番号 11C-001  送信日 11/03/14  差出人 林 正幸
件名 環境勉強会の通信案

こんにちは、林まさです。
 まず東北関東大震災の被災者の方々にお見舞いを申し上げます。悲惨な現実や原発の問題をしっかりと見つめていきたいと思います。
 12日に開いた「環境問題を勉強する会」の通信案ができましたので、訂正・追加などありましたら、お知らせください。
 なお次回は
    6月19日(日) 13:30〜16:30 「林ラボ」
です。
 ではまた。

<通信案>
                                   11.3
                               事務局 林 正幸

   環境問題通信11−3号

 今回は臼井、加藤、林まさの3名でした。東北太平洋沖地震が発生した翌日でした。
 臼井さんからは下記のほかに、守山区の野田農園の取り組みや、平針の里山を守る運動
の紹介がありました。また加藤さんからは、パズルやおもちゃの紹介もありました。

外来生物あれこれ(加藤)
 農薬散布で激減したアメリカザリガニ、最近また増えてきている。これは大正7年に輸
入された食用のウシガエルのエサとして、養殖業者が昭和5年に入手して繁殖させた。そ
の後事業がだめになり、放置されて日本全国に拡がったそうである。
 最近急激に棲息域を拡げているジャンボタニシは、やはり養殖業者が1971年にアル
ゼンチンから食用として輸入したのが始まりだそうである。この貝には広東住血線虫とい
う危険性の高い寄生虫が寄生している場合がある。
 オオヒキガエルはオーストラリアでは外来種で、コガネムシの過剰繁殖を防ぐ目的で、
1935年にハワイから輸入されたそうである。繁殖・生存力が高く、ペットや野生動物
を死に至らすほどの猛毒を持つ。なかなか駆除法が見つからなかったが、キャットフード
「ウィスカス」が役立つことが分かった。オタマジャクシのいる池のまわりに散布してお
くと、それにミート・アントというアリが群がり、池から上がってくる子どものオオヒキ
ガエルを食い殺すという。
 チョウセンアサガオの一種エンゼルトランペットやスズランなど身近な花には毒性のあ
るものが多い。チョウセンアサガオはアトロピン、スコポラミンなどのアルカロイドを含
み、誤って花を食用すると命に係わる。

 むやみに外来生物を持ち込むのは、国内の生態系を破壊する可能性があります。ペット
の野生への放棄など無責任な行動もあります。他方で外来生物をまったく持ち込まないと
いうもの不合理、そして不可能でしょう。ポイントは生態系を見護るという視点を忘れな
いことと考えます。
 加藤さんからアメリカザリガニを試食してみようと考えているという話が出ましたが、
残り2人は否定的でした。

 「地球文明の危機」紹介(林まさ)
 環境問題の解決は、科学技術だけでは困難です。価値観に係わり、文明を客観的に捉え
直す必要があると考えます。世界を席巻している現代ヨーロッパ文明(その元は略奪的な
畑作牧畜文明)は、わずかに300年の歴史しか持たない。「未開」と酷評される狩猟採
集文明ははるかに長続きし、また日本などの稲作漁労文明は2000年も自然と共存して
きた。現代文明の便利・快適・競争・右肩上がりが、価値観のすべてではありません。折
しも東北関東大震災が、持つべき価値の中身を垣間見せているように感じられます。
 以下は今回報告した、本文の引用による「まとめ」です。
<まとめ>
 稲盛和夫編「地球文明の危機(環境編)」(東洋経済)は、10年11月に「稲盛財
団」の活動のひとつとして出版された。6人のレポートとそれをめぐる討論で構成されて
いる。
 「はじめに」では「過去の文明は地球環境変動との関係においてどのように興亡したの
か、その過去における文明興亡の実態を、気候変動や森林破壊などの高精度の環境史との
関係において再考察する。それだけではない。環境の変動が人間の生理・心理・行動様式
にいかに影響を与え、それが政治や経済活動の変化といかにかかわっていたかについても
考察する。これまでの研究によって、過去の文明の興亡においては、自然を一方的に収奪
し、短期間に繁栄し、ドラスティックに崩壊した文明と、地味ながらも自然と共生し循環
的・持続的に生きた文明が存在したことが明らかになっている。」と書いている。

1章「限界に近づいている地球システムの中の『人間層』」(松井 孝典)

