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北海道教員採用試験合格。長年の夢をかなえることができました。大学卒業してからの3年間を振り返り、夢の扉が開くまでの軌跡を文章にしてみました。

  その扉は大きく立ちはだかり、前に進むことを許してはくれなかった。

「人生」という名の階段を一歩も踏み外すことなく上ってきた。その階段の節目節目となる扉を簡単に開けてきた自分にとって、この扉の大きさ重さがどれくらいのものなのか、想像する余地もなかった。初めての受験。時は3年前の平成9年秋のことだった。

「この扉を開ければ自分の夢が叶うのに…」

 小学校高学年の時から見続けてきた、それは教師になることだった。教師になるためにはどのような道に進めばよいのか、自分なりに考えながら進路選択をしてきた。中学校の担任の先生にも「将来は教師になりたいです」とキッパリ言い切った。当時、恐いもの知らずの自信家だったぼくのこと。先生との約束は必ず果たすんだ。そんな気持ちがずっと心の奥底にあったような気がする。3年2組希望.JPG (14562 バイト)

「オレは小学校の頃から教師になりたいって思っていたんだ。だから、教師になることなんて簡単さ」

 教員採用試験というものを甘く見ていたのかもしれない。教員養成系の大学にいなかったせいもあるだろうが、試験の実態もあまりよく知らず、大した勉強もせずに受験した。いつもの要領で、格好良く扉に向かって思いっきり蹴りを入れて開けてやろうと思ったが、あっけなく跳ね返され、数メートル吹っ飛ばされた。

「いてててて、ちくしょ〜なんてこった。この扉はびくともしないぞ」

 頭をさすりながら、跳ね返された扉を改めて見直してみた。今まで気がつかなかったのだが、とてつもなくでかい。下から見上げると、なおいっそうのことその高さを感じることができる。夢を叶えるための最後の扉、教員採用試験最後の最後に大きな試練が待ちかまえていることをこの時初めて知った。

 チャンスは1年に1度しかない。就職活動をしなかったぼくは大学を出たのち、運良く臨時採用として新利根中学校に赴任することになる。臨時採用とはいえ、夢であった教師として働くことができた3ヶ月間はかけがえのない経験であった。「この仕事で一生働いていきたい」自信が確信に変わった瞬間だった。しかし、その代わりに7月にある2度目の採用試験に向けての満足な勉強ができず、またしても失敗に終わってしまった。この時、年々扉の高さが高くなっていることに気がついた。少子化による採用数の減少によりますます職員・涌井.JPG (12165 バイト)狭き門になってきているというのだ。今後も減少傾向は続くものと見られており、落ちれば落ちるほど扉は開きにくくなっていく。正直いってあせりもでてきた。

 とにかく採用試験の扉は開かなくとも、それに向けて着実に努力する必要があると感じたぼくは、3ヶ月の臨時採用の期間が終わったあと、通信教育で小学校の教員免許を取得することに決めた。小学校の免許を取ることにより幅広い教育活動を行うことができるためである。また、小学校から受験した方が比較的合格しやすいという恩師からのアドバイスもあり、仕事のない期間に取得することにした。江戸崎町立高田小学校で教育実習を行ったのだが、田舎の素朴な小学生が暖かく迎え入れてくれ、ゆったりとした時間の中で楽しい時間を過ごすことができた。今から思えば、この時北海道の小学校で働きたいという気持ちが芽生えたのかもしれない Pic19.jpg (12184 バイト)。バイクで旅をした時に見た北海道の小学校とイメージがピッタリ重なったのだ。

 免許取得に集中したため、最短のわずか1年で小学校の教員免許状を取得することができた。そして月日は流れ、再びぼくは臨時採用として守谷町立愛宕中学校の教壇に立つことになる。この愛宕中学校時代も大いに暴れた。初の年間を通しての仕事であり、またもう一つの夢であった野球部顧問を任され、校務に部活に大いに燃えた。その甲斐あってか充実した教師生活を過ごすことができたことはいうまでもない。自分のやりたいことができた本当に幸せな1年間であった。

