自らの書のエピグラフ(Эпиграф)として、ラジーシチェフは、トレジャコフスキーの「ティレマヒト(Тилемахид)」の詩の一節を少し変えて採用している。「怪物は、円く、乱暴で、巨大で、この上ない吠え声を挙げる(?)(Чудище обло (т.е.круглое), озорно, огромно, стозевно и лаяй)」(トレジャコススキーの詩のこの箇所は、罪ある人々「特に悪しきツァーリ(а особливо злых царей)」の来世での苦しみが描かれている。この描写は、「罪悪に対する嫌悪の情を映し出した鏡を見た暴君のツァーリが、その中の様々な地獄の怪物の中でも、自らがそれらより怖いものであることを見た」ところで終わる。それら(犬(пёс))の一つが「円い怪物(чудище обло)」などである。そうした怪物をラジーシチェフは、当時のロシアの専制農奴制であると呼んでいる。
自らの書をアレクセイ・ミハイロヴィッチ・クトゥゾフに献じ、その献辞に、ラジーシチェフはこう書いた。「私は--私の魂は人類の苦しみによって傷つけられている。私は、私の視線を自分の内面に向けた。--人間の不幸は、人間によって生ずることを、しばしば、人間が自分を取り囲むものを直視しないことからだけ生じていることを、私の周囲で見、認めてきた。(Я взглянул пкрест меня - душа моя страданиями человечества уязвлена стала. Обратил взоры мои во внутренность мою - и узрел, что бедствия человека происходят от человека, и часто от того только, что он взирает не прямо на окружающие его предметы.)」
この言葉は、自らの祖国と民衆を熱烈に愛する熱烈な愛国主義者の言葉であり、民衆の不幸を見ると胸が痛み、自らの国ついて真実を語り、芸術的言葉という武器で、ツァーリの悪と戦うことを願うようになる。自らにそうした課題を提示し、ラジーシチェフは、自らの書物に、当時のロシアの生活の極めて広範な光景を描いてみせる。彼は、様々な社会階層の生活(ツァーリの宮廷、地方の貴族、官吏、商人、農民)を示し、行政の専横について、違法について、貴人、官吏、貴族地主たちのあらゆる悪行について語り、文化、教育、養育、家族関係、戦争と平和の問題に関して発言する。そして、それらすべての問題を、彼は、人間による人間の迫害に対して戦うなだめがたい戦士、革命家の観点から解く。彼は、政体そのもの、専制農奴制の秩序を、その中に悪の根源があることを正しく見据えて暴く。しかし、彼は、暴くだけでなく、革命へと呼びかける。革命だけが、とラジーシチェフは考える、民衆をその暴君--ツァーリと地主貴族から救い出すことができる。このように、この書の中心のテーマは、二つある。農奴法と専制政治。一方で、基本的な考えは、民衆の革命思想である。
農奴法のテーマは、「旅(Путешествие)」の中に広く現れ、農奴農民の生活とその苦しみの強烈な印象を与える情景で与えられている。「つまらぬ奴(Пешки)」という章では、農民の小屋の内部、農民たちの衣服や履き物を描きながら、ラジーシチェフは、民衆の恐るべき貧困のすべてを提示している。「貴族階級の貪欲さ、強奪、虐待--これらが農民をそうした状況へと導いたものだ。(Алчность дворянства, грабёж, мучительство - вот что довело крестьян до такого состояния)」とラジーシチェフは語る。
著者は怒り、声を荒げて語る。「飢えた獣、貪り食う強欲漢、私たちは農民に何を残すのか?私たちが奪い取ることのできないものは空気。そう、空気だけだ。(Звери алчные, пиявицы ненасытные, что крестьянину мы оставляем? То, чего отнять не можем, воздух. Да, один воздух!)」
農民がいかに働き、その労働がどのようなものであるかについて、ラジーシチェフは、「リュバーニ(Любани)」の章で語っている。週に6日、農民は、地主貴族のもとで働き、休日もまだ貴族地主のためにキノコや苺を求めて森へ行く。自分の耕地の耕作のためには、農民には休日の夜だけしか残っていない。農民との会話は、ラジーシチェフを深く印象づけ、彼は声を挙げて言わないわけにはいかない。「恐れよ、残忍な地主貴族よ、お前たちの農民の一人一人の額に、私はお前たちの非難(死の宣告)を見る。(Страшись, помещик жестокосердый, на челе каждого из твоих крестьян вижу твоё осуждение.)」
