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2009年12月3日(木) 今日の一曲 『りんごの森の子猫たち』 飯島真理
キョーコと乙型を描いていただきました
近況というか雑多。
上京その1。『もっけ』の熊倉隆敏さん、『はじめてのあく』の藤木俊さんと飲み会。熊倉さんとは何度飲んだか覚えていないぐらい飲んでいますが、藤木さんは今回が初めて。「少年漫画」という熱い思いを語っていただけ楽しい酒になりました。
上京その2。島国大和さん、自転車創業のかざみみかぜ。さん、るてんしとさんなどと、いつものゲーム業界な飲み会。基本的にオッサンの会なので背景が近く話していて和む。でも、基本的に尖った人達なのでいつも良い刺激になっています。
この2ヶ月ぐらいで上京2回、長崎・佐賀旅行(軍艦島など)、香川・高知旅行(秘境駅・坪尻駅など)と十分遠出したので、これからは書を持って街路から家に戻ろうかな。人から刺激を受けるだけでなく、自分から自分へ詰め込まないと片手落ち。
上京その2で会ったというか、いつもの飲み会面子の『幻想ヘボリアル』さんが久しぶりに更新。
今日の読書 『青銅の悲劇 瀕死の王』 笠井潔(講談社)
2009年11月7日(土) 今日の一曲 『メルト 3M MIX』 supercell feat. ガゼル
魚三楼のお弁当
ミシュラン☆☆弁当。
物議を醸しながら発売された『ミシュランガイド京都・大阪2010』。京都の三つ星のお店は順当でしたが、二つ星に実家でよく利用している魚三楼が選ばれていて吃驚。折角なので、涼元悠一氏の引越し祝いにそこのお弁当をご馳走。当方は何度も食べていますが、相変わらず美味しい。二つ星に驕って堕落しないで欲しいものです。
今日の読書 無し
青天下、軍艦島に上陸す。
今日の読書 無し
2009年10月16日(金) 今日の一曲 『聖馬蹄形惑星の大詐欺師』 平沢進
古代と現代で同じ言葉である落とし穴
黄泉津比良坂の「坂」のように古代と現代で同じ言葉であることから、解釈が混乱することがあります。前回の日記でイザナギが醜女(シコメ)に追いかけられたと書きましたが、醜女の「醜」とは醜いというより、常軌を逸しているとか普通じゃないという意味のようです。つまり醜女とは超常的な恐るべき力を持った女であり、必ずしも醜い女性である必要はないです。余談ですが、グロいという言葉も原義では醜いとは限りません。
閑話休題。国譲りで有名な出雲大社のオオクニヌシは、スサノオから「葦原醜男(アシハラノシコオ)」という名前を貰います。ある著名な文学者は自身の古事記翻訳で、醜男という名前はオオクニヌシを奮起させるために酷い名前を与えたと解釈していました。ここまで読んだ方は分かるように「醜男」とは蔑称ではなく、超常の力を持つ者であり、オオクニヌシが葦原つまり我々の地上世界の覇者となることを予言した名前です。
有名なヤマタノオロチの話ですが、高天原を追放され地上に下ったスサノオは川上から流れてくる「箸」で上流の人家に気付きます。さて、この箸なんですが、いくつかの古事記の現代語訳を読んでもいわゆる箸です。しかし、古代では箸状の物を糞ベラとして用いており、この箸もその可能性が高いと思います。では何故、糞ベラが上流から流れてきたかというと、古代の便所は川にはしけのような板を渡して排便していましたから。
まあ、それ以前に箸が伝来していない時代の物語なんですが。
今日の読書 『他人の顔』 安部公房(新潮文庫)
2009年10月15日(木) 今日の一曲 『Princess Bride!』 KOTOKO
神蹟「黄泉津比良坂」
幕末から戦前、天皇神格化の一環として天皇陵の特定など、皇統が途切れることなく続いた「証拠」が「発見」されたことはよく知られています。それどころか、神武天皇以前、アマテラスの孫である天孫降臨したニニギ、その子であり昔話の山幸彦として知られるヒコホホデミ、孫であり神武の父親ウガヤフキアエズの墓まで特定されています。
