<ベトナム少数民族の村・訪問記>
●訪問日程:2001年9月12日(水)〜9月17日(月)
●訪問者:多久 春義(テイエラ)
●訪問地:Dac Lac(ダク ラック)省Buon Ma Thuot(バンメトート)
Kon Tum( コン トウム)省Kon Tum(コン トウム)
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(前編 「Ede族」編)
 世界には自国の中に少数民族を抱えている国が多数あるが、ベトナムもその一つである。言語や文化・宗教の違いから時には紛争の種にもなるが、外国人の眼からみるとこれほど興味深い対象はない。少数民族と会うといつも心ときめくものを感じる。どんな山奥でも、会えるというだけでワクワクしてくる。ベトナムには北から南まで約53の少数民族が存在すると言われているが、私もまだそのうち会えたのは数えるほどしかいない。全部の民族に会おうとすれば相当の山奥まで入らないと行けないし、そもそも国境に近い所に住んでいる少数民族に外国人が会える可能性は低いだろう。今回は中部高原の少数民族、Ede族とBa Na族を訪ねて来た。                       


●中部バンメートート編:Ede(エデ)族●

<2001年9月12日(水)>サイゴン→バンメトートヘ
 朝8時45分サイゴン市内のMien Dong(ミエンドン)バス発車場から、バンメトートヘ向けて出発。目指すバ ンメトートはサイゴンより北に約350kmの距離で、時間にして約7〜8時間。25人乗りバス(クーラー無し)で、一人57,000ドン(約500円)なので安いものだ。

 8時半が出発予定の時刻だが、いつもの如く満員になるまでは発車しない。しかし今日は予定より早めに満員になったので、バス停からそのまま出る。バス停で満員にならない時は近くをグルグルと回り、一人でも二人でも客を拾ってから出ることが多い。私は始発から終点までの切符を定価で切符売り場で買ったが、途中から乗り込んで来る客の場合は、普通乗ってから値段交渉を添乗員とする。お客が「どこそこまでいくらで行け!」と言うのに対して、「そこまでだといくらでないとダメだ!」と5分くらいはやりとりしているのが面白い。

バスの中では他の乗客が新聞を広げて、今朝ニュースで流れて来た、アメリカのテロの事件を深刻な表情で読んでいる。ほんの20数年前までそのアメリカと戦っていたベトナム人が今回のアメリカのテロをどう思っているかは、時間が経たないと良く分らないが今は複雑な心境だろう。

 バスは国道13号線を1時間ほど走り、途中で右折して国道74号線に入る。ここら辺りは整然と並んだ、高いゴムの木が植えられている。緑したたるその涼しそうな木陰で、路上にカフェーの店がいくつも出ている。木々の間では牛が下草をのんびりと食べている。車はその中をいつもの如く、矢のように飛ばして走って行く。
前を走る大型バスやトラックは追い越さないと気が済まないらしく、ひっきり無しにクラクションを鳴らして猛スピードで追い越して行く。いつものことで慣れては来たが、いつかは事故にあうだろうな・いつかは死ぬだろうなと思いながら、今までの所は何とか無事に生きている。

 12時になってバスは、Bu Dangという小さな町で食事休憩。普通のベトナムの人たちが食べる指差し食堂のレストランだが、こういう食堂のほうがSinh Cafeで行く時止まる外国人用のレストランより安くて、美味しい。そこで40分ほど休んで、トイレもみんな済ませてまた出発。ここらあたりからコーヒーの木や胡椒が続く高原が道の両側に広がっていく。

 今日の天気は快晴なので暑いが、外から入ってくる風が心地よい。車の中はほぼすでに満員だが、それでも途中で次々と客を拾っていくので、4人掛けの席に5人座らないといけない。バスの持ち主は一人でも客を乗せればそれが自分たちの収入になるので必死である。乗客からすると「こんなに詰め込んで乗せるな!」とも言いたくなるが、彼等はそういうことはお構いなしにドンドン乗せる。まあいつものことなので、こちらも慣れてきたが……。

