ペテルブルクからモスクワへの旅(2)

[革命への呼びかけ][ラジーシチェフの描くロシアの民衆][「旅」の様式][ラジーシチェフの書物の運命]
[ラジーシチェフの意義][ラジーシチェフについて、В.И.レーニン]


革命への呼びかけ

 ツァーリ専制政治と農奴法、ラジーシチェフの信念によれば、それは国と民衆にとって大きな害を及ぼすものである。貴族地主や政府から厳しい農民の状態が軽減されることを期待するのは不可能である。一つの出口(解決策)は、革命である。民衆の農民革命への呼びかけが、ラジーシチェフの書の中では、根本的なモチーフとして鳴り響いていて、その書の内容全体を貫いている。「(Городня)」という章で、ラジーシチェフは、100年たってでも民衆の革命が起こるという堅い信念だけでなく、搾取階級をなくし勝利した民衆の間には、自ら自身の知識階級と新しい民衆の文化の偉大なる創始者が生まれるだろうとも語っている。まことに予言的な言葉である。これらすべてのことが、完全に偉大なる十月社会革命の後に実現した。
 「トヴェリ」の章では、「人類が手枷足枷の中にいて、自由への期待に胸ふくらませ自然の根絶され得ない法に基づいて動く(человечество возревет в оковах и направляемое надеждою свободы и неистребимым природы правом двинестся.」とき、「過酷な権力は一瞬にして消え失せる。おぉ、すべての日の中で、この上なくえり抜かれた日よ!(тогда тяжёлая власть развеется в одно мгновенье. О, день, избраннейший всех дней!)」
 遠い未来のことであるとはいえ、革命が起こることは避けられない、その根拠は、ラジーシチェフにとって、ロシアの民衆の性格の特徴から、もう一つは、彼らが置かれている生活条件からであった。

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ラジーシチェフの描くロシアの民衆

 「旅」では、二つの陣営が互いに対比されている。民衆の圧制者、強奪者、道徳的に退廃した人々(ツァーリ、貴人、貴族地主、官吏、商人たち)と抑圧されているとはいえ、自らの精神的力において偉大な民衆と。ラジーシチェフは、勤勉な農民(<リュバーニ(Любани)>)、大胆さ、剛勇、頓知、人々を救うために自らを犠牲にすることも厭わないこと(<チュドーヴォ(Чудово)>)、戦いへの団結(<ザイツォヴォ(Зайцово)>)、精神的及び肉体的健康、公明さ、完全な気質、人間の価値の高度に発達した感覚、(<エドローヴォ(Едрово)>」、芸術を感じる平凡な人々の才能(<クリン(Клин)>)について語る。労働の民衆だけが、真に、人間の資質を見分けることができる。力強く、大胆な人々が、自由の生活を創造し、偉大な歴史的出来事の創始者となることができる。
 ロシア文学に初めて、そのように共感されて民衆が描かれた。初めて、民衆が芸術的作品の真の英雄となった。

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「旅」の様式

 自らの芸術的言葉を民衆と革命への奉仕においた革命家、民主主義者、ラジーシチェフは、自らの「旅」の中で、当時のロシアの生活の真実を語ろうとした。一方、このためには、彼には、生活そのものから素材、人生から、彼が人生にとって典型的であるとみなしたその中に当時の社会政治的制度の正に本質が現れている現象を選びとる必要があった。ラジーシチェフは、正にそうした。彼が、自らの「旅」の中で語る様々な生活の話の根底には、真の出来事が横たわっている。ラジーシチェフが元老院の裁判業務の記録を読んで知ったこと、税関の勤務で見たこと、彼自身が観察したり友人たちや知人たちから聞いたこと--これらすべてを利用して、「旅」の中に、様々な階層や社会集団の生活を描き出した。ラジーシチェフは、意識的に、物語の中で人生の真実へと志向する。こうした志向は、何らかの現実の人物に特徴的な真実の肖像を描き、何らかの階級の特徴を代表する人たちに特有のものをそこで述べようという彼の試みが物語っている。例えば、「<ノブゴロド(Новгород)>」の章に描かれている商人の肖像は、そうしたものである。「カルプ・デメンティチは--下唇から8ヴェルショーク(35.56cm)の白髪のあごひげ。鼻は猿ぐつわのようで、目はくぼみ、漆のような眉、手を合わせて礼をし、あごひげをなでる。すべての人々を「私の恩人」と呼ぶ。(Карп Дементьич--седая борода в восемь вершков от нижней губы. Нос кляпом, глаза ввалились, брови, как смоль, кланяется об руку, бороду гладит, всех величает: благодетель мой.)」ここでは、その商人の外見も仕草も的確に捉えられている。
 ラジーシチェフは、真に表現豊かに、様々な階級、職業、(精神的)発達の程度の様々な人々に特殊な固有の話し方について伝えている。商人、貴族地主、官庁の事務職(подъячий)、セミナリア(特殊中等学校)の生徒、そして農民は、彼のところではそれぞれ自分たちの言葉で様々に語る。
 自らの言葉を、ラジーシチェフは、それが著者の書こうとしているものの内容と一致するよう作り上げようと努力している。生活の場面、特に、農民や商人たちの生活の場面は、生きた口語体で書かれている。すべての人にとって読みやすい。ラジーシチェフが革命について語り始めるところでは、彼の言葉は荘重な表現、言い回しで満ちている。

