番号 09H-001  送信日 09/08/06  差出人 原 弘良
件名 教育は科学だ・芸術だ−その6

「内発的動機づけ」へ転換させる仕掛けと、
   自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程 ーその1
 
 −生徒全員一人ひとりに、
      それぞれの科学しまくる日々を、実現させた「仕掛け」は何か?

   何も秘策が隠されてたわけじゃあ在りませんが、思い当たるは、
火薬ロケットや手製カメラなどなど、起床から就寝まで、時には徹夜しての
科学三昧時間を、無心にのめり込んでいた「少年時代の幸福感」が、
教育実践の「仕掛けづくり」を決断する際、全てに共通していたと、
今なら思い当たります。  「自分が生徒だったら、これでいいか?」と。

 また同僚や仲間が言う、「原さんだから、、、」の非科学的「だから論」に
納得できずに、  なぜかな?と思い当たることは、
  原と同年の多くが、戦中戦後の社会の混乱期・超貧乏時代を生き
延びてきたし、同級生で普通科そして大学進学できたは約200人中
たったの6人(金持ちの子)だった時代の「子どもの育ち盛り」は、生きる
だけにガツガツの大人たちには、「子どもの教育に、手間・暇・金をかける
ゆとり」など、さらさら無かった家庭が、多数だった。
(この時期、私より4〜5年後輩の人たちからは、日本の顕著な経済
復興により、進学率は格段にアップしている。)

 したがって、異年齢の子どもたちが、リーダー格の年長の子を中心に
子ども世界が結束し、集団社会のルールが継承され、子どもの
自治集団として、心豊かな居心地のいい毎日が在ったのです。
これが、「心豊かな居心地のいい授業・学級づくり」ルーツみたいです。

   ある意味、ほったらかしの当時の子ども(原も)にとっては、
何から何まで自分で考え、自分の五体を活用し、必要時間を工夫
して捻出しなきゃあ、何も始まらず何も獲得できず、失敗も成功も
「すべては、自分のした結果である」は、子どもにとっては当たり前。
 この当たり前を生徒にぶっつけると、何よりも生徒自身に内在する
「自発的動機づけの種火」を炎上させるから、事前に「教育しかけ」さえ
チャンとやれば、「自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちに変身」
は、理に適った理念・方法ですから、教師は楽し生徒観察できます。

     乱暴な言い方ですが、原が生徒だったら、
生徒の可能性を信用していない「外発的動機づけ」「競争教育」や
親切ぶった「受験教育」、指導が行き届く「少人数教育」などなど、
      まっぴら、ごめんに、願います!  ってところです。
 一番望むのは、「何から何まで、自分の全力での挑戦チャンスと、
その挑戦結果の挫折経験を友だちと交流し共有する授業、
学びのコミュニケーション・チャンスを、授業づくりで設定して欲しい!
   って、ところです。


1、何を狙ったのか?
  私が出会った高校生の段階では、すでに骨の髄まで、日本の
競争教育による「外発的動機づけ」で、生徒一人ひとりに他律学習習慣が
浸透していた。
  だから、どの生徒にも心地良い「自発・自律学習法」で学ぶ日々ごとに、
「賢くなる自己肯定感」と「友だち命の、学びのコミュニケーション連帯心」を
実感・累積して、社会人に巣立って欲しいと祈っていた私は、
 その実現に、私から生徒への「仕掛け」をしたのです。

2、どんな方法・しかけか?
 生徒にとっては、競争教育による不安いっぱいの「外発的動機づけのベール」
を教師主導により剥ぎ取ることで、生徒一人ひとりの「ヒトの子どもの本性」が
開放されるという事実からスタートできました。
   その剥ぎ取りは、
「友だち・命」を基にしたさまざまの仕掛けを、生徒の事実から学んで創意・
工夫し、授業に還流し評価する「試行錯誤」の繰り返しにより、効果的
教育手法が、生徒たち一人ひとりの「居心地の良さ」を創出・定着しました。

3、競争教育の弊害を「剥ぎ取る核心と方法」は、何か?

