番号 08D-001  送信日 08/04/06  差出人 園原 誠
件名 額田郡幸田町親子理科教室フェスティバルのお願い

長瀬先生 
**小学校の園原です。
新年度になりましたので、本格的に活動していきたいと思います。
これまで、町教育委の方と交渉を重ねた結果、8人くらいの講師さんが可能になりました。そこで、AKKNの皆さんに公募をかけることはしないことにしました。お断りをしなければならないことになるかも知れないからです。大々的に公募するのは次回にしようと思います。科教協からは、他に林まさ先生と鈴木久先生、杉山先生にお願いしようと思います。
長瀬先生には、**小学校の実践からご助言いただきたく、ぜひ参加願いたいと思うのですが、よろしいでしょうか。
よろしくご検討ください。



番号 08D-002  送信日 08/04/07  差出人 原 弘良
件名 生徒発信の教育原理−その18

   原です。
 春は、二人1組・「校内散策、生物研究三昧の4月」(1学年、生物分野)
  1、友だちと、春うららの「生物探し」で、授業開始。
  2、毎週・レポート1本提出と教室展覧会。      この2本柱が、4月の「生物授業」です。

 最初の授業は、生徒同士が、「この1年、お互いよろしく!」と、教壇上で1人1分間スピーチ授業です。
  <仕掛けのねらい>は、
     ・教科授業でも、「学級づくりの一環を担う大切さ」を生徒から知った、私の教育観からです。
     ・原点は、「居心地のいい学級で、友だちと学び合う授業を喜ぶ」、生徒発信の教育原理です。
  <授業展開>は、
     1、予め準備したクラス名簿「友だちのこころ:一人ひとりの一番大切」プリントを配布し説明。
     2、「スピーチ」は、3分間の思考時間の後、出席番号順に教壇上から
       「わたしが、一番大切に・・・・・」と、それぞれの「一番大切」を、一人ひとりがスピーチします。
     3、一人ひとりのスピーチを、全生徒分、45分間ぶっ続けで、各生徒は詳細に記録し尽くします。
     4、最後の生徒のスピーチ終了と同時に、自分の記録に目を通して、「率直な感想欄」に記入。
     5、一人ひとりの「授業ファイル」最初の1ページとして、「友だちのこころ:一人ひとりの一番大切」
       プリントを綴じる、のです。   その後、何度も、自分と友だちの初心に触れるページです。

            これが、約15年間、私が続けた「最初の授業」です。
   「率直な感想欄」にみる生徒の反応は、いつも新鮮で強烈でした。     
      ・こんな授業は、初めてだけど、何かいい。  ・何も知らないクラスの人の、真剣な気持ちがわかる。
                 <15年間、共通していた生徒のスピーチ内容がある>それは、
    1位:6〜7割が、「友だち、家族」  2位:2〜3割が、「自分の考え、健康」  その他少々でした。
   この結果の集中度合いは、始めた頃は意外でしたが、日ごろの生徒の実態から考察すれば、
   至極普通で当たり前のことでした。   視点を転ずれば、この「友だちのこころ:一人ひとりの一番大切」
   という生徒の本心から乖離した授業づくり・学級づくりが、子ども一人ひとりに対する教育機能不全現象
   として、必然的に教育の諸問題(学習意欲減退・不登校・いじめ、などなど)を噴出していると、私は考察
   してきました。
    
    「教科書が欲しいんじゃない!友だちの心 に触れたい!」という、「就学猶予」という究極の教育差別
   をくらっても、それを乗り越え「学校の優位性」を実証してきた養護学校の生徒たちは、 本当の教育の先達
   として、 退職するまでの、私の教育実践の羅針盤であり、サポーターであり続きました。

 2回目の授業は、玄関横のサクラのピンク花弁が散り敷く、中庭に集合してから始めます。
      雨が降らない限り、二人1組、五感で春を味わい、校内の「生物の多様性」を発見しあいながら
  自分の命と向き合う「生物の授業」のスタートとしたのです。野外授業は、生徒の表情が格別いいです。
  <仕掛けのねらい>は、
     前時「友だちのこころ:一人ひとりの一番大切」を共有しあう人間同士の、共に学ぶ行動から生ずる
     友情の芽生えを感じあうスタートの授業です。

  <授業展開>は
     1、「クラス・授業記録ファイル」 を、出席番号最後尾の生徒に手渡しながら、授業記録を依頼する。
     2、事前に準備した学校管理案にある「校内植栽一覧図」・「野草のメモリー」・「校内の虫・微生物たち」
       のプリント3種配布を、自発協力生徒に手渡す。
     3、事前に準備した「格納箱」から、出席番号順の2人1組ペアーで、「園芸スコップ・微生物採取スプーン
       ・フィルムケース」を取り出させながら、校内散策をスタートする。
     4、「校内植栽一覧図」プリントに、実物の樹木に触れたり嗅いだり、私の説明で
          ァ、常緑広葉樹  イ、常緑針葉樹  ウ、落葉樹  などの分類分けを記入しながら、校内を
        一巡する。
     5、全員に、「ユーカリ」の樹木表皮切片1枚と、「ローリエ(月桂樹)」の葉1枚を採取させ記録プリントに
       貼付させる。

