番号 09C-001 送信日 09/03/05 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の理科授業−その68:原の自戒(2)。生徒のスカート・人権問題
原です. 自戒(2)。そして、女子生徒スカート・人権問題
50年以上厚誼ある、行きつけの喫茶店で、創刊以来愛読の
クルマ雑誌「NAVI」をペラペラめくり寛いでいると、
入って来るや,「先生、先生」と話し合う4〜5人グループの声が、
傍若無人に飛び交い始めたその卓に、客の視線がスッと流れた。
ゲンナリして、原は、喫茶店を出る。
「先生と、言われるほどの、、、」と、巷の俚諺もわきまえぬ輩が、
公衆の場でのテイタラクは、 わが身の如く恥ずかしく、
この輩を、先生と信じているヒトの子ども:児童・生徒を、連想しちゃう。
教育プロの教員として、必須の基底資質は、
「多種多様な一人ひとりに、『人間の尊厳の不可侵性』がある。」
との人間価値観をもち、それを、目の前の児童・生徒の事実から認識
する能力と、この生徒観に自身の実践を照合して、自己評価する
姿勢が大切と、「自戒」を続けました。
それ故、「狂気の競争教育の、児童・生徒への深刻な犯罪」と、
自分自身の全実践との関係性に対する考察、そして、実践行動は、
校務・教科・学級を問わず教職の仕事であり、その結果は、実践に
還流され、生徒から直接反応となって現れるから、実践の自己評価は
容易だし、実践の改良・工夫の取り組みポイントも明確でした。
「思う思うは、誰でも思う。 今、やらなきゃ、 いつやるじゃ!」
これは、授業記録にみる「生徒お気に入りことば、ダントツ1位!」でしたが、
同時に、生徒たちが記録してくれた、原の「自戒の念」でした。
最終校実践は、「女子生徒スカート・人権問題」からの、スタートでした。
最終勤務校は、地元の伝統校・一宮商業高校を、指定しました。
90年4月〜2000年3月退職まで、希望通りの転任校であり、
「のんびり、ゆったり、生徒たちと、科学三昧する理科授業の夢」を抱き、
教職を去る最後の10年間として、選んだ職場でしたが、、。 ドッコイ!
始業式次第・「転入職員紹介」に先立つ準備の進行を待っていたら、
体育館内に生徒整列完了と同時に、「服装検査」が、一斉に始まった。
一列縦列の各クラスの前から後ろに向かう、「物差し」片手に腰を屈めて
移動する先生らしき人物の群れに、原は、わが目を疑り、体育館内を
見回しました。 しかし、平穏なもんです。 順番は、原のあいさつ。
「楽しくなきゃあ、学校じゃあない。 と、わしは、思っとる!
みなさんとは、理科の授業で、出会えます。 よろしく、たのむよ!」
この挨拶に、一瞬ざわざわと、顔を見合す生徒たちが、壇上から見えた。
紹介式後、今は指導部リーダー格・旧知のF先生に、声をかけた。
「やあ、20年ぶりやなあ。元気そうや。ほんで、何で物差しもって検査やねん?」
「お久しぶりです。新卒のときは、お世話になりました。物差しを使用するのは、
先生によって服装検査結果に、不公平が出ないようにと、職員会議で
議決してやっています。一部の先生からの反対もあったのですが、生徒からも
検査に甘い先生きつい先生がいて不公平との声もあり、不公平の無いように、
スカート丈・床上の高さを協議し、統一したのです。」
「生徒の背丈は、高いの低いのおるのに、床上何センチ丈に揃える指導なんて、
わしゃ、ケッタイやなあ!と、思うぜ、Fさん。これから、よろしゅうな。」と、別れた。
(補足:一部の先生とは? 組合加入の先生を指す場合が多い。
私が勤務した県立高校の場合、愛高教組加入教員の組織率は2〜3割
であり、職場では少数派。だが、職員会議で、生徒本位の教育論議を
先導するのは、組合先生であり、どの職場でも、共通した傾向だった。)
この日、校長さんと原は、同期の転入職員・同年齢だった。
始業式後、その足で校長室を訪ねた。彼が栄転するまでに、幾度もあった
「教育談義」のスタートになった。
「ああ、原先生。よく来てくれました。」 応接椅子に腰をおろして互いに、
同期・同年齢、そして何より奇遇の「工業高校から大学進学」の共通話
から、一挙に互いの親密度が増した。
「原先生、私は、生徒のためになる学校にしたいのです。協力してください。
一緒に、いい学校にしましょう。」と、一生懸命に話しかけてくださる校長に、
「そうなんです。私も、全く同感です。生徒のためにこその学校ですよ。ところで、
校長先生。あの式のときに、私は『変だぞ、まちがっとる!』と思ったことが
あったのですが、何か気付かれませんでしたか?」「静かで、整然としたいい式
で、先生方のご指導が行き届いていると、感心しました。」「そうですね、私も
生徒の質の良さを、同時に、感じましたよ。楽しみです。 実は、式が始まる
直前の整列時に、屈みながら物差しを当てて、女子スカート丈を一斉チェック
し始めたのですが、お気付きじゃあ無かったですか?」「そうですか。舞台袖で、
教頭先生と、打ち合わせしていた時ですね。変な指導ですね、原先生。」
「高校生は、多感で傷つきやすい時期ですよ。女子生徒は、声を上げること
ができないだけで、一人ひとりは羞恥心でいっぱいだと思いますよ。 また、
わが娘が、指導と称して、学校でそんな恥ずかしい思いをしていると知った
親さんの心を想像するだに、 原は恥ずかしく、ムカムカします!」
「これは、いけません。止めるようにします。」
この「生徒の人権侵害教育指導」は、すぐに校長主導により、運営協議会、
職員会議を経て、定例の全校集会・5月からは、廃止されました。
当時の愛知県立学校では、職員会議が管理職の意向を補強・裏打ち
するだけの御用機関「諮問会議」として、実質は「某任意団体」が牛耳る
実態にありました。
そんな実態を知る原は、戦後民主主義教育の推進において、多大な
貢献を果たした「職員会議の多数決による決定方式」が残存する
教職最後の職場に驚き、かつ、「期待と喜びと夢」を持っての、始業式でした。
結局は、どの職場でも、同じことを学び実感してきたことですが、
「教育仕事は、人間仕事であること」であり、 「隗より始める大切」と、
「教育仕事は、目の前のヒトの子ども:生徒の、『人間の尊厳』に拘る仕事」
に徹する行動・信念により、立場を超えた「生徒本位の、教育の輪」が
拡大する可能性を再確認した、最終職場のスタートになりました。
次回:「残り秒読み・ガン生還力の爆発」と、最後の理科教育システムへの挑戦!