      やはり、生徒の事実に教えられ学びました。
 「自己発現する夢!友だち・みんな違って、みんなすばらしいを、知る夢!」
 夢を実現する場が保障された場に存在する自分を実感する日々こそが、
「万国共通の、ヒトの子どものはち切れる笑顔の源なんだ!」という極普通の
あたりまえの真実ですわね。
 こんなあたりまえを、あらためて強烈に信念化させてくれた生徒たちとの出会い
があったのです。
       それは、国家権力により、「就学猶予という人権剥奪」を受けても、
「教科書が欲しいのじゃない! 友だちの心に触れたい!(堀さんの詩)」と、
西は兵庫県・京都府、地元の東海、東は静岡県東部から、傷害のある体を
家族と別れ、寄宿舎生活しながらの「友だち・命の、学校生活を爆発する姿」
に圧倒されました。  新米教師・原の驚きと不思議体験でした。

 なぜに、こんなにはちきれるのか?  上記は、あたりまえの真実だからでした。
定年退職までの36年間、「友だち・命、学びのコミュニケーション実践」は、
教育実践の必須2本柱(1、教える・学ぶに値する内容が、目の前の生徒の
要求と合致する。 2、友だち・命、学びのコミュニケーションによる、生徒の
自己肯定実感の累積)を構築し続けたのでした。


  その結果として、「自発的動機づけ」は、毎年定着するに至りました。
現象的には、「一週間・一ヵ月半で、自発・自律学習の定常軌道態勢」
になります。
科学する喜び・手応えを実感できる「学習ステップアップ過程・システム」で、
学習します。

次回、生徒たちの変容過程 
  ーその2:扉蹴っ飛ばし帰らぬ生徒、何でも「願い書」から始まる学習


番号 09H-002  送信日 09/08/11  差出人 林 正幸
件名 環境勉強会の通信案

こんにちは、林まさです。
 7月26日に開いた「環境問題を勉強する会」の通信案をつくりました。間に科教協埼玉大会とその残務整理などが入り、まとめが遅くなりました。訂正・追加などありましたら、気軽に連絡してください。
 なお次の例会の予定は下のようです。
    10月11日(日) 13:30〜 「林ラボ」
ではまた。

<通信案>
   環境問題通信09−7号

 今回は岩田、多々見、林ひろ、林まさの4名でした。折しも一宮七夕まつりの賑わいの
中での勉強会になりました。

でき過ぎた自然(林ひろ)
 地球は生命誕生の条件が整い過ぎているとも言える。物理定数も、例えば万有引力定数
が1桁大きかったら、現在の宇宙は成り立たないし、生物の大きさも昆虫レベルに留まる。
 このことをどう捉えるか。ひとつは創造主を想定することであり、もうひとつは多様な
宇宙があり、私たちの宇宙はその特別のひとつであると考えることであろう。

 とてつもない問題提起に、多々見さんが語りました。「たとえば、すべての文字を1回
ずつ使った『いろは唄』や意味深淵な般若心経のような文が存在することは、人智の及ば
ない領域に思え、それを越えた存在やその『啓示』を想起させる。私はこの分野にも大き
な関心がある。」
 「科学が何もかも分かっているように振る舞っているわけではない。むしろ未知の領域
の大きさを改めて受け止めている。また科学ですべてが決められるわけでもない。思想・
宗教(あるいは哲学)が人間には必要である。」とは、両林の意見でした。

 環境との関係では、でき過ぎた自然の「でき過ぎ加減」をしっかりと把握しないと、横
着な考えでは人類は取り返しのつかない結果を招いてしまうと言えるのではないでしょう
か。
 林ひろさんは次の本などを紹介してくれました。
シュタイナー「宇宙生物学入門」(シュプリンガー・ジャパン)
セグレ「温度から見た宇宙・物質・生命」(オーム社)