2章「地球文明の未来を予告しているアフリカの惨状」(石 弘之)
 「人類が文明を維持・追究する限り、環境の破壊から逃れることはできない。せいぜい、
破壊の影響をどう少なくするかの対策しかないだろう。」
 司馬遼太郎の定義「人間の集団をささえているものが、文化と文明である。文明とは
『たれもが参加できる普遍的なもの、合理的なもの、機能的なもの』をさすのに対し、文
化はむしろ不条理なものであり、特定な集団においてのみ通用する特殊なもので、他には
及ぼしがたい。つまり普遍的ではない」
 「文明に内在する『普遍性』『合理性』『機能性』の追究こそが、生産を増大させ、そ
れが人口増加をうながし、食糧や資源を争奪する戦争を生み出しそのために武器や戦闘技
術を発達させ、さらに食料や資源の生産を増大させてきた。」
 「文明は人類に、欲望の無限拡大をもたらすことになった。特にその圧力は森林に集中
した。多くの人が鉄の便利さに目覚めて、鉄の製造が増えるほどに、製錬に必要な薪炭の
生産も急増していった。このために大量に木が伐られ、乾燥性が高く降雨が冬に集中する
地中海性気候のように森林再生力が低い気候帯から、森林が消えていった。」
 「現在、地表の約4割が人工化している。農地、都市、道路、埋立地など、人の手が加
わり管理されている状態にある。それが2050年には、地表の7割にまで拡大すると、
国連は予測している。世界の7割の地表が人工化された暁には、私たちがどんなに環境保
護を叫んでも、護るべき環境がほとんどない状況になっているだろう。その頃には経済は
さらに拡大し、資源消費が増加し、環境汚染や自然破壊が進行し生態系もかなりの部分が
失われているだろう。そして最終的に、食糧危機や自然災害という形で我々の文明が崩壊
にいたる、というのが私のシナリオである。」
 「今、アフリカでは、2億3000万人、つまり三人に一人が飢餓状態にある。特に近
年は、世界的な食糧高騰の影響を強く受けている。バイオ燃料のため食糧資源が奪われて
しまったことが食糧の高騰の引き金になったことは、ご存知のとおりである。」
 「年平均、50万人が自然災害で命をおとしている。また、これまでに2600万人も
の人がエイズで死亡した。17〜19世紀に、世界で売られた黒人奴隷の数が3000万
人と言われている。奴隷として商品価値が高かったのは10〜20代の若い層であった。
社会を支えている若い世代がさらわれてしまったことが、今日まで続くアフリカの低迷の
原因の一つに挙げられているが、エイズで命を落とす人も、10代から20代が圧倒的に
多数である。」
 「『いつかは来る』といわれてきた地球の限界が、アフリカでは、先取りする形で始ま
っているとしか思えない。」
(討論)
 「文明も変わるということです。文明は、今までいくつか変わってきたじゃないですか。
今の文明は、ほんの300年前にできたものです。つい最近です。こんなことになった原
因をつくった人々のことを、これから取り上げます(5章)。そして17世紀、『科学革
命』のインプリケーション(含んでいたもの)が『産業革命』を生み出して、それが以来
当然のこととして刷り込まれているんですよ。だから、これを必然だと思っている。それ
は17世紀以来、ヨーロッパの知的社会的状況でまったく変わってきたんです。しかし、
その前の『精神革命』の時も変わったんでしょう。『都市革命』の時も変わった。『農業
科革命』でも変わった。だから、これもまた変わるんですよ。そして、変化の時に人類は、
常に選択していました。選択したんですよ。そして、それは決して因果必然的に決まって
いたわけではない。」

3章「脳科学の立場から見た人間・文明・環境」(甘利 俊一)

4章「利他的遺伝子の優越する生命文明の地平に向かって」(大橋 力)
 「文明の定義をさらに極限まで煮詰めると、『本来の生存を離れた人類たちが行う高度
に適応的な社会行動』となる。」
 「地球生命には、種ごとに、生まれつき初期設定された活性がそのままぴったり合う
『遺伝子に約束された環境』がありうる。そしてその環境の中では、何の適応も行わない
生存、またはそれにかぎりなく近い生存が成り立つ、と考えた。この自然本態の生存状態
に対して私たちは<本来>という概念と用語を与え、<本来>と<適応>とをセットにし
た生命の観方<本来−適応モデル>を構成した。」
 「西欧近現代文明にとっては、環境と人間という生命とはそもそも初期設定として一致
せず、不調和と葛藤が原点にあり、『人間が環境に適応するか環境を人間に適応させる
か』の営みすなわち<適応>それ自体が『生きること』だと信じ込まされているのかもし
れない。」
 「オダムによって生体の秩序がランダムに崩壊していく過程、つまりエネルギー放出と
エントロピー増大を伴う生体外過程として定義された<オートリシス>を、まったく新し
い概念で置き換えたのである。(中略)すべての生命が他のすべての生命に使用しやすい
状態に自らを分解して土に還る−−そういう利他的な仕組みが地球生命全体に普遍的にセ
ットされている、というモデルである。」
 「生命科学全体は、『生命を維持し増殖すること』に加えて、『生体を改造すること』
や『人体を補修すること』など『人が生きていくこと』については、問題意識がこの上な
く旺盛で、知識・技術も人類の能力の頂点を極めている。ところが、生命が生き終わった
後のことについては、ほとんど関心がゼロに近い。『命が終わった時、何かが始めまる』
という予感や想像力が欠落しているらしく、そのことに本格的な興味が示された例はきわ
めて見つけ難い。」
 「私たちのモデルは、19世紀後半から現代人の脳裏に焼き付けられてきた、弱肉強食、
優勝劣敗を強調するいわゆるダーウィニズムとたやすく調和しそうにない。」
 「オートマティックに自己複製するシステムが利己性を発達させることはいうまでもな
く必然であり、その裏付けは、ダーウィニズム、ネオダーウィニズムの潮流の中で精力的
に蓄積されてきた。しかしそこには、地球生命が利己性の上部構造として進化的に開発し
た生存戦略、<利他性>への認識が欠落している。この片手落ちの発想は、帝国主義、植
民地主義、経済原理主義など、近現代文明の弱肉強食、優勝劣敗のパラダイムを合理化し、
または少なくとも許容し、この地球の危機を招き寄せる原動力になってきた。」
 「ここ数年間で、それは<アフリカ熱帯雨林単一起源説>にほぼ完全に置き換えられた。
オランウータンの先祖に始まる大型類人猿が脳を特別に発達させつつ歩んできた二千万年
になんなんとする進化のハイウェイは、ずっと熱帯雨林の中にあり、私たち現生人類もそ
の例外ではないと考えられている。私たちは、祖先たちとほとんど変わらず、熱帯雨林に
棲む『森の狩猟民』として設計された遺伝子と脳をもって生きている可能性が高い。」
 「私がイトゥリ森を訪れた時期の少し古い統計だが、日本人の食材は当時211種類、
これを他の生態系から持ってきてスーパーやコンビニ等に並べ、それらを手に入れて食べ
る。一方、ピグミーの食材は、私が調査を行った時点の論文のデータでは308種類が数
えれれ、周りの森にいっぱいあるそれらをおいしい順に調達して食べていた。(中略)こ
の点からすると、ピグミーの生活は『レジのないコンビニ』の中で生きているようなも
の。」
 「そうした「<エデンの園>のような環境から、何らかの外圧または己の意志によって
離れる道を辿った人類たちは、『一次産業』を起こして食べる物を生産しなければならな
くなった。これが文明に向かっての第一歩であり、<本来>から<適応>への転換になる。
この農耕の始まりは、従来は、メソポタミア起源の<畑作牧畜文明>の始まりに等しいと
考えられていた。(中略)長江流域起源の<稲作漁労文明>という、既知の四大文明とは
根本的に異なるコンセプトをもった文明が浮かび上がった。」
 「畑作牧畜文明系の社会では、<報酬系>と対になって動物の行動を司っている、<懲
罰系>と呼ばれる不快感、苦痛、恐怖感などを発生する脳の回路が主導する仕組で社会を
制御したり組織化したりする傾向が著しい。」
 「<適応領域>で生きるための<適応モード>は、コストとリスクとストレスという三
大デメリットが伴うけれども生存はできる。しかし、これらのデメリットは適応の度合が
高まるにつれて大きくなるので、環境や行動が適応の度合を高めるのは、決して望ましい
ことではない。それにもまして<自己解体領域>に踏み込んでしまえば、生体は<自己解
体モード>に転じて命は終わりに向かう。」
 「本来指向性の稲作漁労文明に属するバリ島や苗(ミャオ)人の共同体などの報酬脳主導
社会では、効果的に構成された祭りや芸能によって、社会それ自体が保証する形で、その
快感を社会集団を構成する人々の脳の報酬系に直接手渡ししている。
 ところが、適応志向型の懲罰脳主導社会では、面白いことに、社会が人々に供給する報
酬脳活性化材料は、それ自体は報酬系を直接刺激できない仮想的・ヴァーチャルな情報に
止まる。畑作牧畜文明の系譜に属するアメリカをはじめとする経済原理主義のもとにある
近現代社会では、報酬というものを報酬脳にそれを活性化する感覚刺激として直接に届け
てくれない。その代わりに、社会を構成する各個人に対して別々に、報酬を経済価値とい
うデータ(情報)に変換して現金で渡したり銀行に振り込む。もちろん振り込みの瞬間に
脳の報酬系が刺激されることはなく、快感の回路に生理的反応が出ることはない。すべて
が予想・予感という抽象的快感に止まる。」
 「一例として生業設定を見ると、本来指向性の報酬脳主導社会では、狩猟採集社会に近
い状態で、何となく、誰もが『食べていき、生きていける』ことになっている。つまり暗
黙のうちに最初から『有職と生存』が約束された設定で、失業という概念が見当たらない。
これによって生存ストレスが激減し、報酬系を活性化しやすくなる。反対に適応志向生の
懲罰脳主導社会では、初期設定が無職であって、他者と競合する試験、せめぎ合う業績な
どで優位に立ち学歴、資格、地位などを獲得しないと生きていけない。その上、資格や地
位は奪われ失われることもありうる。」