番号 09C-002 送信日 09/03/07 差出人 林 正幸
件名 MOLの会通信
こんにちは、林まさです。
3月1日に開いたMOLの会の通信案です。訂正・追加などありましたら、早めに知らせてください。
ちなみに次回は次のようです。
6月7日(日) 13:00〜 市立北高校化学室
そして岡田さん、塩化水素の噴水にはディスポーザブル・チップは使っていなかったですよね(そこまで確認しなかったのでごめんなさい)。そしてイソジンを使った電池などを後日に試してその結果を追記していますので、参考にしてください。
ではまた。
<通信案>
09.3
事務局 林 正幸
MOLの会通信09−3号
今回は浅野、岡田、田中、林まさ、福島、船橋、堀の7名が参加しました。
船橋さんが ”Self-Programable Message Mini Fan”を販売(800円)しました。こ
れはファンを回すと入力しておいたメッセージが円周に電光表示されるというもので、現
在のエレクトロニクス技術を象徴しています。
なお今回はEHCのサークル通信のようにもなりました。
浮き浮き実験器など(船橋)
「電気をつくり、つかう」ことや「エネルギー変換」を体験する小学生向けの工作「浮
き浮き実験器」が紹介されていたので、それを試作してみた。プロペラを付けた直流モー
ター(3V用)を手回し発電機で回して筒を通して上向きに風を送り、小さい皿や紙風船
を浮かせる。実際には皿の形も重要で、風船は小さくて軽いものしか浮かせられない。
石川さんが愛知物理サークルで紹介した「小型梵鐘(?)」も製作してみた。焼きなま
しした(キュリー温度以上に加熱し軟鉄にして磁化されやすくする)コーヒー缶を堅い木
枠に吊り下げるように固定し、下に円形のフェライト磁石を置く。そのすき間に8の字コ
イルを2つ重ねたようにクローバー型のコイル(10回巻き)をセットし、これをアンプ
に通してスピーカー(10W)につなぐ。この梵鐘を「つく」(音叉用のハンマーでたた
く)と、見かけとちがって厳かな音色が響きました。
円筒状の物体はさまざまなモードで振動するが、このコイルはもっとも単純な、前後・
左右が交互に伸び縮みするモードを主にピックアップするためと考えられる。そして面白
いことにうなりも聞こえる。
コイルをこの形に巻くのに苦労した。またプリアンプ、アンプ付きの10Wのスピーカ
ーは汎用性があるので、EHCで製作する準備もしている。
電気容量計(船橋、田中)
船橋さんは、EHCで製作したH8マイコンを搭載した汎用計測制御システム(UMC
S)を使って、電気容量計を製作した。原理は充電時間が容量に正比例することを利用し
ているが、20回の計測を平均しては表示するようにプログラムを工夫したりして、ピコ
ファラッド(pF)レベルがほぼ安定に計測できるようになった。
これを使って平板コンデンサーの容量変化を計測してみた。机に1枚のアルミ板を置き、
3mmのアクリルの枠を貼り付けたすこし大きいもう1枚のアルミ板をスライドさせる。
実は机との容量や浮遊容量で苦労している。今回の計測では、アルミ板が重なっていない
ときの容量をブランクとして差し引けば、容量と対抗面積はほぼ正比例することが確認で
きました。
なお計測結果は付属の大型表示器で、教室などの生徒たちに見せられるようになってい
る。そしてこの容量計はEHCで5月に製作講習する予定である。
関連して田中さんは、ピックマイコンを使って単品の容量計を製作した。これも本格的
なメーターに負けない精度です。
また彼はpHセンサー(3000円)を入手して、pHメーターも製作する勢いです。
これが成功すると、化学にも恩恵があると思われます。
フェノール類の実験(福島)
液状フェノール(11%の水を含み、液体だから扱いやすい)を使った次の実験をした。
試薬は酸化され、褐色になっている。
@2mLに臭素水(1%、市販品)を、色が消えるまで滴下すると、白色沈でんができた。
これはベンゼン環の水素が臭素で置換されて、2,4,6−トリブロモフェノールが生成
する。
C6H5OH + 3Br2 ―→ C6H2Br3OH + 3HBr
フェノールの酸素にある非共有電子対が共鳴により、オルトとパラの炭素の電子密度を高
め、臭素陽イオン Br+ がここを攻撃しやすいためである。
A1mLに水2mLを加えて振っても溶けなかった(溶け切らない)。
これに1mol/L水酸化ナトリウム5mLを加えて振ると溶解した。これはフェノール
が中和して塩になり水に溶けやすくなるためである。
C6H5OH + NaOH ―→ C6H5ONa + H2O
さらに2mol/L塩酸3mLを加えると、油状物質が分離した。
C6H5ONa + HCl ―→ C6H5OH + NaCl
これは弱酸であるフェノールの塩に強酸が作用して、フェノールが追い出されるためであ
る。
B液状フェノールおよびo−クレゾールを十分な水に溶かし、0.1mol/L塩化鉄(V)
水溶液を滴下すると、紫色になった(フェノール類の検出)。
これは酸化されやすいフェノール類を鉄(V)イオンで酸化して発色させるものである。
くわしい反応は分からないが、共役系(二重結合と単結合のくり返し)が伸びるのであろ
う。
生徒たちはフェノールの臭いが嫌いで、あまり評判はよくなかった。
ちなみにクレゾール3種のうち、常温で液体なのはメタ(融点12℃)だけで、他は固
体である。またクレゾールセッケンは、カリセッケン(脂肪酸のカリウム塩)にクレゾー
ルを加えた消毒薬である。
アニリンの実験(岡田)
アニリンの合成
試験管にエタノール2mL、ニトロベンゼン1滴、硫酸鉄(U)小さじ1杯、ビタミンC
小さじ1杯を入れ、かき混ぜながら80℃ほどの湯に5分浸ける。
これでアニリンが生成するはずだが、船橋さんや福島さんからさらし粉の上澄み液を加
えても赤紫色(アニリンの検出)にならないと連絡があった。そこであえて白濁液を加え
てみるとすこし紫色になった。
この方法はニトロベンゼンをスズと塩酸で還元するより取り組みやすいが、もうすこし
検討してみたい。
この反応は鉄(U)イオンが触媒になり、ビタミンCが水素を与えている。
C6H5NO2 + 3H6H8O6 ―→ C6H5NH2 + 3H6H6O6 + 2H2O
ビタミンC
ちなみに芳香族アミンもフェノール類と同様に酸化されやすく、古くなったアニリンは
褐色になる。
アセトアニリド
100mLビーカーに水50mLをとり、アニリン0.5mLを入れ、無水酢酸1mLを
加えてよくかき混ぜると、白色沈でんができた。これは次の反応で生成するアセトアニリ
ドである。
C6H5NH22 + (CH3CO)2O ―→ C6H5NHCOCH3 + CH3COOH
アセトアニリドはかつて解熱剤として利用されたが、現在はアセトアミノフェノン
CH3CONH−C6H4OH に代わっている。またもうひとつの解熱剤であるアスピリン
は、最近は坑血栓剤としても利用されている。
塩化水素噴水(岡田)
安房科学塾で米山さんが報告したアンモニアの噴水に感動して、同じようにして塩化水
素の噴水にも取り組んでみた。
ゴムせんに2つの穴を開け、一方に先がとがった噴水用のガラス管を通し、他方にゴム
チューブを経てポリ袋につながったガラス管を差し込み、500mL丸底フラスコにはめ
る。下方置換になるようにフラスコを固定し、太い試験管で塩化ナトリウムに濃硫酸を加
えて塩化水素を発生させ
NaCl + H2SO4 ―→ NaHSO4 + HCl
12g 11mL 4.5L(計算値)
ゴムチューブでフラスコに導く。このときポリ袋の膨らみから置換状況が把握できる。
ポリ袋につながったガラス管を外して試験管のゴムチューブにつなぐ。フラスコを倒立
してガラス管をメチルオレンジを加えた水に入れ、ピペットを差し込んで水を噴射すると、
見事に噴水が上がって水がオレンジ色に変わりました。
ガラス管を通したゴムせんを使うと、ポリ袋はビニタイで縛って簡単に準備でき、これ