「エコ村」があった!(多々見)
 前回提起した「どっとこむ村構想」によく似た「エコ村」(NPO法人)が、実際に存
在し、活動していることが分かった。
 「あなたのまわりの空気、水、土は健康ですか?
あなたのまわりの草や木、土の中の微生物、昆虫、鳥、動物は元気ですか?
そして、その全体としての生態系は健康ですか?
人を疑うことなく、互いに支え合える、安心して暮らせる社会ですか?
人々の暮らしを豊かで充実したものにするために仕事が役立っていますか?
そして、健全な人間関係の発展と経済の発展は結びついていますか?
未来が現在よりも良くなるという希望を持っていますか?
未来を良くすることを担う喜びを知っていますか?
これらの問に「はい」と答えられる社会が「持続可能な社会」であり、エコ村づくりを通
じて実現しようとしている社会です。(後略)」(ホームページより)

 参加者は土日に農業中心の共同生活をして意見交換をしており、村の数が増えている。

 これを反文明と捉えるのか、生活を見直す視点と捉えるのか。現代社会は「便利」の呪
縛から逃れられない。
 岩田さんの弁「確かに環境問題は価値観の変更無しには解決できないと思う。」 そし
て多々見さんは「人工照明の農業工場なんて、もっての他。『自然に帰れ』だよね。」

「地球の化学像と環境問題」(林まさ)
 北野 康著「地球の化学像と県境問題」(裳華房)を読んだ。著者は名大理水圏研究所
で教授、所長などを歴任し、他方で環境省の地球温暖化問題検討委の委員長として科学者
の役割を果たした。
 地球環境の理解は、その歴史を辿ることで深められる。そしていつか「地球の歴史と環
境」という講座プランをつくってみたい。そんな思いからこの本を読んでみた。さらに田
近著「地球環境46億年の大変動史」(化学同人)も、入手して読むつもりである。
p66〜
現地球の大気・水圏・生物圏の事実上の材料は二次原始大気
 微惑星の衝突で形成された地球の表面は融けて「マグマの海」となり、一次原始大気が
分厚く覆っていた。しかし生成間もない太陽が現在の1000倍の高輝度期を迎え、その
強烈な太陽風が、一次大気を重力圏から宇宙空間に吹き飛ばしてしまった。
 その後マグマの海から脱ガスが起こり、二次原始大気が形成された。そのうち水素やヘ
リウムは分子量が小さいので飛行速度が大きく、逃失してしまった。二次原始大気はかつ
ては還元的と考えられたが、現在では酸化型であるという考えが支持されている。そして
その組成は、現地球上に存在している、なんらかの形で気体になり易い元素の推定量から
求められる。
  水蒸気(H2O)      16300(×1020g)
  二酸化炭素(CO2)     2000
  塩化水素など(HCl)    330
  二酸化硫黄(SO2)       50
  窒素(N2)           45
  酸素(O2)            0
地球表面が冷えて水蒸気は凝縮して海を形成した(40億年前)。そして塩化水素などは
岩石で中和された。二酸化炭素は水に溶け、さらに岩石から溶出したカルシウムイオンと
炭酸カルシウムを形成して沈でんし、大気からほぼ取り除かれた。
p82〜
氷および貝殻化石の安定同位体比や微量・少量元素含有量からの古代大気や古代海水の温
度や化学組成の推定
 安定同位対比とは次のように定義される。
  酸素の場合:δ18O ={(18O/16O資料)/(18O/16O標準) −1}×1000
 降水や氷床コアの氷資料のδ18Oは、気温が低いほどマイナスの方に向かう。
 貝殻化石のCaCO3のδ18Oは、水温が4.3℃上がる毎に1ずつ小さくなる。
 炭酸カルシウムの結晶には方解石形とあられ石形の2種がある。サンゴの炭酸殻はあら
れ石形であり、これに取り込まれたマグネシウム含有量は表面海水温度に正の、ストロン
チウム含有量は負の相関を持つ。
 海水に溶存するBa2+濃度は、海水のアルカリ度と比例関係にある。海水のアルカリ度
は大気中の二酸化炭素がどれくらい溶け込むかに関係する。
p118〜
地球温暖化
 温暖化係数(CO2を1とする)
  CH4  20    N2O  310  O3  1000
  フロン類  約10000  SF6  23900
 寄与率(1992年)
  CO2  63.7%   CH4  19.2   フロン  10.2
  N2O  5.7
 (水蒸気は二酸化炭素の2倍強)
 CO2の季節変動は赤道、さらに南に向かうにつれて小さくなり、南極では見られない。
 氷床資料によると、過去16万年間で気温には10℃、大気のCO2濃度には80ppm
Vもの差があった。氷期と間氷期の出現は、ミランコビッチサイクルに関係していること
は明白である。しかしその太陽熱の変動では、地表の温度の1℃くらいまでの変動しか説
明できない。CO2の変動が注目されるが、気温が上がれば植生の増加が起こり、CO2濃
度は小さくなるはずである。こうして海水からのCO2の放出が注目されている。
p143〜
Missing sink of CO2
      排出               行方
  化石燃料消費  200億トン    大気に残存  130億トン
  森林伐採     70       海洋に吸収   90
  人間の呼吸    18
  火山・温泉     1
    ∴ 70億トンの行方が不明
p148〜
地球上における炭素の分布
      (CO2として ×1020g 1980年)
  大気            0.025
  海水と陸水         1.30
  生物とその遺骸       0.145
  石灰岩        1800
  堆積岩中の有機物    250
  石油・石炭         0.2
 現地球上に存在する石灰岩と有機物を焼くと出てくるCO2を大気に放出させると30気
圧で97%がCO2になり、金星に似てくる。
 現在の大気のCO2は0.03%であるが、仮にこれが取り除かれると水蒸気も水や氷に
なって、地球の気温は−18℃になってしまう。
 CO2が0.06%のなったら温暖化が大変だと心配される。よくぞ地球生物が地球大気
を1気圧下CO20.03%に安定化させてくれたものである。

