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MUSICA MUNDANA NO.59
Dec.30.2005
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◆ 目次 ◆
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◎ 音楽史
◆トロープスとセクエンティア◆
◎ 数学史
◆メソポタミアの衰退◆
◎ Homepage Updated (Dec.25.2005)
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◎ 随想
◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆トロープスとセクエンティア◆
聖マルティアリス-カリクスティン写本(St.Martial-Calixtine)の中に
ある「Viderunt Hemanuel」は、その写本の中で目立っている作曲型、ウ
ェルスス(versus)とトロープス(tropus)、すなわち讃歌と詩句--ここでの
ように同一の時もありますが--だけでなく、900年頃までに十分確立され
ていた礼拝式(practice)やトロープスの挿入(troping)の仕方についても、
非常に好都合なことに例証してくれています。後期ラテン語では、
tropareは「歌う」という意味で、トロープスというのは旋律でした。よ
り正確には、音楽あるいはテキストを、あるいはもっと普通には、その両
方を「聖務」の典礼の一節に加えることでした。
重要なことですが、その礼拝は、教会が典礼及び音楽の統一を確立しよう
としていたまさにその時に広まり始めます。トロープスの最も初期の形に
ついては、聖アウグスティヌスが語り、疑いなく(その時代より)ずっと
古くからあるアレルヤの言葉のないユビルス(jubilus)のことでした。そ
して、メッスのアマラルが、人々が「セクエンティア(sequentia)」と呼
ぶ、このユビラティオ(jubilatio)について話すとき、まさに、これを意
味しているように思われます。
しかし、アマラルのすぐ後に、フクバルトやノトカー・バルブルス
(Notker Balbulus)、ムシカ・エンキリアディスの著者らが、セクエンテ
ィアの新しい扱い方を説明し、例証しているのを私たちは発見します。
885年頃書かれた Liber Hymnorum(讃歌の書)への序(Prooemium)の中で、
ノトカーは、ルーアン(Rouen)近くのジュミエージュ(Jumie`ge)の修道院
が破壊されたとき、一人の修道士がどのように逃れたか、以前は言葉のな
かったセクエンティアに詩句(verses)が付け加えられたアンティフォナー
レ曲集(Antiphonary)をサン・ゴールへどのようにもたらしたか、しばし
ば引用される説明をしています。
ノトカーは、もっと改良することができると感じていて、10世紀と11
世紀の多くの写本に保存されている彼の Liberは、そうしたセクエンティ
アを40,それまで存在していた旋律に詩句を付け加えたものもあれば、
新しく作曲した旋律を付けたものもありますが、含んでいます。ムシカ・
エンキリアディスの著者、あるいは、その写本の一つの書写生は、セクエ
ンティア「Rex caeli」の音楽と言葉をオルガヌムを説明するために引用
しています。
繰り返される旋律に付けられた二重行のストローフィは、普通独立した
始まりと終わりのストローフィによって「枠で囲まれて」いますが、それ
は、セクエンツィアに特徴的なものです。フクバルトは、De
Institutione Harmonicaの中で、「Stans a longe」という一つのセクエ
ンティアに言及しているだけでなく、すでに私たちが見てきたように、グ
ロリアの中に挿入されたラウダ、すなわちグロリア・トロープスの作曲家
でもありました。
実際、リチャード・クロッカー(Richard Crocker)が指摘しているように、
グロリアを歌うことは、最近まで司教の特権でした。--そして、ペーター
・ワーグナー(Peter Wagner)によれば、「その最も古いグロリアの旋律は、
あるフレーズの朗誦の性格を持っていた・・・。歌というより朗読であっ
た。」--一方、アニュス・デイは、アウレリアヌス・レオメンシス
(Aurelian of Reome)によって、ミサの儀式の一部として、初めて記録さ
れています。(これに関して言いますと、クレドは、まだその一部ではあ
りませんでした。)
このように、多くのグロリアやその他の旋律は、改竄された言葉につけら
れた旋律より、決して古いわけではないでしょう。重要な点は、10世紀
と11世紀との間、特に「フランクの」地で、新しい作曲の形態がほとば
しり出ていたということです。讃歌(hymnis)、アンティフォナーレ、トロ
ープス、そしてセクエンティアと。
これまでに、私たちが気づいているように、多くのトロープスは、ポリ
フォニー的でありました。--そして、ポリフォニー的なトロープスが、全
般に、西洋音楽に於いて、評価しきれないほど重要な発展へと導くことに
なります。しかし、例えば、私たちが、聖マルティアリス写本と漠然と呼
んでいるものの中では、モノフォニー的なトロープスとセクエンティアが、
その数でははるかにポリフォニーを凌いでいます。ほぼ11世紀のもので
ある写本が数十もある中で、そこには、ポリフォニーの曲は一つも含まれ
ていません。また、ポリフォニーの曲を含む、すでに述べた後の4つの写
本でさえ、ポリフォニーの曲とほとんど同じくらいの数のモノフォニーの
曲が含まれています。
しかし、その割合は異なっていて、4つの中で、最も初期のもの、Bibl.