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ラジーシチェフの書物の運命

 ロシア帝政や貴族地主農奴制に反対し、革命の思想で貫かれたラジーシチェフの書は、エカテリーナ2世と地主貴族たちの敵意を引き起こした。本を重版することはもちろん、それについて述べることも禁じられた。ラジーシチェフの「旅」に対するこうした関係は、ツァーリの政府では、19世紀全体を通してそうであった。ロシア革命の初めの 1905年になってようやく、ラジーシチェフの書物は出版され、読者の手に届くようになった。ラジーシチェフ自身によってなされた「旅」の第1版から30−40冊が保存されていた。それは人から人へと伝っていった。その本の価値は、1000ルーブルにまで上がった。その書への関心は極めて大きかった。それを読むために、多くのお金を支払った。印刷された版から手書きの本が作られた。ラジーシチェフの書の進歩的な人々への影響力は偉大だった。その書は、思想や感情を目覚めさせ、行動へと呼びかけ、生活を改造し、国家の安寧と民衆の幸福への唯一の道として、民衆の革命を喧伝した。

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ラジーシチェフの意義

 ラジーシチェフの作品はすべて、特に、彼の「ペテルブルクからモスクワへの旅(Путешествие из Петербурга в Москву)」を貫いている革命思想は、彼の同時代人だけではなく、後の作家や革命活動家たちの政治思想の発展に大きな影響を及ぼした。ラジーシチェフの思想の影響の下に、クリーロフ、デカブリストたち、プーシキン、ゲルツェンの政治的観点は発展した。ラジーシチェフに従って、若いプーシキンは、頌詩「自由(Вольность)」を書く。小詩「記念碑(Памятник)」の原稿に、プーシキンはこう書いた。「ラジーシチェフに続いて、私は自由を讃える。(... вслед Радищеву восславил я свободу.)」

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ラジーシチェフについて、В.И.レーニン

 論文「大ロシア人の国民的誇りについて(О национальной гордости великороссов)」の中で、ヴラジーミル・イリッチ・レーニン(Владимир Ильич Ленин)は、ロシア革命運動の発展について語りながら、1914年にこう書いている。「私たちは、自らの言語と祖国とを愛する。・・・私たちにとって、ツァーリの刑吏や貴族、資本家たちが私たちのすばらしい祖国をいかに暴政、圧政、そして嘲弄をしてきたかを見、感じることは何にもまして心が痛む。これら暴圧が、私たちの環境、大ロシアの仲間たちから抵抗を引き起こしたこと、この仲間たちは、ラジーシチェフやデカブリストたち、70年代の革命家、雑階級知識人たちを生み出したこと、大ロシアの労働階級が 1905年に、民衆の強力な革命党を創り上げたことを、私たちは誇りに思う。(Мы любим свой язык и свою родину ... Нам больнее всего видеть и чувствовать, каким насилиям, гнету и издевательствам подвергают нашу прекрасную родину царские палачи, дворяне и капиталисты. Мы гордимся тем, что эти насилия вызывали отпор из нашей среды, из среды великоруссов, что эта среда выдвинула Радищева, декабристов, революционеров-разночинцев 70-х годов, что великорусский рабочий класс создал в 1905 году могучую революционную партию масс ...)」

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