 二酸化炭素の行方では、どうして人間の呼吸を計算に入れるのか、よく分からない。
<以上>



番号 09H-003  送信日 09/08/15  差出人 原 弘良
件名 教育は科学だ・芸術だ−その7・「敗戦の日」「自律的・授業規律」

 きょう8月15日は、64年前、兵庫県宍粟郡佐用川支流の堤防上
に傾く「農具小屋」にて、父と生き別れの母子4人家族で、「敗戦の日」
をむかえました。命からがら、戦火から逃げ込んだ「私たちの疎開地」です。
 この地は、最近の水害被災地ニュースで連日報道されて、今なお多く
の行方不明者捜索中の、山の斜面にへばりつく限界集落地です。
 まさか、私たち家族の命を、戦火から助けてくださった村の人たちの集落
が、こんな悲惨なニュースで再会するとは、つらい事です。
 私たちよそ者の母子家族に、「農具小屋」を使わせてくださった遠藤さん、
仲良し「よっちゃん」は?とよぎりますが、名簿には無いので、まずはと。
 昨日まで、1日1度は見た、上空を飛ぶ偵察飛行機の爆音は無く、
1945年8月15日「敗戦の日」の宍粟郡は、朝から物音ひとつせず、
ぬけるような青空と山の稜線の緑がまぶしく、下の谷川のせせらぎの音が
かすかに昇ってくるだけの「静寂の朝」が、とても清々しく気持ちよく、
長い間、畑の石垣にもたれて稜線上空の青空に見入っていた記憶が、
毎年「敗戦の日」には、鮮明によみがえって来ます。

 また、これ以降の飢餓の日々、働きづめと科学に夢中の少年時代も、
一緒くたに押し寄せてくるので、「究極の悪である戦争行為への道すじ
に加担した、加担する学校教育、そして教職」を考えるのが、
原の「敗戦の日」の自然の習慣でしたから、そこから、
原なりに踏み外してはならない「教育の鉄則」を自戒してきたのです。
 それは、「たった1度の人生、たったひとつの命、かけがえの無い人間の
尊厳」を、人間全員一人ひとりが固有の宝として絶対持っている。
その「みんな違ってみんないい宝」を互いに掘り起こしあい称え合う教育
仕掛け人として、「科学少年時代の幸福」を、生徒たちが共有・共感
する授業づくりの創作を楽しもうと、
   心新たにしたのが、「原の敗戦の日」の習慣でした。


       さて、では続きを。
自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程 
ーその2:   自律的・授業規律を創る生徒への転換仕掛け?
     扉蹴っ飛ばし帰らぬ生徒も、7ヶ月間ひとり研究クリア!