 2時間も走った頃だろうか、運転手があまりにクラクションを鳴らし過ぎたせいか、クラクションがもとに戻らず故障してしまう。しばらくはそのまま音を鳴らし続けた状態で走り続けるが、さすがに運転手もヤカマシイのに堪えられなくなったか、途中でトイレ休憩も兼ねてしばらくバスを止めて直し始る。止まった場所は高原の山の中で、辺りには民家も無い。ついでに乗客は、男も女もみんなバスから降りて、林の中に入りトイレを済ませてくる。

 20分もすると故障も直り、また出発。途中で降りる人、また乗り込んでくる人がいるが、ベトナムの田舎道は日本のようなバス停が無く、自分の好きな所で乗り・降り出来るので、その点は便利なものである。みんな自分の降りたい場所が近づいた所で降りて行く。結局今回は大した車両の故障も無く、バンメートートには3時40分に到着。途中の食事時間も入れるとちょうど7時間で着いた。
7時間近く窮屈なバスの中にいるとさすがに腰や足が痛い。バスを降りたところの店でコーヒーを飲む。さすがにここはコーヒーの産地だけあって旨い。バンメートート市内は何も無い小さな町と言っていいが、今日は今回新しく出来ていたホテル・Anh Vuに泊まる。1泊140,000ドン。

<2001年9月13日(木)>バンメトートA日目:Ede(エデ)族の村へ

 朝9:00にホテルを出発。バイクだけ(中国製のHonda Wave)を一日80,000ドン(約700円)で借りて、すでに知った道なので案内は無しで行く。目指す場所はLac(ラック)湖(地図ではLakと書いてある)。バンメトート市内からダラットに行く国道27号線を55kmほど下った所にある。ここはバンメートートの中では有名な観光地で、観光客が象の背中に乗って村を回っている場面にも出会う。そこに観光客用に整備されたEde族の村がある。

 まず最初にガソリンを2リットル入れて出発。「今日は天気も快晴だ!調子がいいぞ…・」と思いきや、何とたった30km走っただけで早くもガス欠。ベトナムに来て、1リットルで15kmしか走らない燃費の悪いバイクに初めて出会った。「さすがは中国製だ!」と怒っても、動かないのはしょうがない。
しかしここはベトナムだった。バイクを押して1分もしないうちにペットボトルに入れてある、馬のションベンの色をした、例の懐かしいボトルが民家の門先に置いてある。このバイクの調子ではまた直ぐガソリンが無くなるといけないので、更に3リットル入れてもらう。今後中国製のバイクは絶対借りるものかと固く心に誓う(最終的には一日で何と、7リットル入れた)。

 途中の平坦な田んぼでは、民族の人達がちょうど稲の刈り入れをしていて、気軽に「ハロー、ハロー」と挨拶しくれる。バイクを止めてしばらく見物する。その服装を見ると、女性は黒い色をしたスカートの民族衣装を着ている人もいるし、普通の服装の人もいる(顔は民族さんだが)。男性は全員普通の服装である。しかしここの民族さんは今、目の前で稲の刈り入れをしているが、もしこの田んぼが彼等の所有物だとしたら、山岳部でトウモロコシを栽培して生計を立てている人たちと比べると、遥かに恵まれているといえる。

 ベトナムの全人口約7,700万人の9割弱をキン族が占め、残り1割少しが少数民族である。ベトナムには全部で約53の少数民族がいると言われているが、それぞれ言葉や文化も違うし、また服装もさまざまである。以前ベトナム北部で見た花モン族の衣装は、それはそれは色鮮やかで、キレイな模様も付いていて見事なものであった。それに比べるとEde族の衣装は、遠くから見ると黒を基調にした、地味なものである。バンメトート市内でもこの服装で背中にカゴを背負って歩いているのを良く見かける。 

