地理的範囲

 現在の私たちの目的のためには、BC1000年から BC300年までの時代の西洋を、実際には、ギリシアとギリシア植民地と同一のものと定義できる。この時代、ローマにどんな数学があったとしても、本質的にはギリシアのものであり、それ故、地中海世界のほとんどは(フェニキアの後背地やエジプトを別にするれば)、便宜上、ヘレニズム(ギリシア)文明の影響下にあるものとして分類することができるだろう。フェニキアは商業的なものに関する以外のことにはほとんど貢献しなかったし、エジプトの黄金期はすでに過ぎ去っていた。

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保護された地域

 哲学、文学、数学、芸術など、すべての優れた精神的作品は、曽於発達のためには、平和な環境が必要とされる。こうした理由から、この時代の数学は、保護されたエーゲ海の島々や、ギリシア半島、また、南イタリアのギリシア諸都市で最も繁栄した。これらの場所すべては、侵入が難しかったし、侵入したところで、その見返りはほとんどなかった。世界の他の地域との商業や知的な交流は可能であったので、相対的に、停滞感のない平和が確約されていた。
 また、メソポタミアの数学に、何らかの言及をすることも適っているだろう。なぜなら、それは、東洋であると同時に、全く西洋のものであったから。しかし、天文学での使用を別にすれば、バビロンのこの時代の科学は、私たちの注意を惹きつけるほど十分明らかではなかった。

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年代的な範囲

 紀元前300年で、この時代を区切るという理由は、数学史の新しい時代が、その頃のアレクサンドリア学派の始まりと共に始まるからである。この出来事は、その最初の偉大なコスモポリタンな大学と関係ある学者たちの努力を通じて、あるいは、彼らの影響の下にあった人々によって書かれた著作を通じて、そのいずれかで、数学の再構築が行われることになる。

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