桃太郎の出羽神話
栗胡桃太郎
栗胡桃太郎一家の恒例である越年スキー「’97 SKI IN KURIKO」は、雪不足の情報はあったものの予定どおり,1996年12月30日,有名な山形県の無名な栗子国際スキー場に出発しました。
ゆけども,ゆけども,ゆきはありませんでした。 あるのは,あきのなごりでした。
トンネルを抜けてもそこはあきぐにでした。
10時少し前,栗子国際スキー場のホテルに着きました。
そのホテルの名は「ホテル・バレー・ブランシェ」といい,フランス語で命名されております。
栗胡桃太郎は,それが建設前から何度も訪れておりましたが、何の奇異も感じて おりませんでした。
しかし,今シーズンばかりは変なんです。フランス語の和訳は「白い谷」なんです。
変ですよ。茶色か黒色かの谷でした。チョコレート・バレーでした。
ホテルの佐々木小次郎氏が「山の陰は雪があると聞いております」と少々力無く申しました。(ゆきはよいよいかえりは?)
10時30頃,桃太郎は一家の長として、奥方と姫君の滑走に支障がないのかとインスペクション(事前調査)をするため「レインボー・ペアリフト」で昇って,山陰の「バレー・ラインコース」を見てこようとしました。
リフトに乗り,振り返ってみると,ホテルの庭にあるテニスコートが,コンクリートをむき出しにして,青々とくっきり見せていました。
「レインボー・コース」の頂上に立って「バレー・ライン」を見渡すと,「雪があるように」という桃太郎の願いむなしく,粉をまぶした程度でした。
「レインボー・コース」の陰の日当たりの良い西南斜面では,スキーパトロールの隊長をはじめメンバーがスノーモービルで雪運びをして雪を貼り付けていました。
実名だが不思議な姓名の浅深隊長が「やっぱし,桃太郎一家を見ないとお正月が来た気がしないず」(訛つきで重たく)と言いました。
桃太郎は「そう言われるもんだから雪がなくとも愛する栗子にくるんですよ」と見栄を張りました。
すると,「そういう客のために雪を貼り付けるんだなし」と言いつつ張り切る浅深隊長でした。
(語尾の「なし」は否定ではなく肯定の意。出羽では補修することを「はそん」という)
その為とはいえ,スキーパトロール隊は,大変な重労働をしていると深く感じました。
「ゴールド・ライン」は,まばらにスキーヤーが滑っておりました。
滑っている人がいるからには滑走は大丈夫なのかな,というものの一抹の不安をもって「ゴールド・ライン」に行ってみました。
それはそれは薄い雪がありました。「まあ注意すればすべれるか」と見込みました。
ホテルまでの戻るコースが最も気になるところです。
「ゆきはよいよいかえりはこわい」とくちづさみながら,ゆっくり滑り降りる桃太郎でした。
「まあ何とか戻れる」と判断しました。
もちろんスキー滑走面には擦過傷は覚悟しました。
ホテルに戻ると,友人の眠梨三四郎の一家が着いていました。
やはり,眠梨三四郎も雪不足を心配そうな顔でいました。
それから桃太郎一家は,「レインボー・ペアリフト」を乗り継ぎ「ゴールド・ライン」のリフトに向かいました。
ゴールド・ライン・リフトのシートに乗って昇り始めると,枯れても元気で,背の高いススキの穂にスキーが触れました。
桃太郎が「これではスキーでなくて,ススキーだ」と言う。
姫君の小桃は「きゃはは」と笑うのでした。
小桃姫は,お気に入りの「バレー・ライン」を滑れないのが残念でならないようでしたが楽しそうに滑り始めました。
リフトでの会話は「ゆきがなくかえり」のはなしでした。
桃太郎「まるで丑年を迎えるため、ゲレンデをホルスタインの模様にしたのかな」。
小桃姫「きゃははは」。
滑り出すとそこには腹の減ったワニがひそんでいました。
たちまち桃太郎のスキー滑走面はかじられてしまいました。
まるで「因幡の白うさぎ」のように皮を剥がされてしまったのでした。
そこで桃太郎は,この斜面を「ホワイト・ラビット・バーン」とカナダのスキー場風のネーミングをしました。
あるいは,昔は「サメ」のことを「ワニ」と言っていたそうなので,「サメ肌ゲレンデ」とすることにしました。
変名です。雪も「へんめい」(減るまい)です。スキーの板は減りました。
ホテル・バレー・ブランシェの玄関前の階段の横斜面には,少々の雪があり福寿草ならず,桃色と白色の芝ざくらが咲いているのには驚きでした。
(「いわき」ではまだ咲いていない)
12月31日,4泊5日の予定を変更し一泊だけとし,翌朝は山形蔵王に向かいました。
西栗子トンネルを抜けるとそこはまた山形なのに「秋だ」がたくさんありました。
そして,なんと,道路の右斜面の樹木には「猿の集団」が,ひなたぼっこをしており,「雪が無くて」と出羽人に代わり反省しておりました。
そこは,さんさんと日光がふりそそぐ結構なところでした。
その場を去るとすぐに米沢スキー場があり,斜面は緑一色でした。
牧草が「ぼくのほうもそうなんです」と顔を見せていました。
米沢市,上山市にも雪は全くありませんでした。
きっとこのあたりでは,雪なしの正月を迎えるのは未経験でないかとおもいました。
蔵王温泉が近づいても雪はありませんでした。
あるのは絶好の快晴で,景色を満喫しました。
ケーブル・ゴンドラ「蔵王ロープウェイ」に乗り,山頂駅へ向かいました。
樹氷の誕生途中であり,「エビのしっぽ」という状況を観察することができ,小桃姫は大喜びでした。
さすがの蔵王も,雪の状況は、女の薄化粧と同じで,間近に見ると肌が直に見えるところがところどころにありました。
雪がほんの「おしるし」ということから,山頂駅の展望茶屋にある「しるこ餅」を思いだし,食べることにしました。
桃太郎は「おいしいね」とい言うと,伴侶の胡桃も「おいしわね,おいしい」と言い,姫の小桃も「おいしい,おいしい」。
どういう条件が整っていたのか,こんなに美味しい「おしるこ」があったのかといえるほどに美味しかったのでした。
最高。
1996年大晦日,桃太郎の一家は,蔵王山頂駅展望茶屋の最終の客として,「しるこ餅」を食べたのでした。
みそかあんこかと不思議な年越しか越年です。
蔵王山頂は,正月を迎えるのが信じられない暖かさでした。
例年の冬の山頂は,極めて寒く,雪が多いため,蔵王ロープウェイの山頂駅を出ると真っ先にお地蔵さんに向かいます。
それ故にその建物の南東の脇にある「運がつくという鐘」の半鐘に気づく登頂者は多くありません。
冬は、雪で行かれず,吹雪やガスで気づかれず,この鐘を鳴らしたり,音を聞いたりした人は「まれ」なのです。
幸運にも小桃姫は,「運がつくという鐘」を木槌で3回ついて鳴らしてきました。
道標の根元も雪が少なくスキーがささらず置く有様でした。
蔵王山頂のお地蔵さんのあたりも雪が少なく,お地蔵さんの台座まで見えて,台座の左の脇に三体の子地蔵があったのを初めて知りました。
夕暮れ迫る雪の少ない「ザンゲ坂」をゆっくりおり,樹氷原コースを滑って帰途につきました。
桃太郎一家は,十年ぶりに正月を我が家で迎えることになり,お正月は栗子スキー場で迎えるという新話は雪不足という事情によって,10年の継続をいったんお休みになってしまいました。
桃太郎の出羽神話・おしまい