 そこでしばらく休んだあと民族さんに手を振って別れを告げて、さらにバイクで30分ほど走ってLac湖へ着く。そして11時頃にエデ族の住むJun村に着く。村の入り口には以前は無かった門があり、観光案内用も兼ねて「ようこそいらっしゃいました」と言う意味をベトナム語で書いた看板が掛っている。ここは観光客用に整備されていて、中には観光客のための宿泊施設や喫茶店、ミヤゲ物屋まである。さらに象に乗って辺りを散策するようなサービスもある(もちろん料金を払うのだが)。そのための象に乗る際に、背中に移る時使う高さ2mくらいのい踏み台もある。

しかしここの風光の明媚さは、しばらくタメ息をつかせる美しさがある。目の前にはLac湖が満々とした(ベトナムでは珍しい)キレイな水をたたえ、その湖に面してバオダイ皇帝が築いた別壮のある、コンモリした木々が茂っている小高い山がそびえている。その湖の上を、大きい丸太を一本まるごとくり抜いて造った、長さ4mくらいの、見た目にも古そうなボートがスイスイと走っている。今着いたこの区域の中には、今も民族さんが暮らしている家が昔のままに残っている。
民族によって家の作り方はいろいろ違ってくるが、ここ は地面から1m以上の高さ(大人の背の高さくらい)に床を上げて作った、いわゆる高床式構造の、一階建ての、長い平屋の形(地面から屋根までの高さは約5m、幅約4〜5m、長さ約12〜13m)をしている。こういう造りの家がこの区域だけでも、ザット見ただけでも10数軒は建っている。床下の用途は物置や、豚を飼育したり、ニワトリを飼っていたりしている。従って豚を飼っている床下は、ものすごく臭い。

 Ede族は全部で約195,000人がベトナムに住んでいるそうで、その大部分がここDac Lac(ダクラック)省に住んでいる。肌の色は少し黒いので、クメール系なのだろう。Buon Ma Thuotという地名自体がEde族の言葉なのだと言う。Lao族の言葉ではBan Me Thuotと書くから、カタカナでバンメトートと我々が書く時は(そちらが言いやすいからだが)Lao族の表記に従っていることになる。ベトナムの地図ではEde族の表記で書いてある。
ちなみにBuonという意味は、Ede族の言葉で「村」を意味するのだという。だからBuon Ma Thuotというのは、「Ma Thuot」村という意味である。それがそのままここの地名になったのだろう。

 ここに着いた時ちょうどEde族の年配の女性が、ウスにモミを入れて長い大きな棒で脱穀していた。大きな木をくりぬいて出来たウスである。キネは丸太を一本そのまま使い、2人で両手で握って共同作業をしている。ちょうどお月さんにいるウサギが餅つきをしているような、あの長いウスと長いキネである。子供の時見た、ウサギさんが餅つきをしている絵というのは目の前にあるのとまさに同じだから、あの餅つきのイメージは南方から来たものであろう。
その女性に「何をしているのですか?」と聞くと、民族の酒・Ruou Can(ルー・カン)を造るためにこうしているという。彼女が着ている服は上は普通の服装で、下にEde族特有の黒光りしたスカートをはいている。色彩鮮やかな服というのではない。この近くに住んでいる人も、これと同じ服が多い。



 その人に許可を得て家の中を見せてもらう。中は暗いが今日の暑さでも涼しい。屋根がワラぶきだからだろう。中は相当に広く、2・3家族は充分住めそうである。囲炉裏が家の中にあり、ここで煮炊きをしているようで、家の中はススで黒くなり、柱は黒光している。中には電気も引いてあるが、TVは無い。生活用品の衣類や食器がほとんどだが、まあ物余りの日本から来た人間から見ると何も無いに近い。それでも不便は無いのであろう。
ここは観光客も多数訪れるので現金収入もそれなりにあるはずだから、山奥に住んでいる民族さんと比べたら経済的には恵まれている方だろう。ただ観光客が多くなると、北部・Sa Pa(サパ)の少数民族が、以前は素朴に暮らしていた生活から、今はただの(観光客に物を売る少数民族の服を着た、セールスマンになったのでは?)と感じるくらい良くも悪しくも大いに変わったように、ここの人たちもこれからどう変化するかは分らないが……。

