石城の歴史(再考) トップページへ戻る
時代と磐城 The history
時 代 | 圏 外 | 圏 内 | 和歴(西暦) |
古墳時代 ( 〜592年) |
神武天皇即位 | (西暦紀元前660年) | |
大和政権 | 大和政権が勿来の関を創設(菊多関) |
大和 ( ) |
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飛鳥時代 (593年〜710年) |
推古天皇〜元明天皇 | 和銅 ( ) | |
聖徳太子(517〜622)憲法十七条(?) |
大化元年 (645) |
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奈良時代 (710年〜794年) |
律令政治が行われる | 常陸國石城郡から石城國、そして陸奥國石城郡となる |
養老2年5月22日(718) |
鮫川流域に菊田郡が置かれる |
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多賀城(宮城県多賀城市市川)に蝦夷に備えて城柵を築く | 神亀元年 (724) | ||
奈良の大仏が竣工(聖武天皇の発願) | 天平勝宝元年 (749) | ||
能満寺(常磐西郷町)に乾漆仏虚空蔵 | 天平勝宝四年 (752) | ||
平安時代 (794年〜1185年) |
大伴弟麻呂が征夷大将軍で,蝦夷征伐に派遣 |
延暦十三年 (794) |
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坂上田村磨呂(758〜811)が征夷大将軍となり、蝦夷征討に大成功があった |
海道の菊多関廃止 (弘仁二年 811) |
延暦十三年
(794以降) |
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常陸平氏の流れの岩城氏が土着、好嶋庄の地頭の役割になる |
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岩城氏が、岩城郡の地頭になる 延喜式神名帳資料 |
延長五年 (927) | ||
八幡太郎義家が、陸奥の安倍定任を討ち、陸奥兼鎮守府将軍 |
康平五年
(1062) |
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安寿の誕生 |
永保元年
(1081) |
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厨子王の誕生 |
永保三年 (1083) | ||
安寿と厨子王の父、陸奥椽平正氏(むつのじょうたいらのまさうじ)が、筑紫に左遷 |
永保の初め |
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八幡太郎義家が、後三年の役を平定、東国に源氏勢力の根拠とした |
※勿来の関で歌を読む (平定に向かう説と寛治二年の都へ凱旋の途次説の二説が有る) |
寛治元年
(1087) |
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岩城道則の後室、徳尼御前が白水阿弥陀堂を建立 |
永歴元年三月
(1160) |
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源平合戦、公家から武家時代へ 《郎等=下級武士の組織》 |
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源頼朝が平氏追討の兵をあげる |
治承四年
(1180) |
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屋島の戦、頼朝・義経、平氏打倒 |
元暦元年
(1184) |
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壇ノ浦の戦、源義経が平氏滅亡 | 元暦二年 (1185) | ||
鎌倉時代 (1185年〜1333年) |
《古代から中世へ》 |
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奥州合戦により、東北地方の中世の幕が開き、 合戦で功績のあった、関東の武士、源頼朝に味方した在地の武士たちに、恩賞として所領を与える |
岩城氏が、岩城郡および好嶋荘の地頭になった |
文治五年
(1189) 源義経歿、平泉高館山 |
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常陸守護佐竹氏の流れ、小川義綱氏が、西小川中柴に館を建てる | 元応二年 (1320) | ||
小川氏が下小川の長福寺を開山 |
元亨二年
(1322) |
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岩城氏の勢力拡大で小川氏が岩城氏の家臣団に組み入れられる。 | |||
菊田庄、下野国の守護小山氏、上遠野郷に本拠 |
|||
小山氏の一族、藤井氏は、足利方の有力な一員、後に上遠野氏を称する | |||
陸奥国、岩崎郡金成村地頭の金成又三郎が、東国人鎌倉番人に所領を譲り状 |
嘉歴四年
(1329) |
||
奥州東海道岩崎郡長谷村地頭に岩崎氏 |
嘉歴四年
(1329) |
||
南北時代 (1333年〜1392年) |
北畠顕家、焼失の飯野八幡宮の造営 |
建武元年 (1334) | |
室町時代 (1392年〜1573年) |
《足利時代》 |
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岩城隆忠、薬王寺を再建 |
文安四年
(1334) |
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国人領主、白川氏(結城氏)、石川氏との争い、岩城氏が惣領主の地位を確立 |
(
1442〜1466) |
||
調停役の白川氏が長井村を所有 |
宝徳二年(1451 |
||
戦国時代 (1477年〜1573年) |
領国拡大に死闘を繰り返す |
国人領主、岩城氏が飯野平(大館)城を築き居城、本拠とした |
文明十五年 (1484) |
岩城氏が相馬氏と国境の木戸、金剛川(楢葉)で合戦 |
天文三年
(1534) |
||
上遠野氏が岩城氏の支配下(家臣団)になる |
|||
安土桃山時代 (1573年〜1600年) |
織田信長・豊臣秀吉が政権を握っていた | 永禄十一年 (1573) | |
岩城領検地 | 文禄4年 (1595) | ||
