番号 08A-001  送信日 08/01/14  差出人 原 弘良
件名 故・三井さんを偲び学ぶ教育理論の構築を

akknネットのみなさん、こんばんは

 12日(土)理科教育論研究会への参加、楽しかった!久しぶりの都会の雑踏の中を、会場への往復にも私の神経はくたびれます。帰路は、林(正)さんに
くっ付いて一宮までゆったり帰ることができました。
 
 今回、レポートする気になったのは、故・三井さんとの会話を思い返すからです。06年3月に、三井さんが、わざわざ一宮の拙宅まで訪問いただいた事にありました。
「本(授業づくりで変える高校の教室4・理科、川勝 編著)を何度も読み返した。「原さん、今の日本には、後期中等教育理論が無い。荒削りだが、原さんには、ある。
二人で学会を立ち上げよう。2ヶ月に1回定期的に会って理論化しよう。」と、私の資料(生徒の授業記録・レポート・学級新聞:文集、授業テキスト原稿等)を一つ
一つ手に取りながら、例の三井節が続きました。 
 私自身、36年間生徒たちと楽しく感動の日々を生きることができたし、失礼ながら同僚の少なからずの人が、仕事に悩み、生徒を悪く言うのが、私には理解できず
「不思議」でした。川勝さんに、上記の本づくりに誘ってもらい、原稿の推敲を重ねる うちに、「生徒を教育しようとしてない自分・科学あそびを生徒と一緒に楽しむ自分・ 
友だち命を楽しむ生徒たちを眺める学級・授業づくりを楽しむ自分」に気付き始めたのでした。 しかも、現職時代の私は、「年休消化は、労働者先輩への感謝義務」と
思い実行していたから、病気がちの体をいたわりながら釣りや野宿など楽しんでいたから、誰でもが楽しめる実践ペースでしたね。
 しかし、結果は「生徒は、一人も落ちこぼれず・落ちこぼさず」の稀有な事実ですから、やはり、三井さんの評価の重さを「個人」に留めず、理論化に努め、生徒も先生も楽しく
教室で生きるに、少しでもお役に立ちたいなあと考え始めたので、レポートしました。 
 現職の先生たちと、のんびり楽しく交流したいと思います。 今後ともよろしく。 



番号 08A-002  送信日 08/01/18  差出人 岡田 高明
件名 次回名古屋EHC「光の三原色(飯田方式)の製作」

明けましておめでとうございます。みなさんお元気ですか。
   次回のEHCの企画は「光の三原色(飯田方式)の製作」です。
   段ボールの箱の中で線光源の光を赤・緑・青(RGB)セロハン
   を透過させ光の三原色を作り鏡を使って合成し、白や黄色・シアン
   ・マゼンダを映し出す装置です。  

     日時   2008年1月26日(土)10:00〜13:00(2時間程度で完成できると思いますので、早めに終了しましょう)
     テーマ  光の三原色(飯田方式)
     講師   伊藤昇先生(**高校)
     会場   **高校化学実験室(3F)
     準備  (ぜひお持ちいただきたいもの)
        ・+ドライバー(小さいもの、#1、2.4×13の木ネジを回します) 

        ・メジャーまたは30cm程度の物差し
        ・カッターナイフ(ダンボールを切るので、なるべく頑丈なもの)
        ・ニッパーまたはラジオペンチ(ACコードを切って、皮膜を剥がします)
        ・はんだごて(ACコードを2本つなぐだけなので、無い方にはお貸しします)
        ・かなづち(ステップル2,3個を打ちます。無い方にはお貸しします) 

       (あると便利なもの)
        ・ヤスリ(ベニヤ板の切断面を丸めるために。サンドペーパーは準備しますから無くても結構です)
        ・電動ドリル(木ネジを回すのにあれば楽です) 

     予算   5000円程度

   製作を確認した方は次の方です(敬称略)

    林正幸、田中英二(2)、船橋隆久、戸田亜昭、勝野恒光、
  山田光雄、松林隆幸、浅野紳一郎、大橋正和、加藤聡也
  川田秀雄、佐野てつや、斎藤衣子、岡田高明
  以上14名(15個)



番号 08A-003  送信日 08/01/28  差出人 田中 英二
件名 [H8]次回3月9日補習日

こんばんは。田中です。
今日は、私の住んでいる春日井での「第29回春日井の教育を語る市民の集い」でした。120名ほどの参加者で(目論見は150名を超える(昨年は110名))人数的には一定の成功でした。そして、5月から始めた実行委員会(通算10回)も今年度は後反省会を残すだけとなり、肩の荷が少し下りた感じで、やっと自分の仕事に立ち返れるような気がしています。今週は電子工作はやるまいと自分に言い聞かせていましたから・・・。
ところで、3月9日(日)は、補習です。まだ、できあがっていない方は是非この日で完成するように、努力して下さい。完成した方で、プログラムの書き込み方のわからない方、おしゃべりのしたい方など、どうぞ来て下さい。お待ちしています。
 なお、今後の日程は、2月2日(土)一宮駅前の林ラボで11:00AMからEHC事務局会議を行いそこで決定しますのでその後連絡します。また、事務局会議はどなたが参加されても結構ですので、参加希望の方はお越し下さい。
それでは、



