初期の努力
原始的な野蛮人たちが数字の名前を発達させ始めたとき、その過程はゆっくりしたものであった。彼らにとって必要なことは単純なことであった。家族の大きさ指摘したり、敵の人数を数えたり、同様の小さな数字の使用。それらが彼らの貧弱な生活で数学を必要とするすべてであった。狩猟生活から牧畜へとかなりの程度移行した後でさえ、数字は世界の生活の中では小さな役割しか演じていなかった。貨幣の発明は、まだ、数千年も後のことであった。そして、そうした交易の媒介なしには、私たちの算術の大部分は消滅してしまっていただろう。牧夫は羊の一匹がいなくなったことは羊の群を数えることができなくても、知ることができただろう。犬でさえ同じことはできただろう。この点においては、人間と犬の必要性はまったく同等のものである。人類が誕生してから長い間、2とか3とかの単純な数字で、人の群(lot)、かたまり(heap)、群衆(crowd)、(魚の)群れ(school)、(猟犬の)群れ(pack)や羊の群(flock)のような、衆多名詞で表せないすべての目的のためには十分であった。有名な、数を数えることを教えられる前に、自分の指を観察することから数字の知識を得た聾唖の少年の例が示しているように、数の観念は話し言葉の発達を待つ必要はない。それで野蛮人は二を越える数字の名を知らなくても三を認識できるのかもしれない。
数字と言語
しかしながら、一般には、数の感覚の発達は、数の言語の成長と歩調を同じくしている。そして、この言語は先の世紀[19世紀]にずっと研究されてきた未開人たちの低いタイプの言葉から推論できる。例えば、オーストラリアの原住民の言語を三十選んでみても、その数詞は決して4を超えることはなく、それらを使っている種族は、数を数える基盤として、片手の指の数を認識するところまでもいっていない。多くの場合、数字の名前としてあるのは、1と2だけである。一般に、2を超えるすべてのものは、「たくさん」あるいは「いっぱい」と表現される。これらの特殊な言語はあまりにも貧弱で、基数詞だけが存在して序数詞は知られていない。しかし、この語彙の欠如はオーストラリアの原住民の言語すべてがそうというわけではない。なぜなら、ある言語地域では、数詞が15あるいは20まで存在するから。さらに、人類学者たちの報告には疑いをはさむ余地がある。第一に、それらは必ずしも原住民自らによる正しい情報とは限らないからである。また、数の名がないということが原始的な未開の種族たちが2や3をひとまとめにした名を持っていないということには、必ずしもならないからである。後者の考えの例証が、大洋に住むネグリトの一種族であるアンダマンの場合に見られる。彼らには数の名は1と2しかないが、彼らは次のようにして10まで数えることができる。いずれか一方の指先で鼻を軽くたたき、小指から始めて「ひとつ(ubatul)」「ふたつ(ikpor)」と数え、その後は「そしてこれ」という意味の「anka」という言葉を繰り返して数えていく。両方の手を数え終わると両手を合わせる。それは 5+5 を意味し、「すべて(arduru)」という言葉が話される。別の例を挙げると、クイーンズランドの種族であるピッタピッタ(Pitta-Pitta)は数体系を持たずに手と足の指を数えることができるが、砂に印を付けることによってである。しかし、オーストラリアのほかのさまざまな地域では、原住民たちは片方の手の指の数については通常不明確である。
ものの数え方
低い知性のほかの種族から判断して、原始人は数えるものを一つ一つ指さすことによってだけ数を数えることができただろう。ここでは、初期のあらゆる民族の度量法の場合がそうであったように、ものがすべてにわたって重要である。その習慣は、foot、ell、thumb、hand、span、barleycorn や furlong(furrow long)のような単位の使用に見られる。時の経過と共に、そうした用語は初めの意味を失い、抽象的な単位として私たちは考えるようになっている。同様に、数を数えるのに用いられた原始の言葉は、最初は具体的なものと結びつけられていたが、数千年の年月の経過と共に、抽象的な段階に達し、具体的なものはほとんど意味を失ってしまっている。実際、この変質はその効果が余りにも完全なので、それを可能にするのにどれほど大きく人間精神が発達したのか、私たちが正しく認識するのは困難である。