番号 09G-001  送信日 09/07/07  差出人 原 弘良
件名 学校教育は、科学だ・芸術だ−その2

こんにちは。  原です。

なぜ、  学校教育が、科学なのか?芸術なのか?

  「学校教育が、科学であり芸術である。」確信を認識し始めたのは、
原の実践目標である「生徒の自律学習・生活習慣」が定着した授業や
学級の定常化現象からでした。教員になって、約15年が過ぎてました。

 戦火に逃げ惑い家を焼失した果てに、厳寒の山村で母と幼児3人の疎開
生活や、敗戦後のインフレ超貧乏生活での「物売り・新聞少年・欠食児童」
の日々を生き延びた原少年にも、天の采配が下されたのか、小学5年生から
目覚めた「科学する興奮・幸せの時」を、愛知工業高校を卒業し工員生活で
「自分の飯は、自分の働きで食う。あたりまえの大人生活の時。」まで続いた。

 さあ、これから「大人生活を生きる人生だぞ!」と、毎月120時間を超えた
残業も苦にならぬある日の、突然、原に起きた「重傷の労災事故」が、
原の人生を大きく切り拓いてくれた。
 戦時下で、特高警察課長だったと同僚から聞いていた労務課長のひとこと、
「退院したら、すぐ仕事に戻るように。」  病室で仕上げた「事故装置の改良
提案図面」を差し出せば、見ずもせず押し返しながら、「君が、注意すれば
いいことだ。」と、言い放った!瞬間に、「会社と社会の本質」を実感した。

   日頃、繊維工の父が、「会社は、冷たい」とこぼしていたのは、
愛知工業高校の「なよなよ女形の、社会科の先生」が、消え入りそうな
かぼそいお声で、「人間社会が目指している社会、一人ひとりと連帯、社会の
歴史」の授業に、クラス全員がなぜか静かだったのは、
   「いまの社会の本質」だったからなのだ。 

 労務課長が病室を出た直後に、「会社の本質」を深く認識し、
その後2週間の入院の時を、「人間社会の本質的進歩に参加できる職業」
として、「一人ひとりの人間の尊厳を大切にする、理科の先生」にあこがれ、
その実現プランの人生設計図を確定したのでした。
 何よりも、「お互い、たった一度の、たった一つの命を、生きる人生なんだ。」
と、何度も、自分で自分に会話したのでした。

     このときの思索が、「理科の先生」を実現後、
教育実践の必須要素・方法など、「原の教育の仕掛け」として、
目の前の生徒の検証を経ながら、生徒といっしょに科学するを、楽しむうちに
原が目標とする「一人ひとりが自分で考え行動し、その一人ひとりが連帯する
学びや生活が、自己肯定の日々、居心地のいい学校生活」であり、それが
生徒の光景として、「生徒の自律学習・生活習慣が定着した授業や学級」
なんだと思います。  その光景を、不思議がる同僚がいたわけです。

次回、原が考えて実践した「教育実践の必須要素・方法など」を検討します。



番号 09G-002  送信日 09/07/11  差出人 田中 英二
件名 プログラム学習とナイター

おはようございます。田中です。
今、プログラム学習会(3)の構想と埼玉大会のナイターの構想の2本立てで考
えていますが、まずは、プログラム学習会からと思って、案を巡らせています。
今のところの案を書いてみますのでご意見をいただけるとありがたいです。
(1)タイマー前半・・・(1)ストップウォッチの製作
             (2)ドレミファソラシドを出す
(2)シリアル通信・・・大型LED表示とパソコンにデータを送る
(3)EEPROMの使い方・・・読み書き
(4)AD変換・・・AD変換関数の使い方

次回学習会の予定、タイマーの後半
(1)波形のデューティー比変える・・・RCサーボモーターの制御
(2)4つの波形の初期位相を少しずつずらしてモーターを制御する
  ・・・ステッピングモーターの制御
(3)割り込みを使う
(4)その他、構造体、共用体など

次々回はPICのC言語学習会を構想しています。
(1)統合プログラム開発ソフトMPLABv8.15、PIC書込ソフト
PICkit2v2.60、秋月PICkit2準拠書込器の3つを使って、PIC のプ
ログラム開発について、2つくらいの実用的な実験装置のプログラムをつくりな
がら学習する。(pHメーター、発振器など)
それでは、今回はこれで失礼します。