は色々な気体の一時保管にも利用できます。
エネループなど(岡田)
エネループという名の2次電池を利用したかいろを、教材として購入した。ひとつはニ
ッケル水素電池(1.2V)が、もうひとつはリチウムイオン電池(3.7V)が組み込ま
れ、500回ほど充電して使用できる。
前者では、吸蔵合金の水素が電子を与え
H2 + 2OH^- ―→ 2H2O + 2e^-
水酸化酸化ニッケル(V)と水が電子を奪う。
e^- + + NiOOH +H2O ―→ Ni(OH)2 + OH^-
これは安全性が確認され、ハイブリッドカーにも利用されてきた。
後者では、黒鉛の層間にドープされたリチウムイオンが脱ドープして電子を与え
C(Li^+ ,e^- )―→ C + Li^+ + e^-
黒鉛(ドープ状態) 黒鉛
酸化コバルト(W)がリチウムイオンをドープして電子を奪う。
e^- + Li^+ + CoO2 ―→ CoO2(Li^+ ,e^- )
酸化コバルト(W) 酸化コバルト(W)(ドープ状態)
軽量であることを活かし、携帯電話やパソコンに組み込まれている。
ちなみにリチウムを負極に使う2次電池は、充電のときに復活するリチウムが針状結晶
になって伸び、ショートしてしまうため実現できず、代わりにリチウムイオン電池が工夫
されたそうです。
リチウムイオン電池は発火事故が問題になっていますが、船橋さんは携帯の電池が異常
に膨らんで取り替えてもらったことがあったそうです。
話は変わりますが、ダイススタッキングが気に入った岡田さん、さいころキャラメルと
ナビスコのチップスターの筒を使うことを思い付き、4個積みまで成功させました。
新しい電池3題(林まさ)
先進科学塾で「電池のしくみを徹底解明!」という講座を開くため、電池にこだわって
います。濃淡電池は実験できるようになりましたが、今回は別の新しい電池を紹介しまし
た。
(a)非金属だけの電池
炭素板にクッキングペーパーを載せ、10%硫化ナトリウム水溶液を浸み込ませ、セロ
ハンを被せる。さらにクッキングペーパーを載せて2%ヨウ化カリウム水溶液を浸み込ま
せ、粉末にしたヨウ素を振りかけてもう1枚の炭素板を被せる。
これでソーラーモーターが回り、同時に豆電球を点けることができた。電圧は1.06V
であった。ちなみに始めは前回紹介した「寒天塩橋」を使ったが、セロハンに代えても何
ら問題がなかった。
反応式は次のようである。
負極 S^2- ―→ S + 2e^-
正極 2e^- + I2 ―→ 2I^-
要するに電子を与えるのは、金属だけでなく陰イオンもその候補者である。同様に電子を
奪うのは、陽イオンだけでなく非金属もそうである。だから非金属だけでも電池はつくれ
る。硫化物イオンはヨウ化物イオンより電子を与えやすい(間違いを恐れなければ、イオ
ン化傾向が大きい。)
付け加えると、生成する硫黄は硫化ナトリウムと多硫化物をつくるので、固体として析
出することはない。
Na2S + xS ―→ Na2S(x+1)
またヨウ素は一部がヨウ化物イオンと反応して一時的に三ヨウ化物イオンになって広がる。
I2 + KI ―→ KI3
ヨウ素・ヨウ化カリウム水溶液ではどうかという意見があったので、後日で調べてみる
と、パワーは充分ですが長持ちしないことが分かりました。たぶん三ヨウ化物イオンがセ
ロハンのそばにあって硫化物イオンと直接反応して消耗していくのではないでしょうか。
ちなみにヨウ化カリウム水溶液を食塩水にしてヨウ素を振りかけると、パワーがすこし
落ちました(長持ちはする)。
イソジンをクッキングペーパーに浸み込ませると、パワー不足になりした。これはイソ
ジンの電導性が小さいためと考えられます。そしてペーパーには食塩水を浸み込ませ、ヨ
ウ素の代わりにイソジンをかけると、ソーラーモーターが回るくらいのパワーは得られま
した。
(b)鉄電池
炭素板にクッキングペーパーを載せ、5%塩化鉄(V)水溶液を浸み込ませ、セロハンを
被せる。さらにクッキングペーパーを載せて2%硫酸鉄(U)水溶液を浸み込ませて鉄板を
被せる。
これもソーラーモーターが回り、同時に豆電球を点けることができた。電圧は1.04V
であった。ちなみに硫酸鉄(U)水溶液は食塩水に代えてもよいです(どうせ鉄(U)イオン
は反応しないと考えて)。
反応式は次のようである。
負極 Fe ―→ Fe^2+ + 2e^-
正極 e^- + Fe^3+ ―→ Fe^2+
いわゆるイオン化傾向で出てくる鉄は鉄(U)イオンができる場合の反応で、このイオンが
鉄(V)イオンになる
Fe^2+ ―→ Fe^3+ + e^-
「イオン化傾向」はかなり小さいため、反応するのは鉄と鉄イオンだけという電池が可能
になる。ちなみにこれは銅のイオン化傾向より小さいので、次の反応によりエッチングが
できる。
Cu + 2Fe^3+ ―→ Cu^2+ + 2Fe^2+
なお私は電池の概念を「負極で電子を与える反応が、正極で電子を奪う反応が起こるし
くみ」として展開しています。イオン化傾向はそこに留めず、「電子を与える・奪う」と
いうことに注目させていきます。
また酸化還元電位が話題になりました。これは関係物質が標準濃度にあり反応が平衡状
態(電流が流れていない)にあるときの起電力で、ダニエル電池は電流をわずかにすれば
この条件を満たします。しかしボルタの電池のような場合は電圧は速度論的に決定され、
1.1Vという電圧が亜鉛と銅の酸化還元電位の差に一致しているのは単なる偶然です。
(c)電極がナトリウムの電池
非水極性溶媒のテトラヒドロフラン C4H8O 5mLに過塩素酸銅 Cu(ClO4)2
0.5gを、同じ溶媒8mLに過塩素酸ナトリウム NaClO4 0.4gを加えて、それぞ
れ加熱溶解する。
銅板にクッキングペーパー(4×8cm)2枚を載せ、前者を浸み込ませる。シャーレ
にクッキングペーパー3枚を置いて後者を浸み込ませておき、前のペーパーに重ねる。そ
してナトリウムの角柱を置き、テスターで電圧や電流を調べ、ナトリウムを動かして大き
い電流(20mA以上)が得られたら、その状態でソーラーモーターにつなぐと、よく回
った。
反応式は次のようである。
負極 Na ―→ Na^+ + e^-
正極 2e^- + Cu^2+ ―→ Cu
ナトリウムは水が厳禁であるが、正極側溶液の過塩素酸銅は六水和物でここにはすこし水
が含まれる。
なおモーターがすぐに回り始めない理由は現時点ではよく分からない。過塩素酸塩やテ
トラヒドロフランが別の反応をしているかもしれません。
ナトリウムを負極に使う2次電池が開発されており、業務用にNAS電池として利用さ
れ始めている。
時計反応の廃液処理(堀)
一昨年に「化学の祭典」で取り上げた時計反応(通信07−9を参照)を授業でも使っ
てみた。その廃液処理において、そのままチオ硫酸ナトリウムを加えるとしばらくしてま
たヨウ素による発色が起こる。炭酸ナトリウム(あるいは水酸化ナトリウム)を加えて塩
基性にしておいてチオ硫酸ナトリウムを加えるとそういうことは起きない。
これは時計反応の成り立ちに係わっている。反応は次の2つである。
2I^- + H2O2 + 2H^+ ―→ I2 + 2H2O (1)
I2 + 2S2O32- ―→ 2I^- + S4O62- (2)
反応(1)に比べて(2)が圧倒的に速いため、チオ硫酸イオンが反応して無くなるまで
は、デンプンと発色反応するほどのヨウ素は生成しない。そして反応(1)が一定の速度
で進むために、過酸化水素の物質量はチオ硫酸イオンの33倍になっている。つまりチオ
硫酸イオンが無くなった時点で、反応式の係数も考慮して、過酸化水素は1/66しか減
少せず、濃度は一定であったと見なせる。過酸化水素を2倍、3倍と薄めて反応させても
1/33あるいは1/22しか減少しない。これなら過酸化水素の濃度に比例してそれぞ
れ一定の速度で反応が進む。つまり過酸化水素が圧倒的に過剰に加えられている。またヨ
