番号 09I-001  送信日 09/09/03  差出人 原 弘良
件名 教育は科学だ・芸術だ−その9(最終回)、そして緊急入院

こんにちは、  原です。

自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程 ーその4
   なぜ、生徒が自発・自律学習する科学教育にこだわるのか? 
(6,12伊賀さんメール「科学教育について」の正当なる傍証例)

   ルーツは、原自身の「科学少年時代の幸福感の核心」にあります。
 その核心が、原少年個人に留まらないヒトの子どもに普遍する真実で
あり、目の前の生徒たちとその幸福感を共有・共感する学校生活を創造
した教職の日々にあったからです。
 その核心の正当性は、原実践の限りにおいては、十分に検証されたと
考えます。なぜなら、原と出会った約7000人の生徒たち一人ひとりが、
   だれひとり「落ちこぼれず、落ちこぼさず」に、
それぞれに「自発・自律学習して、科学した生徒」だったからです。

 ヒトの子どもに普遍する「科学する幸福感の核心要素は、何か?」
      今ここで、あらためて考察することが、
「すべての子どもが科学する能力を発揮し、1コマ1コマの理科授業で
自己肯定による自信を人格化して、自立の道を自分の全人格で歩む
生徒の人生に貢献する教育仮説」のひとつになるかもと、思います。
また、そのヒントが子どもの授業現場に活きる事を祈ります。

     生徒が科学する幸福感の必須核心要素は、
「学び・研究の徹底的な自由の保障環境に在る。」に、気付きます。
    この検証例に、原実践では、
 1、    この部分的導入実践として、約20年間にわたり、
・参加自由制の「身近な科学レポート」提出・学び合い学習において、
徐々に参加生徒が増加して、2学期末には、ほぼ全員が参加しました。
 2、    この全面的導入実践として、退職直近の6年間にわたり、
   「高校3年間の自主編成理科カリキュラム」を、相方の先生と
   協議したうえで全校実施しました。
  その概要は、1・2学年で、物理・化学・生物・地学の
    「基礎・基本の、知識・技術と科学研究方法」を、
  手づくりテキストと、実験・観察授業レポート(年間、約10レポート)
  により、生徒が習得します。
   この学び過程で、生徒ひとりひとりの「自発・自律学習習慣」が  
  友だち命(学び合いシステム)とあざない合って、「正の学校優位性」
  が発揮され、「何から何まで自分ひとりで段取りし、行動すること
  によって、自分の五感で体験する”科学する自分に感動する学習”」
  へと、ステップ・アップするのです。 
 ・ それは、3学年1学期テスト以降から卒業までの7ヶ月間、
 すべての生徒が学び切った「ひとり研究:個人別テーマ・課題研究」です。
  (グループ研究は、一切認めません。  なぜなら、「ひとり研究」は、
 自分自身の内観環境を必然化するので、そこで発見する自己肯定
 による自信を育てて、かけがえのない自分自身の人間の尊厳を発見・
 自覚を必然とするからです。これは大切です。
  その結果、自分なりに精一杯歩み生き続ける 大切さと、自分に
 内在する能力発見に驚き、喜び、「自発・自律的科学研究」を
 生徒は互いに加速したのでした。

    、この7ヶ月間の原の具体的指導内容は、
 生徒それぞれに研究する光景を、生徒に感動するニコニコ顔で机間を
 巡りながら一声かけたり、生徒一人ひとりが記載の詳細な研究記録内容
 に基づき、「ひとこと助言と、励ましヒント」を、生徒と座りあってじっくり話し
 合うことでした。
  また、研究に必要な物品等は、すべて生徒自身が決定した
 研究テーマに基づき、生徒一人ひとりが何から何までの全てを自分で
 考え準備し進行する事が原則です。
  しかし、生徒自身が準備・調達が困難な物品・研究資料等は、
 生徒一人ひとりが、すべてを自分で考えて記入し、事前に提出した
 「願い書の内容」に基づいて、試薬・器具・資料のコピー等を、原が
 授業に間に合うように準備して、生徒の研究をサポートしました。
 当日の願い出は、原則、受け付けません。
  なぜなら、「何事をするにも、自分で考えて事前の周到な準備を
 実行する社会人が、互いの信頼関係をつくる。 『願い書の提出』
 は、互いに信頼できる社会人として卒業して欲しい!という
 原の祈りの『願い書の趣旨』である。」旨の説明だけで、生徒全員が
 納得して行動しました。生徒は、間もなく社会人としての巣立ちを自覚
 して、日々の「ひとり研究」を遂行していたのです。
    これらは、前述本の53ページ以降に、「生徒の感想」コピーあり。
        学校教育の不可欠な意義として、
 目の前の生徒一人ひとりが、かけがえのない自分自身の人間の尊厳を
 発見・自覚する体験が必須だろうと、信じるからの実践であり、
    6年間の生徒の感動的事実は、「教育の意義」を明白にしました。)
 