 3回目の授業は、「レポートづくりの授業」です。
     1、いいレポートの条件について、下記の説明をします。
      レポートを見た人が、「私もやってみたい!」と、思えちゃうのがいい。それに必要なのは、
     「正確な記録が研究の命!」:実物標本、スケッチ、写真、生息環境(校内図の位置、乾湿、時刻など)、
                        測定した数値データ
     2、一人ひとりが、自分のレポートづくりに、チャレンジ開始します。
     3、時間内に、「いいレポートができた」と、自己評価できれば提出する。

       自己評価が基本だよ、と教える。提出期限は、週内と告げる。
     4、最初の提出レポートは、1クラス4分冊にして、互いの、交流学習をねらい回覧する。
 4回目・6回目の授業は、
     「野草のメモリー」・「校内の虫・微生物たち」の、野外授業です。生徒は、二人一組になって、思い思いの
     場所に、生物探索に散ります。「水中の微生物」は、小便小僧の池の壁から採取する。顕微鏡は、二人に
     1台準備できる。
      私は、生徒の学習場所を求めて校内をふらつきながら、笑顔と歓声を生徒から拾い集めます。
 5回目・7回目の授業は、
     「野草のメモリー」・「校内の虫・微生物たち」の、「いいレポートづくり」に励む生徒たちのさんざめきが、理科室
    をつつみ、5月中旬には、理科学習スタイルが生徒に定着するのです。

   このようにして、「実験・実習の生物学習」と、「いいレポートづくり」が、たがいに撚り合いながら、「科学する学び」
  を、生徒同士がモノにしながら成長するのを実感できるのは、いいものでした。

  養護学校から、荒れる工業高校が気になって転勤へ、 つづきます



番号 08D-003  送信日 08/04/12  差出人 原 弘良
件名 科学クラブの臨時報告。 生徒発信の教育原理−その19

原です。
  <「科学クラブ」の臨時報告>をします。
    
    近所の子どもたちと、8年前から始めた「科学クラブ」(08・2・17、朝日新聞、県内全域版で報道)は、
   日頃の活動に保育園・年長組の子も一緒に楽しく参加し続けるので、今年度から方針を変えました。
      従来、対象の子どもは、小4以上でしたが     小学校1年生以上と広げたのです。
    そして、つい先ほど(午前10時〜11時半)、子どもたち、クラブOB、お父さん・お母さんたちと、
   新企画スタートの、第62回「科学クラブ」を終えて、少し休憩してからメール報告しています。
       内容は、
     参加者:小学生25人!(1年生;7人、2年生;3人、3年生;2人
                          4年生;4人、5年生;1人、6年生;8人) 
          中学生0人!; 強い希望者が、3人いるが、現在の愛知県下の中学校教育の実態を
                         反映した「部活動参加の締め付け指導」のため、参加不可能。
                    飯田さん呼びかけの、「中部大学・子供向け講座」を、ことしから、中学生を
                       はずし、小学生に特化する旨のメールを記憶してますが、共通です。
          高校生1人、大学生1人。いずれも、本クラブOB.
              大学生は、希望どうり合格した「普通科高校」が、現実は大学受験一辺倒の
             毎日の学校生活に失望し、1年生で「不登校」後中退し、3年間の「自宅ひきこもり」。
              そのとき、私が「科学クラブ手伝って、チビッ子たちと遊んでくれへんか?」と誘って5年間、
              チビッ子どもに「兄さん!」と慕われ頼りにされながら、アルバイトで学資を稼ぎながら、
              「昼間定時制高校」へ再入学し、昨春、「卒業生総代」で卒業。その後も、クラブの
              助手役で参加を続ける彼に、  「チビッ子に慕われる君は、  保育士が ええかもよ」
              と耳打ちしてから1ヶ月後、「ちっちゃい子が好きなんで、おじさんが言ってくれた”保育士”
              が向いてると思う」  そして、この4月から、大学生。 無理かと思っていたが。彼は来た!
            父親1人(大学で、化学専攻)
          母親5人、うち1名は2ヶ月の乳児と共に参加、ビックリ・感激!
      スタッフ:* 三児の母親・「食べ物の科学」担当。一昨年12月から、私の呼びかけを  快諾。研究熱心。
           *一宮市民生委員・67歳男。対外的代表と、毎月開催する会場の準備・片付けを担当。
           *原・68歳。「科学クラブ」の企画・立案・進行。毎回、2テーマで科学あそび。
              その物品準備と科学解説プリントの作成と配布。
     本日の具体的展開    キーワードは、「子どもたちを取り巻く、多種多様な人間コミュニケーションこそが
                       人間力として  大人や子どもの成長・発達の「原因力」になる。
        研究テーマ  1 「不思議な魔法の水」
                 (アヤムラサキイモのアントシァニン色素の液性によっての色変化を楽しませる)
                 酸性物質:食酢(稀酢酸)・手すきの母親に、注入ビンによる分配を依頼。    
                 塩基性物質:消石灰(水酸化カルシウム)・チビッ子にはキケン、父親に分配を依頼。
                 それぞれの「液性の正体」と、「中和反応の正体」について、
                                  高学年と親向けに、私が説明。
        班編成による活動、
          1、子どもたちの班編成を、自分たちの意志で、「6年生・1年生各1人ずつと、もう1人」3人1班をつくる。
          2、班ができたら、6年生が引率して、器具・薬品など必要品を全員で受け取り、自分たちの場所に。
          3、スタッフの説明を理解したら、班毎に「科学あそび」する。