 礼を述べて外に出ると、白人の人たちが4人ほど象に乗って帰って来た。この村の中を象に乗るだけの体験だが、近くに寄って来た子供たちに愛想を振りまいて喜んでいる。しかしその後ろに落ちていく象のウンコの大きいこと。象のあのどでかい腹の中は、みんなウンコなのでは?と想像してしまう。

時間も12時近くになり、学校から帰る小・中学生が湖の対岸にある村に渡るためにボートを待っている人数が増えてくる。今勉強を終えて家に帰るところだという。顔が少数民族の顔をしているので、「何族かな?」と聞くと、ある子は「私はエデ族」、ある子は「僕はタイ族」と答える。従ってここにはエデ族以外の民族も住んでいるらしい。服装は普通のベトナム人の学生と変わらない制服を着ている。ついでだから一緒に対岸に渡ることにした。

 ボートに5分ほど乗って着いた村は、M Lieng(ム リエン)という名前。みんなと一緒に渡ってしばらく歩くが、道は前の日の雨でぬかるんでいて歩きにくい。さらに牛のフンまでほうぼうに落ちていて臭い。子供たちはそのフンも平気で踏みつけて、足の裏にウンコを付けていくが、私は出来るだけ注意して歩いていく。私も一回踏み付ければ後はお構いなしという気持ちになるとは思うが…・・。
しかしこの村ののどかさは何というべきであろう。バイクは一台も走っていない。ほうぼうで牛が草を食んでいる。遠くからニワトリの声が聞こえる。子供が十人ほど遊んでいるが、小さい子供はこの暑い中を(暑いからか)服も着ず、パンツも履かずハダカのフリチンである。私が子供の時を懐かしく思い出す。私も子供の時は、ここの子供たちのようにパンツも履かず遊び回っていたな〜と。村の人たちも、村に入って来た外国人を奇異な目で見てはいるが、警戒心はない。こどもたちが回りを一緒に歩いてくれているからだろう。

 ここにある家も、先ほど見た高床式の家と同じ作りである。その家の下では豚が昼寝をしている。近くでは木陰にムシロを敷いて昼寝をしている人もいる。見たところこの村には電線もないので、外から電気は引いていないようである。TVのアンテナも無い。まあTVはアンテナは無くても見れるから、全く家の中に無いのかは覗いていないので分らない。しかし今この時はTV・ラジオ・カラオケのうるさい音楽や声は聞こえてこない。それにしてもこの時間の暑さは尋常ではない。肌にはジリジリと刺すような紫外線が突き刺さり、痛さを通り越して震えが来た。まあ昼の12時過ぎだから無理もないが。

 今まで付いて来ていた子供たちもそれぞれ自分の家に帰り、一人・二人と少なくなって行く。炎天下の中を30分近くも歩いただろうか。象さんが飼われている家でも見れるかと思ったが、どこにあるかも分らないので引き返すことにした。帰る時もみんな昼飯どきなのだろう、誰も道を歩いている者もいない。
砂地の道を歩いて行くが、余りの暑さに頭がボーツとして来た。そしてボート乗り場に着くと、待つこと15分くらいでボートが来た。また対岸に渡る。時間も1時近くになって腹が空いてきた。ボート代は5,000ドン。

 昼食を近くで摂った後、バオダイの別壮を見るために山に登る。山といっても大した高さでは無く、10分足らずで頂上に着く。しかしこの山に登る道を良く見ると、以前は舗装されていたであろう後が残っている。この近くの国道自体が最近になってようやく舗装されて来ていることを考えると、さすがに金に飽かせてこの別壮も造ったのだろうと想像出来る。
山の頂上を切り開いて3階建ての建物が建っているが、残っているのは屋根とコンクリートの壁だけで、中はガランドウである。壁には落書きがしてある。山の上をピューピューと吹きぬける風に、廃墟となった建物の回りの木々が揺れている。