番号 09G-003  送信日 09/07/16  差出人 原 弘良
件名 学校教育は科学だ・芸術だ−その3

こんにちは。   原です。

  本来、「学校教育」は、独立・不可侵の社会機能であるべきです。
その保障は、立法権・行政権・司法権・教育権、この「四権分立」です。
 この理想を意識しつつも、「ほど遠い現実」の学校現場の日々に埋没する
はバカバカしいから、「文句 あっか!」と、原は原なりの筋を仕事しました。

 「生徒一人ひとりの全員が、居心地のいい授業・学級である事が大切だ。
このあたりまえは、何を柱に、どのように準備・展開したら、実現するのかな?」

それは、目の前の生徒の事実に課題を確認し、仕掛ける教材と展開順序を
考え授業し、その結果の正否の検証を、目の前の生徒事実にのみ依拠する。
これを毎年繰り返し、取捨選択・財産化して蓄積し、次年度授業に活用し、
目の前の生徒に還流するを繰り返した、「試行錯誤の継続実践」でした。
 これが原なりの、「教育は、科学である。」 具体的仕事の段取りです。

 それには、2本柱が必須で、車の両輪として、どちらが弱くてもまずいです。
これで、生徒にとって「居心地のいい授業・学級」が、準備完了です。
 1、教えるに値する、学ぶに値する教材精選と、生徒の意欲・学力が合致
   すること。これは、仲間の豊富な実践に学べば、補強できます。
  (人を見て、法を説け。ってこと。教え込み熱心先生の ひとりよがりは
   ダメよ!  って自戒のこと。)
 2、毎日が、生徒にとって居心地のいい授業・学級で、生徒間に「友だち・命」
   による「学びのコミュニケーション実感」による自己肯定感と安心があること。

   (実際、生徒への不満をもらす同僚の多くが、この柱を実現する授業づくり
   において、一時的・線香花火だったり、重要性の認識不足からの力不足
   の実態を、原は感じてきました。
    しかし、生徒は、この柱を実感するにつれて、自発的・自律学習を
   加速して、互いに「学びのコミュニケーション」を楽しみあい、自己肯定感
   の累積によって、生徒は自信を深め、失敗を「謎が謎を生む!」と言いつつ、
   研究に挑戦し続け、楽しむのでした。
   : 伊賀さん指摘の正しさの前提ですが、そのうち実例を詳述予定です。
  
2本柱は、正解でした。36年間の高校生・約7千人、ひとりの「落ちこぼし」が
出ず、最高に楽しい「理科教師生活」を、生徒からプレゼントされました。

<昔の教え子と再会ばなし:やっぱり、地元校勤務は、いいなあ>

 ・  昨年末の寒い日、セルフスタンドで給油中の原に近づく大男あり。
大型バイク、ハーレー・ダビッドソンから降り、黒ヘルを左脇にはさんだ
つなぎの黒革ジャン、すらっと6尺以上のゴマ塩あごひげの初老男が、
顔クシャ満面笑みで、原に近づいてくる。
 何者かいな?と思いきや、「おー、Mやんか!相変わらず、バイク楽しん
どるのお!」「孫とツーリングしてきたばっかや」「ほりゃあ、幸せなコッチャなあ。」

「先生、ちーとも変わっとらんなあ、ワア、懐かしい!」と、
大手ひろげて、ハグしやがった!
(30年以上昔担任した、一宮工高・土建科ヤンチャクレ生徒でうれしかった。)

 ・ 先週、ホームセンターへ、エンジン・チェンソーを探しに出向いた。
アウトドアで、15年来活躍したチェンソーの寿命が尽きたからだ。
長めのチェンソーで、狙い目の物を見つけた。担当者を探すと、先客に工具の
専門的説明をしている担当者を見つけた。「仕事とはいえ、女性ながら、
なかなか専門知識を身に付けとるなあ」と、感心しながら待つこと暫らく。
「このチェンソーをください」と指差す原の顔が、ジーっと見られているに気付き、
「何やろナ?」と思った途端に、キャップ帽・つなぎ作業制服の女性担当者が、
「先生じゃあ、ないですか?18年前、一宮商業高校で、楽しい理科を教えて
もらいました。35歳になりました。先生、あのときのまんまですね!」と、
笑顔いっぱいに、一気にしゃべくる。その笑顔が、高校生に徐々に戻って
きたので、「その笑顔が、だんだん教室と重なってきたわ。懐かしいな。しっかり
仕事してる人やなあと、感心しとったとこや。うれしいな!」「先生、覚えとって
くれたん。めっちゃ、うれしい! 先生の関西弁、なつかしい!うれしい!」
購入したエンジン・チェンソーは、まだ始動していない。