  上記実践の核心が、原少年個人に留まらないヒトの子どもに普遍する
真実であると、原が確信していた背景に触れさせてもらいます。
       それは、戦中戦後を子どもなりに考え生き延び、
ひとりで自立して生きる道として、工業高校を選び「技術者」として
社会人をスタート矢先に遭遇した「労災事故」から、「自己の存在」を
深く考える過程を経て到達した、「極当たり前の認識」にありました。
 それは、「かけがえのない自分存在:人間の尊厳」でした。その認識に
達した瞬間!の実感は、聞いたことがある「天上天下唯我独尊」の閃き
でした。  「これやっ!」と、わたしの天空は一瞬にして晴れ渡り、同時に、
すべての人間一人ひとりの「人間存在は、等しくこれやっ!」と自然に
「万人共通の普遍的価値」である事に気づいたのです。
        すると、自然に「思考の視野」に入ってきたのは、
人類の歴史と近現代の世界の中で生きる、「人間一人ひとりの尊厳」でした。
そこに見える人間の姿は、今もそれぞれの現実の中で、蹂躙され侵害されても
耐えて連帯し合う、「人間の尊厳」を求め続ける不屈の姿です。
 それは、工員である原の人間の尊厳を、「命の無い消耗部品」として扱った
勤務先企業の本質(資本主義経済下における企業の本質)とオーバーラップ
しながらも、次第に浮かび上がる「教職の深い魅力」を、強く認識したのです。
そして、「自分と子ども(生徒)の尊厳」を、日々実現する魅力に満ちた
  「本来の教育」に気付き、その世界で、
「たった一つのわが命と、たった一度の人生の奇跡」を生きる夢実現の手段と
して、「理科の先生になる夢」に向かい、独学の受験勉強から始めたのです。

     、「理科の先生になる夢」に向かい歩き始める以前、
 敗戦後の混乱期、芋弁当さえ持って行けない子どもたちの昼食時は
運動場の足洗い場の井戸を、同じ欠食仲間が集まりギッコンギッコンと
こぎ合って出る井戸水を互いに飲みあい、エイヤッ!と午後の授業に出席
する「腹ペコ・原少年の時期」がありました。
 そんな時にも、「肥後の守ナイフ」1本あれば、川原の笹竹から釣竿・
紙鉄砲・笛など、あらゆる遊び道具を創り出して退屈しない子どもたちが
いて、原少年は「名人」と言われていました。
 名人には、子分が寄ってきて、学校では「金魚の糞」の如く連れ立って
遊び、勉強を教え合ったりしていました。当時、招かれた「金貸し屋」の
応接部屋に案内され、山盛りのお菓子に驚きながら、日本庭園を眺め
ていると、友だちのお母さんが、「これからも友だちでいてやってね。」と
言われてはずかしながら、「はいっ」と緊張して返事しつつも、「世の中には、
こんなすげえ金持ちもあるんだあ。」と、新発見をしていた。
 「肥後の守ナイフ」から、「火薬飛行ロケット」へと科学あそび夢中少年へ
進化してゆく間にも、
   原少年の「内発的好奇心と内発行動エネルギーから発する力」は、
働きづめと腹ペコの現実の毎日をも消し去り、 グイっと「不思議な威力」を
発揮して、原少年を、「科学三昧する幸福漬けの毎日」にしていたのです。

 これ等を考察すると、「科学三昧する幸福の核心要素」が、抽出されますし、
     その核心要素を、日々の理科授業に教育仕掛けすることが、
目の前の生徒一人ひとりにこだわった、「原教育実践の幹」であったなあと、
          思い当たります。  今ならばと。
・自分が、やりたいことを発見し、目標を見定め、
            目標実現への段取りと、必要準備など、
  何から何までの全てを、自分だけの五体を使い、自分だけで考えて
  最初から最後まで、まったく自由に、自分自身を生き切る自由の中に
  自己が存在する幸福感、自己肯定の実感がある。
        この体験こそが、
  「人間一人ひとり固有の、人間の尊厳」の普遍価値基盤であり、
 「かけがえのない自分の尊厳」と、「他者一人ひとりの人間の尊厳」が、
 普遍同等価値存在である真実を洞察する「必須体験」でもあろう。
  そんな事から、前述の
     20年来続いた、自由提出制・「身近な科学レポート」や
     最後の6年間、高校3年間・「理科自主編成カリキュラム」
  の実践が、
     「ヒトの子どもの本性:好奇心旺盛・学び大好き・友だち命」に
  適った、極めて自然な教育であったのかなと、振り返る事ができるし、
  20年来1分間スピーチで「私が大切に、、、友だち・家族」と変わらず
  述べ合っていた「生徒の本心;教育の根幹」ならびに「正の学校優位性」
  に自然な教育であったのかな、  と思うのです。

