作は現存しない。
年代は定かではないが、恐らくアリストテレスと同時代人の中に、天文学者アウトリュクス(11)が含まれるだろう。個人的な生涯については何も知られていない。天文学についての二つの論文、ともに現存するが、それを書いたこと以外は。これは、ギリシア人から私たちに伝えられた最も古い数学のテキストである。一つは、天球に関するもの。もう一つは恒星の出没に関するものである。どちらも幾何学にかなり精通していたことを示している。
アリスタイオス(12)
年長のアリスタイオスとして知られ、4世紀の数学者パップスによってギリシアの三大幾何学者の一人として言及されている。彼は、分析を扱う幾何学の分野で優れており、他の二人はユークリッドとアポロニウスである。また、パップスは、アリスタイオスは、立体の軌跡について五巻の書物を書き(13)、円錐曲線の要素に他に五つを補足している。恐らくこれら二つの著作は同じものであっただろう。彼はまた、五つの正多面体についても書いており、ユークリッドの第13書は、彼の技量に多くを負っていたように思える。彼は明らかにBC4世紀の就学者たちの一人であって、プラトンに息を吹きかけられ、ユークリッドとアポロニウスの著作を可能にするのに貢献した。
カリポス(Callippus or Calippus)(14)は、キュジコスの天文学者で、エウドクソスとアリストテレスの友人であった。幾何学者とは見なされないけれども、彼の天文観測は、簡単に述べておく価値があるだろう。ゲミヌスやプトレマイオスによってしばしば言及されているのだから。カリプスの76年周期、940月(lunarmonth)、すなわち、27.759日は、19年のメトンの周期を非常に改良したもので、古代の天文学者によって採用された。私たちはシンプリキウス(Simplicius)(6世紀)の証言を持っている。それはキュジコスで教えていたボレマルコス(BC4世紀)の弟子であって、アリストテレスと一時暮らしていた。プトレマイオスは、彼がヘレスポント(Hellespont)の海岸で天体観測をしていたと私たちに語っている。