ウ化カリウムもチオ硫酸イオンの物質量の10倍が使われている(反応速度が小さくなり
過ぎないためであろう)。こうして発色時点ではまだ大量の反応物質が残っている。
ところで反応(1)には水素イオンも関係している(これは緩衝作用で濃度が一定に保
たれる)。これを発色間もない内に中和してつぶしてしまえば、反応はストップしてヨウ
素はもう生成しない。こうしておけば格段に少ない量のチオ硫酸ナトリウムで廃液処理が
できるわけである。
なおそのままチオ硫酸ナトリウムで処理した場合に、発色が水面のビーカー器壁に接し
た部分から始まった。これはチオ硫酸ナトリウムの結晶が底中央に沈んでいて少しずつ溶
け出しているためと考えられます。
<以上>
番号 09C-003 送信日 09/03/09 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の理科授業−その69:残り秒読み。ガン生還力の爆発
原です。
残り秒読み・ガン生還力の爆発:最後の理科カリキュラムへの挑戦!へ
最終勤務校・一宮商業高校での、2年目・7月、一学期最後の授業は、
「別れを告げる授業」となりました。
しゃくり泣き、教卓を囲む生徒たちに、
「生きとるうちは、死なせん! なんぼ『ガン』でも、いま、死ぬことは無いよ。
原を、思い出すことあったら、友だちとの様子を手紙くれ。元気出るよ。」
「当院では、手術できないので、市民病院を紹介しますから。お大事に。」
と、学校医で「耳鼻咽喉科・院長」の話は、7月はじめ。
翌日、紹介状提出の市民病院・耳鼻咽喉科で、鼻腔最奥部分の
組織(肉塊)摘出(麻酔なし)は、脳天を突き破る激痛、病理検査へ。
翌日、耳鼻科医師は、「血液内科へ行ってください。」とだけ、告げた。
「なぜ、詳しい説明が無いのか?」と、いぶかりつつも、
CT検査機のベッド横に立ち、「点滴造影剤注入による、全身造影検査」
の準備完了を待った。CT検査機器の作動音だけの、ガランとした部屋。
好奇心で、点滴薬剤名を確認したら、 「放射性同位体」にビックリ!
すぐに閃いたのは、生物授業で説明した「根端細胞、成長点における
活発な細胞分裂写真であり、その際に使用されるトレーサーとしての
放射性同位体」でした。 「活発な無限細胞分裂は、『ガン』だぜ!」
「俺は、ガンなんだ。 どんだけ通院治療しても増大した痛みは、
『ガン』だったからだ。」 と納得して、覚悟を決めた。
三日後、血液内科・医師が、CT検査フィルム・頭部の「白い影」を
なぞりながら、「入院していただいて、明日から治療を、、、」
「先生、これは、ガンですね。」 しばしの沈黙の後、 「そうです。」と、医師。
「ありがとうございます。 私は、愛知県ガンセンターで治療したいと思います。」
そのまま、病院から学校長に事情を伝え、後任人事手配を依頼した。
2学期からの授業に、1時間でも穴をあけたくなかったから。
そして、一週間後に、「別れの授業」をしたのです。
在職中の5年間だけ「化学B」を担当し、看護学校進学向けの補習授業
に、毎年4名前後が熱心に参加した。津島北高校・普通科生徒のAさんは
完璧な自律学習をする生徒だった。
看護学校を卒業後、愛知県ガンセンターに就職後も、「原先生は、
二番目のお父さんですから。」と、近況報告電話をしてくれていた。
Aさんに、電話した。「わかりました。大至急手配しますから、先生は何も
心配せずに連絡を待ってください。」
2週間後の8月、ガンセンター玄関で待つ妻と私を迎え入れてくれ、
入院手続きから、主治医の紹介、病室ベッドまでの案内、ただ付いて
歩いていくだけでよかった。 助かった。 闘病心が湧いた。
8月入院、翌年2月退院の足掛け6ヶ月は、言葉に尽くせない「人生の深淵」
を体験させてくれた 「ガン様」であり、 深い思索の機会となりました。
その間に、私の6人部屋の患者は、まるっと三回り・約20人から入れ替わり、
自宅へ生還できたは、原と高校生の、二人のみでした。七階の病室から
西方に霞み立つビル街を眺めながら、お互いに「生きて娑婆に戻れば、これ
以上の仕事は無いよな」と、 励ましあった仲間でしたが、、、。
「放射線照射治療」で耳鼻咽頭内部は焼けただれ、生涯の後遺症となり
ました。粘膜組織の絨毛細胞が、永久死滅(根幹細胞壊滅)により、
冬から春の「乾燥時期」は、突然の鼻出血を惹き起こし易いから、常時の
「加湿マスク」着用と「止血用綿玉」の携行が、死ぬまで続く、原の対応術です。
化学療法とかの「抗がん剤・点滴治療」とは名ばかりの、「無差別細胞殺し」
事実を、全身脱毛・七転八倒の底なし全身脱力感をのたうち、実感した。
私の「ガン」は、リンパT型であり、「CHOP療法」に同意し実行しました。
この化学療法の薬効は、「細胞核分裂時の糸状体形成を阻害する」ことで、
ガン細胞の分裂・増殖阻止に、著効があるが副作用も激しい、との説明
を受けたが、「生き延びてこそ、何ぼじゃ!」ですから、 覚悟しました。
「私の『がん細胞』を見たい!」 病院スタッフは、「初めての患者!」
と驚きながらも手配してくださり、入院二ヶ月後に実現しました。
静まり返る広大な病理研究室で、パジャマ姿の原を待つのは、温厚肌の
白衣の学者でした。「よく来てくださいました。この部屋に患者さんが来られた
のは初めてです。では、、、」と、25分間にも及んだ対面式顕微鏡をはさんで
世界で著名な病理学者・須知先生のレクチャ−を受けたのです。
将に、「百聞は、一見に如かず!」であり、自分の『ガン細胞の異型核』が
視野のアチコチに在るを見て、「これが、ガンか!」。入院の最大収穫でした。
(主治医から、「私たち医者にも、須知先生の個人レクチャーのチャンスは、
望んでも無いのですよ。よかったですね。」と言われた。)
すべての疑問について質問をし、説明を受け、理解・納得しつつ同意・選択
しての治療生活は、 妻の付き添いと、生徒からの「底抜け愉快手紙」に
励まされながら、 生きながらえるための、 覚悟の日々でした。
その詳細な記録は、4冊のノートになり、手許にある。
ただ息をして生き延びる時間を引き延ばし続ける毎日の中にも、
「楽しみな時刻」がありました。午前10時頃です。小牧空港への離発着
コース下に病棟があるから、 双発ターボプロップ機「ボンバルデイ」の
色鮮やかな機体にワクワクして、写真に撮り続け、百枚近くあります。
退院後の春の日に、弁当・コーヒー水筒持参で滑走路直下の道路上
にワゴン車を駐車して、一日中、飛行機を仰いでいました。
「ありがとう!」と。
「教え子との縁」で実現した病院のインフォームドコンセントは、完璧でした。
<復職>
駐車場に降り立てば、懐かしい「生徒たちの、さんざめき」が、全身を
包みこみ、「俺は、生きて生徒たちの許へ、戻ってきたんだ!」と、幸せに
ドップリ浸りました。 93年12月、2学期末、冬休み直前だった。
15ヶ月ぶりに、「学校の、理科準備室の、空気」を、
深呼吸したのでした。
初日の校長室での「教育談義」で、
熱く「生徒のための学校づくり」を語った彼の背景に、
「愛娘の父親」としての思いがあることを推察したのは、 彼と何度も
「教育談義」を重ねた、ある日に、
「私の娘の高校の先生が、娘をしっかり指導してくれない。つらいです、先生。」
の、ひとこと、 からでした。
わたしは聞くだけで、その詳細は知る由も無く、それ以上の話は
彼もしませんでしたが、狂気の競争教育を突っ走る学校現場の多い現状から
十分に察せられた、 校長の「思い」でした。
復職後3ヶ月、ある日に、「原先生のご意見を聞かせてください。」と、
校長さんが、準備室に来た。 (以下の概要は、メール済み)
「授業中の私語を止めない男子生徒の指導について、『退学勧告』
が、職員会議の多数決で議決されまして、どうしたものかと。原先生の
意見を、お聞きしたいので。」
「そうですか。校長先生の教育信念の、正念場ですね。
先生の信念を大切になさってください。
退学勧告なんて、学校教育の非力敗北宣言で、恥ですよ!