        父親・母親も、一緒に楽しみながらも、キケン回避にきくばりを。         以上、


  <生徒発信の教育原理ーその19>

    1960年半ば、養護学校新任の頃は、「年休願い簿」が校長室の脇机上に置かれていました。
   今では当たり前の「人事院勧告完全実施」も、全国の労働者と連帯して、逮捕覚悟のうえの
   3度に及ぶ「ストライキ決行」と、三行の「戒告処分」と履歴書に朱書きの犠牲を払い、今の当たり前
   を実現させた。  分会結成後の粘り強い「校長交渉」の末、本来、形成権である「年休簿」として
   職員室に定置させた。   そして、何よりうれしかった成果は、理科授業と学級担任の仕事に専念
   できる勤務状況までに変化させたことでした。  そのとき、あらためて恩師を思いました。

    まさに、愛知工業高校生だったとき、「なよなよ女形」とあだ名した社会科の先生が教えてくださった
   日本国憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、
   これを保持しなければならない。  以下略」  を実感し、教職への覚悟を締めなおしたのです。
      こういう先生こそ、大村 はまさんの 「教えるべきことを、教えた先生」  なんですね。

    理科授業と学級担任の仕事に専念できる幸せな勤務の日々のうちにも、日本経済界の高度成長
   による「軋み音」が、日増しに、私の胸騒ぎを大きくしていきました。  その原因は  
    連日の「全国、荒れる工業高校!」報道でした。私は、工業高校に対して「愛着と誇り」を抱いて
   いたので、「何か変だ? そんなバカな!」と、地元の工業高校への転勤願いを提出して、
                 養護学校を巣立ちました。
    
      「五体健康な高校生たち」が、白いヘルメットを頭に載せ「おっす!」と、自転車で校門を走り抜け
   て行きます。  「おっはよう!」と、白ヘルメットの私も声をかけます。「いいなあ、この風景!」と、わくわく
   していました。 科目担当は「物理」「化学」、1年生・学級担任、分掌は「生活指導部」です。
              こうして、10年間の工業高校勤務が始まりました。
    そして私に、養護学校生徒が教えてくれた「生徒発信の教育原理の正当性」が、連日報道され、
  大人社会が憂え続ける「荒れる工業高校生の真実」を、工業高校生自身が 「物理・化学の授業」や、
  大量退学生徒根絶の事実によって、見事に実証してゆきました。    工業高校生をサポートしたのは、
          「養護学校生徒生徒発信の教育原理」に依拠した、「原教育実践」によってでした。
     詳しくは
         つづく



番号 08D-004  送信日 08/04/12  差出人 大羽 康利
件名 生物多様性COP10 から 愛知の野鳥を考える

MLの皆さま(BCCにて複数のMLにお届けしています。)
 大羽康利@愛知県野鳥保護連絡協議会 & 渥美自然の会 です。
 愛知県で生物多様性に関するCOP10を開催する話題が多くなって来ました。

 私達 愛知県野鳥保護連絡協議会も 来る6月8日(日)に
  シンポジウム「COP10に向けて 野鳥から見た愛知の生物多様性保全」
を以下の要領で開催します。
****************************************************************
 シンポジウム
COP10に向けて 野鳥から見た愛知の生物多様性保全

                   主催:愛知県野鳥保護団体連絡協議会
                     
日 時 6月8日(日)13:00受付
    13:30開会   
会 場 知立市中央公民館 (Tel.:0566-83-1165)
     (知立市広見3丁目1 知立市役所西隣)
http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E137.3.11.8N34.59.52.9&ZM=10

内 容
  講演 NPO・NGOの考える生物多様性条約締約国会議   
        辻 淳夫(藤前干潟を守る会・伊勢三河流域ネットワーク)
  講演 愛知での野鳥と生息地保全の視点−愛知のレッドリスト改訂から
        高橋伸夫(NPO法人愛知生物調査会、西三河野鳥の会)
  報告 巨大開発と生物多様性
     織田重己(21世紀の巨大開発を考える会)
  報告 設楽ダムアセスより奥三河の猛禽類を考える
          
  報告 渥美(大山)山塊の将来は? 猛禽類の渡りと繁殖を考える
     大羽康利(渥美自然の会・愛知県野鳥保護団体連絡協議会)

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詳しくは
  http://www.amitaj.or.jp/~irago-o/080608cop10yachou.pdf
をご覧いただけますようお願いを致します。

 また、関連したサイトに
  21世紀の巨大開発 http://bio-diversity.info
  http://home1.catvmics.ne.jp/~mameruriha/10test-1.html
   (トヨタテストコース問題に関わる朝日新聞記事)
  設楽ダム建設問題    http://www.tees.ne.jp/%7Eichinok7/
があります。
 よろしくお願いを致します。