「フフフ、おまえは仮の姿だということも知らないで教師をしているが、一生働きたいと思うのならこの扉を開けてみろ。いつまでたってもここから出ることはできないぞ」

 扉の向こうから低い声が聞こえてきた。3度目の正直とばかりに、現場経験という武器を持って愛宕中時代にもこの扉を開けようとしたが、びくともせずまたしてもはじき返された。楽しい充実した生活とは裏腹に、不合格という重い十字架を背負わされたぼくは、採用試験のことを考えると気持ちが沈んでしまうのだった。1年1年経つごとに扉はますPic154.jpg (11751 バイト)ます肥大化していく。この大きな壁にどのようにして立ち向かえばいいのか。呆然と立ちつくすぼくをあざけ笑うかのように、扉は悠然と行く手を阻んでいた。

 昨年の10月以降しばらく悩んだ時期があった。いくら挑戦しても乗り越えることができない壁。さらにある人に言われた「謙虚な人間」という言葉の意味。考えれば考えるほど深みにはまっていく。自分に自信が持てなくてどん底の状態であった。しかし、こんなことで夢を諦めるわけにはいかない。ここで諦めたら一生悔やむことになるだろう。そう考えると新たな希望がわいてきた。そして、ぼくは北海道移住という一大決心をしたのだった。

 目標を北海道の小学校受験一つに絞った。そして、本当に北海道で教師として働きたいと思うのなら、茨城から眺めていたのでは何も見えてこないと思い、北海道に移住してからこの扉に挑戦しようという考えが芽生えてきた。愛宕中の校長先生からもう1年働いてほしいという打診があったが、もはや北海道しか見えなかった。丁重にお断りをして仕事も何も決まらぬまま4月10日に住み慣れた茨城を離れ、大洗港から苫小牧港を目指した。

 北海道に来て今まで遠くにあった扉がグッと近くなった。仕事も臨時採用の教師ではなく、遺跡発掘ということで学校の忙しさからも解放された。しかも、近くに寄れたことにより、扉を開ける方法を発見することができたのだった。なんと、その扉にはカギ穴があったのだ。

「そうか、カギを手に入れないとこの扉は開けることができないんだ」

 若気の至りとでもいうのだろうか。今までは扉を力任せに蹴ったり叩いたりして、勢いで無理矢理こじ開けようとしていた。だけど、それが不可能だということがようやく3年目にしてわかったのだった。カギを手に入れる方法、それは正攻法で勉強を積み重ね、真正面から扉に立ち向かうことしかない。仕事が終わる5時以降は、手を抜かず試験一本に集中して勉強をすることにした。今まではゆとりのない学校生活の間の付け焼き刃的な勉強であったが、今年は学校を離れたためか自由な時間が飛躍的に増えた。計画的に抜け目のない勉強をすることができた。

 今年から北海道の採用試験の選考方法が変わるというニュースが5月に流れ、受験生の間に衝撃が走った。2段階選抜方式、いわゆる足切りが実施されるというのだ。夢の扉が細胞分裂を起こし、なんと2枚に増えてしまったのだった。ますます夢が遠のいたと思い、正直がっかりした。しかも1次試験は筆記のみの選考なのだという。まさしく正攻法で立ち向かう以外、扉を開ける方法がなくなってしまったのだ。1枚目の扉は銀のカギ。2枚目の扉は金のカギを手に入れなくてはならない。扉を開けるそれぞれのカギは試験後の封筒の中に入っているという。

 今までびくともしなかった1枚目の扉は8月31日に開いた。封筒の中には銀のカギ(第2次試験受検票)が同封されていた。卒倒しそうになった。4度目にして初めて合格と書かれた紙を手にすることができたからだ。1次試験とはいえ、合格という喜びからしばらく遠ざかっていた自分にとって、力になり自信につながる結果だった。何しろ一番苦手だった筆記試験のみで合格できたのだから。 

銀のカギをカギ穴に挿すと、今までいくら叩いても開くことのなかった扉があっけないほど簡単に開いた。一歩前に進むことができたのだった。しかし、さらにもう一枚の扉が行く手を阻んでいる。だが、驚くべき光景が眼前には広がっていた。あんなに高くて重そうだった扉が、wpe21.jpg (3045 バイト)低くて軽いものに変わり果てていたのだ。