とことん心を込めた指導で導くのが教職ですよ。私の考えです。」
翌朝の打ち合わせで、「卒業まで、生徒の面倒をお願いします。」
との校長指導があったと、相方のTさんから聞いた。 復職後は、
職員会等の欠席など、勤務軽減をしてもらっていたからです。
退院後の3〜5年間は、「ガン再発の要観察期間」であり、
毎月のガンセンター通院は、心身への負担が重かった。また、原にとって、
「教育において、生徒の自己責任を追及する教職観が最大ストレス」
であり、「再発の引き金因子」である、と考えたのだった。
そして、最後の「生徒と科学三昧する理科教育への夢挑戦」のために
校長室に出向き、「勤務軽減措置」を、願い出ました。
「生徒との授業と副担任だけは、やり続けたい。会議出席、立ち番指導
等は、免除してください。」「わかりました、いいですよ。原先生が、学校で
お仕事を続けてくだされば、それが生徒のためになります。教頭先生、
各主任先生に指示しておきます。」
こうして、「生徒と科学三昧する理科教育への挑戦」の足場が整った。
学習指導要領改定にともなう「科目選定」を、県教委へ届ける期限が
迫り、 定年退職までの「残り時間」が、切実に、射程内の頃、だった。
そして、
定年退職までの6年間を、多種多様な生徒たちの一人ひとりが、
「科学し、学び合う、喜びの時空」を、共有し共感し合うという
本来の教室:当たり前の教育を、生徒たち自身が創造する教室として
実現し、毎日繰りひろげたのです。生徒が、自力で科学する光景は、
原にとって、毎日が「夢見心地の感動世界」であり、 教育理念の
「ヒトの子の本性:好奇心いっぱい・学び大好き!・友だち命」の証明
事実を、目の当たりにした日々でした。
(既述本「授業づくりで変える高校の教室・4理科」川勝 編著
明石書店 刊 に、生徒の声、授業記録、教育仕掛け 等)
次回: なぜ?どのように?どのくらいの期間? 原は、何した?
生徒一人ひとりが、7クラス全員が科学する不思議のわけあり?
番号 09C-004 送信日 09/03/16 差出人 原 弘良
件名 「一週間・一ヶ月で自律学習する生徒!」から学ぶ真実とは?−その70
原です。
「一週間・1ヵ月で自律学習する生徒に変身!」から学ぶ真実とは?
生徒は、何を、理科授業で発信し続けたか?
死ぬまでの「限りある人生の時間を覚醒させた『労災遭遇』」が、
18歳の染色工・原少年に、一番大切なものは何か?を、発見させた。
「自分の『人間の尊厳』を手放さず、奪われず、一生を生きる大切。」
実現方法は、 火薬ロケット少年時代の幸せが気付かせてくれたのが、
『科学する仕事:理科の先生』であり、熱烈に憧れ、手繰り寄せた。
実際に、教職で、目の前の生徒と生活して見えてきた大切なものも
「生徒たち一人ひとりの『人間の尊厳』」だった。
だから、自分と生徒一人ひとりにとって「共通の宝:人間の尊厳」を、
共通の生活場である教室で、毎日、お互いに追究し合う楽しみ・喜び
が、生きがいになったのだった。 その実践方法は、マイペースだった。
そんな累積継続時間が、以下の「原の教育過程理論」を生んだ。
その過程は、「階層性を持つ、生徒の発達過程」を、明示していた。
*目の前の生徒は、「ヒトの本性・生物進化の遺伝子の発現」を阻害
されてきた結果の現象として、目の前に在る。 だから、
阻害原因である「狂気の競争教育汚染カバー」を、
1、目の前の生徒から取り外す教育実践、「教師の仕事」から始めて
2、「学び合う喜びによって、自己肯定を実感できる授業」へ、生徒を導き、
3、「多種多様な友だちと、学び合う。居心地のいい教室を企画・支援する
教師の仕事」をすることによって、
4、ヒト種が連帯し合って自然の厳しさを生き延びてきた、「進化の遺伝子」
発現スイッチがオンされて
5、「多種多様な友だちと、学び合える居心地のいい教室」を、
一人ひとりの生徒が実感できる「自分のクラス・教室」を創るのです。
6、 その結果としての生徒の現象が
生徒の一人ひとりが、「自律学習する生徒たちの風景」なのです。
上記の具体的展開過程が
「一週間・1ヵ月で、巡航軌道の教育実践」の意味であり、
生徒の立場からの、授業・学級生活が平常習慣必要時間としての
「一週間・1ヵ月」なのです。 これで、時間は十分なのです。
1、変わった先生、だけど、自分に無害みたい・うまが合うかも
の「一週間」であり、 こちら(先生)の「生徒観」が肝要!です。
2、1時間ずつの授業が理解できて、賢くなる実感による自己肯定
が累積できて、「生徒の自信の芽」を育てる「居心地いい授業」
と、生徒が受け入れる授業であるための、必要時間であり、
こちら(先生)の「教育観・授業づくり」が肝要!です。
次回:生徒発信の理科授業の仕上げ編・
高校3年間の自主編成カリキュラムと生徒たち
番号 09C-005 送信日 09/03/18 差出人 林 正幸
件名 先進科学塾の案内
こんにちは、林まさです。
季節は春めき、年度も区切りを迎え、新たな思いを膨らませる時期ですね。名古屋市科学館の先進科学塾は3,4月にも企画しています。その3月分の講師を担当する私から案内させてもらいます。
テーマは「電池のしくみを徹底解明!」で次のように呼びかけています。
「現在ではさまざまな電池が利用されています。電池はどのようなしくみになっており、どのように電気が起こるのでしょうか。
この講座ではダニエル型電池、33円電池、濃淡電池、非金属だけの電池、燃料電池、鉛蓄電池などを実際につくってみます。そして発電に関係する化学反応を、実験を踏まえて理論化していきます。また実用化されている電池のしくみも紹介します。」
今回はイオン化傾向に偏った電池のとらえ方を乗り越え、高校生にも理解できそうな新しい次の2つの基礎概念を元に組み立ててみました。
・電池は負極では電子を与える反応が、正極では電子を奪う反応が起こるしくみである。
・両極間には電導性を担うイオンの存在が必要である。
これらの概念を実験に基づいて構築していきます。
参加対象は高校生以上であり、先生に参加していただいてご意見・感想など聞かせてもらえるのも大歓迎です。日時などは次のようです(1日コース)。
3月28/29日(土/日) 10:00〜16:00 科学館8F科学実験室 受講料1500円
申し込みは次の電子メールで山田 吉孝さんにお願いします。
e-mail:refresh@ncsm.city.nagoya.jp
なお不明な点は林まさにメールをください。
e-mail:masasuma@water.sannet.ne.jp
時間が見つかるようでしたら、参加してくださるように呼びかけます。
ではまた。
番号 09C-006 送信日 09/03/18 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の科学と授業−その70:高校中退七万人と自律学びの生徒
原です。 昨年、高校中退者七万人!の意味?