5章「現代文明は科学技術で滅びるのか」(伊藤 俊太郎)

6章「新たな文明原理は危機の時代に生まれた」(安田喜憲)
 「その文明の原理が色あせる契機は、地球環境の変動によって与えらられる。しかも、
繁栄を謳歌した一つの文明は、その文明を謳歌に導いた文明原理によって崩壊する。文明
発展の原理は文明崩壊の原理ともなるのである。なぜそうなるのか。それは文明が繁栄を
獲得した原理を容易に変換できないからである。ゆえにいかなる文明もその原理が時代の
精神、人類の欲求に合わなくなった時に崩壊するのである。」
 「私は未開と文明を区別することなど、もってのほかであると考えている。未開と文明
を区別する文明論からは、未開と見なされた少数民族の文化や縄文文化から、人類の未来
を切り開こうとする新たな文明原理を学びとろうとする姿勢は生まれえない。」
 「世界が近代ヨーロッパ文明の文明原理によって繁栄を謳歌している間は、それでよか
った。それこそが比較文明論の王道だと信じてもしかたがなかった。
 しかし、人間の欲望の開放を中心に据え、『過去に対する感謝と未来に対する責任』を
放棄した市場原理主義が、近代ヨーロッパ文明の中で誕生し、近代ヨーロッパ文明を牽引
する文明原理になった時、近代ヨーロッパ文明の原理は明らかに人類文明史を牽引する文
明原理ではなくなった。」
 「例えば人類が狩猟採集社会から農耕社会へ大きく転換した時代は、人類文明史の最大
の危機の時代だった。それは地球の気候が氷河期から後氷期へと大きく転換する地球環境
の激動によって契機がつくられた。」
 「この気候の乾燥化で居住地を追われた人々が、環境難民となって大河のほとりに水を
求めて集中した。集中してきた人々は牧畜民であり、もともと大河のほとりには農耕民が
暮らしていた。この大河のほとりへの人口の集中と牧畜民の文化と農耕民の文化の融合が、
都市文明誕生の契機だった。」
 「(紀元前)3500〜3200年前の気候悪化に端を発した社会的混乱の中で、その
後の人類文明史におおきな影響を与える一神教が誕生するのである。」
 「そして17世紀、近代ヨーロッパ文明を生み出した科学革命もまた、少氷期の気候悪
化の中で、ヨーロッパの人々の飢えとペストの大流行の危機に直面した時に引き起こされ
た。
 自然を征服して人間の王国をつくるというロジャー・ベーコン、自然を単なる機械と見
なすルネ・デカルトの思想によって、自然を搾取することに何らの倫理的責任やうしろめ
たさを感じない文明原理を持った近代ヨーロッパ文明が、この時に誕生したのである。」
 「ジャック・アタリは、地球環境問題の悪化で2050年頃に超紛争が起こると指摘す
る。資源や水をめぐる争いが激化し、人類がこれまで経験したことのない超紛争が起こる
と指摘する。そして、その超紛争の後、人類はやっと愛他主義者が登場し、利他の心、慈
悲の心に立脚した新たな文明原理にに目覚めた超民主主義者の時代がやってくるとい
う。」
 「すでに東洋の稲作漁労文明とそこで誕生した仏教や道教さらには神道の世界では、利
他の心、慈悲の心を持った文明原理が2000年以上も持続しているのである。知らない
のは西洋の畑作牧畜文明の世界、一神教の世界の人々だけである。
 その東洋の文明原理が世界を支配すれば、超紛争など体験せずとも人類は新たな文明の
時代を構築できるのである。」
「80パーセント以上の国民がキリスト教の信者であり、核を保有する超大国アメリカと、
共産主義という一神教思想に支配された中国が対立した時、人類は絶滅の危機に直面す
る。」
<以上>