<2001年9月14日(金)>バンメトートB日目:Buon Donヘ 

 昨日、「こんなに燃費の悪い、中国製のバイクはもう借りない!明日は別のバイクで行くから、違うバイクを手配してくれ」と、バイクの持ち主にキツク言って今朝会うと「いろいろ別のバイクを探したが無いので、昨日のと同じバイクでなんとか我慢してくれ。その代わりガソリンを満タンにしておいたから」と言って、実際にガソリン・タンクのフタを開けて、「どうだ、満タンだろうが!」と言って叩いて見せる。その演技力に感服して、あと一日借りてあげることにした。朝9時に出発。


 今日行く予定の場所は、バンメトート市内から北西に約50kmのBuon Don(ブオンドン)という場所。Don村という意味か。ベトナムの地図ではBan Donと書いてある。このあたりになるとカンボジアとの国境が近くなり、あと更に40km進めばカンボジア領に入る。このBuon Donに行く道路はベトナムがカンボジアに侵攻した時、戦車が通過した道でもある。2年前に来た時はまだ舗装されていなかったが、今は舗装されて走りやすい。途中はコーヒーの木が栽培されていて、今がちょうど収穫の時期なのか赤い実を付けている。

 道路沿いには、Ede族の民家が点々と並んでいる。そのほとんどが大きい木材を床や屋根、壁にいたるまでふんだんに使用して出来ている。以前はこの近くの山には、こういう家を建てるときに切り出した多くの巨木があったのだろうと想像される。しかし今はこの近くでは見られない。ベトナムを旅していると、日本と比べて山に大きい木が少ないのはここに限ったことではないが、今は政府も山から勝手に大木を切り出すことを禁じているというから、民族さんのこのような家は今後そんなに簡単には出来なくなるであろう。

 途中道路の両側には民族さんの墓も並んでいる。普通のベトナム人の墓に屋根の付いているのは見かけないが、この墓には屋根がついている。そしてその墓の回りに、1本の棒から人間の形を彫り上げた像が何本もぐるりと立ててある。その表情は嘆き悲しんでいる様子の彫像もあれば、男性器をむき出しにしている像もある。
あとで近くに住んでいる人に聞くと、小さい息子や娘を表わしているという。要は死後も家族が見守っているという意味であろうか。しかしこういう冠婚葬祭に関する話は、日本でもそうだがその民族の文化の根深い部分につながっているので、私のような観光客には詳しくは分らない。
 
 途中で新しく出来た、観光地・Thac 7 Nhanh(7支流の滝)に寄る。舗装された道から横道に入ること約20分。途中何の案内板もないため、「道を間違えたかな?」と思い出会った子供に聞くと、「この道で良い」とのことなのでそのまま走る。しばらく行くとやはり子供の言った通り、目指す目的地に着く。ここでも入場料を払う(一人5,000ドン)。
ここにはEde族の家が再現されていて、希望すればその家の中で、ベトナム人に限らず外国人も宿泊出来るという。大きな高床式の家が建っていて、その床下がレストランになっている。さらにその上には観光客のための宿泊施設もある。

 ここは一年前から出来た観光地だということで、河幅の大きな河の中に生えている巨木を利用して、吊り橋が造ってある。ゴーゴーと水が流れる河を、その吊り橋の上から歩いて眺めるようになっていてスリル満点である。さらに河の中を歩く吊り橋の中を幾つか交差させて、6畳ほどの広間を板で張り合せて造ってあるので、涼しい河の上で食事や宴会が出来る。私が着いた朝の10時半過ぎには、さすがに宴会をしているグループは居なかったが。