「生徒が自律的に科学三昧する授業の謎なぞ?」
生徒一人ひとりが、
「希望・自信・行動力を回復し培うための、授業・学級づくり」を
常に留意し、その視点からの考察・検証を、心がけていました。
なぜなら、いつの世も、本来の教育仕事は、教育主体者である子ども
一人ひとりが、自分で考え決断し行動する「自立人間」に成長するを
教育目標とし、その達成には、「正の学校優位性」である友だち・命の
「学びのコミュニケーション」を、教育仕掛けする「本物の先生」の存在が、
産婆さん役として不可欠だからです。
「自立人間」は、どんな世であっても、一人ひとりが自分で考え決断し
行動するという「真の生きる力」によって、自分の人生を切り拓きますから、
戦後の飢餓時代であろうと、昨今の「百年に一度の激動期」であろうと、
したたかに乗り越え生き抜けるものだと、信じます。
私が、競争教育を、「狂気の」と断じて背を向け続けたのは、「負け組み」
に差別・選別され、世間でぬかしおる「教育困難校の生徒たち」こそが、
生徒一人ひとりが「自分の人間の尊厳を、学びのコミュニケーションの喜び
を実感できる本来の教育の実現を、待ち望んでいる。」と、信じたからです。
それが正鵠を射た事実であったことは、目の前の生徒が教室で証明し
続けましたが、前回メールの「一週間・1ヵ月で自律学習する生徒」で
述べた、 「階層性を持つ、生徒の発達過程・教育理論」を、その正当性
に依拠した、一歩ずつ丁寧に、一コマずつ展開する授業実践でした。
今回、こんな出だしになったのは、
この3月16日〜17日のテレビ・新聞が、「高校中退者、7万人」と
大きく報道している事実を、知ったからです。
多種多様な要因が絡んだ結果として、「夢を抱いて入学した高校を
断念した高校中退者」、その一人ひとりの心を占める共通の無力感・
喪失感・孤独感」を想像してしまいます。だれもが。
「狂気の競争教育の結果は、自立人間を育てない!」が故に、こうして
中退せざるを得なかった人たちの多くが、「したたかに生きる自分の力」に
依拠できずに、社会からドロップアウトして、社会の不安定因子の一員と
なる「不本意な人生」、負の循環スパイラルに陥る高校中退者を想像し
ます。 それは、本来の教育に反する「競争教育の犯罪性」です。
だから、現職時の原は、「絶対に、生徒ひとりも、落ちこぼさない!」
を必須仕事と心得て、競争教育観を排斥し、目の前の生徒発信情報の
深部も考察しながら、原独自の教育実践を貫き通しました。
例えば、工業高校では、自転車通学生徒のヘルメット着用義務を課し、
卑怯なネズミ捕り方式で摘発し強制指導する教師たちが、厚顔無恥にも
原以外の教員は、ヘルメット無着用でした。
原は、ヘルメットを冠り通勤し、校門指導にも白衣・スーツにヘルメット姿
で、10年間立ちました。当時は、三点シートベルト未装着車の時代
でしたから、物理で指導する「運動の三法則」を、自ら実践する当然の
行動を実行したまでのことなのに、教員は珍奇な眼で見てたようです。
しかし、ここでも「生徒のすばらしさ」に感動しました。
ヘルメット着用の意義を、物理授業で「運動の三法則」の説明と実験から
生徒自身の知識と納得をめざし、「ヘルメット姿の原の物理的根拠」
を示しますが、その授業の数週間後には、なんと!「先生、うちを出た時
から、ヘルメットをかぶり、紐を締めて自転車に乗るようにしてるよ。」と、
授業直後の教卓周りで、雑談してゆく生徒が毎年増えるのでした。
授業中の学びを介して、生徒と原の「信頼関係」を実感した一例です。
常日頃、生徒に言っていた。 「自分で考えて、納得できることを
行動せいよ。先生だろうと、自分が納得できんことは、言いなりにならん
方がええと、思うよ。長いものに巻かれよ人間は、みっともない。と思う。」
復職後は、生徒たちの励ましと、「ガン様」のおかげで、
校長さんからの「勤務軽減措置」により、始業一時間前の七時半登校から、
用務員さんの追い出し催促の五時半までを、準備室・理科室・各教室だけで
勤務する、夢の「生徒と科学三昧する理科教育への挑戦」の足場が整った。
そして、
定年退職までの6年間を、多種多様な生徒たちの一人ひとりが、
「科学し、学び合う、喜びの時空」を、共有し共感し合うという
本来の教室:当たり前の教育を、生徒たち自身が創造する教室として実現し、
毎日、自律学習したのです。その光景は、「夢見心地の感動世界」であり、
何よりも
「ヒトの子の本性:好奇心いっぱい・学び大好き!・友だち命」の証明事実を、
目の当たりにした「ガン生還後の極楽世界の日々」と、なりました。
次回:生徒発信の理科授業の仕上げ編・その1
高校3年間の自主編成カリキュラム概要と生徒たち
番号 09C-007 送信日 09/03/20 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の科学と教育(1)−その72:「ヒトの本性」
原です。
ここんところ毎日、午後の「人生時間」を、94歳の母と妻と原の
三人で過ごしています。 母の住む実家への送迎をしながら。
母が、最近めっきり足腰や脳機能の衰えが感じられることから、自然に
見えてきた「人生を母と楽しむ時間の限りある愛しさ」が大切な生活の
日々ですが、その母から、新たな「ヒトの本性:可能性」に驚かされ、
再認識させられています。
それは、「ヒトの子どもの本性: 好奇心いっぱい・学び大好き」を、
「ヒトの本性: 一生、好奇心いっぱい・学び大好き」と、
拡大修正すべきと 「母の事実」から知りました。 それは、
93歳の昨秋までは、「自分でがんばらなくっちゃあ!:自立心」から、
約1キロ離れたスーパーでの買い物に老人車を押し隔日ペースで通い、
しかし、ひとり生活には、「ダンボール2〜3箱・6千円」の購入物品は、
多過ぎであり、脳機能の衰えを示していました。
だが、 スーパーお出かけは、母の生活習慣・生活意欲の源であり、
家族であろうとも、「口出し」は、精神リズムの撹乱を惹起する事実が認
められたので、家族で話し合い、決心したのです。
「母の全ての意志・行動を受容し、
戦前・戦後・極貧生活を、子育て・自立と人生の厳しさを耐えた母に、
自由な日々を心地よく生きてもらい、見守り支えるだけにしよう。」
そうした「人生時間」で、夕食を共にした「幸せ時間」後に、実家へ送る
車中で、毎日繰り返される「母との会話」は、西空に輝く一番星:金星を
見ながら、同じ不思議話が、続きます。
「きれいやなあ! 星は、宇宙に浮かんどるのかいな? 地球
も、あないして宇宙に浮かんで光っとんかいな、ひろ(原の呼び名)?。
空にいっぱい光っとる星みんな、宇宙に浮かんどるのかいな?