三阪氏、三倉城を統治 | |||
平山氏、中寺館を統治 | |||
江戸時代 (1600年〜1867年) |
関ヶ原の戦い。 |
慶長五年
(1600) |
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徳川家康征夷大将軍に任命される |
慶長七年
(1602) |
||
岩城領十二万石没収 | 慶長七年 (1602) | ||
徳川家康は、磐城領一〇万石を鳥居忠政に与え、磐城平藩主の鳥居氏が入領 |
慶長七年 (1602) | ||
その後に幕府直轄地に細分割される | |||
磐城平藩主鳥居氏の女婿・土方氏により窪田藩成立 | 元和八年 (1622) | ||
上遠野は、棚倉藩に組み入れられる |
元和八年 (1622) | ||
磐城平藩主七万石で上総国から内藤忠興が入領 |
(1634〜 ) |
||
泉藩成立、磐城平藩主内藤忠興が弟政晴に2万石を分ける |
寛永十一年
(1634) |
||
磐城平藩主七万石で内藤忠興が5万石 |
寛永十一年
(1634) |
||
與七郎正本=@刊行 |
寛永十六年
(1639) |
||
佐渡七太夫正本=@刊行 |
明暦二年
(1656) |
||
窪田藩は、三代62年で、除封廃藩となって、幕府領になり、窪田代官所の支配になる | 貞享元年 (1684) | ||
窪田藩は、棚倉藩領になる |
享保十三年
(1727) |
||
大野、大浦は、笠間藩牧野氏が所領 |
寛延二年
(1749) |
||
遠山政亮により湯長谷藩一万石で成立 |
寛文十年
(1670) |
||
関東・東北大地震、大津波(小名浜・永崎・中の作・豊間・薄磯・四倉)、死者、行方不明130余名 |
延宝五年十月九日
(1677) |
||
湯長谷藩一万五千石に |
貞亨四年
(1687) |
||
泉藩主、板倉氏 |
|||
泉藩、二万石から一万五千石に減石 |
元禄十五年 (1702) | ||
幕府代官所五千石、合戸村、渡戸村、三坂村、市ヶ谷村(市萱)、中寺村が直轄支配 |
元禄十五年 (1702) | ||
日光地震 東照宮の石燈篭が倒れる |
享保十年四月十八日(1725) |
||
下野国鬼怒川の渡瀬川の修治を命じられる |
享保十年十月(1725) |
||
日光廟の修繕を命じられる | 享保十六年四月(1731) | ||
霖雨(りんう)凶作 霖雨:ながあめ,幾日もつづく雨 |
元文二年(1737) | ||
百姓一揆 |
元文三年九月(1738) | ||
鎌田川原で百姓一揆煽動の罪で処刑 |
元文四年八月二十三日(1739) |
||
磐城平藩内藤氏、日向国延岡へ転封 |
延亨四年
(1747) |
||
磐城平藩から幕府直轄地、小名浜代官所 |
延亨四年
(1747) |
||
幕領小名浜で、川前、下桶売、上桶売、小白井支配 |
延亨四年
(1747) |
||
磐城平藩主五万石で井上氏が入領、十年間統治 |
延亨四年
(1747) |
||
幕府領、中神谷代官所 |
寛延元年
(1748) |
||
常陸笠間藩の領地、渡戸村、中寺村、下市萱村、上市萱村、上三坂村、中三坂村、下三坂村、差塩村が 小名浜代官所の支配 |
寛延二年
(1749)
|
||
磐城平藩主五万石で安藤氏が入領、統治 |
宝暦七年
(1757) |
||
安藤氏、幕府の要職として老中職 |
|||
棚倉藩主小笠原長尭、平潟同門を穿つ |
安永八年
(1779) |
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アメリカ合衆国の完全独立(パリ条約 イギリス承認) | 1783年 | ||
上桶売村は、新発田藩の分領になる | 寛政二年 (1790) | ||
福沢諭吉が大阪で生まれる(豊前中津藩士の子)(1834〜1901) | 天保五年(1834) | ||
棚倉藩主松平氏の時代 | (1836〜1866) | ||
川前、下桶売、上桶売、小白井が棚倉藩になる |
天保七年
(1836) |
||
泉藩、本多氏 |
嘉永五年
(1852) |
||
泉藩主の本多忠徳が、藩校「汲深館」を設立 |
安政二年
(1855) |
||
|
石炭発見、片寄平蔵 | 安政四年 (1857) | |
|
片寄平蔵、弥勒沢で開鉱、常磐炭田開発の起因 | 安政六年 (1859) | |
湯長谷藩より石炭採掘許可、磐前郡太平左平太 | 安政六年 (1859) | ||
森林太郎が生まれる(島根県見津和野)( 森鴎外:1862〜1922) | 安政九年 (1862) | ||
会津藩白虎隊、飯盛山で自刃 | 慶応四年八月二十二日 (1868) | ||
明治時代 (1868年〜1912年) |
改元(九月八日) |
磐城平城が落城(戊辰の役) 大火(平) |
明治元年
(1868) |
陸奥国を分離して磐城国を設置 | 明治元年 (1868〜1869) | ||
大火(平)善良寺の線香から出火400戸 |
明治三年三月
(1871) |
||
平民に氏の称を許す |
明治三年九月
(1871) |
||
廃藩置県で磐前県が成立、県庁を平に置く |
明治四年
(1871) |
||
太陽暦明治五年一月一日(太陰暦十二月六日) |
明治五年一月一日(1872) | ||
|
星 一 福島県石城郡錦村江栗に生まれる |
明治六年十二月二十五日(1873) | |
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福島県の成立 |
明治九年
(1876) |
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野口清作(英世) 翁島村三条潟に生まれる |
明治九年十一月九日(1876) |
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磐梯山大噴火(七時五十四分) |
市町村施行 |
明治二十二年(1889) |
|
市町村施行 |
明治二十二年(1889) |
||
磐城炭鉱の設立 |
明治二十六年(1893)
|
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入山採炭の設立 |
明治二十六年
(1893)
|
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日本鉄道磐城線が平まで開通(現在の常磐線) |
明治三十年
(1897)
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好間炭鉱の設立(白井遠平) |
明治三十七年(1904)