番号 08D-005  送信日 08/04/13  差出人 杉山 直樹
件名 Re:科学クラブの臨時報告。 生徒発信の教育原理−その19

 理科の会の杉山と申します。
 いつも『生徒発信の教育原理』を拝読し勉強しております。ありがとうございます。

 さて、今回の『生徒発信の教育原理』の中に中学生の科学クラブへの参加が部活動のため不可能という部分がありましたね。確かに、春日井の中学校でもそのことを感じました。
しかし、中学生の科学を学びたいという気持ちをかなえてやる場がこれ以上少なくなるのは残念で仕方がありません。(もちろん先生の科学クラブは受け入れはしているということだとは思うのですが、実質は不可能なのですよね?)
それも、原因は子ども達の側にあるわけではないところが悔しい。なんとかならないでしょうか?
部活に参加する子は先生から示された価値観にしたがって、それをまじめに受け止めてがんばっています。
また、本当に勉強嫌いかというと、本当はより深く学びたいという気持ちを持った子が昨年度見ていた中学1年生の子たちの中には沢山いました。
まじめな子が純粋な気持ちで何かを学びたいと思ったとき、その気持ちをかなえてやる道を考えてやるのも教師の仕事ではないでしょうか?
そして、我々こそがその当事者だと思います。
子ども達のためにしてやらなければならないことがあるのではないでしょうか?
 少なくとも、中学生が学ぶ場を何とか残してやりたい。
たとえ人数が集まらなくても何とか中学生の学ぶ場を存在させ続けてやりたい。(採算を考えるべき事柄ではないと思います。)
一人とか二人とかだったとしても続けることで未来につなげられるというのは大人のサークルなどと同じ事ではないでしょうか?
私もがんばります。
それと同時に、高校生・小学生に学校の外での学びの場を作ってくださるという素晴らしい活動をされている先生方にも少しだけ中学生の事も思い出す時間を作っていただければとてもうれしく思います。子ども達の未来のために。
それでは



番号 08D-006  送信日 08/04/13  差出人 原 弘良
件名 Re:科学クラブの臨時報告。 生徒発信の教育原理−その19

理科の会・杉山さん

   いつも、「生徒発信」を読んでくださってるなんて感激です。
 杉山さんの生徒に対する思いや、教育現場の状況の考察など同感です。うれしいです。


   以下・引用  「中学生の科学クラブへの参加が部活動のため不可能という部分がありましたね。
   確かに、春日井の中学校でもそのことを感じました。
  中学生の科学を学びたいという気持ちをかなえてやる場がこれ以上少なくなるのは残念で仕方がありません。
        受け入れはしているということだとは思うのですが、実質は不可能なのですよね?)
  それも、原因は子ども達の側にあるわけではないところが悔しい。
  純粋な気持ちで何かを学びたいと思ったとき、その気持ちをかなえてやる道を考えてやるのも教師の仕事ではないでしょうか?
  そして、我々こそがその当事者だと思います。
                  なんとかならないでしょうか?

 多くを引用させていただきましたが、同感!です。 私は、次のように考え、行動しています。
 ・ひとつは、2年間、地元の中学校長と面談して、月1回の科学クラブ参加についての配慮協力をしてもらいました。
   それは、毎回、クラブ員に対して、事前準備のための「お知らせプリント」を配布しているので、そのプリントを
     部顧問の先生に生徒が提示することで、「クラブ開催日の部活動欠席を許可する」校長指導を、部顧問
     の先生に徹底する。  と言う内容ですが、実際にしてくださいました。
   もうひとつは、 「科学クラブのような社会活動に、中学生が参加できる部活動のあり方について」、
     市内7校の中学校長会で、話題に載せていただきたい。  と言う内容ですが、これも、実際にしてくださいました。
     誠実に対応いただきましたが、校長会の結果は、「各学校長の判断で」です。

   結局は、校長さんの協力どうり、  4月・5月と部顧問の許可を取り、子どもは喜んでクラブに来ましたが
    6月には、「おじさん、出れなくなってきた。先輩の試合の応援しなきゃならんので」と、言ってきた。
   良くも悪くも、あまりにも「善意の教育管理体制が強固」なためと、子どもたちの「友だち・命」が呼応しあって
     「生徒一人ひとりの自由度」が極めて小さくなっている、「中学校教育の課題」を痛感します。        
  ・ふたつめは、    ヒトは、多くの動物たちが本能として備えている高機能では弱体であっても、 動物たちの
    本能的機能以上の能力を、 「学びの本能」により後天的に獲得し、人類の祖先からの共有財産である
   「学問の知見・技術、文化」を継承し 発展させ、次へバトンタッチしてきた。      
     その社会的機能を担っているのが、「本来の学校教育」 であり、 教室の児童・生徒一人ひとりに、その
   「継承と、創造のチャンス」を、確実に保障する「喜びと責務」が、教職にはある。
    だから、時の政治権力や産業界の都合に振り回される「学習指導要領」・文教行政から、「教室の子ども」
  を守り、 学びを保障する一日一日の「教育実践」を、児童・生徒は、先生一人ひとりに切望しているのです。

      私も、それを切望する生徒を、ヒシヒシと感じたから、私なりの教育実践を36年間つづけ、今も、近所の
  子どもたちや おとなたちと、子どもの頃から大好きだった「科学あそび」で、仲間づくりを楽しませてもらっています。

   杉山さん、本当にありがとうございました。お互い、
   自分で研究し学ぶ科学の楽しさを、次代の主人公とともに味わいつくしましょう。   では。

  <追伸>   先日の「科学クラブ」のテーマ。
        テーマ1、「不思議な魔法の水」
        テーマ2、「ふんわりカルメ焼き !」   親子で全員成功しました。やった人は、おわかりのように、
                                     これって、結構ムツカシイ。でも、全員成功。スゴイ、お母さん講師です。



番号 08D-007  送信日 08/04/16  差出人 原 弘良
件名 生徒発信の教育原理−その20

 原です。
 10年間の「荒れる工業高校」での実践例に先立ち、 まず、「原・教育実践の底流」を述べます。

 「教育は科学だ・芸術だ。」  
    これは、8年間の養護学校実践から学んだ「本来の教育」と、「原の教育哲学」です。

  1、教育は科学だ!
   ガリレイ以降の近代科学は、原には、教職における「教育科学」として、「ヒトの子どもの教育基盤」です。
   これは、まず、「学級づくり」と「授業づくり」では、「居心地のいいクラスづくり」が、実現共通目標ですが
   勿論、その過程、方法・手段は異なります。
    教える価値のある内容は何か、その順次性は、教材・教具は?など、科学教育に関する共有財産として、
   科教協の仲間の豊富な実践は、私にとっても不可欠です。
   