 次回、学校教育の優位性と科学教育「生徒はみんな違うから、いいのだ!」



番号 09G-004  送信日 09/07/19  差出人 伊藤 政夫
件名 Re:加藤です

伊藤政夫です。
裸子から被子への根拠ということで、出てきました。
まずは、化石の証拠から裸子植物が古生代デボン紀あたりで出現して、中生代の大繁栄したと考えられています。被子植物の化石は、中生代の半ば以降です。
教科書的ですが、花のつくりは裸子には子房がなく、胚珠が裸出しています。被子は、胚珠が子房につつまれています。花粉は、被子では子房の先端について花粉管を伸ばしますが、イチョウ、ソテツなどでは、花粉から短い花粉管が伸び、そこで精子が泳ぎ出て受精をします。シダやコケも精子による受精ですから、古いやり方をひきずっていると考えられます。ただ、松や杉は、精子ではありません。あとは、被子の特徴である重複受精があります。胚乳をつくるため の受精を行なうというところがポイントですが、胚乳は、子葉を育てるための大切な部分なので、受精してしっかり成長させるという方向へ進化したのでしょう。
今日は、おそいのでこの辺で。



番号 09G-005  送信日 09/07/23  差出人 原 弘良
件名 学校教育は、科学だ・芸術だ−その4

生徒はみんな違うから、いいのだ!:個性の交響こそ、学校教育なのでしょう」
生徒にとって、学校教育の「正の優位性」と科学教育の可能性は、
                 何処にあるのか?

   同じ制服に身を纏っていても、生徒一人ひとりは、生まれも育ちも異なる、
多種多様な人格存在であり、「かけがえのない人間の尊厳」をもった生徒である。
この当たり前は、日頃の生徒たちとの授業で、学級担任しながらの生徒との会話
で、準備室へフラッと顔見せに来た生徒との世間話の中で、知った「真実」です。
   この「あたりまえの真実:生徒観」に、
   新任から退職までの36年間、こだわり続けた授業づくり・学級づくりをしました。
  
 「多種多様な人格存在である一人ひとりの生徒」であるという認識だけでは、
「子どもを学校教育の主体者たらしめる教育実践」は、始まりませんし不可能です。
  それを実現可能にする要素は、何でしょうか?
 
 「教育は科学です」  この課題解決の鍵は、「生徒の真実・本質」を探究し考察
するしか在り得ない事は、「自明の理」です。

        しかし、厄介なことがあります。それは、
 ヒトという生物は、誕生後の後天的能力獲得の可塑性拡大を保障してきた
「脳の進化」により、人類が獲得した「知の財産」を子孫に継承し技術創造・伝達
など、先達の努力・功績の基礎があって、現在が在ります。
 換言すれば、個人は、「誕生後の環境下で獲得したもの」に洗脳され易い!
のです。  だから、日本の競争教育で中・高・大と、生育歴・家庭経済環境など
順調?に経過してきた教職者には、「きみが、もっとがんばれば成績アップするよ」
と、生徒の自己責任にする同僚たちに、残念ながら出あってきました。
 「退学したくて入学してくる生徒なんて、ただの一人もいるはずない!」のに。
競争教育で、差別・選別されて、「自分が。馬鹿だからだ」と自己否定しながら、
校門をくぐる「心の残酷」を秘めた生徒が、目の前にいるのに。

 意識して、他者に学び、歴史の鏡に自己投影することで、自己の客観視習慣
の行動を継続することで、「洗脳からの脱出」が肝要だと、「遊び人の原」は、自戒
してました。
 それは、原の教職においては、「熱心に教え込む先生であること」よりも、
「自分が、目の前の生徒が好きな先生であるうちは、ピンボケしないだろう」程度
のことでした。