何だかキリスト教原理主義の記紀神話版みたいですが、国家神道の下、皇統を遡るだけでなく神話時代の「証拠」探しまで頑張りました。そのような「証拠」は「神蹟」と呼ばれ、その一部は戦後も処分されることなく現在でも確認できます。その一例として記紀神話の中でも知名度が高いと思われる黄泉津比良坂(ヨモツヒラサカ)を紹介します。
黄泉津比良坂とは、この世と黄泉国との境界です。記紀神話において、イザナギは亡くなったイザナミに再会するため黄泉に下るものの、イザナミの変わり果てた姿に驚きます。イザナミは自分の姿を盗み見たイザナギに怒り、醜女(シコメ)を放ち、最後には自ら追いすがるも、イザナギが境界に置いた「千引きの岩」に妨げられ逃げ切られます。
写真1枚目は「神蹟 黄泉津比良坂 伝説地」の全景。写真2枚目は「千引きの岩」。どこが坂だと突っ込まれそうですが、坂とは「さかい(境)」という意味もあり、必ずしも坂ではありません。ちなみに、どうやって場所が特定されたかですが、古事記や出雲国風土記に大体の場所が書かれています。その場所とは出雲国と伯耆国の「境界」でした。
写真3枚目は黄泉からこの世を見た写真。両側は千引きの岩。幸運にも、頭は人間で身体は「<>」のような怪物にならずにすみました。妖怪ハンターこと稗田礼二郎がいない時に何か起これば大変ですから。
神蹟 黄泉津比良坂 伝説地
千引きの岩
黄泉からこの世を見た
今日の読書 『他人の顔』 安部公房(新潮文庫)
2009年9月25日(金) 今日の一曲 『君の知らない物語』 supercell
ご無沙汰です。ここもmixi(らじ)も放置状態ですが、気の迷いでTwitter(らじ)を開始。
人付き合いが加速的にダメになっているので、ろくな事を書いていません。死に体です。
ログ用にTwilog(らじ)も開始。内容はええ年こいたロートルオタクの無意味な戯言。
今日の読書 『変人 埴谷雄高の肖像』 木村俊介(文春文庫)
2009年4月25日(土) 今日の一曲 『composition 0919』 坂本龍一
飲み友達の『幻想ヘボリアル』が遂に再開。
今日の読書 『ハローサマー、グッドバイ』 M. コーニイ(河出文庫)
2008年12月12日(金) 今日の一曲 『風とブーケのセレナーデ』 秋本理央
今、風と愛の小夜曲(セレナーデ)
心が虹になるメッセージ
不器用な子だから 言えないけど
夢の中でいい 胸のささやきを
抱しめてね『風とブーケのセレナーデ』 秋本理央 最近のあれこれとモデラー復帰第2弾。
mixiの方でも1ヶ月ぐらいご無沙汰でしたが、その間に何があったのか記憶があやふや。減り続けた体重は結局、4ヶ月で16キロも減ってしまい、医者に体重を増やすように言れています。
そういえば、遂に禁酒が途切れました。飲んだ相手はいつもの飲み友達である、AQUAPLUSのシナリオライター、涼元悠一さん。谷川流さんも誘っていたのですが、多忙で無理でした。
ずっと禁酒だったことから分かりますが、関東だけでなく関西のオタク業界の面々ともご無沙汰でした。前回飲んだのは去年7月に熊倉隆敏さんとkashmirさんとだから、1年4ヶ月の禁酒。
あと、モデラー復帰第2弾も完成しているので公開します。意外な選択かも知れませんが、第2弾はfigmaの改造。お題はOVAの金字塔『幻夢戦記レダ』(1985年)のヒロイン、朝霧陽子です。
当方はアニメや漫画のフィギュアを改造どころか、一度も作ったことがない人間ですので、あまり突っ込まないでいただければ幸いです。個人的には初挑戦としてはこんなものかなあと。
見栄えが良いので、アニメの設定よりポニーテールを長くしています。イヤリングはプラペーパーと真鍮線で制作可能でしたが、動かしている内に壊れそうなので省略しました。
ただまあ一応、アニメ設定に従った長さのポニーテールも制作しています。
ビキニアーマーの青色部分は、いわゆるキャンディ塗装で仕上げました。青色部分を塗り終わった時はピカピカで派手過ぎるかなと思いましたが、最後にはバランスが取れたかなと。