 バーン と理科室の扉を蹴っ飛ばし飛び出した男子生徒には、高3で
いきなりの「原の授業スタイル」初体験は、彼が拒否する「押し付け教育」
を直感させる、とっさの行動だったろう。 彼は、その時限は、帰らなかった。

 工業高校以来,私が知るドスの利いた「静かな番長」として、久しぶりに
頭角を現し始めた彼は、1学年の3学期頃からだ。その現象は、月1回
の全校集会において、指導部長の訓示が始まった5分後には決まって、
立ち上がり「何をグダグダ言っとる、はよう止めろ!」と、壇上の指導部長を
指差し、大声で叫ぶのだ。間髪入れず、指導部の先生方が彼の両脇を
抱えて退場させる間も、大抵の場合、静かに連行された。 

 「授業の主体者は生徒自身、私は仕掛け人」を旨とする授業づくりを
続け、生徒自身による「自発的・自律授業規律」を、原は重視した。
    具体的には、
 授業では 遅刻者は、下記スタート・ステップ完了後に入室させ、
遅刻者一人ひとりが遅刻事由を全員に説明し、その正否と今後の
改善策を自分自身に対して、考えて約束する「授業儀式」だ。

 なぜなら、遅刻行為は、「友だちの授業集中心を破壊する行為である」
とする原の指摘は、
 生徒たちが共有する「友だち命・賢くなりたい自己の本心」を、常に覚醒し
続けて、「自発的・自律授業規律の継続」の大きな一因であることが、
生徒の行動や、生徒回覧式「授業記録」の記述から知る事実だ。

  授業は、始業チャイム終了と同時に入り口を閉じ、授業開始直後に、
指名生徒の、予習による本時の授業概要の説明を、クラス全員で称え
納得の拍手をする。 (予習教材は、原の「手づくりテキスト」:後ほど)     

  これが、クラス全員で学び合い、みんなで賢くなろうぜ!という     
「学習予定の確認と、内発的学習動機づけ」を図るスタート・ステップだ。
 
かくして、毎年、理科室最初の授業遅刻生徒約10人は、2回目には
ゼロになったのである。パン当番の受付遅刻は公認、職員室呼び出し
は、「授業遅刻したくない」旨を申し出る対策を自分で考え行動する。
 このように、「最初が肝心」なことは、授業規律の確立でもそうだ。

 「自発的・自律授業規律」を習慣化した生徒一人ひとりが創り合う
授業は、それぞれの個性が醸し出す「居心地のいい真剣な学び場」と
なるようです。
 「私もだが、他教科の授業ではある私語が、理科の授業では無い。
不思議だが、周りを見ても、真剣に問題を解いている。」との授業記録
があったりする。

 ただし、「自発的・自律授業規律の継続」の保障は、
以前に記述した授業の必須2本柱が車の両輪として機能してはじめて、
徳目教育の「絵に描いた餅」ではない、「腹が満足する、賢くなる自分を
授業毎に実感する餅」を獲得しますから、実現するのです。
(2本柱: 1、教えるに値する、学ぶに値する、「教材テキスト」と、
        生徒の学力レベル・学習意欲が、常に合致すること。
     2、「友だち命による『学びのコミュニケーション実感』を得て、
      常に自己肯定感と安心感がある「学びの場」であること。)

授業づくりの基盤は、
   教師主導によって、全生徒が共有・共感するところの
 「退学したくて入学するわけない!友だちと学び合い、賢くなった
 自分に成長して、自立した社会人となり、親にも感謝したい!」
に依拠した教育仕掛けで、
  「生徒自身による、自発的・自律授業規律の実現」からの
  スタートが、最重要でした。

次回、  自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程 
  ーその3
     「自発・自律学習習慣生徒への成長要因は、何か?」



番号 09H-004  送信日 09/08/20  差出人 原 弘良
件名 教育は科学だ・芸術だ−その8

 自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程 ーその3
 「自発・自律学習習慣生徒への変革・成長の、必須要因は何だろう?」