   さて、「多種多様な人格存在である一人ひとりの生徒」という認識と、
「子どもを学校教育の主体者たらしめる教育実践」を直結する「必須の鍵」は、
やっぱり、「目の前の生徒」に、感動的姿で存在したのでした。

次回、多種多様な人格と、「外発的動機づけ」「内発的動機づけ」
     つづき



番号 09G-006  送信日 09/07/23  差出人 林 正幸
件名 アルカリ電池など

[akkn]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお知らせいたします。
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件名:アルカリ電池など

こんばんは、林まさです。
 はじめに7月26日(日)の環境勉強会について、注意を書いておきます。その日は一宮七夕まつりの最終日で、「林ラボ」に車で近づくことはできません(私は住人ですので許されます)。駅付近の駐車場も入れないと思います。つまり徒歩で参加してください。
 さて加藤さんが私の電池プランに触れてくれましたが、そのとき「現在もっとも使われている一次電池のアルカリ電池の実験をしたことがない」と気づきました。そこで今日、次のようにやってみました。
@亜鉛板の表面に3mol/L水酸化カリウム水溶液1mLを塗ってセロハンを被せ、カット綿(半分に割いて薄くしたもの)を載せる。
A50mLビーカーに酸化マンガン(W)1gと黒鉛粉末5gを入れてガラス棒でかき混ぜ、3mol/L水酸化カリウム水溶液13mLを加えてさらにかき混ぜ、カット綿に均等に浸み込ます。
Bステンレス板を被せ(おもりに板を載せ ステンレス板が薄くてやぐいため)、ソーラーモーターにつなぐと、勢いよくまわりつづける(残念ながら豆電球は無理)。電圧は1.46Vで、電流は150mAほど流せる。
 これは6年前に実験した「マンガン乾電池」
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/ne3.htm
の「塩化アンモニウムを含む15%塩化亜鉛水溶液」を上の水酸化カリウム水溶液に代えた形です。なお酸化マンガン(W)は、電解で製造された電池用のものを購入して使っています(通常のものはかなり性能が落ちる)。
 パワーアップするにはたぶん、商品のように粉末亜鉛を使って表面積を拡げる必要があるように思います。
 このような実験をしてみたのは、定時制のための電池プランなら、まず実際に色々な電池をつくって体験してみることだと考えたからです。加藤さん、もし役立ちそうならどうぞご自由に。
 なお私はよくメールを書くのですが、化学実験などに関してはアルケミストの会のメーリングリストに送信しています。それはこのメーリングリストは私が呼びかけたもので、責任があるからです。もし興味がありましたら、それを掲載しているホームページもときには閲覧してみてください。
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/alchemst/alchindx.htm
の中の「4 アルケミスト「メーリングリスト」」です。
 ではまた。



番号 09G-007  送信日 09/07/23  差出人 山岡 世司郎
件名 日食の周囲は夕焼け?

 昨日日食がありました。
 曇りのせいで(?)肉眼でも観察ができ、光球が欠ける様子が観察できました。生徒たちも感動していました。
 今日同僚の先生から次のような質問を受けました。
 テレビで、船での日食観察の様子を見たが、皆既状態のとき水平線が夕焼けのようになっていたが、どうしてか。
 実は私もそのテレビを見ていたのですが、質問されてなるほど不思議だなと、改めて思いました。
 皆既状態の地点では、上空からの光は少なく、ほぼ真っ暗の状態ですね。そこから外れた地点(観察地から見ると円周上の周囲)に来る上空からの光が、薄い空気層といえど散乱します。散乱は波長の短いほうが多いけれど、赤い光も散乱はします。その散乱光が水平方向に進んで、青い光はさらに散乱を続け弱まります。観察地点では、周辺地域でわずかに散乱した赤い光が届くので夕焼けのように見える。
 以上のような説明を思いつきましたが、定量的な議論になっていないのでやや怪しいかもしれません。
 テレビでは確かに夕焼けのように放映されていましたが、カメラの感度をかなり上げた状態で撮影したものと推測します。皆既状態ですから、普通の感度ではほぼ真っ暗になり撮影できないと思うからです。
 皆さんどう思いますか。



番号 09G-008  送信日 09/07/24  差出人 近藤 直門
件名 Re:日食の周囲は夕焼け?