ビキニアーマーには大剣がよく似合います。『夢幻戦士ヴァリス』(1986年)の麻生優子とか昔はいっぱい居ました。今では絶滅危惧種なんでしょうか。
両手で剣を握らせていますが、ビキニアーマーのヒロイン達は片手でも大剣を振り回せるようです。当時、その辺の設定の好い加減さというか大らかさは、あんまり引っ掛かりませんでした。
アップすると更に粗が目立ちます。デジカメのお陰で肉眼では確認できないレベルまで見えるのが困りもの。顔パーツは、あまり違和感がないと判断したため、フェイトの顔パーツをそのまま利用しています。
折角だから、制作中の写真も。首から下の大部分は関羽雲長のfigmaから制作。主な選択理由は胸関節がビキニアーマーの境界部にちょうど良かったからです。
背中側からの写真。基本的に作業はひたすら削ってパテ盛りの繰り返しです。慣れてくれば、この繰り返し作業は楽しいものです。逆に最初から最後まで辛かった作業は塗装ですね。
靴以外の部分は塗装前の状態まで到達ています。頭部は見たまんまですが、フェイトのfigmaから制作。ビキニアーマーをキャンディ塗装するため、徹底的に表面処理しました。
一番悩んだのは肩アーマーの付け方。肩関節支柱のど真ん中に貫通させた0.8mmの真鍮線と連結させることで、肩の動きと連動するだけでなく、肩アーマー単独で上下に回転できるため、肩関節の動きを邪魔しません。
今日の読書 『昭和陸軍の研究(下)』 保阪正康(朝日文庫)
2008年7月28日(月) 今日の一曲 『教訓 I』 加川良
最近のあれこれ。
友人のかがみみかぜ。さんが代表である『自転車創業』の新作『そう、あたしたちはこんなにも理不尽な世界に生きているのだらよ3 ※この世界で2の発売予定はありません。』が発売しました。当方が知る限り最も長いゲームタイトルです。あと、良く勘違いされますが、同人ではなく商業作品。また、美少女ゲームではありません。
付き合いがある漫画家の石黒正数さんや脚本家の金月龍之介さんも同意見でしたが、キンチョウのこのCMは本当に気持ちが悪い。生理的に受け付けない、何とも説明の仕様がない壁の存在を感じます。この外装では酷いので、ダッチワイフというかラブドールのトップメイカーであるオリエント工業に作ってもらえば良いのに。
今日の読書 無し
2008年7月22日(火) 今日の一曲 『余呉湖にて』 竹村延和
日本一の山、富士山は世界遺産?
前回、日本の世界遺産候補に対する姿勢について記しました。現在、日本の世界遺産候補で最も馬鹿らしいと思っているのは富士山です。富士山は信じ難いことに当初は自然遺産での登録を目指していました。これには正気を疑いましたが、流石にどう考えても無理だと分かったのか、現在は信仰の山として文化遺産での登録を目指しているそうです。
今の富士山に対して信仰の山というイメージは強いのでしょうか。確かに百数十年前までは富士信仰は盛んでした。しかし、明治政府の宗教政策でその信仰は破壊されました。 富士登山した方なら御存知でしょうが、山頂には神社があります。でも、明治初期まではそこに大日如来がありました。大日如来は廃仏毀釈で破壊され、神社に変更されました。
また、山岳宗教として修験道を思い付く方もおられると思います。勿論、日本屈指の霊山である富士山では修験道が盛んでした。しかし、明治の宗教改革により修験道は禁止されました。この時、修験道の多くが神道化したため、現在の修験道に対する理解を混乱させています。他にも民間信仰として江戸時代に流行した富士講も当然禁止されています。
以上のように信仰の山として連綿と続いてきた富士山の伝統は明治政府により徹底的に断絶されました。富士山を世界遺産候補とする文化庁の説明はかなり苦しいと思います。文化遺産なのに自然遺産に対するような説明が多いです。しかし、富士山が目指しているのは文化遺産です。ただの綺麗な山に過ぎず、自然遺産として特異性が乏しいです。
富士山は世界遺産になれますか?