地主貴族による容赦のない農民の搾取の情景を、ラジーシチェフは、「天の小道(Вышный Волочок)」の章の中に描いている。ここでは、自らの農民の「耕地と干し草の草刈り場の小さな領地を奪い取った一人の貴族地主について語られている。その領地は、普通、貴族たちが、農民たちに要求するあらゆる強制的な労働に対して、あたかも報酬の如くに必須の生活のために彼らに与えているものである。要するに、この貴族は、すべての農民とその妻、そして子供たちを、一年中休みなく、自分たちのために働かせたのである。(малый удел пашни и сенных покосов, которые им на небходимое пропитние дают обыкновенно дворяне, яко в воздаяние, за все принужденные работы, которые они от крестьян требуют. Словом, сей дворянин некто всех крестьян, жён их и детей заставил во все дни года работать на себя.)」彼は、具の入っていないシチューを彼らに与え、斎戒日や精進の日(水曜日と金曜日)には--パンとブドウ酒とを食べさせた。「冬の履き物、すなわち樹皮製の靴を、彼らは自分で作り、夏は裸足で歩いた。(Обувь для зимы. т.е. лапти, делали они сами ... а летом ходили босы.)」家畜も家禽も、農民は持っていなかった。そうした方法で、貴族地主たちは自らの財産を殖やした。「野蛮人!お前は市民の名を持つに値しない。(Варвар!недостоин ты носить имя гражданина.)」--地主貴族の方に向かって、ラジーシチェフは語る。そして、彼は、革命的な呼びかけで、その章を終える。「彼の耕作の用具を打ち壊せ。彼の穀物乾燥用の倉庫、穀物乾燥場、穀倉を焼き払え。畑にその灰を撒け。彼の虐待はそれで終わった。(Сокрушите орудия его земледелия: сожгите его риги, овины, житницы и развейте пепл по нивам, на них же совершалося его мучительство.)」
「銅の(Медное)」という章では、公の市場での農民の売買が描写されている。ラジーシチェフは書いている。「毎週2回、新聞に、零落した貴族地主による農奴の競売が公表される。」例えば、「この ... 日、夜中の10時に、地方の裁判所、または都市庁(自治庁)の決定によって、退役大尉某の No.〜の下の〜部にある不動産、所有地、家屋、そしてそれと共に、男女6人の農奴が競売される。競売は、まさにその屋敷で行われる。希望者は予めその物件を見ておくことができる。(Сего ... дня, по полуночи в 10 часов, по определению уездного суда, или городового маристрата (усравы), продаваться будет с публичного торга отставного капитана Г ... недвижимое именье, дом, состоящий ... в ... части под No. ... и при нём шесть душ мужского и женского полу; продажа будет при оном доме. Желающие могут осмотреть заблаговременно.)」誰が売られるのか。75歳の老人が、この大尉Гの父親を、戦場から傷ついた肩にかついで連れ戻り、その後、若い主人の子守役となった。彼が川で溺れた時には、彼を救い、借金のために入れられた牢獄から彼を身請けした人であった。その老人の妻の老婆が、その貴族地主の母親の乳母であり、後に彼の子守となった。若い主人の乳母の40歳の女が、彼女の娘が--小児と共に(売られるのだ)。そして、この家族は皆、ばらばらの人の手に売られる恐れがある。こうした光景に強く揺り動かされ、憤慨し、ラジーシチェフは、深い理解により、驚くべき確信をもって、その売買の重苦しい描写を終える。それは、貴族地主からではなく、「正に奴隷であることの重圧からの(от самой тяжести порабощения)」すなわち、奴隷であることの重圧から引き起こされる革命による自由を待たなければならない。
ラジーシチェフは、農奴制が地主貴族たちに及ぼす堕落への影響について語る。残虐さ、搾取、淫乱、教養のなさが、農奴制擁護者の貴族地主を特徴づける。時に見られる善良な一人一人の人でさえ、彼らに反対する制度のようなものは何も作ることはできない。国の状況は、革命だけが正すことができる。
「旅」の第二の基本的テーマは、--専制--農奴制と並ぶもう一つの悪の起源である。このテーマに、ラジーシチェフは、革命家、共和主義者として接近する。
18世紀の文学において、ツァーリ(暴君)を描くことはまれではない。しかし、常に、暴君に対して、良きツァーリが対比させられていた。ラジーシチェフにとっては、よきツァーリは存在しない。なぜなら、ツァーリという地位そのものが、無制限のツァーリの権力が、必然的にその権力の持ち主を堕落させるから。憤激し、憤慨して、ラジーシチェフは、ツァーリの権力について語る。エカテリーナ2世は、ラジーシチェフの書物を読んで、自らの覚え書きにこう書いたのは正しかった。「作者はツァーリを愛していない。そして、ツァーリへの愛と尊敬とを減らすことができるところでは、まれに見る大胆さで、強烈に言いがかりをつける。(Сочинитель не любит царей и, где может к ним убавить любовь и почтение, тут жадно прицепляется с редкой смелостью.)」「スパースカヤ・ポーレスチ(Спасская Полесть)」の章と「自由(Вольность)」という頌詩で、特別の力を込めて真実を暴き、ラジーシチェフは専制政治について語る。