Nat.1139は、二声の曲13に対して、38のモノフォニーの曲があります。
あとの 3549と 3719では、52に対して47、4つの中で最も後の
Brit.Lib.36881では、30のポリフォニーの曲に対して、モノフォニーの
曲は7つしかありません。「ポリフォニーの」曲でさえ、特に讃歌は、し
ばしば、モノフォニーとポリフォニーの入り混じったものです。
━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆メソポタミアの衰退◆
古代メソポタミアは、およそ2500年の間、高度な文明を維持してきまし
た。アッシリア、シュメール、バビロニア、カルデアは、世界の商業機構、
学問科学、法律、美術に大きな貢献をしてきました。数学、薬学、宗教、
彫刻、建築、文学、そして行政の各学問は、すべてその二つの川の沿岸や、
その周辺の土地に住む人々の天才によっています。
しかし、BC6世紀が終わるとともに、この地域固有の文明にとって壊滅
的な変化が起こります。BC539年のペルシアによる征服と、それに続くパ
ルティア、ギリシア人、ローマ人の侵入。そのどれもがメソポタミアの領
土の一部あるいはすべてを征服し、メソポタミアの古代の栄光をほとんど
何も残さなかったのです。
トラヤヌス帝は、アレクサンダー大王の征服を再び繰り返そうとして、AD
2世紀の初め、バビロンを訪れますが、「そうした名声に値するものは何
一つ見えず、ただ、ガラクタと石の山の廃墟とを見ただけ」でした。
これが、ギリシアが勃興する以前に存在した他のどこよりも世界に大きな
影響を、恐らくは及ぼしただろう文明の衰退を象徴するものでした。
占星術は、今日、アジアの広い地域でそうであるように、多くの一般の
人々の間でその力を保持し続けます。そのことは、BC2世紀の銘板に示さ
れており、その中で、惑星の位置に関する予言について、王に報告がなさ
れています。迷信が宮廷に影響を及ぼすくらいですから、一般の人々には、
はるかに大きな影響を及ぼしたでしょう。
この地域のすべての記録の中で、唯一つの名が、この時期(5世紀まで)
の数学史において、また、姉妹学問科学との関連において、言及に値する
名として残っています。BC250年頃、カルデアのベロスス(恐らく、バー
ル・オセアス(Bar Oseas)すなわちオセアスの息子)が、コス島に学校を
創設し、日時計や恐らくその他の器具を使って、ギリシアに天文学と彼ら
の民族の占星術の信仰を伝えたというものです。
━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆カンタベリー大聖堂◆
12月29日は、カンタベリー大聖堂で殉教した聖トーマス・ベケット
の祝祭日だというので、Maiharaの戯言(http://maihara.seesaa.net/)に
その話を少し書き込んだのだが、ここでは、そのカンタベリー大聖堂の歴
史について少々書いてみようかなと思う。少し長いので、次回と2回に分
けて書くことにする。
参照は、Canterbury Cathedral Online - History & Building
http://www.canterbury-cathedral.org/
カンタベリーの最初の大司教は、聖オーガスタン(アウグスティヌス)で
ある。彼は、ローマからグレゴリウス大教皇によって派遣され、AD597年
にイングランドへの宣教団としてケントの海岸に到着する。グレゴリウス
は、市場で「アングル族」の奴隷を見、彼らの美しさに打たれ、「アング
ル族ではなくエンジェルだ」と言ったという話が伝えられている。そうし
た人々を、彼はキリスト教に改宗させるべきだと考え、オーガスタンを初
めとする修道士たちにイングランドに向かうよう命じた。
到着すると、オーガスタンは、すでにキリスト教徒であったその地の王
エセルバートと女王バーサによってカンタベリーに教会が与えられる。こ
の建物は、ローマがイギリスを占領している間、礼拝地であったところで
ある。
やがて、司教に聖別されオーガスタンは、この地に最初のカンタベリー
大司教として司教座を確立する。現在の大司教ロウワン・ウィリアムズは、
第104代目である。
10世紀まで、その共同体は、大司教の世帯として規則正しい生活を送
る聖職者の一家であった。998年まで、公式の修道院共同体として聖ベネ
ディクトゥスの戒律で生活していた証拠は見いだせない。ベネディクト会
修道院としての共同体は、1540年に修道院が解散されるまで続いた。
カンタベリー大聖堂は、多くの偉大な教会人や国家の人物と結びついて
いる。カンタベリーの聖人として、オーガスタン、セオドール、オド、ア
ンセルム、トーマス、エドムンドなどカンタベリーの大司教であった人々
がいて、広く崇敬を集めている。
その中で最も有名なのは、トーマス・ベケットである。彼は、1170年
12月29日に大聖堂で殺害された。彼の王であり友人であるヘンリー2
世によって任命され教会を王権に従わせるよう求められたが、彼は反対の
ことをした。教会を支配しようとする王の欲望に対して自らの権利を主張
した。
その話を聞いた4人の騎士が、国王に取り入ろうとカンタベリーにやっ
てきて、まさにその大聖堂でその大司教を殺害した。
-- 続く --
━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●竹宮惠子の世界展
日時:1/7(土)〜3/3(金) 9時30分〜17時
場所:徳島市 県立文学書道館
料金:一般500円、高校・大学生350円、小・中学生250円
問い合わせ先:県立文学書道館 088-625-7485
徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
http://www.museum.comet.go.jp/
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━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
さて、2005年も今日を入れて残りわずか2日となりました。
一年を振り返る余裕もないうちにもうこんな時期になってしまったなあ
というのが、現在の実感ですが、来年は、また、違った年になるのではな
いかと、ふと思ったりもしています。
それでは、皆さん、よいお年を!!
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