 さて、このシリーズは、6月の伊賀さんメール「科学教育について」で触れて
おられた主旨、
 「正当な結果が出る、先生が準備し尽くした理科授業以外に
生徒想定外の結果が出る科学教育の必要について」
に同感、触発されて発信させてもらいましたが、あらためて、伊賀さんメールの
正当性と、  生徒の本質から乖離した「日本の教育の狂気」を思います。


原は、8月23日朝に突然の「大量の鼻出血」により、30日まで
救急病棟に入院でした。わが人生で、11度目入院生活です。
      18年前の「ガン治療の放射線照射後遺症」が、
治療困難な鼻出血原因ですが、「現実を受容して、あきらめず付き合う」
しかありません。「失ったものは数えるな!残っているものを数えて生きる」
のが、大学を病気休学して得た、それ以来の「原の人生流儀」です。

    なぜに、こんなメール発信をさせていただくかと申さば、
このメール仲間は、何らかで「子どもの命と関わる教育関係者」かと思います。
「子どもが、友だちと共に学びあい賢くなる日々を喜び合う学校教育の保障
によって、人生を自立して友と共に生きる希望を育む。」を、必須課題とする
が、学校の社会的責務かと信じます。
 この子どもたちへの責務から乖離した教育実践は、熱心であればあるほど
「子どもの願い」からますます乖離しますから、他者のせいにしない
「教育の何たるか?」の不断の自己点検を、原は自戒してきました。
最初の養護学校の教え子たちは、すでに「黄泉の国」へ旅立っています。
現職中の入院時から、生徒の命と自分の命と、何度も重ね考えました。
「不登校の子ども」「授業でほかって置かれる子ども:保護司の話」などを
耳にするとき、「何やってんだよう!」と、
「学校で、生きる希望を奪われている子どもたちの、今現在の心」を重ねて
年甲斐(もうすぐ70歳)もなく、怒れるのです。
 どうか、現職の先生は、このメールで交流しあっている「科学する喜び」の
伝道者・共感者として、なお一層「居心地のいい教室づくり」を楽しまれます
よう祈っています。
 わたしは、近所の子どもたちや大人たちと、チンタラチンタラと「科学あそび」
を楽しみ続けたいなあと、希望しています。

原  弘良


番号 09I-002  送信日 09/09/23  差出人 林 正幸
件名 モルの会通信

こんにちは、林まさです。
 連休中の日曜日9月20日(日)にMOLの会を開きました。その通信案(まとめ)ができましたので、紹介します。誤り、不足などありましたら連絡してください。
 なお次回は
    12月6日(日)  13:00〜  市立北高校化学室
です。
 ではまた。

<引用>
   MOLの会通信09−9号

 今回は浅井、岡田、澤田、鈴木とし、出口、林まさ、福島、船橋、堀の9名が参加しま
した。
 科学の祭典のテーマは「字や色が消えたりもどったり」で、6月に船橋さんが提案した
フリクション・マーカー(ドライヤーと急冷スプレイ)と感熱インク(アンモニア水と塩
酸)の2つ(MOLの会通信09−6号を参照)に加えて、最終的には染料で統一してイ
ンジゴカルミンの色が、ハイドロサルファイトで消え、空気中の酸素やハイターでもどる
実験を加えることになっていましたが(林まさの提案)、おそらく薬品の変質のためその
場で確認ができませんでした(もちろん準備し直します)。おかげで「実験は必ず直前に
試してみるべし」という教訓が再確認できました。

正八面体(岡田)
 以前に、使い終わった封筒を利用して作る正四面体の紹介をしたが、今回は正八面体で
ある(後者は実習教諭の安藤さんの発案)。
 実際にA4以上の大きさの厚手の封筒で作ってみると、10分あまりで完成しました。
正四面体と並んで化学では役に立つ立体です(作り方の図がなくて失礼!)。
 ちなみに前者は堀井著「折り紙で広がる数学の世界」(北斗書房)に載っており、この
本はインターネットで書名で検索して注文すれば入手できる。