   勿論、正解は目の前の生徒にあるのですが、その際、気をつける事は、
 生徒の見せる現象(特に、競争教育による「負の諸現象」)に幻惑され
 ないことが肝要でした。  それは、
  生徒たちの生育歴・教育歴を、教育社会学の視点から少し考察すれば
 明白なのは、「君が、がんばれば、もっと〜」と言う類の「生徒自己責任論」
 指導?歴と、子ども心を分断・孤立させる「順位付け勉強法」という
 「科学する魅力」から引き離されてきた過去が、鮮明にあぶり出されます。

     それら生徒の過去を超克する力は、
  「ヒトの本性:好奇心旺盛・学び好き・友だち命」という「生徒自身が
 もつ本質・本音」に在り、これに基づく「教育しかけ」を、創意・工夫・実践
 する試行錯誤の継続によって、「ヒトの本性」が、授業・学級における
 生徒たち自身の活動にによって、多種多様なそれぞれ固有の人間性の
 交流が徐々に活発となり、「自発・自律的学習習慣が常態の授業」を、
 展開してきた事実に、その証明を確認してきました。

  例えて言えば、人工衛星打ち上げ時に必要な大きな放出エネルギーを、
 物理学的に的確・正確な制御によって、所期の周回軌道を飛行するが
 如くに、   「生徒の本質・本音に基づく教育しかけ」の継続によって、
 授業・学級活動において、「多種多様なそれぞれ固有の人間性の交流が
 徐々に活発となるが故に、自発・自律的行動や学習習慣が常態化する。
  この事実は、ごく当たり前の必然現象だったのです。
  しかし、「自発・自律学習習慣を獲得した生徒と授業する喜び」は
 原の夢であり、夢実現のために為すべき工程が明確になってからは、
 未知の生徒たちとの出会いの新年度へ向けて、ワクワクでした。
  年休行使に励んだ「遊び人の原」であっても、生徒との時間を満喫で
 きました。 だれでも可能な実践です。    将に、「教育は科学だ!」

  その究極の事例が、定年退職前6年間取り組んだ理科実践でした。
 それは、一宮商業高校で相方の先生と二人で協議・創造した
 「高校3年間・独自の理科カリキュラム」によって、全校生徒が学び全員が
 卒業するまでの日々は、「生徒が、自発・自律的に科学しまくる感動」に
 胸が詰まる思いが度々であり、世間で「底辺校」という愚かで浅薄な
 格付けをしている「狂気の競争教育・日本社会の未来」を憂えました。
 (このレポートが、山田さん・成島さんのレポートと一緒に、編著者の
 川勝さん・名城大教授によって刊行本「授業づくりで変える高校の教室
 ・4、理科」明石書店です。インターネット注文可。)

 簡潔にいえば、原が主導する、「1週間・1ヵ月半での学び場づくり」です。
(この期間、生徒の成長を夢見て、細心の教育科学エネルギーを授業・
学級に注げば、その先には、生徒からの「感動プレゼント」でした。)
1、「生徒自身による、自発的・自律授業規律の実現」と同時進行して
2、「全ての生徒一人ひとりの全存在そのまんまが、人格交流し合い
  学び合う累積効果で、「正の学校の優位性」の発動が始まります。
  (自己肯定が保障され、安心できて居心地がいい場だからです。)
    すると、一人ひとりの『内発的動機づけの種火』が、
  友だち命・エネルギーで加速度(的に、例外なく炎上するから、授業に
 おける現象として、生徒の活発な質疑応答・発表の学習活動が始まり
 通常の授業光景に定着します。(同僚の不思議は、ここに在った。)
3、上記の授業光景実現には、当然、以前に記述した
    「授業の必須2本柱が車の両輪」として機能することで、はじめて、
 徳目教育の「絵に描いた餅」ではない、「腹が満足する、賢くなる自分を
 授業毎に実感する餅」を獲得しますから、実現するのです。
 (2本柱: 1、教えるに値する、学ぶに値する、「教材テキスト」と、
        生徒の学力レベル・学習意欲が、常に合致すること。
     2、「友だち命による『学びのコミュニケーション実感』を得て、
      常に自己肯定感と安心感がある「学びの場」であること。)


次回、 なぜ徹底的に原ペースの科学教育実践にこだわったのか?



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