 臼井さんから「足るを知る」が大切であるという話が出ました。できれば、文明の過酷
な崩壊過程を経るのではなく、人類が新しい価値観を自ら選び採っていくことを願います。
<以上>



番号 11C-002  送信日 11/03/15  差出人 田中 英二
件名 福島原発の事故について

こんにちは、田中です。
福島原発の事故のテレビの速報および新聞報道で、疑問な点は次のことです。
 この原子炉がなぜ停止しないかの説明がされていない。原子炉の温度が高いの
で、冷却するんだと言っていますが、核分裂が今もなお続いていて、こ れが停
止しないのはなぜかの説明がない。核燃料は数ヶ月分は、入っているわけだか
ら、この核分裂を停止できない限り、この状態は何ヶ月も続くわけ です。この
ことに対する説明が全くない。普通は、制御棒で、中性子を吸い取り、核分裂の
制御をするのに、これができなければ燃料を使い切るまで核 分裂は続き、悪く
すれば連鎖反応で原子炉が吹っ飛ぶ(核爆発)するかもしれないとおもいます
が、違いますか。
 つまりこのままいけば、連鎖反応を起こして核爆発になるかもしれない。核分
裂を止めることをなぜしないのかこれが分からない。どれだけ水を入れ ても熱
がどんどん出ていればどうしようもないと思います。皆さんはいかがお考えですか。



番号 11C-003  送信日 11/03/16  差出人 林 熙崇
件名 Re:福島原発の事故について

原子炉のことは私も詳しくは知りません。核反応のことで参考になれば、と思って
メールします。
原子炉の燃料のウラン235は熱中性子(ひょろひょろの速度の中性子)
が当たるとウラン236になりウラン236は分裂して、セシウム、ストロンチウムあたり
の質量に分裂し、質量欠損エネルギーを運動エネルギーに変えます。そしてその
とき、高速の中性子も2,3個飛び出し、その中性子が次のウラン235にあたり、
連鎖反応 が進む。と教科書に書いてあります。
ウラン235はある大きさの塊になれば(自然界に中性子は飛んでいますから)核反応が自動的に始まって臨界
に達して、どんどん反応が進むということになります。しかしウラン235は自然界の
ウラン中には0.7%しかなく、99.3%がウラン238です。そして高速中性子はウラン238
に吸収されやすく、そのままではウランの塊を増やしても、中性子が不足して臨界
に達しません。
臨界に達するには大きさを増やすことのほかに、後二つのことを
満足させる必要があります。1つは反応数を増やすために単位体積あたりのウラン235
を増やすこと=濃縮することです。(発電用はウラン235が3〜5%)、もう1つは中性子を
減速して熱中性子にすることです。十数年前のJCOのバケツ、こねこねの臨界事故は
このトリプルの条件を満足させ、事故が発生しました(ウラン235の濃縮度は20%)。
臨界を押さえるために、人海戦術でバルブを開いて減速材になった水を抜き、反応
を停止させたと聞いています。
原子炉内の燃料棒はそのままでは臨界に達しないように
間隔を離して、並べています。減速材の水が入ると熱中性子が大量に出来るので、
自動的に臨界に達し、さらに過臨界へ進んでいきます。これでは制御も、くそもあったもの
ではないので、ホウ素の中性子吸収棒を間に入れて、中性子の数をコントロールして
臨界状態を維持するというのが原子炉です。中性子減速材と発生した熱エネルギー
を運び去る一人二役の仕事をしているのが普通の水(H2O)=軽水(カナダの原子炉は
重水=D2Oを使うものがある)です。(1980年代に起こった旧ソ連のチエルノブイ原子炉
事故の減速材は黒鉛でした。フエルミーの最初の原子炉も黒鉛だったと思います)
緊急停止というのはこのホウ素の棒が一瞬にどーんと全部入って、臨界状態が停止
した状態だと思います。しかし大事なことは連鎖反応が進む臨界が止まっているだけです。
燃料棒の中では 95% をしめるウラン238は高速中性子を吸収してプルトニウムや
超ウラン元素に変わります。そしてこの超ウラン元素や、核分裂して出来たセシウム、ストロンチウム、ヨウ素などはα崩壊、ベータ崩壊をしてエネルギーを放出しています。臨界が止まっても崩壊熱は出続けています。(地球の
中心が熱いのと同じです)運転停止後も熱は出続けるので冷やし続けなければいけま
せん。冷やしている最中の燃料の冷却水が減って、高温になり火事になったのが4号炉
だと思います。
停止後の冷却は普段の原子炉運転のときも必ず必要なことです。よくは
知りませんが相当の時間がかかると思います。冷却水が蒸発して高温になって、
別々に離していた燃料棒が融けて一体になって再臨界が始まり制御不能になって反応
が進んでいくのがメルトダウンではないかとおもいます。これだけは止めてほしいと思い
ます。炉心が壊れている状態で再臨界になりますと 高速中性子が モル単位で発生し
ますから これは大変なことになります。