 2,3,7,8−ジベンゾ−p−ジオキシンの命名について疑問が出されました。環状炭素
などの位置を表す番号は環形成以外の原子価があれば順番に付けられます。そしてこの場
合は酸素は2価が環形成に使われて番号は付かないように思えますが、酸素は3価になり
得るので実際には番号が付けられています。
 またp−ですが、後で調べてみるとこうでした。ジオキシンとは酸素を2つ含む6員環
で二重結合を2つ含むものを指します。そして酸素の位置によって1,2−(o−)、1,
4−(p−)の2種があります。

ヘルムホルツ共鳴器(船橋)
 石川さんが紹介した音反動車に関心を持ち、次のEHCで製作講習することになってい
る船橋さん、その基になっているヘルムホルツ共鳴器を5000円はたいて輸入購入しま
した。
 「楽飲み」の飲み口を切ったような形のガラス製で、注ぎ口にあたるところから音を拾
う。共鳴する振動数は、体積と「注ぎ口」の断面積から、理解しにくい関係式で計算でき
る。
 発振器で音を出し、「飲み口」を耳に当てると460〜480Hzで共鳴することが分
かりました(振動数はなぜか人に依る)。
 ついでに音反動車の紹介もありました。小さい穴を開けたピンポン球4つの車や、ヤク
ルトびんの口を塞いで小さい穴をあけたもの4つの車が、共鳴するとゆっくりとまわりま
す。スピーカーは10Wで、ちょっとうるさい。この原理は単純ではなさそうです。

 これまた石川さんが紹介した「一歯ゲジゲジ」にも取り組む船橋さん、ジャイロ効果で
倒れることなく、また適当な偏心でゲジゲジモーターのように進みます。しかし量産でき
る材料を求めて目下思案中です。

凝固点降下(林まさ)
 講座プラン「溶解と溶液」を検討している中、水の凝固点降下を計測しようと、0.01
℃刻みの温度計(−2.00〜0.50℃)を設計した。抵抗が持つ誤差やセンサーである
サーミスタの電流による発熱を克服して、どうやら計測が可能になった。
 二重にしたプラ容器に寒剤をつくり、−15〜−10℃にする。始めは20mLスクリ
ューびんに水を入れてセンサーを差し入れ、寒剤に浸けて温度を計測していくと
    −0.04℃
で凝固した。次に0.2mol/kgブドウ糖水溶液を計測すると
    −0.44℃
つまり凝固点降下は0.40℃になった。これは理論値0.37℃よりすこし大きい。
 この実験はまだ検討中ですが、計測回数は30回を越え、少しずつポイントが見えてき
ているように思えます。

 ほかに、園原さんが紹介した「もどる輪っか」(かってな命名)の材料を提供して、そ
の場で作ってもらいました。

「高校で教わりたかった化学」(福島)
 渡辺著「高校で教わりたかった化学」(日本評論社)を読んで、足下が崩れる思いがい
た。
 たとえば
「熱化学方程式は日本だけにある奇習のひとつ。」
「教科書にこんな『説明』を載せ続けた。
『電解液に電流を通じると、陽イオンは陰極に、陰イオンは陽極に引かれ、それぞれ電子
授受して原子や分子になる。』
 『説明』と図5(省略)の誤りに、読者はもはやお気づきだろう。・・・」

 私(林)もこの本を読んだが、面白い指摘がある一方で、認識の発展段階を無視した記
述が目立つと思いました。電気分解に関しては私もくり返し問題点を指摘してきましたが
(今年の科教協大会の化学分科会でも)、なかなか伝わらないと感じています。他方で熱
化学方程式については、私は彼の主張を納得できません。いずれにしても私たちにとって
大切なのは、興味が湧く彼の主張に対して、みんなで議論して認識を深めることだと考え
ます。
参考:
 電気分解においては、たとえば陰イオンが陽極に飛んでくるような図解がほとんどであ
る。
 しかし液体中ではそのような動きは考えられないし、電場の影響はイオンや分子数個分
の範囲だし、たとえば硫酸ナトリウム水溶液の場合には陽極付近に水酸化物イオンが集め
られて塩基性になってしまう(実際は酸性)。
<以上>



番号 09I-003  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-004  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-005  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-006  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-007  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-008  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-009  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-010  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-011  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-012  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********



番号 09I-013  送信日 09/09/**  差出人 ** **
件名 ***********