体 験


1.フーンさんのニッポン日記
(2002/5)

 これは日本人と結婚して、初めて日本を訪れたベトナム人女性・フ−ンさんが一ヶ月の日本滞在中に体験した、感激、驚き、不思議、怒り、涙、望郷の念などを日記にまとめて、それを日本語に翻訳したものです。

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2.<ベトナム少数民族の村・訪問記>
●訪問日程:2001年9月12日(水)〜9月17日(月)
●訪問者:多久 春義(テイエラ)
●訪問地:Dac Lac(ダク ラック)省Buon Ma Thuot(バンメトート)
Kon Tum( コン トウム)省Kon Tum(コン トウム)
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(前編 「Ede族」編)
 世界には自国の中に少数民族を抱えている国が多数あるが、ベトナムもその一つである。言語や文化・宗教の違いから時には紛争の種にもなるが、外国人の眼からみるとこれほど興味深い対象はない。少数民族と会うといつも心ときめくものを感じる。どんな山奥でも、会えるというだけでワクワクしてくる。ベトナムには北から南まで約53の少数民族が存在すると言われているが、私もまだそのうち会えたのは数えるほどしかいない。全部の民族に会おうとすれば相当の山奥まで入らないと行けないし、そもそも国境に近い所に住んでいる少数民族に外国人が会える可能性は低いだろう。今回は中部高原の少数民族、Ede族とBa Na族を訪ねて来た。          

つづき  


(後編 「Ba Na族」編)
●中部コン トウム編:Ba Na(バナ)族●
<2001年9月15日(土)>バンメトート→コン トゥム    へ
 朝9時40分バンメトート発。25人乗りのローカルバスで、バンメトートからさらに北に230kmのKon Tum(コン トウム)を目指す。バスに乗り込んだ時はすでに満員で、添乗員が無理やり席を作るがそれでもスシ詰め状態だ。サイゴンから乗り込んだ時よりさらに窮屈で、前の座席との間が狭いので荷物も足元にも置けず、膝の上に置いたままで途中のPlay Ku(プレイク)まで180km・約3時間を走らないといけない。そしてそこで一旦車を乗り替えて、さらに50km北にあるKon Tumに行く予定である。

つづき

3.2001年メコンデルタ洪水被災地Cao Lanh・訪問記