去る2月19日(土)、余市町中央公民館において「21世紀の余市を語る」フォーラムが開催されました。余市町は1900年に町制が施行されて以来100年を迎えます。さらに21世紀の新時代の到来を目前にひかえるこの節目の時期に、今後の余市町の発展像・将来像を考える機会として、各界でご活躍されている余市町出身の方々が出席され、パネルディスカッション形式で未来の余市について熱く語っていただきました。その模様をお届けいたします。


出演者紹介

 [コーディネーター] 

  藤谷榮也氏 (元NHKアナウンサー)

   [パネラー]    

  坂本重太郎氏 (元外交官・現.日本外交協会理事長)

  竹鶴 威氏 (ニッカウヰスキー取締役相談役)

  園田保男氏 (東洋エンジニアリング(株)相談役)

  毛利信男氏 (東京大学教授)

  中村裕之氏 (中村建設(株)代表取締役社長)

  大谷 覚氏 (余市町長)


藤谷  それでは、21世紀の余市を語るフォーラムを始めたいと思います。まず、最初にお聞きしたいことはみなさんが若かりし頃の余市はどのような町であったか当時の様子を教えてください。

坂本  私は外交官をしておりまして、パラグアイを始め、中南米ベネズエラ、スペイン大使など、のべ9カ国の大使を務めてきました。しかし、海外で生活しておりましても、いつも故郷である余市のことは忘れたことがありませんでした。幼い頃はまだニシンが獲れていたのを思い出します。当時の余市はかなりのにぎわいを見せておりました。
園田  一番の思い出は学生時代の汽車通学ですね。当時はSLだったので、トンネルに入ると顔が真っ黒になってしまうのが思い出です。また、リンゴの袋かけなどは年中行事になっており、小さいときから手伝わされました。それから坂本さんと同じようにニシンの思い出もありますね。
竹鶴  ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝は私の叔父にあたります。実は竹鶴には子がおらず、甥である私が養子として広島から余市へ迎えられたのでした。余市に来てからはニッカ一筋の生活で大変な思いをしながら生活していました。
毛利  私は余市を離れて35年になります。黒川町で生まれました。8人兄弟の5番目で末っ子の8番目が今宇宙に行っている衛です。強く鮮明に残っている思い出は、戦時中に防空壕を出ようとする父を母が必至になって止めている姿でした。また、少年時代には総合グランド建設時にトロッコに乗って遊んだ記憶もあります。高校時代にはちょうどスプートニックブームがありまして、科学に興味を持ち、望遠鏡を自作して妹と小4になる弟(衛)と3人で東中のグランドで星ばかり眺めていました。近所の人がそれを見て母に「あんたの子は星ばっかり眺めていて、ちっとも金にならんことをしているよ」と言われたそうです。
中村  ぼくは他のみなさんと比べていささか若いので、ニシンの思い出はありませんね。ヌッチ川で小魚を捕ったり、浜中の海岸で泳いだりしていた思い出があります。その後、都会にあこがれる気持ちが強くて小樽潮陵高校に進学しました。大学卒業後は道庁に入庁しました。他の町村の方から「余市はいいね。いろいろな話題があって」とうらやましがられることがよくあります。確かにジャンプの舟木・斉藤をはじめ、毛利さんなどが活躍しておられます。しかし、そういった話題を活用できていないのも現実です。今日は先輩方にいろいろなヒントをいただければと思っております。
大谷  毛利さんは早生まれなので学年は一つ上でしたが、ほとんど毛利さんがおっしゃったことと同じ思い出が残っていますね。確か私の記憶によれば、ニシンがさっぱり捕れなくなった数年後の昭和25年に1度だけ海を真っ白に染めたことがあったはずです。余市の海に最後のニシンが来たということで大にぎわいでした。それから学生時代は余市を6:41の汽車で 札幌まで通っていました。園田さんと同じでトンネルに入ると顔が真っ黒になりました。今日はこのような機会を設けて各界の著名人の方にお越しいただきました。ぜひとも、今後の町作りに対してお力を貸していただきたいと思います。

藤谷  私は余市には9年間住んでおりましたが、食料の豊富な町で安堵感がありました。また、高校の男女共学は全道一先駆けて行われましたし、スキージャンプ界においても常に一歩リードしております。さらに、毛利さんの日本人初の宇宙飛行士誕生など、余市という町は常に時代の先端を先取りをする風土のある町であるような気がしてなりません。また、いろいろな人を温かく、懐深く受け入れてくれる町だと思います。
それでは次に、みなさんは現在の余市をどうごらんになっているのか、お聞かせください。

