サイドカー

パリのハリーズ・ニューヨーク・バーの経営者、ハリー・マッケルホーン氏作。同氏は、ロンドンのクラブでバーテンダーをしていた時代の1919年に、ペパーミント・ベースのホワイト・レディというカクテルを創案。のち、パリに渡り、1923年にハリーズ・ニューヨーク・バーを経営することになった。1925年、ロンドン時代のホワイト・レディの処方を、ジン・ベースに改良、評判をとった。1933年、そのホワイト・レディのベースをブランデーに代えたものを店で売り出し、それを愛飲する顧客の乗用車にちなんで、サイドカーと名付けた。

青い珊瑚礁

昭和25年5月3日、東京で開かれた第2回オールジャパン・ドリンク・コンクールでの第1位の入賞作品。作者は鹿野彦司氏。

アレキ・サンダー

イギリス国王エドワード7世(1841〜1910)と王妃アレキ・サンドラの婚礼記念に捧げられたというカクテル。最初はアレキ・サンドラと女性名がついていたように、やはり女性向きの味。ちなみに、ジョン・レノンはこのカクテルがお気に入りだった。

アメリカーノ

このカクテルは第二次大戦後に大流行しだしたカクテルなのですが、実際は大正時代から日本のカクテル・ブックにも出ているというかなり歴史の古いカクテルです。”アメリカの人達”と言う意味のイタリア語ですから、これはおそらくイタリアで生まれたカクテルと思われます。

シンガポール・スリング

英国の作家サマセット・モームと言う人が「エキゾチックな東洋の神話」と評した、ラッフルズ・ホテルで生まれたカクテル。ちなみに、スリングとは、ドイツ語の「飲み込む」と言う意味から来ているそうです。カクテルは1951年作。

ジン・リッキー

ジン・リッキー、この飲み物は、アメリカで生まれたことがはっきりしています。そして、ワシントン市のシューメーズというレストランで初めてつくられ、それを最初に飲んだジョー・リッキーと言う人の名前にちなんでリッキーという名前が付けられた。

スクリュー・ドライバー

女殺しと呼ばれて語り継がれていますが、現在の女性の酒の飲み方を考えると、そろそろ変えた方がいいのではと思うのですが?。イラン油田で働く、アメリカ人が、ウオッカとオレンジ果汁をねじ回しでステアーして飲んだことから、この名が付けられた。

ジン・トニック

大英帝国時代、熱帯の植民地で、水にキニーネを垂らし、マラリアよけとして飲んでいた。このトニック・ウオーターにいつからかジンを加えて飲んだ。これがジント・ニックの最初。ヘミングウェイはジン・トニックにアンゴラス・ビターを2、3滴垂らすと味が引き締まると言っています。

ジン・アンド・イット

今はまったくと言っていいほど注文はないが、重要なカクテルなので。1850年にはかなりポピュラーであったらしく、その頃自社のベルモットを拡売しようと計ったイタリアのベルモット・メーカー、マテーニ・エ・ロッシ社が、このジン・アンド・イットに自社の製品を使うようPRし、これをマテーニ・カクテルと命名したのがはじまりと言われています。その当時は、まだ人造の氷の製法が発明されていなかったため、直接グラスに注ぐ形で飲まれていた物で、現在のマテーニ・カクテルの原型なのです。ちなみに、レシピはドライ・ジン30ml、スイート・ベルモット30ml、直接グラスに注ぎます。もちろん氷なし。

ジン・フィズ

フィズとはソーダーの「シュー」という音を擬した言葉。1888年にアメリカニューオリンズのヘンリー・ラモスが作ったと言われている。

ソルティー・ドッグ

ソルティー・ドッグとは狷介な犬。狷介(けんかい)とは大変頑固で人と和合しない人のこと。転じて志操に妥協的な面がない人。と言うことは、昔はこのカクテルを飲む人は変わり者だったのかな。

ダイキリ

ダイキリとはキューバにある鉱山の名前。19世紀〜20世紀にかけて、この鉱山で働く男たちが暑さしのぎにラム、ライム、砂糖をミックスして飲んだのがこのカクテルの最初だという。