空いっぱいの星にも、地球みたいに、生き物はおるんかいな?ひろ。
宇宙は、どっちが上やろな?どっちが下や? 、不思議!やなあ。
うちは、子どもの時から、不思議が大好きやった!」
と、就学期間僅か2年間、10歳から紡績女工で働きづめだった母。
母の不思議話は、次から次へ。
原は、あいづちしながら、感嘆しきり、しあわせ気分。
そんな母の愛読書は、「こんなの、どうやね?」と、原が置いた本です。
毎日、二時間ほど、夢中になって写真や図を見て、説明を読み
「学者の人は、すごいなあ!楽しいやろな、ひろ!。」
と、私に話しかけ、 毎日夢中です。
前日の記憶は無くても、今この瞬間の理解と感動の、「幸せ時間」を
生きている 母が、息子である原を感動させてくれます。
<母の愛読書>です。
1、ニュートン別冊:「宇宙と生命」 教育社
−地球生命はどこから来て、どこへ行くか?−
2、NASA写真集:「宇宙大航海」 講談社
3、ニュートンムック:「生命の万能素材」 教育社
−「アミノ酸」と「タンパク質」−
結局は、
「生徒発信の理科授業シリーズ」を、自分でも驚く70回以上に
わたり続いてきちゃったのは、競争教育無縁の原自身の生い立ちから
気付き、また、出会った生徒たちが実証し続けた真理
「ヒトの本性: 一生、好奇心いっぱい・学び大好き、友だち・命」
を信じ、この真理に背中を押された教育実践の日々の過程で、
これを具現して、「自律的な学び合い」を楽しむ高校生と共生・共感した
事実が、 決して偶然ではなく、「原だから、、」の特殊事例でもなくて、
「生徒は、ヒトである。」という、当たり前に根ざしていたからと、思います。
「生徒は、ヒトである。」当たり前を蹂躙している「狂気の競争教育」
を見抜いていた原が、目の前の生徒たちの理科授業や学級、職場で、
ちょっとした「教育仕掛けや工夫」をして、「狂気の競争教育の風除け役」
として、うまく機能したことが、主原因なのです。
この要因さえ実践でネグらなければ、「自律的学びの生徒たちの光景」
を、生徒たちが例外なく創りだすものです。何も、不思議がることじゃない。
次回・次々回(最終) 生徒発信の理科授業の仕上げ編・
高校3年間の自主編成カリキュラムと生徒たち
番号 09C-008 送信日 09/03/22 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の科学と教育(2)−その73:理科カリキュラム共通実践
原です。 生徒発信の理科授業・仕上げ編
高校3年間の自主編成カリキュラム共通実践
「なあ、Tさん。新カリを始めるこの機会に、学校生活が最後になる
わしらの商業科生徒たちを、徹底的に『科学する楽しい学習経験』した
社会人として、自信を持たせて送り出したいんやがな。どうやろ、Tさん。」
原が、復職3ヶ月目の2月初め。科学大好き人間の彼も、大賛成。
県教委届出科目は、「生物」と、新設科目「総合理科」、計6単位。
学校カリキュラムの理科は、1学年〜3学年各2単位、計6単位。
この展開の目玉は、ものの5分間協議で一致した。
「徹底的に科学する学習体験: 長期にわたる課題研究」 をやる。
3学年1学期・中間テスト以降卒業まで、「一斉授業無しの研究時間」
として、生徒が研究三昧する日々を保障することに、ふたりは決した。
長期科学研究を始めるまでに、生徒たち一人ひとりが「科学する学力」
を、わしら教師が授業で確実に保障することが、大前提になる。
ふたりの協議一致点は、
1、次のとおり、各分野順に授業展開する。
・「生物」:1学年1・2学期
・「化学」:1学年3学期〜2学年2学期中間テスト
・「物理」:2学年2学期中間テスト〜3学年6月
・「地学」:2学年1学期〜3学年6月随時・適宜授業展開
2、確実に、「科学する学力」をつける授業展開をする。
その依拠するは、「生徒の本性:好奇心・学力向上・友だち命」です。
1) 「基礎・基本の知識・技術」を、確実に学力取得させるために、
「真に学ぶに値する教材」を、学習指導要領と、準拠・教科書
から独立した「手づくりプリント」をつくりつつ、授業を進めた。
この一歩ずつの「生徒がわかる授業の実感累積効果」が、
生徒自身の自己肯定・安心と授業への信頼となり、
予習し学び合う自律学習生徒が、連鎖的に増加・定着する
結果を、決定付ける。 これが、生徒実証済みの
「一週間・一ヶ月の巡航学習成立の必須要素」です。
2) 最大限の生徒実験・観察(全授業時数の約5割)と、
「基礎・基本の知識・技術」の両者を、「のぼりおりの認識過程」
を通して、こまめに、統合・強化効果向上を図る。
3) 「生徒実験・観察レポート」は、「科学する学力」の根底であり、
生徒一人ひとりの自己内省的学び体験から、自己肯定実感を
生徒が得る貴重な必須学習と位置づけ、
生徒一人ひとりを励まし、厳しく指導した。 この指導は、
3学年・「科学する学習経験: 長期にわたる課題研究」を支えた。
したがって、
・「記録は、研究の命である。」;詳細な記録記載(数値・事象等)
を、「再提出」等を含め、習慣化させる。(5月中には)
・「考察は、自分人間の表現である。」から、自分で考え判断した
一言一句の考察を、「再提出」等を含め、習慣化させる。
(他人レポート引用は、「脳みそドロボーの恥行為」と、指導した。)
・「他人が追試したくなり、かつ、再現性の高い具体的内容表現が
いいレポートである。」観点から、自己評価を習慣化させる。
以上の指導観点の大要を、わくわくしながら二人で話し合い確認した。
しかし、新カリのスタート時には、教科書出版も間に合わないという、
競争教育一辺倒の現場では、不人気の「総合理科」だったが、わたしたち
には、ウハウハものだった。
なぜなら、本来の「科学する楽しさ・喜び」は、縦割り科目教育の
深化指導もさることながら、「横断的な、本質を学ぶ『科学する体験』」
こそが、 目の前の、わしらの商業科・高校生に対する、
「人生最後の学校生活、『餞教育』なのだ。」と、ふたりは共有していたから、
教科書出版が間に合わない現状は、ふたりに自由度の大きい科学教育を
必然としたから、これは愉快だと、ウハウハものだったのです。
こうして、5年後の人事異動でコンビが消えるまで、全校生徒が
「徹底的に科学する学習体験: 長期にわたる課題研究」を体験し、
原が定年退職する最後の6年目は、原が3学年7クラス・280名弱の
「7ヶ月間、個人別テーマ・課題研究」を、ひとりで担当した。
そして、7クラスの生徒全員が、やり切った!
その生徒一人ひとりが、
友だち仲間と励ましあいながら、個人研究の企画・実行、2回の発表会、
卒業レポート提出と審査合格までの日々を、早朝・居残り・放課の研究を
理科室や準備室で、自主的・自律的に楽しんだのです。
その光景は、原にとっては、 「夢世界の現実」 そのものであり
生徒の言では、「研究は、自分との戦いだった。”自分でもできる!”
