草野心平 先生
1903〜1988
草野心平は,明治36年,石城郡上小川村(現:いわき市小川町)に生まれました。
父・馨は,村の名士であり,兄弟の民平,天平も,ともに詩人でありました。
特に,兄・民平は,多くの詩や短歌を創作したが,夭逝し,
心平に多大な影響を与えました。
慶応大学を3年で退学し,中国の広州嶺南大学に入学しますが,
大正12年徴兵検査のため一時帰国しています。
この時,亡兄・民平との合著詩集を刊行,これが詩人としての彼の出発点と
いわれています。
後に,萩原恭二郎らと同人詩『銅鑼』を制作しました。
昭和3年に刊行した,処女詩集『第百階級』で草野心平の名が
全国的に知られるようになりました。
晩年は,川内村に居を構え,名誉村民になっていました。
いわきを舞台にした作品も多く,作詞した市内の校歌はかなりの数に
及んでおります。
観光名所の背戸峨廊は,彼の命名で,「背戸」は隠れた所,
「峨廊」は岩壁がそそり立つさまを表現しているといわれています。
天山文庫は,川内村から名誉村民の褒賞として,在住の東京へ毎年木炭100俵が
送られたことのお礼として,蔵書3000冊を村に寄贈されたことにより生まれました。
また,平成10年 7月19日,いわき市小川町高萩字下夕道の小高い丘に
「市立草野心平記念文学館」が開館しました。
「草野さんは,人間だけでなく宇宙すべてのものに”生命”感じていた,
自然との共生を大切にした人,来た人にその思想が伝わり,
文化の発信源になるような館を目指したい」と
粟津則雄・市立草野心平記念文学館長は目標を語っています。
冊子および「いわきの文学」草野心平 の頁などを参照
昭和63年11月12日歿(享年85歳)
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講釈・栗胡桃太郎
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