トム・コリンズ

19世紀末、ジョン・コリンズ氏が考案した当時は、ジンはオランダ産のジェネバ・ジンが使われていたようです。やがてイギリス産の甘いオールド・トム人が使用されるようになり、名称もジョン・コリンズからトム・コリンズに変わりました。そして現在のドライ・ジンが用いられるようになり、味が一層引き締まって、より多くのファンを獲得しています。しかし、聞くことによると、最近再びオールド・トムジンが手にはいるようになり流れはそちらの方に向いているみたいですね。

ニコラシカ

ニコラシカ(ニコラスキー)の名の由来には諸説があって、いずれもその真為はわからないが、一説によると、帝政ロシアの皇帝ニコライ二世<在位1894から1917>は、気は弱いが酒はめっぽう強かったという。常に、レモンと共にウオッカを一気飲みしていたとか。ニコライ二世は、1904年の日露戦争で日本に敗れ、さらに第一次世界大戦では前線の指揮を執ったが、二月革命によって遂に退位。革命後は監禁され、1918年7月16日、ズベルドロフスクで処刑された。ニコライ二世が飲んでいたのはウオッカだが、いつの間にか芳醇なコニャックをベースにするようになった。

チェリー・ブロッサム

横浜の古いバーで生まれたカクテル。サボイ・ホテルのカクテルブックにも載っている。パリのオーナー田尾多三郎氏が創作し、国際コンクールで賞もとった。

チチ

ハワイ生まれのカクテルです。チチとは”粋な”と言う意味のスラッグです。はじめライト・ラムベースでしたが、カリブ海諸国のピニャ・コラーダが同じ様な処方であったため、ウオッカをベースにするようになりました。

バラライカ

bararaikaとは、ロシア人が用いる胴が三角形をしたギターに似た弦楽器のことです。

マルガリータ

おなじみ、マルガリータ。1949年、ロサンゼルスのテール・オ・コックのバーテンダー、J・デュレッサー氏の創作のカクテル。マルガリータは氏の若き日の恋人の名前で、狩猟場で流れ弾に当たってなくなったという。

モスコー・ミュール

今、ショット・バーと言われるお店で、いちばんよく出ているのではないでしょうか。カクテルの意味は、モスクワの騾馬と言う。1940年代初頭、ハリウッドの料理店コックン・ブルの店主ジャック・モーガン氏の作品。この時以来、アメリカでウオッカが売れ出した。

ブラッディ・メアリー

チューダー王朝当時の、イギリス女王メアリー1世は、異母弟エドワード6世をついで、1553年に即位した。非常に熱心な旧教徒で、父の宗教改革に猛烈に反対して、旧教復活に力を注ぎ、その結果大勢の新教徒を処刑したのだった。そのため、後世”血のメアリー”と呼ばれた女王。

ピンク・レディー

ピンク・レディーは、1912年、ロンドンで大当たりをとった舞台劇。その主演女優、ヘイズル・ドーンに捧げられたカクテル。当時ロンドンの、若い男女の間で大流行したと言われている。

バカルディー・カクテル

作り方をめぐって裁判沙汰になったことで有名になったのがこのカクテル。以来、ベースには必ずバカルディー社のラムが使われるようになった。ダイキリの砂糖の変わりに、グレナディンシロップが使われている。1933年に作られたカクテル。

ラスティン・ネール

ラスティン・ネールとは、さびた釘という意味。俗語で”古めかしい飲み物”と言う意味もあります。スコッチもドラムブイも、共にイギリスでは古い歴史をもつ酒です。

おまたせ!マティーニです。

カクテル最大の傑作の一つと言われるのがこのマティーニ。関心事は、なんと言ってもジンとベルモットの比率です。昔は、ジンとベルモットを2対1の比率で作れば事足りたのですけど、1940年代よりドライなほど粋だと言われるようになりました。このドライさについては、チャーチルとかヘミング・ウエイなどの面白いエピソード、あるいは伝説がたくさん残されています。たとえば、ベルモットのコルク(昔はコルクだったのでしょう)でグラスの縁をふくだけとか、ベルモットの瓶を横目で睨むだけとか、もっとすごいのは、「ベルモット」と言っただけで「しっ!声が高い」と怒られたとか。と言うことは、耳元で「ベルモット」とささやいたのでしょうね。皆さんも試してみてはどうですか。おわり。

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