「七」と私たちは言うが、私たちはもはや、何かあるものを考えてはいないし、数を数えるのに、そうしたものを必要としていない。果てしなく続く数のつながりの中の一つの言葉、つながりの中の「六」のすぐ後で、「八」のすぐ前に来る言葉として考えている。しかし、マレー語やアズテク語では、数の名は文字通り「一つの石」「二つの石」「三つの石」などを意味している。一方、南太平洋のニウエ(Niues)語では「一つの果実」「二つの果実」「三つの果実」を用いるし、ジャワ語では「一つの穀物」「二つの穀物」「三つの穀物」を用いていて、これらすべては具体的なもので数を数える段階の名残である。ズールー族は「六」という数字を表現するのに「親指を取る(tatisitupa)」という。これは、左手のすべての指を数えて右手の親指から始めた」という意味である。「七」は「彼は指さした(u kombile)」と言う。指さすのに使う指に達したという意味である。世界が数を数えるのにものを使ったり、数える手助けとしてものを用いたりするのをやめた後、数字の名を無限に発達させる可能性が生まれた。そして、そこから時の経過と共に、数字を分類したり、何らかの簡単な計画に基づいて数字に名前を付けたりする必要性に迫られることになる。
数体系の底
基本的に、数の名の数え方は、名前そのものは同じではないにしても、すべての民族は同じようなものであったろう。いくつかの数が底として、すなわち数を数える基として選ばれた。10と言うのは、私たちが指を十本持っていることから、広く好まれた。それで私たちは、10を基にして数えている、あるいは十進法を使っている、という。しかし、10は、原始の時代に用いられた底ではなかった。最初に使われたのは、2である可能性が高い。「一、二、二と一、二が二つ、たくさん」と数えるクイーンズランドのあの原住民たちのように。彼らは、4より大きい数字すべてを表するものとして、「たくさん」あるいはそれによく似た言葉を用いている。同じような数え方は、アフリカのピグミーにも見られる。彼らは「a,oa,ua,oa-oa(2ー2),oa-oa-a(2-2-1),oa-oa-oa(2-2-2)」などと数える。この習慣の名残は、braces,couples,pairs,casts で数えたり、上図(図省略)で示されたような、初期シリアの数体系の中に見られるだろう。
初期の進法
初期の数え方について言うと、2よりも3を底とした方が、容易に証拠を見いだせる。3で大きな数字、その数字を越えるとすべて単に「たくさん」であるという意味を表すのに3を用いた様々な例がある。ラテン語で ter felix (三倍幸せである)といえば「とても幸せである。」の意味であり、ギリシア語で trismeg'istos(τρισμεγιστοs)(三倍一番大きい)といえば「飛び抜けて大きい」の意味である。英語では Thrice is he armed that hath his quarrel just. と言うし、これに関連するフランス語には tres bien がある。3のこれによく似た用法は、時折、未開の民族の間に見られる。たとえば、タスマニアの現地民たちは、「一、二、たくさん」と数える。三進法は、いくつかの例に現れる。ティエラ・デル・フエゴの部族であるヤーガン族(Yahgan Fuegians)は、数の名を「kaueli,kombai,maten,akokombai(他の二),akomaten(他の三)」と数える。アフリカのデマラ族(Demaras)は、三を越える数の名を持っていないと報告されている。それで、その数(3)は、おそらく、3以上の数を数える必要のある時には、おそらく底としての役割を果たしていただろう。初期の数記法のいくつかは、古代のフェニキア人の数え方のように、原始の時代の三進法的な数え方の思い起こすことができるように、三つずつのグループに印をまとめていた。
また、4も大きな数を意味し、一種の底のように使われてきた。それで、ホラティウスは、ter quaterque beati(三倍また四倍祝福された)人々のことを語っている。しかし、底として4が用いられたよりいっそう明白な痕は、ある南アメリカの部族の中に見いだせる。そこでは、一、二、三、四と数えはじめ、四と一、四と二などのように、人々がただ必要とする限り、数えていくのである。