なんば
(なんば歩き:同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方)
スキーで「なんば」
【なんば】
(1)
2003年12月初めの,全日本スキー連盟指導員研修会実技会場の猫魔スキー場の雪上会話である。
「私の班ではなんば≠教えていました。」と日本大学工学部の和田勝教授(体育研究室)が言った。
「なんば≠ナすか,漢字で,どのようにかくのでしょうか?,大阪の灘波ではないでしょうから。」と質問をした。
「漢字でなく,ひらがなでなんば≠ナす。いまスポーツ界で話題のなんば≠ナす。東海大学の講演を聴いてきました。同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方です。」との返答である。
「陸上の末続選手のことですか?,なんば≠フことは,新聞で見ていました。」
「そうです。それをスキーにも通じるということで話を提供しています。飛脚の走り方,佐川急便のマーク,飛脚の絵です。」
「なるほど,そういえば,ノルディクスキーの距離スキーは,それらしい形ですね。」
「そうです。テレマークの技術も大変参考になりますね。」
そういう和田教授と話しののやり取りがあったために,今シーズンのスキーは,なんば≠ニいう語を,頭の片隅において滑っていた。
そして,なんば≠ヘ,どういう漢字なのだとろうということが,頭から離れなかった。
世界陸上200mで銅メダルを獲得の末続慎吾選手が,「残り20mで,なんば走法≠フ効果がでた。」という話は,当時の新聞にも載っていた。
200m競走の残り20mといえば,もっとも苦しい局面,難場≠ナあろう。
なんば≠ヘ,難場か,とおもったが,冷えるような洒落を言うわけがない。
スキーの帰りに,好物の鴨南蛮うどん≠食べていても,なんば≠ヘ,南蛮=Cとか,頭を離れなかった。
南蛮≠,東京では「なんばん」というが,大阪では「なんば」ということも分かった。
なんば歩き≠ェ,日本人の普通の歩き方と聞いて,ほう,そうなのか,というおもいだった。
絵巻を見ても,たしかに,左手を腰に,右手と右足を前にした形の侍,右手と右足を同時に前に出す形の飛脚,右手と右足を同時に前に出す形で天秤を方にした物売りなどの歩き方をしている。
日本人の伝統的な身体感覚が,南蛮≠ニいうのは,腑に落ちない。
「明治に西欧式軍事訓練が導入され,国家によって軍隊や学校を通して,手足を交互に動かす歩き方が教え込まれた。」とも新聞には書いてあった。
年末に話題の映画「ラスト・サムライ」を観た。
明治政府が,外国の指導者に軍事訓練を受けているシーンもあった。
右足を出すときには左手を前に,左足を出すときには右手を前に,手足を交互に動かす≠アとを,南蛮≠ニいうのなら分かりやすい。
ところが,年末のテレビジョン放送で,戦争の歴史に関する番組を見ていると,数秒のカットに,フランスが植民地としていた,セネガル人を兵隊とする訓練を観て,びっくり,である。
左足を地面に真っ直ぐ着き,左腕を同時に左脚に添わせ,肘を曲げた右腕と胸まで,右脚の腿を同時に高く上げ,次に,右脚を降ろして右足を地面に真っ直ぐ着き,右手を同時に右脚に添わせ,肘を曲げた左腕を胸まで上げ,左脚の腿を同時に高く上げるということを交互に繰り返して行進するのである,
なんば=∞南蛮=∞フランス≠セ。合点してしまおうとした。
小学校低学年のころ,運動会での行進の練習で,どうしても,右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方≠する同級生をからかっていた記憶がある。
大人になっても,緊張のあまりに右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方≠する人も何人も目撃していた。
2004年の新年になって,ことしのホープとして,末続慎吾選手と高野進コーチが出演する番組を偶然にも観ることが出来た。
その番組でも,高野進コーチと末続慎吾選手が,なんば走法≠主に話して,二人とも動作をしてくれた。
高野進コーチは,「末続が,オリンピックで金メダルも夢でない,キイワ−ドは,三つ」と言った。
そのときなんば≠ニ直ぐおもった,高野進コーチは,三番目におもむろに披露した。
ひらがなだった。
なんば≠ヘ,もっとも重要なキイワードとおもった。
しかし,なんば≠フ動作を理解しているが,なんば≠ニいう語の由来については触れなかった。
なんば=∞南蛮≠ニいって確かめたかった。
スキーでも,ストックの動作がなんともタイミングの悪い人がいた。そのとき逆!,逆!≠ニ言って,コーチしたことを思い出し,反省した。
1月27日,知人が,仕事で山に行き、帰りの下り道の階段で,つまづいて転倒,15m転げ落ち,肋骨2本を折るような事があった。
再発防止策は,「階段は一歩一歩確認しながら下りる,時間に余裕を持って行動する。」とまとめたようだ。
なんば歩行≠すればもしや,山の下りには安全ではないかと感じた。
20代半の女性が,歩き方が素晴らしいのでに聞いてみた。
「幼少のころ,右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方≠する人がいなかった?」と聞いてみた。
なんと,「わたし,そうだったんです。幼稚園の運動会で,わたしが走っているのを父が見て,びっくりしたそうです。」
「わるいことを聞いてすまなかったね。」と詫びた。
「いいえ,父は,運動会の次ぎの日,公園で,右足を出すときには左手を前に,左足を出すときには右手を前に≠ニ教えられて直りました。」と言った。
霊長類のゴリラも右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方≠ナある。
アフリカは,人間のふるさとと言われるように,セネガル人と日本人が共通の歩き方をしていたのである。
セネガルの人は,フランスの傭兵となって,軍事訓練されても直さずに行進したと推察する。
フランス人は,セネガル人の数が必要であって,歩き方を求めたのでなのかも知れない,または「ケセ・ラ・セラ」。
明治の日本政府は,文明開化とばかりに,外国かぶれ,ものまねに走り,もしくはアメリカの影響が強かったのであろう。
アメリカは,でなければならない精神を押し付けたのかも知れない。
いずれにしても,日本人のDNAには,右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に前に出す歩き方≠ェ刷り込まれていたことを知った。
困難な場面には,なんば≠フ歩き,走り,という動きが出るのが自然なのであろう。
おもえば,人間も木のぼり,梯子でのぼる際には,右手と右足,左手と左足,同じ側の手と足を同時に使う≠アとを確認した。
なんば登り≠ナある。
これからは,山の下りや,階段を降りる動作になんば≠意識してみよう。
セネガルといえば,パリダカールラリーだが・・・,サッカーでも聞いたことがある。
だからといって,現今になんば≠ナ市中を歩いていたら,首を傾げられ,振り返られることは間違いないだろう。
(桃太郎)
2004.1.30