    1)、教職の対象である「ヒトの子ども;児童・生徒の実態」から、研究課題を見つける。
      *教育目的・到達目標と、毎日、自分が接する児童・生徒の実態とのズレが研究課題です。
      *ズレは、3分別します。
         ァ、「本来の教育」と、児童・生徒の受けてきた教育環境歴のズレ 

           原が、「本来の教育」と考えている内容は、
              1) ァ、学力獲得と、 イ、人格発達は、 「不離不即の統一的関係」にあるという見地です。
              2) 教室の児童・生徒一人ひとりの人格は、それぞれが、かけがえのない固有の存在であり、その潜在的可能性は
                全方位に亘る「多種多様な能力獲得の種火」として、すべてのヒトの子どもが持っているのです。
              3) この認識が、実効ある教育実践の基盤であり、「種火を炎にする」多種多様な教育実践の展開を創出します。 
              4) 「種火を炎にする」多種多様な教育実践(後述)が、 競争教育と言う「単一価値観教育」を、超克するのです。
           イ、到達目標・学力とのズレ
            低学力、学習意欲不足など、一般にこの部分を「エライコッチャ!」と真剣ぶりますが、それはピンボケ・的外れです。 
           ウ、到達目標・人格発達面のズレ
            先日の文科省調査結果発表が、「いじめ・不登校の件数が、過去最高に」と報じられていたのは、周知のとうり。
              本日4月16日「朝日新聞、朝刊1面トップ記事」文科省調査・中高生、学校裏サイト半数に中傷。この実態。
              世界の各国を見渡しても、受験競争が熾烈な、「競争教育が激しい国の子どもたち」に共通する現象です。

      2)、研究課題克服の「仮説」をたてる。   
        原が、「本来の教育」と考えている内容、すなわち、上記の1)〜4)までを意図した「教育の仕掛け」を創意・工夫する。
        ァ、生徒たちが主人公の「学級づくり」の、「教育の仕掛け」を
        イ、生徒自身が「自分は、一歩ずつ賢くなっていると、自己評価する授業づくり」の、、「教育の仕掛け」を
     
     3)、「教育の仕掛け」を、生徒を主役、先生は黒子役で順次に投入・展開・観察する。
      
     4)、「教育の仕掛け」効果の結果評価は、「生徒自身の評価」のみです。 


     5)、評価結果を考察して、授業・学級の生徒へ「還流」する。


  2、教育は、芸術だ!
         創造性こそ、教育と芸術の命。
     養護学校教育実践には、人マネ余地の微塵も無く、新米教員の全身全霊をぶっつけ続ける過程で、
    「生徒発信の教育原理」に、自然に導かれた8年間でした。
     生い立ち、障害種別・程度、学力、年齢、出身地、いずれも異なる「多種多様な生徒の実態」に対応すべく
   チャレンジした実践は、結果、オリジナル実践でした。人間は、画一とはなじまぬ、「多種多様な存在」です。
    授業には、毎日、生徒をイメージしつつ、「手づくりのプリント・教具・実験装置」を生徒の待つ教室へ持ち込みました。
    この授業スタイルが、結局、退職までの36年間つづき、今近所の子らと「科学あそび」に続いています。

  次から、「白いヘルメット通学、荒れる工業高校生の本当の心」に触れていきます。 

      工業高校に愛着心の原は、「本来の教育とのズレ」に怒り、教育実践で対抗しました。



番号 08D-008  送信日 08/04/18  差出人 近藤 直門
件名 Re:理科実験お楽しみ広場 実行委員会 のお知らせ

近藤です
おそくなりましたが、会場 愛知淑徳高校で 6月28日(土)に確保しました.
実験室2つと講義室(物理教室)を確保してあります.
DVD(地デジを録画したものには非対応です)、プロジェクター(DVD、パソコン出力可)インターネットへの接続(LANコンセント有り)
できます。物理室は教材提示装置も使えます.
実験器具を含め、こちらで準備が必要なものがれば予めご連絡ください。当日ですと、現物があっても鍵の関係で対応できないことも想定されます.
自家用車の駐車場は休日ですのであるていどは大丈夫ですが,実験道具等の搬入の必要な方のみで、そうでない方は、地下鉄などをご利用いただけるようお願いします.
・実験広場では,地学で、「砂の教材化ーー砂の標本と薄片製作ーー」を紹介できます。



番号 08D-009  送信日 08/04/19  差出人 原 弘良
件名 生徒発信の教育原理−その21

        原です。

   胸騒ぎする、「荒れる工業高校」の校門で、「五体健全な高校生たち」の登校を迎えた。転任挨拶を
 体育館の壇上から、「五体健全な高校生たち」800人余を見渡しながら、「 みなさん。 みんなで、互いに
 たった一度の人生を、青春を、生きような! 理科の授業で会います。よろしく、たのんます。」と呼びかけながら、
 工業高校生たちへの 共感と感動を覚えていました。 
 
  しかし、独りよがりの感動は、時を待たず、私の後輩たちの 「工業高校生たちの実態と、本当の心」を 知る
 いくつもの事例に出合いながら、、「悲しみと、怒り、そして覚悟をする」 私に、変貌したのです。
 2階に2学年、3階に3学年。授業放課・昼放課、その各階のどん詰まりに、番長格の2〜3人が立っています。