近藤です
日食の皆既帯は160kmくらいの幅しかないので,皆既帯の中心でも80km向こうには太陽の光が漏れてきています.
80km先の地点は水平線には500mくらい上空、300km先でも7kmくらい上空が見えているはずです。この高度は、まだ対流圏内ですから大気の散乱は十分あるので上空は真っ暗でも水平線付近は夕焼けの状態で明るく見えるはずとおもいますが。明るさは、水平線方向に太陽がある夕焼けと違って太陽は上空にあって散乱光だけですから夕焼けよりは暗いと思います.



番号 09G-009  送信日 09/07/24  差出人 近藤 直門
件名 Re:春日井花火でのお願い

昨年は、鈴木さんの提案でいろいろなところで花火を撮ってみましたが、なかなか思ったようにうまくできませんでした。
春日井の花火大会は、我が家の裏の八田川の橋の上から見ると、ちょうど川筋の向こうに落合公園があっていいスポットなのですが、去年はまったくといっていいほど音は聞こえませんでした。周りの音がうるさいというのではなく音自体が非常にかすかに、耳をすまして聞いてやっと聞こえる程度でした。当日の気象状況、とくに垂直方向の気温分布が問題となるとおもいますが、地表が高温で上空が低温なら音はみな上方向に屈折してしまうので、ほとんど聞こえなくなるのでしょうね。
でもこのときかすかに聞こえた音も、花火から直線で伝わってきたのでなく、地表などで反射したりして伝わってきた可能性が高いので、距離も補正がいりますね。また花火の炸裂高度も観察地点までの距離に利いてくるので近くで撮影すれば問題になりますね。この春の中学入試の花火の問題では、クレームがつくのをおそれて「高さによる距離の違いは考えない」との趣旨の訂正をいれました。(実際には数kmの距離になってくれば高さによる距離の違いは十分小さくなるのですが)。
また、連発のとき(クライマックスの連発のようなのでは無理、ある程度間隔をおいて次々にあがるときを利用)は、花火が炸裂するリズムと、音のリズムとを比較して、どの音がどの花火のものかチェックしながら計測してみました。これは動画編集のアプリケーションを利用すればできますが、結構面倒でした。
集音マイクがないので去年はかさをパラポラ代わりにしてやってみたのですがうまくいきませんでした。
今年も、準備はきちんとできないと思うのでうまく取れるかわかりませんが撮影一応予定しておきます。



番号 09G-010  送信日 09/07/25  差出人 林 正幸
件名 電子をどう教えるか

 こんにちは、林まさです。
 加藤さん曰く「電子みたいな 仮想的な物を どうやったら 人間は概念的に受け入れられるか?」
電子は仮想的な物ではありませんが、確かに目には見えません。その電子をどう教えるか。
 私の年令なら、中学で電子や原子構造を教えられて感動した経験を持つ人が多いと思います(単振り子頭脳の文科省の指導要領の下で、現在の中学生はどうでしょうか)。私にとってそれは受け入れにくいものではありませんでした。むしろ個別的知識が整理でき、化学の世界が見えてくる概念でした。
 黒板を使った講義だけでも、それを知ることは大きな力になりました。もし実験から電子が見えてきて、実験でそれが確かめられたら、どんなに良かったかと思います。ここで実験は、別の意味もあります。それは、理科の概念は実験につまり自然に根ざさないとうまく形成されないこと、化学に関心の薄い生徒たちも引き込める可能性があることなどです。そしてモデルも大いに役に立ちます。
 概念は時間をかけて、また積み上げて形成していくものです。しかし他方で持続力が不足している生徒たちを相手にする場合はそれに合わせる工夫が必要になります。電池を教えようとするなら、それに必要な電子の概念は電子のやり取りが中心です。原子構造やイオン生成は最小限にして、そしてイオン化列も外して
  電子を与えやすいものは、 アルミニウム、亜鉛、鉛などの金属と
               水酸化物イオン、硫化物イオンなどの陰イオン
  電子を奪いやすいものは、 銅イオン、水素イオンなどの陽イオンと
               塩素、ヨウ素などの非金属
とします。前者で負極を構成し、後者で正極を構成すると、負極で電子が生成して流れ出し、電子が欠乏した正極に流れ込む、この一点に絞ってはどうでしょうか。もちろん電極間の水溶液の電導性は無視します。そしてこれに相応しい電池の実験をいくつか組み込むのです。もちろんこれだけでは幅広い電池の理解はできませんが、第1段階として意義があるように思えます。
 現場に居ない者が一方的に推測で教案について書くのはまずいかもしれませんが、「たとえば」の話として受け取ってください。
 ではまた。