番号 11C-004  送信日 11/03/17  差出人 林 正幸
件名 原発事故など

こんにちは、林まさです。
 まず林ひろさん、入院手術と聞いていましたが、メールが書けるようになったのですね。不死身と思っていましたが、お互いに体には気を付けましょう。
 昨日、名古屋市科学館の内覧会に行って来ました。プラネタリウム、放電ラボ、極寒ラボを体験し、新しい展示を見てきました。すばらしいです。
 福島原発の事故については、制御棒挿入による緊急停止はどの原子炉もできたようで、核分裂は停止していると思います。当面の問題は、核燃料に蓄積した放射性物質による崩壊熱を水で冷却し続けて静まるのを待つ過程です。ところが地震・津波の影響で注水ポンプが稼動させられず、燃料棒が水から露出して一部にメルトダウン
(核燃料ペレットを詰めた、ジルコニウム合金のパイプの溶融)が起きたと報道されています。温度上昇やメルトダウンは、パイプの金属と水の反応で水素が発生します。これが漏れ出し空気と混ざって、何回か水素爆発が起きています。それは原子炉、格納容器にすき間ができていることを意味します。(なお4号機の場合は点検中
で、燃料棒はプールに沈められているので、直接に空気中に出ています。)したがって建屋は放射能汚染が進み、作業ができない領域が生まれています。そして放射性物質は季節風に乗って南方に拡散しています。冷却が進まないと、原子炉の爆発による大量の放射性物質の飛散が待っています(チェルノブイリと同じ最悪のレベル7
の事故)。
 私が気になるのは、放射線量の報道です。これはシーベルト(Sv)という単位で表示されますが、言い換えるとJ/kgです。ただしエネルギー[J]は、線種の違いによる人体への影響を考慮した換算値です。この単位は1kgあたりの数値です。そして汚染を示す場合はたとえばmSv/hであり、1時間あたりです。だから線
量そのものは、1日なら24倍、10日なら240倍になると思います。またX線透視などの線量は、1回あたりの線量です。これらを区別せずすべてシーベルトとし、とりあえず健康に被害を与える量ではないと報道するのは非科学的です。それに放射線被害は、非確率的影響もあります。このあたり、くわしい人に訊きたいです。
 ではまた。



番号 11C-005  送信日 11/03/18  差出人 近藤 直門
件名 Re:福島原発の事故について

文部省が測定値を公表しています。

たまたま、同僚の先生が自然科学クラブで文部省から借りていた「はかるくん」(放射線測定機がまだ返してなかったようなので、昨日測定してみました。
以前測定した平常値は0.03〜0.04μSv/hでしたが、昨日の値も0.035くらいで変化はありません。
文部省からの公表値も変わりません。

ただ仙台・水戸・宇都宮・前橋・さいたまなどは、1桁から2桁高い値になっていて、その状態がもう何日も続いています。

測定値は毎時の値で公表されていますが、例えば一般人の許容量1mSvは1時間当たりの値ではなく1年間の累積値です。仙台は0.160 宇都宮0.224
水戸0.446 前橋0.120 長野0.100 茅ヶ崎0.099
など(昨日11−12時の値μSv/h)、まだこの値なら100時間あびても、一番高い水戸で44.6μSv。約4日、でも1年間浴び続けたら4mSv。たしかにこのままの値なら、半減期も短いものが多いはずなので、線量も減少していくでしょうから、直ちに健康への被害が生じる可能性はたしかに小さいでしょう。

NHKの番組の中で、原発からの距離が離れれば拡散するので大丈夫といっていますが、風に乗って運ばれるので、単純に距離の2乗に反比例して減るとは限りません。火山噴火の火山灰もそうですが、周りに均等に広がるわけではありません。、けっこう拡散せずにある方向にだけ遠くまで高濃度のまま飛散する可能性はたかく、首都圏にまでとどくリスクはかなり高いと思います。
それに、ニュースで流れてくる測定値の発表が1時間あとと科2時間あととかで、これでは高濃度のものが漂ってきたときには手遅れです。

アメダスも福島原発付近はもちろん、津波でやられた東北から関東の太平洋岸はデータが欠けていて、正確な風向きがわかりません。
これまでの世界の重大事故とちがって何基もが同時にトラブルを起こし制御不能になっているので、このさきさらにトラブルが拡大する可能性もあります。
いまは冬に逆戻りで寒さはたいへんですが、風は太平洋方向に吹いているようなので幸いしていますが、やがて逆に吹き始めます。

現場で作業されている人たちは、チェルノブイリもそうでしたが、命がけです。作業が遅れれば遅れるほど、リスクは高まるし。なんとかこのあたりでおさまってほしいと願うばかりです。

今流れているNHKの映像では、しばらく話題になってない、2号機からも少し水蒸気が上がり始めています。

# 都道府県別放射線モニタリングデータ
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm
# 福島第1・第2発電所周辺の放射線モニタリングデータ
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303726.htm



番号 11C-006  送信日 11/03/19  差出人 林 正幸
件名 NHKに電話しました

こんにちは、林まさです。
 くり返される「直ちに健康に心配はない」という報道に、たまりかねてNHKに電話しました。東京は無理と考え、名古屋のNHKにです。科学関係の人に話したいと言いましたが、そういう体制になっていないという返事でした。やむなく電話に出た人に話しまた。何でもかんでもミリシーベルト、マイクロシーベルトとごっちゃ
では、国民は正しい判断ができない。たとえばある都市(名前を覚えていない)の24マイクロシーベルトは、1時間あたりの数値であり、1日そこに居ればその24倍、10日それが続けば240倍の放射線を浴びることが分かるように報道してほしい(近藤さんもメールに書いています)。それと、1回の胃の透視で浴びる600
マイクロシーベルトは単純に比較して健康に被害がないとは断定できない・・・。「分かりましたか」と念を押したのですが、(失礼かもしれませんが)問題の重要性を把握できているように思えませんでした。そして「東京に伝えてほしい」と電話を切りました。
 その後テレビを注意していますが、「胃の透視に比べて・・・」というボードは出てきていません(
ただし見落としているかもしれませんが)。そしてテロップに出た原発上空の数値には「1時間あたり」という記述が付け加わっていました。他にも問題を指摘した人が居るのではないかと思います。
 ところが今朝のNHKを見ていたら、またまた驚くべき解説をくり返しています。アルファ線は紙1枚で、ベータ線はアルミ箔で防ぐことができる・・・。家庭にあるものでも防護できるので、いたずらに心配する必要はない・・・。問題は、放射線を出す放射性物質の拡散です。そしてこれらの物質は微粒子、あるいは気体状態で
拡散します。微粒子は黄砂のことを考えれば分かるように、屋外よりは屋内の影響が少ないことは確かですが、すき間からの侵入は防ぎ切れません。まして気体状態なら、空気を遮断するのが無理なように、防ぐことは不可能です。
 私が心配なのは、NHKが電力会社から提供された資料(これは原子力が過度に安全であると宣伝してきたもの)を鵜呑みにして報道しているのではないかということです。
 そしてこのままでは、東京を含めた広い地域が住めない事態になる可能性もあります。外国政府は、80キロ圏から、あるいは日本からの退去を指示しています・・・。ほんとうに気が休まらない毎日です。
 ではまた。