今日の読書 『摩天楼の怪人』 島田荘司(東京創元社)
2008年7月21日(月) 今日の一曲 『Eureka』 Jim O'Rourke
先日、日本の世界遺産候補としては初めて平泉が落選しました。
世界遺産に登録されるには、第三者的な諮問機関であるICOMOSによる評価を受ける必要があり、その評価を参考にして世界遺産に登録されます。通常はICOMOSの評価に従って登録の可否が判断されてきました。しかし、昨年登録された石見銀山遺跡ではICOMOSから登録延期が勧告されたのにも係わらず、極めてまれな逆転登録となりました。
当方はICOMOSによる評価後、世界遺産登録前に石見銀山遺跡を訪問したことがありますが、ICOMOSが指摘した問題点に納得し、石見銀山遺跡の世界遺産登録はどう考えても無理だと思いました。それだけに石見銀山遺跡が逆転登録で世界遺産になったことに仰天しましたし、ロビー活動で袖の下でも渡したのではないかと強い疑いを抱きました。
今回、平泉がICOMOSから登録延期の勧告を受けたことに対して、日本は逆転登録を目指してロビー活動をしていくと恥ずかし気もなく表明しました。ICOMOSが指摘した問題点に対して改善するのが普通じゃないでしょうか。石見銀山遺跡では世界遺産登録後、ICOMOSの指摘に対応したと聞いたことはなく、ひたすら観光客集めに励んでいるようです。
将来、ロビー活動の実態が露見して灰色の世界遺産になるより、ICOMOSが指摘した問題点に対応するか、世界遺産登録を諦めるのがベターだと考えています。日本では石見銀山遺跡や平泉に対するICOMOSの登録延期勧告に対して大騒ぎしていましたが、世界では文化遺産登録が過剰で、審査が厳しくなり、合格率は六割程度まで低下しています。
日本は今回の平泉落選を教訓として、ロビー活動よりもICOMOSの指摘を真摯に受け止め、日本国内における観光客の増加を第一として世界遺産登録を目指す風潮を戒め、世界という視点を意識して、甘い基準で何でもかんでも暫定リスト入り(世界遺産候補)させる現在のやり方を考え直してくれると良いのですが、今の日本では無理なのでしょうね。
日本において第三者機関や監査が正常に機能しないのも納得。
今日の読書 『軍神』 山室建徳(中公新書)
2008年7月16日(水) 今日の一曲 『星間飛行』 ランカ・リー=中島愛
キラッ! 流星にまたがって
あなたに急降下 ah ah
濃紺の星空に私たち花火みたい
心が光の矢を放つ『星間飛行』 ランカ・リー=中島愛 最高の技術力で最低のストーリーを提示してくれる『マクロスF』。今観ているアニメの中ではかなりの駄目アニメです。
先々週の放送ではランカがヴァルキリーに立ち乗りして『星間飛行』を歌うという頭が痛くなる馬鹿な展開を素晴しい作画技術で見せてくれました。その後、EDテロップを観ていると、この『星間飛行』の作詞が松本隆ということに驚かされました。
作詞家としての松本隆の名前は知らなくとも、彼が作詞した作品を全く知らない方はいないと思います。もし、松本隆の名前を知っているとすれば、日本語ロックを確立した、はっぴいえんどのメンバーとしての認識が多いのではないでしょうか。
今となっては信じがたいことですが、約40年前、日本語でロックを歌えるかどうかという日本語ロック論争が起こりました。 詳細はリンク先に譲りますが、結果としてはっぴいえんどの大傑作『風街ろまん』(1971年)が日本語ロックを確立しました。
この『風街ろまん』で大部分の作詞を手掛けたのが、当時はっぴいえんどのドラマーだった松本隆です。また、『風街ろまん』には後に何度もカバーされる名曲『風をあつめて』も含まれています(作曲ははっぴいえんどのベースだった細野晴臣)。
当方がファンの細野晴臣はもう61歳ですが、今日で59歳になる松本隆が『星間飛行』のような歌詞を書けることにただただ驚かされます。元々は歌謡曲の作詞に興味が無かった松本隆が、阿久悠に次ぐ作詞家になったことにも驚かされますが。