坂本  ここ十数年何となく町の活性化において元気がないという話を耳にします。東京では産物においてもお隣の仁木の果物・古平の海産物の名前は売れていますが、残念ながら余市の名前は見かけません。余市は毛利さんや笠谷・舟木選手などの人物においての知名度はありますが、産業面での知名度が低いような気がします。東に小樽・札幌、西に積丹半島、南にニセコや羊蹄山など、長い目で見ると余市は非常に地の利を生かせる町だと思います。上手に運営していけば立派な町になる可能性があります。ぜひともがんばってほしいですね。
園田  余市という町は誇りを持てる町だと思います。何より「余市(よいち)」という発音、響きが素晴らしい。私がいた頃は人口では岩内・倶知安に負けていましたが、余市は現在も横這いで後志の町村の中では唯一がんばっている町です。また、多くの人材を輩出している点も特筆すべき点です。たった2万数千の町からこれだけの人材を輩出するのには、何か要因があるのではないでしょうか。現在は元気がないという声を聞きますが、再び活気のあった時代に戻って、各界の人材の輩出、産業と教育の活性化を期待したいと思います。
竹鶴  余市が最も栄えた頃は3万人いたと思います。現在はその頃に比べるとジリ貧状態ですよね。しかし、当時に比べて現在の町の様相は飛躍的に変わりました。立派な住宅が増えましたし、道路もよく整備されています。また、体育施設も充実しています。設備は大変立派なのですが、PRと有効な活用といわれるとまだまだだと思います。
教育に関して言えば余市高校ですね。昔は優秀な人材をたくさん輩出しておりました。最近ではあまりいい話を聞かないのが大変残念です。歴史と教養のある町づくりを行い、子供たちの徳育の充実をしてほしいと思います。また、余市のボーイスカウトが休会中だと聞きました。子供の教育のためには大変よい活動です。ぜひとも復会していただきたい。
毛利  竹鶴さんもおっしゃいましたが、高校の問題が一番気になるところですね。昔は小学区制で町の子はほとんど余市高校に進学していました。しかし、今は近隣のどの高校へも受験できるシステムに変わりました。現在の教育はすべて東京中心で決められているような気がします。もっと地方で特色のある教育が行われてもいい。それには町長のリーダーシップが求められます。大谷さん、余市に町立の高校を作ってみてはいかがでしょうか? 
教育の面に関しても、これからは余市らしい生き方があるのではないかと思います。独自性をどうやって出していくかでしょうね。
中村  いや〜余市は住んでいてつくづく住み易い町だと思いますね。よく他の町村の人からうらやましがられるんです。「余市はいろんなものがあっていいのう。オラが村には何もねえだ・・・」と。つまり、余市のよさというのは素材の豊富さにあると思います。そこで求められるのは、まとまりでしょう。もともとあった資源や自然環境、さらには先代、個人が作り上げた結果が数多く残されています。それらの素材をもっと有効活用するべきだと思います。
今までは東京の理論を地方に押しつけてきた経緯があり、どうしても無理が生じていました。これからは特色ある町づくりをしていくべきです。役場だけで決めるのではなく、住民と議論して決めていくべきです。そういったことで町づくりの芯を作れるのではないでしょうか。
大谷  先ほど中村さんから素材のお話がありましたが、おっしゃるとおりだと思います。余市は単独の町ではなく、農業、水産業、商業、公務員、住宅など、さまざまな産業が入り交じっています。おそらく道内の「町」とつく所でこんなに素材が豊富な町はないのではないでしょうか。「住んでみてよかったなと思える町」これが余市の最たるものではないかと思うのです。これからは素材をまとめた形の町づくりが求められます。
私はオーケストラの指揮者としてタクトを振り、町行政を動かしていきたいと思っています。一人一人の町民主体となった町づくりを目指しています。

藤谷  なるほど、残念ながらみなさん課題が山積している余市の現状をあまり良くはとらえてはいないようですね。というよりは期待感の方が大きいということでしょうか。
それでは、今日会場にお越しいただいた方々が最も聞きたいことだと思います。余市のこれからはどうあるべきか、坂本さんからどうぞお聞かせください。