 1、「ヤリ高(地元で1番の進学校)とは、顔を合わせたくない!」
   指導部交通係の立ち番で、中学同級生同士が、別ルートで登校する姿に、なぜだ?  上記は、生徒の声。
  その声に、「心の歪み:劣等感」を思い、いつの間に何が誰が、「五体健全な若者」を蝕んだのか?
  中学校の教室で、共に学び、部活動で汗を流し、夢を語り合ったであろう「中学校時代」は、何だったのだろうか?
      研修会場である、その「ヤリ高」へ行ったとの、階段と踊り場に積もった埃屑の中を上りながら、
      「勉強さえすればいい、掃除する心は二の次」という教育現場を発見して、驚きと怒りがこみ上げました。
    「工業高校生」も「ヤリ高・高校生」も、「一人ひとりの人間の尊厳を育てる教育:本来の教育」が保障されず、
   高度経済発展する日本にあって、「政・官・財」が結託した「人材供給源としての、学校多様化路線」の本質が
   両高校生の現象となっている。   
 貧乏であっても、「子ども心の自由」と「友だち・命、連帯の心」が息づく、私の工業高校から17年の歳月でした。

  しかし、「最初の授業;養護学校の高校生たち」(私が撮影した8mm無声映画)に、食い入って無言の工業高校生を
  愛おしくながめながら、  「なに、心配は要らぬ!。彼らは、まともな若者じゃい!」と、 確信していました。
 
 「荒れる工業高校!」と連日報道され、マンガにまで登場する「学ラン姿、マユゾリ、額のアオゾリ」の工業高校生も
 少数いましたが、8mm無声映画に、食い入って無言の工業高校生でした。
   
 2、「東の千葉、西の愛知」、なぜに、工業高校生が「ヘルメット着用義務」で、「ヤリ高生は免除」なのか?。

 3、「家庭謹慎指導」と称する教育。なぜに、工業高校生が、「出校停止」が、年間100件以上もなのか?。


  私が、1955年に中卒時の高校進学率は、約5割。 進学組・就職組と、進路別クラス分けでしたが、それ
 ぞれの 意志と家庭経済事情からであり、みんなが「元気で、がんばろうな! また、会おう。」と、170名が巣立ち、
 その後、大学卒業した者は6名で、そのうち4名が小・中・高の教員になった。
   それぞれの道を、それぞれが拓きながら、定期的な同窓会での「お互いの様子を、語り合い励ましあい」が、続い
 ています。商業高校卒の友だちが、「新聞社の後輩記者がいるから、取材に行かせるわ」が、キッカケとなった
 近所の子どもたちとの「科学クラブ」の、朝日新聞のデッカイ記事。   川勝さん編著、奥村さん、・成島さん・原
 の教育実践原稿が、一昨年秋、「本となって刊行」されたときに、真っ先に、ご子息にインターネット注文させて読み、
 「原君、 あんたは、いろいろ苦労したが、高校生たちと、こんなに楽しく先生やってきたんやナァ。」と、喜んでくれた彼は、
 病弱のご尊父(慢性腎炎。私も15年間同病だった)を助けるため、高校進学を断念して「酒屋」を継ぎ、68歳の昨秋に無事
 リタイアして、ともに喜び合った。

      競争しなくとも、「ヒトは、親の愛と友だちのコミュニケーション力を受けて、人間になる動物」です。  
 人間は自分で考え、判断し、行動し、自分の道を切り拓きながら、人生の道すがらに出会った人と 心通わせ、
 互いに励まし、よろこび合い、そして苦しみを分かち合い生きてきたし、それが、同級生であり、人間なのだ。

   しかし、1950年代の「朝鮮戦争・特需景気」で、1945年の「日本敗戦」で喘いでいた経済活動が息を吹き
 返し始めた日本は、「権力の本質」をも息を吹き返したのです。 
  「権力の本質」は、歴史が示すように、一人ひとりの「自立した人間を望まないし、自立した自由人は困る存在」である。
 経済活動が息を吹き返し始めた日本は、経済活動に緊急に必要となった人材供給源を、社会機能としての
 「学校教育」に照準を定めた。目をつけたのだ。

  それが、「1割のエリート、2割の管理層、7割の作業層がおればいい」と公言した、「学校多様化路線」であり、
 使い捨ての学科編成をした実業高校(世間は、教育困難校というが)や、普通科高校を、学校数だけランク付けさせ
 「偏差値教育による、差別・選別機能」をシステム化して、「人間の若者」を篩いにかける。
        勿論、篩いにかけるのは人材(もの的・材料)であり、親や家族の愛で育てられた人間とは見ない。
  こうして、「人材供給源としての学校制度」を利用してきた権力ですが、激動する世界にあっては、この教育制度が、
  日本亡国に導きつつあり、ファシズムん台頭の礎となりつつ、進行していると、私は、考察している。

   「本来の教育」を、今一度、実現したい。フィンランドの教育改革は、それに大分近いかなとみている。
  権力は、手離すことをしないが、現在の「三権分立」から、時の権力から教育が独立した「四権分立」が、いい。
  その点で、風前の灯とはいえ、「犬山市教育委員会」を注目です。   憲法第12条が重く輝く。