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大火(平町) 603戸 |
明治三十九年二月十八日(1906) |
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大正時代 (1812年〜1926年) |
「山椒太夫」森鴎外著 |
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大正四年
(1915) |
好間炭鉱が古河鉱業に譲渡 |
大正四年
(1915) |
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森林太郎歿 |
大正十一年
(1922) |
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関東大震災(十一時五十八分) |
大正十二年九月一日(1923) | ||
昭和時代 (1926年〜1989年) |
野口英世 黄熱病に感染 歿 | 昭和三年五月二十一日(1928) | |
室戸台風 | 昭和九年九月二十一日(1934) | ||
平市市制施行 | 昭和十二年六月一日(1937) | ||
福島県東方沖地震(楢葉東方200q、深さ20q)震度5 小名浜 |
昭和十三年十一月五日、六日(1938) |
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日本水素工業小名浜工場設置 |
昭和十三年
(1938) |
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太平洋戦争始まる | 昭和十六年十二月八日(1941) | ||
磐城炭鉱と入山採炭が合併、常磐炭鉱株式会社を設立 | 昭和十九年 (1944) | ||
太平洋戦争終わる |
昭和二十年八月十五日(1945) |
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磐城共立病院創設 |
昭和二十五年 (1950) |
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星 一 歿 | 昭和二十六年一月十 九日(1951) | ||
福島労災病院創設 |
昭和三十一年
(1956) |
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小名浜港に一万トン岸壁が完成 |
昭和三十二年 (1957) |
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新産業都市の指定 |
昭和三十九年
(1964) |
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新潟地震 |
昭和三十九年六月十六日(1964) |
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いわき市市制施行 |
昭和四十一年十月一日(1966) |
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常磐ハワイアンセンターのオープン | 昭和四十一年 (1966) | ||
大日本炭鉱の閉山 |
昭和四十二年
(1967) |
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古河好間炭鉱の閉山 |
昭和四十四年
(1969) |
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磐城高校、夏の甲子園準優勝 | 昭和四十六年八月十六日(1964) | ||
東北自動車道全線開通 | 昭和五十年四月一日(1975) | ||
常磐炭鉱の閉山 | 昭和五十一年(1976) | ||
宮城県沖地震(十七時十四分) | 小名浜 震度4 | 昭和五十三年六月十二日(1978) | |
東北新幹線開業(上野〜盛岡間) | 昭和五十七年六月(1982) | ||
常磐自動車道いわき中央IC供用開始 | 昭和六十三年三月(1988) | ||
青函トンネル開業 | 昭和六十三年三月(1988) | ||
平成時代 (1989年〜 ) |
手塚治、美空ひばり、松下幸之助 死去 |
平成元年(1989) | |
日本初の宇宙飛行(秋山豊寛) | 平成二年(1990) | ||
湾岸戦争 | 平成三年二月(1991) | ||
バルセロナオリンピック | 平成四年八月(1992) | ||
福島空港開港 |
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平成五年三月(1993) |
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阪神大地震(五時四十六分) |
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平成七年一月十七日(1995) |
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アトランタオリンピック |
平成八年(1996) |
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磐越自動車道全通 |
磐越自動車道全通(日本初の太平洋から日本海を結ぶ) |
平成九年十月(1997) |
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冬季オリンピック長野大会 |
平成十年二月(1998) |
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仙台市の人口100万人突破 |
平成十一年五月(1999) |
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シドニーオリンピック 、高橋尚子が女子マラソンで初の金メダル |
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平成十二年九月(2000) |
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時 代 | 圏 外 | 圏 内 | 和歴(西暦) |
(石城郡誌と広辞苑西暦和暦参照表を参考)
あくまで 気楽に整理したもので,・・・(未だ散録) (2003年10月1日)
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