番号 11C-007  送信日 11/03/19  差出人 清水 祐樹
件名 Re:NHKに電話しました

こんにちは、清水です。

放射線量が報道の通りであれば「安全です」
ただし、これ以上の放射性物質の放出が無い(放射線量が増えない)と仮定
します。

研究で特殊なX線撮影装置を使うため、使用許可を得る時に被曝量の計算を
したことがあります。放射線医学の基準で、現在の状況を判定しました。

1)被曝量の上限
単位をマイクロシーベルト(μSv)に統一して説明します。
放射線障害の報告例が無い被曝量は、年間10万μSv以下、または毎時
20万μSv以下と言われています。
年間10万μSvを、時間に換算すると毎時11μSv、これ以下は安全。
報道された最大値、毎時330μSvの地域に居続けても、年間10万μSv以上
を被曝する可能性は低いです。それは次の理由です。
・半減期の短い放射性物質が多く、放射線量は数日単位で次第に減少する。
・衣服等に放射性物質が付着しても、除染により被曝量は小さくなる。
・断続的な被曝では、細胞の修復作用により放射線障害の可能性は低くなる。

現在値ではなく1時間くらい前の値が出ているのは、現地での通信手段が
無いことも理由と思います。携帯電話が復旧していない地域も多くあります。

放射性物質の健康への影響は、機会があれば紹介します。

2)気象庁は何をしているのか
物質拡散のシミュレーションは確立されていて、その結果や過去の原発事故
のデータを判断して、日本では半径20km以内を避難区域にしています。
大気汚染では燃料の消費量などから原因物質の量が推定できますが、放射
性物質では放出量が不明なこと、放射壊変で別の元素に変わる場合がある
ことから、シミュレーションは困難と思われます。



番号 11C-008  送信日 11/03/21  差出人 林 正幸
件名 放射能汚染

こんにちは、林まさです。
 今朝NHKを見ていたら、また「胃の透視に比べて」とやっていました。科学文化部の山崎解説員ということが分かりました(もちろん彼の解説がすべて問題というのではありません)。「直ちに健康に被害が出ないレベル」という見出しを付けての解説です。彼自身の責任だけでなく、上からの指示(命令)がある可能性も高いと
考えます。その画面の数値で、福島市(30キロ圏の外)が最大値で12.7マイクロシーベルト(1時間あたり)とありました。この状態で10日そこに居れば、240倍の約3000マイクロシーベルト、つまり3ミリシーベルトになる可能性があります。もちろん屋内では何分の1かにはなると思いますが、これが数ヶ月続くと
なるとどうなるでしょうか。自衛隊員でさえ、年間50ミリシーベルト(緊急の場合100ミリシーベルト)までと報道されています。記憶があいまいですが、民間人の年間の許容量は1ミリシーベルト(たぶん自然放射線に加えて)となっているように思います。
 清水さん、放射線量に関する情報をありがとう。しかし疑問もあります。一般に医療では、ガンなどの差し迫った危険と引き替えにどこまで我慢するか、という視点で許容量が示されます。10万マイクロシーベルト=100ミリシーベルト以下では健康被害の報告がないということですが、たとえばエックス線技師の許容量はどう
なっているのでしょうか。と言うのも、放射線被害は線量が減るにつれて小さくなるものばかりではありませんし、またその影響には検出されにくい潜在的なものが大いに考えられるからです。
 もうひとつ「放射線量は数日単位で次第に減少する」とありますが、現実の問題は放射性物質が一時に放出されたのではなく、連続的に放出され続けていることです。その状況は短く見積もっても1ヶ月は改善できないと思います。それどころか、最近原子炉自身のことが報道されなくなっていますが、深刻な状況は何も改善されて
いません。いつなんどき大量の放射性物質がまき散らされ、またそれが継続するか分かりません。率直に言って、このような状況の下で「これ以上の放射性物質の放出がないと仮定」しての判断に意味があるのでしょうか。
 誤解をさけるために付け加えます。私は自由にそして気軽に自分の考えを書くことを否定しているのではありません。意見交換をしてお互いが勉強になっていくことを願っています。黙っていては何も進みません。
 ではまた。