 その吊り橋を渡って中州のような所に降りると、ビーチ・パラソルを広げたような形の東屋が5棟建っている。ここでも食事が出来るようにテーブルも付いている。しかし洪水の時に幾つかが流されてしまったようで、壊れてしまった東屋が2つほどある。ここにも誰もいない。最初に来た時の従業員がいる場所まで戻り、ここの施設案内を聞くことにした。パンフレットも有るのでそれをもらう。それによるとここでも費用を払えば、象に乗って観光出来るのがあって、何とこのゴーゴーと流れている河の中を、象の背中に乗って対岸に渡り、エデ族などの少数民族の村を訪ねるツアーがあると言う。

 象に乗って河に入るということは、さほどこの河は深く無いということなのか。しかしどう見ても危険なような印象があるが、実際それを観光コースにしているのだから問題はないのだろうが……。その場合、象に個人で乗る時は一人が70,000ドン。団体で象を借りる時は一人が25,000ドンになるという。ここを経営しているのもやはりベトナム人であるという。いろいろ質問してしばらくすると、みんな食事の準備をし始めたのでそこを後にする。

 次にカンボジア国境に近い、Ea Krong(エアクロン)川沿いの少数民族の村Buon Donに着く。ここにはEde族と同じような平屋の高床式の家もあれば、2階建ての木造の家もある。見るからに大きい木材を使用して建てた、堂々とした家々が並んでいる。ここも今後民族さんがこういう家を造るために、山から大きい木材を切り出すことは許されないのだという。従って大きい木材を使った新しい家というのは無い。
最近はここも観光客用に整備されて来ているようで、村の中のメインの道路が今まさに舗装されているところであった。しかしここも観光客用の商売をしているのは、ベトナム人のツーリスト会社である。実際観光客の見世物としてここに住んでいる民族の人たちに、どれだけの還元がされているかは分らない。



 ここも広い河をまたぐようにして、人が歩いて渡って行ける吊り橋が掛っている。渡り賃が5,000ドン。河の中には大きい木が聳え立ち、その木の中を鉄のワイヤーと竹で組んだ吊り橋が掛っている。洪水の時この吊り橋の上に立てば、恐怖で足がすくむような速い河の流れである。吊り橋の高さは、河から高い所で4〜5mくらいである。歩くと吊り橋なので、右に左にブラブラと揺れて気持ちがいい。たまたまこの時、民族さんの女性が吊り竿を肩にかついで、川岸の向こうに魚釣りに行くために橋を渡ってきた。当たり前というべきか、民族さんは吊り橋を渡る時、お金は払っていない。地元の人だからだろう。

 さらにここにも河の上に板を組んで、食事が出来るように20畳ほどの広い場所がある。しかしさっき訪ねたThac 7 Nhanhもそうだが、よくぞこういう河の中にこういうのを造ったものだと感心してしまう。
無数の木の枝や根がからみついているのを上手く利用して、人が通れるように吊り橋を渡し、また食事が出来るように広い空間を器用に創っている。これを創った人は相当の創作能力があるものだと思う。こういう施設はここだけではなく、他にも見かけたからそういうのを得意とするプロの人がいるのだろう。まだお客は少なくて、今日来た時はベトナム人の家族が一組いるだけだった。

 お昼になったので、この近くのレストランで食べることにする。ここはいわゆる指差し食堂では無く、チャントしたメニューがあり、お客が注文してから料理を作る。こんなヘンピな田舎にも、こんなレストランがあるのには嬉しくなってしまう。おそらくここを訪れた外国人の観光客でも利用出来るようにと改装されたのであろう。実際4人ほどの白人の年配の観光客が、既にベトナム料理を食べていた。ここは軽くヤキソバを頼む。