番号 08A-004  送信日 08/01/30  差出人 飯田 洋治
件名 ジュニアセミナー科学工作(旧科学たんてい団)講師募集

本年度の中部大学科学たんてい団も無事終了しました。
すでに3年が経過しました。
講師のみなさまお疲れ様でした。
特に,本年度は中学生の講座で,岡島,山岡,田中先生のご負担は大きかったことと思います。
ところでエクステンションセンターから次年度の依頼が来ています。次年度は中学生の開講は厳しく,小学生に特化したい意向のようです。
そこでお願い
★ 年1回程度講師をお願いします。
  昨年に引き続きお願いできる方,新たにやってもいいという方は,添付ファイルの希望調整表の中に日付,テーマを書き込んでお知らせ下さい。
  テーマは'06,'07年度と重ならないようにお願いします。
 ('05年度は重なってもいい)
★ 山岡,田中先生には小学生向きに是非お願いします。
★ 〆切は2月5日(火)までとします。飯田まで。
  大変急がせますがよろしく。



番号 08A-006  送信日 08/01/31  差出人 原 弘良
件名 Re: 定時制

原おじさんです。(近所の子どもたちが言います。退職後に「科学クラブ」をつくり、毎月一緒に遊んでいます)
 加藤さんの教室風景が浮かび、現職時代の楽しかった生徒たちとの授業とダブります。ありがとう。
2年目にしてすでに、加藤さんは、教育にとってとても大切で必須要素に気付かれ(生徒の実体を直視して、状況に応じた指導が大切かと感じる)、また、授業展開方法に工夫(班分けも好きな者同士を認めています。班別で教え会うようなやりかたも考えています。)など、
教育感性の豊かで鋭敏な人柄が伝わってきて、うれしくなります。
 教育は、滑っても転んでも、「学びの主役は、生徒自身にあり」ですし、それを実現するサポーター役のプロとして喜びをいただけるのが教職かなと、理科室で生徒たちのさんざめきや歓声の中で、私にはわくわくの日々でした。世間では、「教育困難校」と勝手にぬかしおる学校の生徒たちでしたが、多種多様な人柄・学力の、あの高校生一人ひとりこそが 「個の輝き」と「友だち・命」という「学校教育の命」を体現し、「先生は、理科の先生になって大正解だね!」と言って、幸せをくれた生徒たちでした。
 競争原理にうつつをぬかす、今の学校教育を続ける限りは、OECDの学力調査結果を待つまでも無く、日本の子どもたちから「本当の生きる希望・喜び」を発見させ得ずに機能して、教育の目的「人格の完成」から乖離するばかりであり、亡国します。
 ところがどっこい!本来の科学教育は、、「学びの主役は、生徒自身にあり」に徹底的に立脚することで、競争原理を超克する力と可能性を発揮できることを、出会った高校生たちが証明したと、私は考えています
 愛知の理科教育運動の先達である、故・三井さんが「一緒に教育理論の構築をしよう」と、拙宅まで訪問されたのも、「理科教育ならできる」という確信を、私の実践(本。明石書店「授業づくりで変える高校の教室4・理科」川勝 編著)から感触を得られたようでした。 (気楽に、ちょっとした工夫の積み重ねですから)      
では、また。    ときどき 書きます



番号 08A-007  送信日 08/01/31  差出人 林 正幸
件名 学びの目的について

 こんにちは、林まさです。
 加藤 賢一さんが、学びとは「人から 学んだり 教えたり することの訓練」なのではないかな、と書いています。私も学びの目的について書いてみたいと思います。
 学びの目的は人によっても様々ですが、今の流行は「いい点数を取るため」「いい大学に入り、いい会社に就職するため」でしょう。これには「他人を押しのける」という論理があり、裏返すと「どうせ自分は負け組だから勉強なんかしてもしょうがない」になります。いくら生きるためとは言っても、これが学びのベースになっていては、社会には荒廃しか生まれないと思いますし、現にそうなっています(もちろんそうでない生き方をしている知識人もいます)。
 学びの目的のひとつは、知って、分かって嬉しいことでしょう。古代ギリシャのある哲学者(名前を忘れた)は「知は心の糧」と言ったそうです。私の好きな言葉です。
 もうひとつの目的は「他人のために役立つ」であると思います。私はこれこそ学びのベースとして教えるべきであると考えています。これは加藤さんの思いにもつながります。ある人が優れた能力をもっていたとして、それは前世の行いが良かったからでしょうか。私はそれはたまたまその人が祖先から受け継いだと考えます。もともと優れた能力は人類共有の財産です。もっと言えば人はそれぞれ優れた面を持っています。これをお互いにみんなのために活かし合えば、社会はよい方向に向かいます。なぜこんなに納得しやすい考えを、親は教師は子どもも、なかなか受け入れないのでしょうか。言い換えるとこんなに痛めつけられながらも、なぜ競争原理と利己主義を我が思想としているのでしょうか。
 学びの目的がそのようになれば、優れた能力をねたむ必要はありません。教え合い学び合うことは、共に前進するための活動です。それに視点が拡がることもあります。学びの目的がそのようでなかったら、教師は何のために教えるのでしょうか。高校教師は生徒が大学に合格するとすかさず「おめでとう」と言います。いったい何がおめでたいのでしょうか。学びの目的が異なる方向を向いているために、心ある教師の努力がどれほど踏みにじられていることでしょうか。
 ではまた。



番号 08A-008  送信日 08/01/**  差出人 ** **
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