番号 11C-009  送信日 11/03/22  差出人 林 正幸
件名 安全性について

こんにちは、林まさです。
 現時点の科学的知見で危険が検出されていなければ「安全である」とはとても言えません。科学はそれほど万能ではなく、知らないことが山ほどあるという謙虚さの上に立つべきです。私も関係してきた公害問題では、企業は被害者がその危険性を証明しないかがぎり責任はないという立場でした。いやいやそれどころか、政府と共謀して偽の科学データをでっち上げてさえいました(たとえば水俣病の黒川調査団)。それがねばり強い住民運動や世論に押されて、やっと企業の予防責任が問われるようになってきています。
 もともと「科学的に安全である」とは言えるものではありません。安全性には価値観が伴っています。たとえば自動車は安全な乗り物か。自動車を許容するのは、便利さを享受したいという価値観と刷り合わされた結果です。私の知っているBHC(農薬 現在は禁止されている)の摂取基準には、危険が確認された数値に1/100という安全率が掛けられていました。これが1/100で本当によいのか、1/1000にすべきではないか、科学的に断言することはできません。汚染した牛乳も売れればよいと考えれば、1/10にしたいでしょう。乳幼児を持つ母親はもっと厳しくしてほしいと願うかもしれません。このとき行政は「安全率を掛けているので、飲んで直ちに危険とは言えない」とうそぶいていました(40年ほど前のことです)。これは今回の放射能汚染食品に対する政府発表、NHK報道とまったく同じです。
 もちろん過度に不安をあおることには、過度に安全性を宣伝することと同様に、私は組みするつもりはありません。大切なのは、正確な事実を包み隠さず提示し、そして政府としては国民に冷静な判断を求めるべきでしょう。近藤さんが書いているように、大本営発表では国民は不安がつのるばかりです。正確な事実とは、「直ちに健康に被害はない」という言い方ではなく、科学的には危険性や危険の可能性を示すべきです。そして許容量がどのように決められているのか。原子炉事故の対策の現状・見通しに加えて、ある得る危険性を伝えるべきです(御用学者の意見だけでなく、批判的な研究者の意見も)。国民としてはある日突然に「危険な段階になりました」と言われても、途方に暮れるしかありません。
 そして林ひろさん、「静かな目線も必要」として添付された記事を見て、あなたが何を言いたいのは理解に苦しんでいます。中身もさることながら、まず見出しの「放射線被害 現状は皆無」に驚きます。今回の原発事故で現時点で被害が皆無と断言できるとしたら、それは「死んだ人はいない」くらいではないでしょうか。どんな被害があったのか調べもせず、「被害は皆無」と断言する人の意見を、「静かな目線」と捉えるのはどういう考えからでしょうか。すぐに思い出すのは、渡辺 正らが書いた「ダイオキシン〜神話の終焉」(日本評論社)です。彼らは、ダイオキシンで死んだ人はいない。アルコールやコーヒーの方がはるかに危険だと、筋違いの意見を展開しています。是非、どういう考えなのか、書いてくれませんか。
 ではまた。



番号 11C-010  送信日 11/03/28  差出人 林 正幸
件名 私は年間1mSvレベルを基準としたい

こんにちは、林まさです。
 近藤さんの資料は興味深いですね。青信号ではなく、黄信号、赤信号の領域を示すことは極めて重要です。私の主張は、科学は危険信号ないし危険の可能性信号を示すことしかできないのではないかというものです。後は最終的には個人の価値観によるしかない・・・。
 山内氏が示す基準は年間100mSvですが、これは清水さんのデータによると発ガンのリスクが高まるレベルです。私は、放射線被害は発ガンだけでなく、遺伝的影響も含めて潜在的危険性が高いと感じます。他方で自然放射線を年平均2.4mSvほど浴びていますが、自然だから安全とは言い切れません。しかしこれは避けが
たいですから、人口被爆はその範囲に留めたい、つまり年間1mSvレベルを基準にしたいです。
 昨日、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が手作業でホースをひいたとき、放射線計測を担当した隊員の会見を放送していました。消防隊員の許容量は年間30mSvです。胸の線量計のアラームが鳴り続ける中、恐怖心を抑えて仲間の最前線に立って計測を続けた胸の内を語っていました。そして彼が最大の27mSvを被爆しま
した。私は、放射線の怖さをよく知っている彼の話に対して、100mSvより低いから大丈夫だよとはとても言えません。
 ところが東電は原発作業員の許容量を、「希望すれば」100mSvから250mSvまで引き上げるとし、政府はこれを追認しました。どさくさに紛れてこんな態度でよいのでしょうか。他方でこのことは、事故現場がいかに危険になっているかを物語っています。対策が打ち続けられるのか、心配です。
 さて事故が発生して10日以上が経過しています。ざっと250時間です。その地域の平均汚染線量が4μSvなら私の基準に到達します。屋内退避していても、限界があります。すてに多くの住民が自主的に県外に避難を始めています・・・。
 ではまた。



番号 11C-011  送信日 11/03/28  差出人 冨田 孝正
件名 原発事故と科学教育

川田さんの原発事故と科学教育について、

科学教育で扱う「原発問題」は「科学的命題(事実と照合できる)」としてであり
「価値的命題(価値観の問題)」ではないことを大前提として、「原発事故」に関わ
る「科学の授業」は自分ならどんな授業をするのか、と自問しつつですが、川田さん
が言っておられる

『いつもこの種の授業で思う事だが、資源のない日本が原発に依存して行った事情
や、原発の危険を語ることはもちろん大事です。しかし、どちらの立場にせよ、あま
り教師の意図が露骨に見えすぎると、受け取る生徒の方が興ざめします。教師が自分
の「答」を押し付けるのではなく、教師の問いかけを子ども達が受け取り、そこから
引き続いて考え続けたいと思える、余韻を残す授業が最高ではないかと思う。余韻を
どう残すかが教師のウデではないかと。』この部分について、ニュアンスの違いなの
かもしれないとも思いますが、若干、違和感を覚えました。教師は科学的事実を掴ん
だら、「事実の前に何よりも謙虚である」という意味において、それを生徒にしっか
り伝えて行く義務と時には勇気が要るではないか。それはあくまでも科学的事実から
の結論でなくてはなりませんが。「賛成・反対」の答・価値観を押し付ける話とは次
元の異なる問題だと思います。「それでも地球は動く」という次元においてです。生
徒たちに「科学的事実を分かりやすく論理的、合理的に伝えること」が出来たら、そ
の結果、例えば原発問題について、いかに明白な結論になっても『受け取る生徒の方
が興ざめします。』ということにはならないのではないかと思うのです。とはいって
もそのような授業の組み立てはとても難しい作業だとは思うのですが。そのうえで、
価値的命題にも関わりますが「次の世代に何を伝えたいのか、何を伝えなくてはなら
ないのか」を教師自身が明確にすることが求められているように思われます。生徒は
伝えられた科学的事実を自らの新しい知識として、自分の判断材料として行くのは当
然のことなのですから。



