初期の芸術

 先史時代の数学の発達のさらなる段階は織物美術の第一歩である。それは、い草を編んだものによって示されるような単純な幾何学的紋様の使用にみられる。これから、普通原始の人々の間にみられる衣服や幕や敷物や反物に描かれた形が発達してきた。これまでずっと発見されてきた人類の美術の最も初期の痕跡は、旧石器時代の骨に描かれたものであるが、動物の絵の中に見られるので、初期の壁に描かれた装飾の中にこうした[動物の]図象を見いだせると期待するだろう。これは、その場合だけではなく、ある程度の正確さで後者の年代を決定することをも意味する。しかし、時とともに、幾何学的な装飾は初期の民族すべての間で、お気に入りの装飾となった。これは、い草の編み物といったものが幾何学的な形を絵や彫刻に導入する為の簡単な媒介であったかも知れないが、とにかく、卍型(swastika)やギリシアの鍵のような形が、初期の時代に発達した。このような装飾は織物だけに限られない。世界のあらゆる地域の建築においても同様に優勢である。メキシコの初期の建造物、ペルーの建築の遺跡、未開人たちの小屋、旧世界でも、様々なところで歴史時代になってからの初期の建物、特に死者を祈念したり、神々の礼拝に捧げられたりした建造物に見出せる。
 宗教的な構造物を幾何学的な装飾で飾るようになるのと同じ本能が、個人的な装飾品の装飾や身内での使用を目的とする品物の装飾にも[幾何学紋様の]姿を自ら現している。これは石器時代の手工芸品に見られる。初期エジプトの豊かな黄金の装飾品に見られる。また、現代のほとんどの宝石においても、同様に明らかである。私たちがこれらの民族の確固となった思想の中に見いだすのは、対称形への本能だけではない。神秘を探り幾何学的形態の美しさの意味をつかもうとする欲望もまた見いだす。

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初期の壺

 エジプトとキプロスの初期の壺は、幾何学的装飾の発展段階をとてもはっきりと示している。平行線を含むだけの粗雑な図からより注意深く描かれた図へと。その中で幾何学的なデザインは次第に重要性を増し、卍型のような神秘的な象徴が発見されるに至る。芸術は幾何学への道を用意していた。

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宗教的神秘主義

 数学に対する驚きの認識は、宗教的神秘主義の起源と密接な関係がある。人は頭上の天に驚異を感じた。生命に驚異を感じ、死に対しては一層驚異を感じた。すべてが謎だった。同様に、幾何学紋様の特異性、数の普通の数え方とは関連のない限定された範囲内にある二つの素数、3や7のような数字の奇妙な特性に驚異を感じた。図形の神秘、数の神秘を、人は自分の周りにある宇宙の神秘と関連づけた。―自らを光の中の小さな塵にすぎないと感じた宇宙の中の。太陽の偉大な力に驚きを感じ、人は宗教的構築物の方位を定めた。北極星を認識したことから、水平線を四つに分割することを考え出し、地球の四隅について考えるようになった。古代文明の卍型や他の様々な十字形は、こうした傾向を認識していたことの現れである。4という数字は、アメリカの土着の民族、またアジアやオーストラリア、アフリカの原始の人々によって特に意味あるものと見なされていた。そして、私たちが’a square man’(公明正大な人)あるいは’squarely’(公明正大)に行動する人のことを語るのは、こうした心のあり方の痕跡が残っているからかもしれない。

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建築

 私たちが装飾として用いられた幾何学紋様の美しさを、本能的に感じ取るのとちょうど同じように、それがすでに述べた装飾に関してだけでなく、建築に、神殿や祭壇、墓の全般の構造にも適用されているのを見いだす。たとえば、古代インドでは、寺院で用いられた形と関連したものを除いて、こうした幾何学の研究はなされなかったように思える。おそらく、それは地球上の他の地域でも同じであっただろう。建造物に左右対称形を用いたいという欲求は、エジプトのピラミッドだけでなく、メキシコの階段状ピラミッドにも見られる。これらの建造物は、先史時代のものではないものの、疑いなく、先史時代にあった形から発展してきたものであろう。

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星の観察

 すでに述べたように、原始時代の人々は、星の謎は自らの運命の謎と密接に結びついていると感じていたように思える。バビロニアの羊飼いたちや砂漠の遊牧民たちが星を観察し、その意味を思索し、ナイル川に沿った地やメソポタミアの地の神殿の中で、祭司たちが伝承し発展させていく第一歩となるのがまさにこれである。また、初期の哲学者や詩人たちが、星を(何かの)物質でできたアーチ型の丸天井に吊り下げられた灯りのともったランプ、あるいは、球形の水晶の中に打ち込まれた黄金の釘だと考えるようになったのも、こうしたことからである。ー人類の幼年時代にはまったくふさわしい考えであった。こうした天上の観察がいつ頃、角度の測定、日食月食などの天上の現象の記録、星座の名を付けるといったことに導かれたのか、私たちは言うことはできない。優れた一人の著述家は(1)、紀元前17000年頃にはもう、星座が一般に認識されていたとしている。この年代はとてもあり得ない話だと思える一方、ある歴史的天文学的考察によってたとえ支持されているとしても、この認識の時期と天上現象の観察の時期とは遠く隔たっていると考えることは、疑いなく真実である。また、これら天文学の最初の歩みがメソポタミアで開始されたと考えることには十分根拠がある一方、その証明は、私たちがこれは間違いなくそのケースだと言えるほど確かなものではないし、いつか特定の世紀、特定の千年紀に、その時期を決めることはできない。同様に、私たちは初期の人々が星座を認識し始めたり、それに幻想的な名前を付けたりした時と場所を言うこともできない。私たちは、研究である程度の成功を収めたとしても、(相変わらず)先史時代の雲の中に迷っている。
 いくら話を引き延ばしても、大きな時計盤のわずかな距離以上の時を引き戻すことはできない。なぜなら、私たちが長い針の一回転を、私たちの惑星の生涯の時間とするなら、人類の生存の時間はほんの20秒に過ぎないだろうし、記録された歴史は二秒に満たないからである。私たちが数学の歴史についてはっきり知っていることは、ほとんど無限小と思えるほどの短い時間の世界の発展にすぎない。

98/02/18 22:22:08

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