 さて昼も食べバイクを返すまでまだ時間もあるので、さらにまだEde族の村を訪ねることにして、一旦市内の方に帰る。帰りは少し飛ばして一時間少しで市内に入り、こんどは市内からサイゴンへ行く道を走って15kmくらいの所で左折してすぐその村に着く。
ここもまた観光客が良く訪ねるらしく、数人の外国人がすでに来ていた。ここの家も全て高床式の家だが、相当な大きい材木を使用しているし、見た目にも建ってから古い年数を感じさせる。全部でこの区域で見えるだけで十軒以上はある。この家の床下にも豚が飼われていた。まだ未使用の大きい材木も多く置いてある。しかし豚が生活している場所の土はネチャネチャの状態である。

 そこに年配の女性がいて、彼女がここに来た観光客の案内をしているのかどうかしらないが、英語が話せる。実際にここに来た外国人の質問を彼女が受けている。彼女も服装はキン族と同じ、普通の服である。少し時間が空いた時、彼女にこの村の名前を書いてもらうと、Buon Tuorと書いたのでTuor村と言うところか。
この村の中には学校もあり、ちょうど小学生が授業を受けていた。教室の中を覗くと先生が生徒にベトナム語を教えているところで、全部で15人の生徒がいた。写真を撮ろうと思ったが、授業のジャマをしてもいけないので控えた。生徒は普通の小学生の制服を着ているが、顔は民族さんである。あとでその年配の女性に聞くとやはりEde族の子供だという。

 しばらくしてその授業が終わり、子供たちがカバンを手に帰って行く。私もここで1時間半ほどいろいろ見学したり、質問したりして時間をつぶすうちに、あたりが少し薄暗くなって来たので市内に戻ることにした。早く帰らないと、ベトナムの郊外の夜道ほど危険なものは無いと知っているのでそこを出る。
ベトナムの田舎道はまず街灯が無い。その暗い道を平気で横切る人もいれば、堂々と横に2人並んで歩いている人もいる。そのたびにヒヤヒヤさせられる。一番危険なのが自転車である。ベトナムの自転車はどういう訳かライトがほとんどついていない。これで夜道を走っているので、街灯の無い道路でこれを見分けるのは至難の技である。追い越す時も、対抗してくる時も、至近距離まで来てようやく気付くことが多い。ベトナム人はよほど目がいいのだろうか。これで事故が起きないほうが不思議だと思うが…・。

 そして案の定パンクしてしまった。そして例の如くまた歩いてすぐの所で修理屋を見付けたが、肝心の修理をする人間が遊びに行って今居ないという。その店には奥さんがいたが、旦那さんがどこに行ったか分らないという。それで奥さんが自転車で旦那を捜しに行く間、仕方が無いのでそこで待つ。約20分ほどして奥さんが旦那を捜して一緒に帰ってきてすぐ直してくれた。



 それでなんとか真っ暗くなる前には市内に戻ることが出来た。ほぼバンメトートで見るべき所には行けたので、今日はバイクを借りた運転手を夕食に誘うことにした。彼の名前はTam(心)と言う。彼が今から案内してくれるのは、このバンメトートでも有名なレストランだと言う。中国人がその店のオーナーだという。そのレストランの名前は「Bac Map」。その中国人のベトナム名が「Bac」さんで、「Map」が「太った」と言う意味なので、「太ったBacさん」という意味になる。その安易な名前の付け方には思わず笑ってしまった。

 そこに入る時、中国人らしき人が2人路上に椅子を出して腰掛けていて、我々が入ると挨拶をしてくれる。運転手が一人の太った方を指さして、「あれがここの店長のBacさんだ」と教えてくれる。見るとなるほどいかにも中国の大人(タイジン)というか、ホホは福々しくツヤツヤし、腹は布袋さんのように大きく出ていて、見ているこちらまでが幸福になりそうな風体をしている。名は体を表わすと言うが、彼こそまさしくその一人であろう。

 店員にこの店のお勧めを聞くと、海産物もあることはあるが、ここの名物は主にこのバンメトートの山の中で取れた動物が旨いのだという。メニューを見せてもらうと、鹿の肉、ヘビ、ウサギ、イノシシ、スッポンの他にも見たこともないような生き物が図解付きで載せてある。「今日は何がお勧めかな?」と聞くと、店員がしばらく考え「ちょっと待て」と言ってそこを離れ、すぐ両手に何か生き物を抱えて来た。そして嬉しそうに「これはどうだ!」と両手を開いて見せる。それを見るとなんとあのアルマジロに似た、背中が甲羅に覆われたセンザンコウではないか。