   「大量退学クラスが、全員進級する学級づくり」   へ  つづき     



番号 08D-010  送信日 08/04/23  差出人 原 弘良
件名 生徒発信の教育原理−その22

   原です。

「教育は科学だ・芸術だ。」  
    8年間の「養護学校生徒発信の教育原理」は、「五体健全な高校生が発信する教育原理」に共通する
  普遍性を有することが、確認できました.。
その後の赴任校である、工業高校、普・商併設高校、商業高校の高校生たちが、「理科授業づくり」や、
「学級づくり」において,「生徒発信の教育原理」に依拠した、原教育実践の正当性を示しました。
   その傍証として、世間では上記の各校を、「教育困難校」と失礼な呼称をしますが、36年間の在職中に、
  「ただひとりの、 落ちこぼし生徒も、 出なかった。」という、稀有な結果があります。(詳しい実践方法・内容は、
    おいおい続けますので、私同様に、教職の喜びを子どもたちと楽しむ日々の、参考にしていただければうれしいです。)

  この稀有な結果を、偶然ではなくて、必然化する力が、「生徒発信の教育原理」には、あります。

  1、「養護学校生徒発信の教育原理」は。
          1960年代前半まで、教育行政権力により「究極の教育虐待:就学拒否」を
    され続けた、多種多様な重度障害児・者が、自力で、捜し求めた「就学受け入れ校;名古屋養護学校」の
    学校生活から、  私のさまざまな疑問への、「見事な答え:ヒトの子ども発信の教育原理」を、発信し続けました。
      疑問:「教育とは何か?」「 なぜ?  生徒みんなが居心地のいい授業教室や、学級生活ができるのだろう?」
       答え:「教科書(自分と乖離した知識)が欲しいんじゃない! 友だちのこころに触れたい! 友だちと賢くなりたい!」 
        やっと、その願いが叶い、友だちみんなと、学び合い励ましあった教室だから、居心地が良く、楽しい、 のです。

  2、「五体健全な高校生が発信する教育原理」は。

   1)  「例外なく、『授業は何にもわからん。頭悪いから、わたしは(おれは)。』と言いますよ、原先生。学校へ行っても、
    毎日がこれでは、かわいそうですわな。」と、10年以上、保護司の委嘱を引き受けながら、社長職をもこなしている
    親友が、電話口で話す。彼は、今、3人の少年・少女を担当中で、この2月からの高1少女についての相談電話だ。
    またか! 私の頭は、熱くなる。 「目の前の生徒にわかる授業をするのが、給料とっとるプロじゃろうが!」と、熱くなる。
     電話の話は続く。「ヤクザの『お好み焼きやの店』で働いとる。 ヤクザだけは、 止めさせようと思い、話すると、『やさしく、
    大切にしてくれるよ。』と、笑顔が可愛い子なんだ。本人に止める気が無い。親も、深刻に思っとらん!どうしたもんで
    しょうね?原先生。」         
     「困ったなあ。今は、そこが、その子の居心地のいい場所なんだよなあ。この先の、『闇の世界:地獄』は、口先の説得
    ぐらいじゃ理解できんだろうし、店止めて、学校へ行こうなんて、とてもだわなあ。  だけど、あんたといつも話しとるように、
    両親・親族に、その子の一生の方向性がかかっとることを、根気よう説得を繰り返しながら、一方では、その子のおじいちゃん
    役で、心をつなげて待ってやり、観察するじゃわな。」
     親友の彼が、新しく担当の少年・少女を引き受けるたびに、1時間以上の長電話を繰り返す。彼の重責感からの電話だ。
       そのたんびに、大村 はまさんの「学ぶ気が出るまで、教えるのが  プロ です。 素人では、ありません。」 を、 想う。
      この子たち一人ひとりに、「あたま悪い」と思うように、洗脳したのは、学校教育である事実を、直視するのが「プロ先生」。

    2)、    「僕は、あたま悪いのかなあ?ホントかなあ?小学校では、よかったよ。今、自信ないなあ。」
     「中学校になったら、成績競争・いい高校へ。何が大切なのか、考えるヒマなく、このガッコへ来た。自信ないなあ。」
    そんな生徒たちとの、初対面のたんびに、生徒たちの辛かった道程を想い、「私の職責は、何か?」の覚悟固めの4月スタート。
    先生たるものの職責は、「絵に描いた大きい餅」でなくて、1週間で腹持ち餅、1ヶ月で「自信餅」を、食わせること。
     5月の「中間テスト」頃には、生徒による学級自治活動と、自主編成授業は、「巡航速度軌道」に、乗っていました。
     1)学級担任
      2)理科担任

       つづきます。    原 弘良



番号 08D-011  送信日 08/04/30  差出人 原 弘良
件名 生徒発信の教育原理−その23

原です。  

     愛知工業高校卒の私は、地元の工業高校生たちへ、「愛しさ」を覚えていきました。
  日本中が、「荒れる工業高校」と騒ぎ立てるなか、「何ぬかしとるんじゃ!彼らの心は、まともじゃい!」と、
 私の心は、日を追うごとに、彼らの真摯・劣等感・屈曲・ツッパリ・ナイーブさに、肩入れしていく自分を感じながら、
 内心、彼らと共感する喜びが深まりました。  当時、管理教育の激しさを示す言葉・「東の千葉、西の愛知」が、
 工業高校生たちに集中する  1970年代にあって、      彼らが、「ヒトの子ども」であるが故の現象が、
 「荒れる工業高校の本質」だと、私は 直感し、考察して、彼らへの共感をベースに、ちょこっとずつ「私なりの、
 教育の仕掛け」を投入しつつ改良を続けました。