坂本  元外交官の目から今後の余市の展望をしてみたいと思います。まず第一に心配なのが、日本の食糧不足に関する問題が非常に深刻化しているということです。2010年の食糧自給率は37〜38%になると予測しています。イギリスでさえ自給率は60%なのに、よくもまあ日本は安穏としていられるなあと、非常に心配している所であります。日本の主食である米でさえ減反政策などにより2010年の自給率は96%になるそうです。米は絶対に100%にしないといけません。メリットのある農業は残すべきでしょう。そして、これからは何とか生産都市余市として農業生産を伸ばしてほしいと思います。
また、これからは外交に関しても余市は非常に重要な役割を果たすのではないかと考えております。といいますのも、間宮海峡にトンネルを作り、ロシアとの貿易を盛んにするという計画があるからです。もし、実現すれば余市の産物はロシアはもとよりヨーロッパ方面へも輸出することが可能となり、さらなる町の発展につながるのではないでしょうか。
そのような時代に対応するべく、教育の整備も求められるでしょう。余市高校などではロシア語を教えたり、ロシアとの交換留学を活発に行うなど、国際的な交流を盛んにしてほしいと思います。このような面からいえば、21世紀に向けて余市はさらなる発展をする可能性が高いといえましょう。
園田  先日、ある経済誌に掲載された「住み良さランキング」というのを見ました。全国の671都市を5つのカテゴリ(安心度・利便度・快適さ・住環境・物の豊かさ)から総合的に判断された結果なのですが、なんと余市のお隣である小樽市は670位中470位、札幌市は340位でした。また、道内の上位にランキングされている都市では砂川市が16位で、他に深川市などがありました。しかし、私は砂川に何年か住んだことがありますが、住み易さは余市の方が数段上だと思っています。町村がランクされていないのが残念ですが、もし全国の市町村ランキングがあるなら、余市はかなりの上位に位置するのではないかと思います。
しかし、こと発展ということに関していえば、先行きは不安です。これからの余市は産業を生かした新しい技術開発が求められます。さらには海、山の幸が非常に豊富なのですから、それらに付加価値をつけて財を蓄えることも必要でしょう。これからに期待したいと思います。
竹鶴  ここ数年のワインブームにより、ニッカでも赤ワインの製造に力を入れておりました。赤ワインに含まれているポリフェノールという成分がコレステロールを下げるとマスコミで話題になり、爆発的にヒットしたからです。しかし、ここ数年は下火になり、現在では大量の在庫を抱えてしまい正直頭の痛いところです・・・(笑)
そのポリフェノールですが、なんと最近の研究で摘花したリンゴに多く含まれていることがわかったのです。また、毛生え薬としての実用化も現在進められているそうです。これは科学的な面で非常に有望な話だと思いませんか。つまり、農家の方々が何も気にせず落としていた小さなリンゴに大きなお金が隠されていることになります。これも園田さんがおっしゃる新しい技術開発により、余市が飛躍的な発展をする可能性といえるのではないでしょうか。
毛利

私は現在大学で超伝導現象についての研究をすすめています。おおまかにいいますと超伝導現象とは導線の電気抵抗がまったくのゼロになることです。この性質を利用してなんとか21世紀の半ばまでに実用化の見通しが立てるよう、現在各国で競い合って技術開発を行っております。
物質はさまざまな多様性を持っていますが、この超伝導現象は多様な電子が一斉に同じ方向に走り出すことをいいます。しかし、町作りにおいては超伝導現象のようにとはいきません。一人一人はみな別であり、多様性を持っているからです。これからはこうした多様性に対処できる町が求められるでしょう。
また、余市にはこれからどんどん人がやってきて人口規模を大きくしてほしくありません。最大でも4,5万人くらいまでにおさえていただきたい。東京は一歩出ると、どこの誰かも知らない他人がひしめき合う世界です。せめて近所の方の顔と名前が分かるくらいでないと安心して住むことはできないでしょう。
今の余市は教育と地場産業が野放図になっている気がします。豊富な資源や人材を生かし切れていないのです。これからは学校と地域産業が密着したシステムをぜひとも実行し、バランスのとれた町作りをしてもらいたい。さらに、もっともっと余市のよさを全国にPRして余市の中だけにとどまらず、外からさまざまな人材を呼ぶ必要があるように思います。現に私はインターネットを通じて知り合い、余市にあこがれて来たという若者を知っています。おそらくこの会場にも来ているはずです。こうした外から来た人が快く安心して住めるかどうかがよい町のバロメーターであるような気がします。