番号 09G-011  送信日 09/07/26  差出人 鈴木 久
件名 Re:春日井花火でのお願い

 近藤 直門さん   鈴木 久です。
 いつも気にとめてくださりありがとうございます。
7時から、春日井まんてんぼうのとなりのピアゴの屋上で待機していましたが、すごい豪雨でした。そして、7時30分から雨が小やみになり花火大会が始まりました。あれだけの状態でしたので仕方ないと思います。ただ、今回思ったのはビデオ撮影のときの音ひろいです。
たとえば、車の音がするとその音が大きくて花火の音がかき消されます。もちろん、雨の音も同じでした。
内津川からの撮影のとき、途中に車の音が入ると、車の音と花火の音がずれて聞こえていてもビデオには入っていませんでした。
もし、近藤さんが来年も挑戦してもらえるのなら、花火の上がる方向を目で確認してもらい撮影されることをお勧めします。
前回に引き続きお忙しい中本当にありがとうございました。



番号 09G-012  送信日 09/07/26  差出人 近藤 直門
件名 Re:春日井花火でのお願い

近藤です
音ひろいは、パラポラアンテナ型の反射版を使い、焦点のところにマイクを持って来るというのを考えてみましたが、上手いパラポラ型のものがなく、焦点の位置にマイクを置くにもパラポラの真ん中から棒を立てるとか装置も大きくなりそうだし工作も面倒なので、発想を変えてメガフォン型にしました。
劇的な効果はありませんでしたが、何もないよりは多少は周辺のよけいな音を軽減し目標の音が大きくなるような気がしました。
装置が大がかりになると周辺で一緒に花火を見ている人にも迷惑なので、遠くの音をクリアにとるのにうまい方法をご存じの方があれば教えて下さい。野鳥などを撮影されている方はそのような工夫もされていそうですが?



番号 09G-013  送信日 09/07/29  差出人 原 弘良
件名 教育は科学だ・芸術だ−その5:学習動機づけ2種と科学

子どもにとって,学校教育の「正・負の優位性」は、何処にあるのか?
ーことば「科学的」のまやかしを見破る生徒と、科学する授業−

学習動機づけ2種と、それぞれの特徴

1, 内発的動機づけ
  学校教育が、子どもにとって「正の優位性」に機能する動機づけであり、
 生徒の内面から、居心地のいい学習意欲を引き出して持続します。 
   したがって、
 「ヒトの子どもの本性」の内面からの表現を保障して、自己肯定の累積効果
 をもたらすので、自信と持続力が育ち、自他の違いの受容と連帯心を培い、
 自ずと「生徒にとって、居心地のいい場・環境」になるのです。 
     
・特徴
  結果 持続する自発・自律学習習慣を確立した生徒が育ちます。
 必須の仕掛けは、「友だち命」の学び合いシステムの授業を日常化することで
 すが、この「学び合いシステム」保障教育こそが、学校存在の意義だし、
 ヒトの子どもたちに「人間の尊厳、体験の教育。友だち命の授業」となります。
   (教育しかけの詳細は、次回に原の実践例で触れる予定です。)
・「ヒトの子どもの本性:好奇心旺盛、学び大好き、友だち・命」の原点、不断の
 確認は、生徒を「ピンボケ教育の被害者」にしない教育実践に大切でした。
  それは、日本の教育未経験の幼児の観察で容易に確認できるし、何よりも
 毎日の一人ひとりの生徒たちとの触れあいから、教えられ発見できました。
   
2、外発的動機づけ
  学校教育が、多くの子どもにとって「負の優位性」に機能している動機づけ
 であり、多くの子どもたちの「負のストレス源」になっています。
  「OECD学力調査結果」発表のたびに、   文科省大臣が、
 検証根拠なしの「競争教育の強化による学力アップ対策」をぶちかまし、
 日本の教育の大黒柱になっているは、現場教師の骨髄まで実感している
 ところです。
      