 その茶色をした、可愛い背中を丸めて、店員の手の中で「キーキー」と鳴いているのを見ると、一抹の哀れみを催してきた。これが何も知らない状態で、調理されたのを食べたその後に「実は今食べたのは……・」と言われたのであれば「ああそう、美味かったよ」で終わるが、今眼の前でこのセンザンコウの可愛い鳴き声を聞かされると「食べないで、お願い!」と哀願しているようで、さすがに何でも食べる私も躊躇した。
しかしそれでも少し食指が動き、「いくらかな?」と値段を聞くと、何とこれ一匹で200,000ドン(約1,600円)すると言う。その値段を聞いたらすぐ止めにして、鹿肉とヤギの乳肉を頼むことにした。

 鹿肉を焼き、ヤギ肉を焼きながらTamさんに「毎日何をして暮らしているの?」と聞くと、バンメトートに来た観光客を案内したり、バイクタクシーで生計を立てているという。主にはホテルに宿泊する観光客を案内する方が実入りが多いので、ホテルのロビーで一日中将棋を指しながら待機しているのだという。それで生きていけるのが不思議だが、今目の前で実際に生きてヤギ肉を突ついて食べているから、死なずに暮らせるのだろう。

 彼に今回借りたバイクのことで話を聞くと、以前はHondaのDreamだったが、そのバイクをサイゴンから来たベトナム人に貸したら戻ってこなかったのだという。それで仕方なく性能が悪いのは知っているが、背に腹は代えられず、安い中国製のバイクを買ったのだという。
何でもそのサイゴンから来た旅行者のベトナム人は、ベトナム人が常時持っている地区の公安が発行するIDカードを偽造していて、バイクを借りる時彼にはその偽造したIDカードを見せて信用させたらしい。それで結局大事なバイクを盗まれてしまったのだという。それ以来彼は「サイゴンの人間は信用しない!」と顔を赤くして(ビールを飲んでいるからか)興奮して喋る。



 「それに比べて日本人は…・ 」と続けて、「本当に良い人たちが多いね」とお世辞を言ってくれる。実際今まで日本人を乗せて案内をして、値切られたことも無いし、食事はいつもおごってくれて、ビールも飲ませてくれて、後で写真も贈ってくれて、本当に良い人たちが多いという。そしてサイフから大事そうに、日本人が贈ってくれた写真を取出して見せてくれる。「この人はここに2年前に来た時案内してあげた人で、今どこどこに住んでいて…・・」とその出会いから、別れまでを詳しく説明してくれる。

 まあ今まで彼の前に現われた日本人は、良い人たちが多かったのだろう。これから先どうなるかは分らないが・・…。そういう話を聞くと、私も彼の頭の中ではその良い日本人の一人なのかも知れないかなと思い、「何だ、この中国製のバイクの性能の悪さは!一日目は何と7リットリのガソリンを食い、二日目はパンクし・・…」とつい口から出かかったが、良く考えるとバイクの性能の悪いのは、ベトナム人の彼の責任でも無いし大人げないなと思い、言うのを止めた。たぶん私も良い日本人の一人に入ったであろう。
まあ日本人の悪口を聞かされて終わるより、良い話を聞いて帰る方がグツスリ眠れるのでそれでいいのかもしれない。彼もこの近くや、遠くの距離までも外国人を乗せて、いろんな場所に案内しているだけあっていろんなことに詳しい。それで明日から行くKon TumにいるBa Na族について、いろいろ話を聞いてホテルに帰る。バンメトートの夜空は田舎だけあって、星がキラキラとまたたくように輝いていて奇麗である。
・・・つづく