中村

 町の年齢構成の資料によると、毎年18〜23歳の若者がなんと200〜300人町外に流出しているという報告がありました。これは極めて深刻な数字だと思います。原因は働き口がないということです。これでは余市の未来は決して明るいとはいえません。なんとか町外流出をおさえて、若者が夢を持って生きる町となり「北のまほろば」と呼ばれる町になってほしいと思います。
さらに余市の教育に対する提言として「体験学習の町・余市」を明確に打ち出し、自然と共生した町作りを行ってみてはいかがでしょう。ターゲットを青少年や家族単位にしぼり、遺跡や宇宙記念館、体験農業、アウトドアなどを中心に教育活動に生かすのです。年間を通じて余市のよさを体験学習を通じて知ってもらい、さまざまな人を呼び、町の活性化につなげることが可能だと思います。残念ながら我が町にはリフト付きのスキー場がありません。むしろ地形上、余市には歩くスキーの方が合っていると思われます。ジャンプ台と一緒にスキー場を開設すると年間を通じての「体験学習の町・余市」が完成すると思います。
私は今年1年かけて、町内の名人と呼ばれる方々を訪ねてみるつもりです。タケノコ掘りや釣りの名人など、こうした達人の方々に技術や知識を伝授していただくことにより、改めて余市の文化を知ることができるからです。また、そうした伝統を若い者に受け継いでいくことも必要です。そういった意味で体験学習の大切さをこれから訴えていきたいと思います。それが余市の素材を最大限生かす方法であり、余市ならそれが十分実践できるでしょう。
ぜひとも実現させたいですね。

大谷  竹鶴さんのおっしゃった摘花したリンゴにポリフェノールが含まれているというお話、大変参考になりました。また、その他にも多数のご意見をいただき、本当に感謝しております。ぜひとも今後の町制に生かしていきたいと思います。未来の子供たちに夢をつなげていけるような行政を心がけていきます。本日は大変ありがとうございました。

 

あとがき 

 余市に移住してまもなく1年が経つ。町内の遺跡発掘調査の仕事をしていたことで余市の人々との交流が生まれ、これまでさまざまな面で助けていただいた。少なくとも生活レベルでは、町内のことは一通りわかっているつもりだった。しかし、行政的な面からいうと今日のフォーラムを聞くまでは何も知らなかったのが事実であった。余市町が現在どのような問題を抱えていて、さらに今後どのようにしていくべきなのか、今回のフォーラムで余市を代表する著名人の方々の鋭い意見により明らかにされた。このページは余市を知る人、また余市について考えのある方すべてに見ていただきたいと思うし、参考にしていただきたい。
 余市に住んでみて思ったことは、以前住んでいた関東に比べてだが、つくずく「住み易い町だ」ということ。だから、個人的にはあまり都市化は望みたくない。つまり、小樽や札幌のような町にはなって欲しくないということだ。そのことはパネラーのみなさんも同じ考えのようであり、中村さんのおっしゃった「体験学習の町・余市」という意見には深い感銘をおぼえた。違った町の発展の仕方があってもいいということの一例であろう。ぼく自身も学校に関係する人間として、今後こうした活動が本格化されることを望みたいし、またそうなるよう努力していきたい。
 会場である中央公民館大ホールは、満員で入りきれないほどの人であふれかえった。それくらい余市に対する思い入れのある方が多いという現れであろう。しかし、悲しいかな見渡す限りお年寄りの姿がほとんどであった。今後、若い人々の力がなければ余市はどんどん高齢者の町となっていくだろう。それもまた一つの方向性だが、若者が率先して引っ張ることのできる町になっていけば、さらによい方向に進んでいくではずである。その中の一人として、少しのことから関わりを持ち、コツコツと地道に活動を続けていきたいと思う。今は、町に対して何ができるかはわからない。ただ、何かをしようという気持ちだけはあることを確認できただけでも、今回のフォーラムに参加した意義があったように思う。
 先輩方が心配していらっしゃる未来の余市。さて、今後の未来は明るいのか、それとも・・・

パネラーの毛利信男氏と一緒に写真を撮らせていただきました

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