・特徴
  成績の中・上位生徒に対しては、短期の外圧的動機づけ効果があるが、
 必然的な差別・選別機能が、一人ひとりの内なる持続力を阻害するから、
 「歪曲した学力観による、優越感・劣等感をいだく人格の歪み」を、子ども
 世界に必然的に発生させて、「居心地の悪い教室・学級」にしている例が、
 多く存在している。     その結果、
  学習意欲減退、不登校、引きこもり、いじめなど、不適応現象例の多くが、
 「外発的動機づけを基にした日本の競争教育が源」となっている。
 その現実は、直近のニュースにもある。
         、「不登校・中退12万人!」
                   (07年度高校、09・7・26朝日新聞)

・ この動機づけは、「ヒトの子どもの本性」の自由な創意・表現を阻害するので、
 一人ひとりの子どもの多くが、自己否定の累積による劣等感と不安を増幅する
 から、自他の違いの受容と連帯に対する不信感や、孤独感と人間不信を深化
 させ、「ひきこもり、不登校」の大きな要因になっている。
・原自身の現職時にも、例外なく上記の各種不適応現象をかかえた担任として、
 新学期をスタートですが、生徒たちに「内発的動機づけへの大転換」が、
 「1週間・1ヶ月半で、定常学習軌道生活が実現できる」多様な仕掛けの
 システム展開で実現するようになり、生徒たちとの学校生活を楽しみました。
   (「ミラー・ニューロン」についての学術的啓蒙書の邦訳本出版と書評が、
 2週間前、朝日・日経の各新聞にそれぞれに紹介されていましたが、その内容が
 原の実践理論と符合するを知り、「おー、これだよ!」と脳科学に裏打ちされてい
 るようで、とてもうれしかった。「ヒト(生徒)の本質」にこだわる大切を再認識。)


   「子どもの本性:好奇心旺盛、学び大好き、友だち命」に対して、
致命的弊害の特徴を持つ「外発的動機づけ」が、日本の教育政策の基として
学校現場を席巻する現実が、フィンランド教育政策と大きく異なるのは、なぜか?
その意味・理由を、「教育社会学」から考察する意味があると考えます。
(大学生時代に、岩波新書「日本の教育と教育政策」宗像 誠也・
東大教授著の明快ぶりに惹かれて関連書を読み漁りました。また、伊勢湾台風
被災児たちのセツルメント活動に名古屋南部の市営どんこ住宅班に参加したり、
児童文化研究会(人形劇どさまわり)で各地の養護施設や老人会の慰問活動、
60年安保で某県連のある上前津交差点でのジグザグ・デモ行進に機動隊が
襲いかかり、警棒と機動隊靴の蹴っ飛ばし攻撃を高裁裏まで逃げた。東京では
大学生・樺 美智子さんが機動隊に殺されたニュースを知った経験等をもちます。
 若いときから、今に至るまで、「高校生が、数年後には、まちがいなく社会人」
の事実の重みは、きょうの授業と社会が直結していることを解明する学問の意義
を痛感し続けてきたのです。)
  
      なぜだろう・どうしてだろう?  は、科学好き!の性でしょう。
    現職中は、一教員に過ぎない原であろうと、
「目の前の生徒一人ひとりに責任の一端を担う現実」を認識する人間として、
時の権力の教育政策の本質から眼をそらし盲従することなく(歴史に学ぶ大切)、
かといって、「生徒の心が満たされない『絵に描いた餅』ではなく、
目の前の生徒一人ひとりの全員が、きょう一日、この1コマ授業で、
「友だちがスゴイ!自分も賢くなってる!を体感する授業づくり・学級づくり」に
自分なりに集中しました。
       やはり、キーポイントは、
 「子どもの本性」に依拠した、多様な仕掛けに呼応した「内発的動機づけ」に
在ることを、全員の生徒たちが「自発・自律学習習慣授業光景」によって、
検証しました。
  その光景は、「百花繚乱の人間のすばらしさ」でもって、ガン生還後の毎日を
夢世界にしてくれた、一人ひとりの生徒と、友だち命の学びの連帯でした。

次回、「内発的動機づけ」へ転換させる仕掛けと、
         自発・自律学習習慣を獲得する生徒たちの変容過程