 いったい何が起こったのだろう。今年の小学校受験者は3500人。実はそのうち1次試験で800人まで絞られたのだった。この数は道教委によれば「採用人数の3〜5倍の範囲内の数」なのだという。なんと1次試験でごっそり受験者が落とされたため、2次試験の扉はスリムなものになってしまったのであった。

「こんな大きなチャンスを逃したら、次はいつになるかわからないぞ」

 手で押せばあっという間に開いてしまいそうな扉であったが、慎重にかつ真剣に2次試験に向けて取り組んだ。面接・論文・実技・適性検査が2次の試験科目である。1次試験発表から2次試験までの時間が少なく、仕事を4日休んでまで夜通しでぬかりなく万全の体勢を整えて準備した。今回は失敗は許されないというプレッシャーが重くのしかかった。

 本当にこれでもかというくらい何度も繰り返し繰り返し練習した。日に日に緊張感が増すのが手に取るようにわかる。しかし、その甲斐あってか試験では本当に自分の力を存分に出し切ることができた。終わった瞬間「だめかも」なんていう気持ちはどこにもなく、1ヶ月半後の最終結果を楽しみに待てるような、そんなスッキリした気分で会場である釧路を後にした。

 

平成12年度

北海道公立学校教員採用候補者選考検査 結果通知書

 

氏名     涌井大輔

受検区分   小学校

受検地    札幌

受験番号   156

 

あなたは、平成12年度北海道公立学校教員採用候補者選考検査の結果、北海道公立学校教員採用候補者として10月25日付けでA登録されましたので、通知します。

 

平成11年10月25日

 

北海道教育庁企画総務部教職員課長 横山健彦

 

 そして迎えた1999年10月27日。ついにぼくは夢の扉を開けることのできる金のカギを手に入れたのだった…。

 教師になるという夢を持ち始めてから13年。採用試験を受け始めてから4年。さまざまな紆余曲折を経ながら、ついについに夢の扉を開けることができた。長い長い戦いだった。今は正直いってホッとした安堵の気持ちの方が大きい。もっと、発狂するほど大喜びするのかと思ったが、大きな戦いを終えた戦士のごとく、疲れ果てたが心地よい喜びをかみしめているような気分であった。

 大学を卒業してから、新利根中学校−明星大学通信教育学部−高田小学校−愛宕中学校−北海道移住−遺跡発掘調査作業員と、さまざまな経験をしてここまでたどりついた。だが、決して遠回りで無駄な時間を過ごしたとは思わない。一つ一つの経験が糧となり、やがて自分の人格を形成し成長していく…。大学4年の頃の自分と現在の自分では外見はそう変わりないが、精神的にはまったく異なった人間になっているように思う。今では何も知らない恐いもの知らずのまま教師にならなくてよかったと思っている。きっと今頃失敗して悩んでいたに違いない。

 この3年間は教師としての自分を垣間見ることのできる絶好の機会だった。たくさん悩んだしいろいろな経験をしてきた。何より人間相手の職業である教師にとって、人とのつながりが最も大切であるということを体で学ぶことができたからだ。本当にこの合格に関して、いろいろな人に励ましてもらい、助けてもらった。その恩返しをこれからしなくてはならない。もちろん恩返しというのは地域に信頼される立派な一人前の教師になることだ。

 さあ、行くぞこの扉の向こうがぼくにとっての本当のスタートラインとなる。笑顔の絶えない希望に満ちあふれた子どもたちを相手にどうやって付き合っていこうか。彼らには勉強だけでなく、生きていくための強さや知恵を、ぼくが体験、経験してきたことをもとに余すことなく伝えたい。そして、卒業してからもずっとずっと付き合っていけるそんな教師になりたいと思う。本当に本当にこれからが楽しみだ。

 「ふぅ〜」夜空に向かい大きく深呼吸を一つ。合格通知を握りしめ、眼をつぶってみる。

 今まで扉でふさがれていた行く手には一筋の光が見えていた。

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