  転任後の4年間の校務分掌は、生徒からは嫌われ役の「生活指導部」でした。しかし、「白衣にヘルメット姿」で
 毎朝校門に立ち番を続け、校門を入る生徒に、ニコニコ「おっはよう!」と、声をかける私に、最初の1週間ほどは
 ビックリ顔の生徒たちでしたが、やがて、笑顔で挨拶が返ってきました。 そのうち、「昼放課の校内巡回指導」の
 当番日には、授業の無い3学年やクラスの生徒が、その中でも、番長格の生徒が、巡回中の私を呼び止め話し
 かけてきます。「先生、変な先生やな。白衣にヘルメット姿で毎日、校門で見張るのは、変やで! 俺らの真似して
 ヘルメットしとるんか?」 「わしゃあ、人真似は、一番嫌いじゃ! 人間は、自分の心に正直に生きるもんじゃ、ちゅうのが、
 わしのやり方じゃ。自分が納得できんもんはやらん! ヘルメットは、オートバイの頃から、頭を守るための頭の一部分やから、
 四つ輪に乗っとる今も、ヘルメットじゃあ。   F1・レース、知っとるやろが?わしゃ、大好きじゃ。 レーサーは、
 フルフェイスヘルメットにフルハーネスで、 レースを走るやろ。 安全のために、プロはそこまでやる。わしは、2年生の物理
 やるが、物理学でヘルメットの安全性を 実験で証明する授業やるでな。 『クルマ・ヒコーキのなぜなぜ?物理』をやるで、
 一緒に楽しもうぜ。」  教室に入り込んで話し込むうちに、生徒の輪がふくらんで、話が盛りあがる。
            実に、たのしい!。 工業高校生は、いい!。

 1、最初の授業は、
   「養護学校の高校生、同じ愛知の空の下で」(私と生徒が撮影した8mm無声映画)を、、「就学猶予差別」や、
 時折、多種多様な障害の説明を加えながら、1時間みんなが静かに観ます。必ず、全員が、静かに食い入って観ます。
 京都から入学したN君は、17歳・身長105cm・「骨形成不全症」・骨折27回の説明にどよめき、あだ名は「カミソリ」、
 鋭い眼光の細面顔、両手杖で敏捷に友だちと走りまわる画面に、全員釘付けの授業です。
                   感動する、純な 彼らに、感動しました。 4年間、続けました。

  2、1年生の「化学」、2年生の「物理」は、それぞれ3単位。
  1)、養護学校で、定着スタイルになった「生徒に身近な物理・化学をテーマに」、 「手づくり教材プリント」、 「実物・実験重視」
  の授業づくりパターンで進めましたが、さすが工業高校生は、理科の理解はいい、  という印象でした。 
   授業は、生徒のノリがよく、スムースでした。  生徒の評判も良く、私も楽しかった。 授業では、「荒れる工業高校」はない。
  2)、しかし、私の教科指導は、体系的教材精選とか科学教育の指導観点からは、未熟なものでした。  たとえば、生徒実験を
   しても、追試実験・確認実験どまりであり、他者の再現研究に耐える「レポート内容の指導」ではなかった。 
  3)、上記実践の弱点の自覚から考えて、「科学を愉しむ生徒本心の、データ収集」「授業による生徒間のコミュニケーション」
   この両者を意図した「授業記録」を、出席番号順に、生徒自身が「何でも帳」的に記録させる方法を、73年から始めました。
    これは、その後の授業実践に不可欠なデータ収集と、生徒間ならびに私とのコミュニケーション手段として、必須アイテムとなり、
   00年3月の退職まで、私を支え励まし続けてくれました。                 もし、未実施の先生には、大推奨します。

 3、強力な、驚くべき「理科チーム」(同僚は、クレージーと言うが)結成と授業実践
   人事異動により、工業高校の理科授業は、全校・自主編成授業完全実施という、夢の体制がスタートしました。正確な年の
  記憶は不正確ですが、1977年前後に、相次いで転入したメンバーが、共通理念と方法での「全校・自主編成授業完全実施」
  で一致したのです!  本人の事前了解を取ってないので、イニシャルにしますが、いずれも、愛知科学教育協議会の現役です。
   物理の I さん、化学の F さんと H さん、そして私。 毎日のように、教材・教具の準備と製作、予備実験のために、
  理科室で即席ラーメンを食べながら、授業準備に明け暮れる日々でした。勿論、全クラス統一の「授業記録」を、生徒の当番制で
  実施し続けました。統一の教材プリントづくりを、物理は I さん、化学は H さんがしました。
   当時、名古屋の理科サークルが、「投げ込み教材の蓄積」や  「授業ノートをつくろう」と熱心に呼びかけていました。
  川勝さんや、飯田さん、三井さんです。手もとに、74年の「理科ノート6号」があり、飯田さんの「投げ込み教材の蓄積を」とか、
  故・三井さんの「ヤブニラミ地学」など、「すべての生徒に科学を」と、今に続く愛知の理科教育研究の熱気の底流を、見せてくれます。 
  
   そして、遂には、「荒れる工業高校」を象徴する現象である大量退学者が続いていた「土木・建築科」の学級担任として
     あらためて、「養護学校生徒発信の教育原理」の普遍性を実感し、証明することになります。
             その「学級づくり」に   つづきます。



番号 08D-012  送信日 08/04/**  差出人 ** **
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番号 08D-013  送信日 08/04/**  差出人 ** **
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