番号 11C-012  送信日 11/03/28  差出人 林 正幸
件名 積算線量を発表すべきです

こんにちは、林まさです。
 川田さん、「なぜ理科を学ぶのか」という問いかけ、共感します。できれば今年の合同県教研のテーマにしてはと思いますが、皆さんいかがでしょうか。振り返ると40年ほど前、公害問題を前にして何人もの教師が同じテーマに立ち向かいました。その中で、たとえば飯田さんの「科学で武装する」という提言も生まれました。私もいくつか教育実践し、退職の年(03年)にはそれらをまとめて「公害・環境問題とその教育に取り組んで」というレポートを全国教研で発表しました。その中で「専門家と市民」のことにも触れています。川田さんは「原発なら原発について、自ら判断できる一人前の主権者を育てる」と書いています。私も大筋で同意しますが、
私自身が住民と共にセロハン工場に乗り込んだとき、化学の教師でありながら工場のしくみがほとんど把握できなかったという経験があります。やはり専門家に頼る必要がありました。一方で沢山の「住民学習会」を開いて、セロハン公害の科学的知識を提供したのですが、他方で住民の立場で行動できる専門家の存在が不可欠でした。専門家を目指す生徒には「国民の立場に立てる人間になれ」と訴えたいです。
 加藤 賢一さん、原発に関する授業実践に興味が湧きます。そのレポートが発表されたら嬉しいです。そして「科学を科学する」という内容も機会があれば聞きたいです。またYOUTUBEでの武田氏のコメントはある意味で痛快でした。ただし「技術は安全」(正確な引用でないかも)という部分には疑問が残りました。
 すこし先ですが、6月19日の「環境問題を勉強する会」では、原発事故をテーマにしたいと考えています。関心の向きは、資料や意見を持ち寄ってもらえるとありがたいです。
 さて原発事故からすでに2週間以上が経過しました。残念ながら、悪い可能性として予測していた長期化が現実のものになってきています。新聞報道によると、東電の社長が「体調不良」(?)を理由に数日出社しなかったそうですが、「陣頭指揮をしているので皆さんの前には出てこられない」と嘘を言っていたそうです。嘘で塗り固める隠蔽体質だけは今も健在です。こんな連中など相手にせず、政府は現地で対策本部を開くべきです。そして批判的な科学者の意見も訊くべきです。
 前にも書きましたが、急に使用済み核燃料の冷却ばかりが報道されるようになり気になっていましたが、案の定(こんな心配はできれば当たってほしくない)、タービン建屋の漏水の分析から原子炉の損傷が強く疑われることになって来ました。
 今日まで3日間、東京の国分寺に住む姪とその娘が来訪しました。ペットボトルの飲料水がないということで、あちこちまわりやっと6本集めて宅配しました。また携帯照明器具の電池がないということで、小さい電気屋をまわって何とか手に入れました。彼女から「子どもの健康のことも考えて不安である、どうしたらよいか教えてほしい。」と言われました。水に関しては緊急避難的には水道水を冷蔵庫に汲み置いて、1週間ほどして順送りに飲んでは(アルケミストの会の四ヶ浦さんのアイデア)と言いました。国際的にも認められた許容量は年間1mSvである。なぜか測定の最大値しか報道していないが、他の大気汚染の例からすると、最大値の1/3が平均値になる。とりあえず、それをもとに積算線量を計算していって、それが100μSvになったら、真剣に避難のことを考えた方がよいと思う。というのは調査地点が少なくホットスポットもあるので、1mSvまで待っていられない。また早めに手を打たないと、皆が一斉に避難を開始したら、脱出ができないだろう、と話しました。
 もういい加減「直ちに健康に被害があるとは言えない」をオウム返しするのではなく、各地域の積算線量をこそ発表していくべきだと思います。
 ではまた。



番号 11C-013  送信日 11/03/30  差出人 原 弘良
件名 あらためて科学教育論・実践・課題の交流を

 大震災報道の向こうに、被災地一人ひとりの現実を、深く思います。
そして、「さまざまな人災」が噴出している現況を報道から知りつつも、
一方では、学校教育・科学教育・人間育ての授業などにも、
いろいろつぎつぎと、「教育の社会的責務」がよぎるは、皆さん同じかと
思います。(川田さん、林さん、多くの共感をおぼえました。)

 と、同時に、資源小国・火山島「日本」に生まれた子どもたち一人ひとりに、
たった一度っきりの人生に、「希望、人間の尊厳」を、教室の友だちと一緒に
認識・感動する授業の1コマ1コマを、すべての生徒に保障し実現する現場
教育者の「底知れぬ生きがい」を、71歳の今も思い出し、また、考えます。

 私は、「多種多様性・自由」を、人間存在の必須価値と認識しています。
 (多種多様な生物界の健全・多種多様な人種の都市の活気など、多く。)

 その価値は、教育界では、恣意的な「競争教育」によって歪められているが、
「ヒトの子どもの潜在的強靭性の発揮」が可能であり、その実現の可否は、
「先生の視点・子ども観」にかかっている事実を、実証してきました。 それは、
教育者が、「ヒトの子どもの本質:好奇心旺盛・学び好き・友だち大好き」を
生徒の事実から学び取り確信することから 教える側から学ぶ生徒の側からの
「教育視点と実践の変革」が展望できます。この展望の具体的展開こそが、
一人ひとりの教師の「持ち味」となって、生徒にとっても「魅力ある授業・味の
ある学び」となり、学習意欲を引き出すとともに、自発的・自律的な学習行動
を支えるのです。    以下の本(共著)も、参照くだされば幸いです。
(実例:授業づくりで変える高校の教室4・理科、川勝 編著。明石書店)

 春休みは、「1年の計」のはじまりですね。
4/30朝刊・別刷「教職員・人事異動」が踊っています。

 生まれも育ちも家庭環境・生育状況など、すべてが多種多様な現況下でも、
「授業では、先生と生徒は、この瞬間の時空を共に生きる仲間」です。
 生徒たちの多種多様性をプラス転化させるためには、この春休みが、
「授業準備と授業展開の創意・工夫」が、私の大切な仕事でした。

現職の先生方、くれぐれも「健康最優先」が、生徒貢献・楽しい仕事にとって
何より大切!を、重ね重ね祈っております。 たった一度の人生じゃもの!