ことを教えてくれた「課題研究」、自分に自信が付いた。」
この長期間の教育実践が明示することは、 あたりまえの証明だと、思う。
・「ヒトは、好奇心いっぱいで、学び好き。友だち大好き。」
・「生徒は、だれでも楽しく科学することができる、やっぱり、人間だ。」
・フィンランドの高校生の言「学習するのに、なぜ競争するの?」
・「先生が、今やる仕事は何ですか?」の問いに対して、
目の前の児童・生徒に、今なす仕事の吟味。
・」狂気の競争教育と、認識する能力と、
評論家ではなく、足元の課題に「隗より始める」実行力。
次回(最終回)
番号 09C-009 送信日 09/03/25 差出人 川田 秀雄
件名 教科書会社から「修正」の返事
皆様
川田です。「音波の干渉について」某社(仮にA社)に私の意見を付して,照会(質問)した。質問の要点は以前、akknで述べたものと同じ。
約1か月後の3月18日、A社から返事がきた。「表現が正確でなく、修正する。文科省への訂正申請の関係から、再来年度の教科書から修正」(添付資料参照)。 詳しくは、次回物理サークルで。時間があれば、音波の干渉について皆さんの意見も伺いたい。
余談になるが、養老孟司氏は教科書検定を批判し、氏は戦後教科書に墨を塗らされた経験から「教科書が間違っていれば、教師は生徒に墨をぬらせればよい」「自分は子どもたちに何を説くべきか、それを考えるのが教師である。それは教師の第一歩であり、最後であろう。教科書を国が検定すると言うことは、それだけ教師の本質的手抜きを奨励することである。指導要領の問題も、それに尽きる。だから教師は自分の教えることに誇りを持たない。」(「まともな人」中央公論新社)と。
これは乱暴な議論ではあるが、気概としては共感出来る。
番号 09C-010 送信日 09/03/25 差出人 原 弘良
件名 生徒発信の科学と教育−その74(最終回)
原です。 生徒発信の科学と教育(最終回)
今回で、「生徒発信の理科授業シリーズ」を、 サイナラ します。
お読みいただいた みなさん ありがとうございました。
ML管理人の舟橋さん、朝日さんありがとうございました。
何かと、参加のきっかけをつくってくれた、林(まさ)さん、ありがとう。
結論から言えば、 「生徒発信の理科授業シリーズ」は、
原には、生徒と言う『ヒトの子どもの可能性と、友だち思いの心優しさ』
に、新任から退職まで惚れつづけた、 「生徒に恋した教職時間」
だった、 ってことです。 生徒は、すばらしい!、 ってことです。
換言すれば、
先生と生徒という「偶然の軽い出会い」ぐらいで、「生徒のために」とか、
生徒に対して「君たちのためを思って」とか、原的には、そらぞらしい指導
はできなかったし、する気にもならなかったのです。
「坊や、飛ばしてみるかい?」と、ボンヤリ眺めていた新聞少年・原に、
大切なライトプレーンを手渡して、「科学少年の種火」に点火して
くださった「ヒコーキおじさん」のように、
生徒一人ひとりに絶対存在する『生きる希望・夢・感性の種火』に
点火する「教職」に、原が参加できたら最高だな!と、
「理科の先生」にあこがれ、独学で実現したけれど、
貧乏生活・働きづめ少年時代・傍流の工業高校で青春したおかげで、
「狂気の競争教育を見破る力」が、自然に育っていたから、
遊び人の原らしく、楽しみながら挑み続けた「教職時間」でした。
なぜなら、
「人間は、絶対的孤独存在として、死ぬまでを意志で生きる生物」
である真実を認識したのは、「慢性腎炎」で大学を休学、同病親友
との死別や、原自身の苦悩の実体験からでした。
そして、孤独認識者たち(子どもたちの多くも、無自覚認識者です)の
多種多様な人間性は、互いの「共感・共有する時空」体験によって
「人間連帯を知る孤独認識者」として、大きく「質(階層)変化」を遂げ、
「自立して生き抜く自分自身の力;確固たる自信」を、獲得するのです。
この事実が、生徒が一番大切にする「友だち・命」の本質だったのです。
ここにこそ、「原の教育実践着眼点」を、集中し続けました。
この具体的必須実践が、生徒同士の「学びコミュニケーション」であり、
自律学習する生徒たちを不思議がり、授業参観に来た現象原因
の本質でした。
この傍証例は、既述本「授業づくりで変える高校の教室4・理科」や、
工業高校での学級づくり実践・全国教研広島レポートなどにおいて、
生徒たち一人ひとりが、自立・自律人間に成長した学習習慣生活
の概要(本メールで一部分発信ずみ)を報告して、広範な人から反響
をいただきました。 ここでは、割愛します。
なぜ?
原の理科教育の仕上げ実践:「個人別テーマ・7ヶ月課題研究」は、
理科同僚Tさんと「志(こころざし)」を共有し合うことにより、
生徒一人ひとりに拘って
「自立して生き抜く自分の力;確固たる自信を獲得させ、培う。」ための
全校生が体験する、科学教育実践です。 そこが、画期的です。
この実践目標を、確実に達成させる鍵は、かっての
「火薬飛行ロケット少年・原の研究方法への確信と、人間観」でした。
それは、こういうこと。
「人間は、絶対的孤独存在として、自分の意志で生きる生物だ」の真実は、
自分の意志で、時間をかけて自分の五体体験をろ過した学び結果こそが、
生徒一人ひとりにとっての真実であり、自信の実感・自己肯定を生徒が
認識し、同時に、多種多様な友の「多様な人間の素晴らしさと、畏敬の念」
を実感するという、「仕上げの科学教育授業実践」の期待に、ワクワクだった。
そして
生徒の科学する現実の迫力は、すさまじい感動の「夢世界の現実」によって、
原を、退職までの4年間の毎日をノックアウトしつづけた、
「生徒が科学しまくり・極楽世界プレゼント」であり、
一人ひとりの心を込めた「個人・グループ・クラスからの花束」や、
「クラス寄せ書きプレゼント」を手渡してもらった。 その「ビッシリ寄せ書き」が、
いつもパソコン脇にあって、励まされる。
それを手渡してくれたM・Uさんが、NHKや民放テレビの「釣り番組」や
「知るを楽しむ:地図」「アインシュタインの眼」など、真面目タレントで活躍する
を見て、うれしい。大型バイクや、船舶2級免許をもち、そういえば、教卓周りに
集まる笑顔のひとりに、原の「舟釣り話、野宿話」に熱心だったを、思い出す。
原が生徒だったら、 と考えて、「先生」してました。
1、自由に学習する時間と、自由に使用できる施設・設備が欲しいこと。
2、「絵に描いた餅の授業」は不要、「腹のふくれる、本物餅授業」がプロ。
3、一生懸命教え込む熱心な先生は、意欲が萎えて「うっとうしい」から、
こんなのいかが? くらいに、「学問の魅力ガイド」を、さらりと先生。
4、「教えることは、より深く学ぶこと」だから、
友だちと学び合う学習システム構成した、そんな授業がいい。
最後に
今回、レポートする気になったのは、故・三井さんとの会話の重さからでした。
06年3月に、三井さんが、わざわざ一宮の拙宅まで訪問いただいた事にありました。
「本(授業づくりで変える高校の教室4・理科、川勝 編著)を何度も読み返した。
原さん、今の日本には、後期中等教育理論が無い。荒削りだが、原さんには、ある。
二人で学会を立ち上げよう。2ヶ月に1回定期的に会って理論化しよう。」と、私の
資料(生徒の授業記録・レポート・学級新聞:文集、授業テキスト原稿等)を一つ
一つ手に取りながら、例の三井節が続いたのを、 思い返しています。
36年間の結果は、「生徒は、一人も落ちこぼれず・落ちこぼさず」の稀有な事実。
やはり、三井さんの評価の重さを「個人」に留めず、理論化に努めて、生徒も先生も
楽しく教室で生きるヒントになれば、うれしいと願い、74回までレポートしました。
では、お元気で!
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