スパースカヤ・ポーレスチ(Спасская Полесть)と頌詩
「スパースカヤ・ポーレスチ(Спасская Полесть)」の章では、旅人の夢が中心を占めている。夢は、ツァーリの玉座の壮麗さの描写で始まる。玉座には、国の支配者が席に着く。ツァーリの玉座を取り囲む高官、宮廷人たちは卑屈に振る舞い、ツァーリの学問のあること、公正さ、勤勉、慈悲深さ、国家や国民への配慮をほめ讃える。
この称賛を真に受け、ツァーリは、自らをこの上ない至賢の存在であると信じる。彼は、一級の司令官に艦隊を率いて新しい土地の征服に出発するように命じた。--「すべての海を軍艦を追い散らせ(рассеять корабли по всем морям.)」牢獄から囚人たちを解放するように命じる。建築家たちに壮麗な建造物を建てるように命じる。これらの命を聞いて、玉座に侍る者たちは、皆、ツァーリを称賛する。しかし、イスチーナ・プリャモヴゾラ(Истина-Прямовзора)は、ツァーリの目から迷いを取り除いた。彼は、すべての真実を光の中に見た。「それほどまでに輝いていた私の衣服は、血で汚れ、涙で濡れているように思えた。私には、私の指に人間の脳の残りが見えた。(Одежды мои, столь блестящие, казались замараны кровью и омочены слезами. На перстах моих виделися мне остатки мозга человеческого: ноги мои стояли в тине.)」しかし、彼には、宮廷臣たちが「一層けちな(
скареднее)」人間に思われた。「彼らの内部すべてが、貪欲な鈍い炎で黒く燃え尽きているように思われた。彼らは、私に、また互いに、歪んだ視線を投げかけ、そのどの視線にも強欲、嫉妬、狡猾さ、憎悪が支配していた。(Вся Внутренность их казалась чёрною и сгораемою тусклым огнём ненасытности. Они мегали на меня и друг на друга искажённые взоры, в коих господствовали: хищность, зависть, коварство и ненависть.)」
ツァーリは、彼らによって戦争へと送り出された司令官が「贅沢と享楽にふけっていた(утопал в роскоши и веселии)」ことに気づいていた。このために必要なお金は、軍隊に必要なものを購入するのに支払われる金額から十分に取られていた。兵士たちは悲惨な状況にあった。「家畜よりひどいものとみなされ(почитались хуже скота)」「彼らの命は、何の価値もないものとみなされた。(жизнь их ни во что вменялася)」軍艦は海には出ず、一方、その長官は、彼があたかも発見したかのように新しい島を地図に書くことを命じた。ツァーリの罪人の赦免は、全く実行されなかったり、実行が延期されたり、長官に賄賂を与えることのできた者だけが許されたりした。そして、「国民に、慈悲深いことを知らしめるためであったのに、私は、ペテン師、偽善者、そして破滅を招く道化師として知れ渡った。(вместо того, чтобы в народе моём прослыть милосердным, я прослыл обманщиком, ханжою и пагубным комедиантом.)」
この夢の中で、ラジーシチェフは、非常に的確に真実を、エカテリーナとその宮廷、そして一級の司令官--ポチョムキン--を描いていたので、エカテリーナもポチョムキンもそれに気づいた。「私は、私に送られて来た書物を読み終えました。--ポチョムキンはエカテリーナに書いている。--私は怒りません。オチャコフスキー城壁の義勇軍(?)で、私は著者に答えます。母方様、彼は、あなたをも何らかの中傷をしているように思えます。(Я прочитал присланную мне книгу. Не сержусь. Рушеньем Очаковских стен отвечаю сочинителю. Кажется, матушка, он и на вас возводит какой-то поклёп.)」
1781年-1783年頃に書かれた頌詩「自由(Вольность)」を、ラジーシチェフは、「トヴェリ(Тверь)」という章の中に挿入した。ツァーリは(頌詩の中では)暴君として描かれ、彼の下での裁判と死刑について語る。
詩には、イギリスの王、カール1世のクロンベルでの死刑が描かれている。しかし、エカテリーナは、ラジーシチェフの思想の方向を理解した。「頌詩は、完全に、公然と明らかに反乱の(頌詩)であり、ツァーリを断頭台で脅している。クロンベルの例は、称賛を込めて引用されている。(Ода совершенно явно и ясно бунтовская, где царям грозится плахою. Кромвелев пример приведён с похвалами.)」