今日の読書 『明治神宮の出現』 山口輝臣(吉川弘文館)
2008年1月5日(土) 今日の一曲 『アンインストール』 石川智晶
そこは、「人類みな兄妹」ではなく、遺伝的に「閉じている」。
昨今の女の子満載のアニメが嫌いなのですが、村とか島などの狭い環境下において、同じような顔の美少女が数多く存在するのは、きっと閉鎖的な環境により遺伝的に行き詰まっている、前時代的な言い方で表現するなら血が濃いため、似たような表現型が発現しやすいのでしょう。
外部からやって来た男性が、そのような環境に組み込まれることで否応なくモテるのは、大昔、外部との交流が少なかった村で旅人などの稀人を歓待して女性をあてがうことで、外部からの血を入れて濃い血を薄めてきたのと同じ理由(遺伝的な多様性を獲得)なのでしょう。納得です。
また、作品世界に特殊な病気が存在する場合も、同じく遺伝子的に行き詰まっているという設定に起因するのに違いない。ただ単に美少女が沢山出てくると思っていたけど、実は閉鎖環境での土着的恐怖を描いたホラーだったんですね。現代が舞台であるのが御都合主義なだけで。
確かに、同じ顔ばかりなら美少女でもグロテスクな世界だ。
今日の読書 『東本願寺三十年紛争』 田原由紀雄(白馬社)
2008年1月1日(火) 今日の一曲 『The Private Psychedelic Reel』 The Chemical Brothers
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鎮守の森、その奥に坐ます神様。
写真は今日お詣りした水主坐天照御魂神社。やたらと長い名前ですが、単純に水主(みずし)に鎮座する(います)天照御魂(アマテルミタマ)を祀る神社という意味です。写真のように田んぼの中にぽつねんと島のような鎮守の森が形成され、神さびたという言葉がしっくりする空気を感じる事が出来ます。
水主神社は、『延喜式神名帳』という927年に作成された国家が管理する神社のリストに掲載されている、千年以上の歴史を持つ古社ですが、掲載された全2861社のほとんどが1柱の神様(平均1.09柱)をお祀りするのに対して、この神社は唯一10柱もの神様を祀っているという際だった特徴があります。
その10柱の神様で第一に挙げられているのが、天照御魂(アマテルミタマ)ですが、どのような神様なのでしょうか。当方のような素人には、音の類似から天照大神(アマテラス)を想像してしまうのですが、天火明命(アメノホアカリ)という神様で、天孫降臨で知られる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄神です。
天火明命とは古代の有力氏族である尾張氏の祖神であり、一説にはこちらも有力氏族である物部氏の祖神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同神とも言われます。これは偽書とされる『先代旧事本紀』の説なのですが、『日本書紀』でもう一人の天孫とされた饒速日命と同神とは興味深くはあります。
さて、天照御魂とされる天火明命や饒速日命は、共に『日本書紀』において天照大神の孫神とされますが、この天照御魂こそ天照大神の元となった太陽神だという説があります。これは天照大神の別名であるオオヒルメが太陽を祀る巫女のことであり、祀られる対象が天照御魂だったのではという説です。
その真偽はさておき、個人的には興味深い説だと思ってます。世界的には、太陽神は男神、月神は女神であるというパターンが多く、男神である天照御魂(天火明命)を祀る巫女が天照大神(オオヒルメ)だったという考えはしっくりきます。更に飛躍して、天照大神は女神ではなく男神という説もありますが。
ここで結論は出せませんが、天照御魂が有力な神様だったのは確からしく、『延喜式神名帳』には複数の天照御魂神社が記載されています。例えば、京都には蚕ノ社こと木島坐天照御魂神社、奈良には三種の神器、八咫鏡を作った石凝姥命(イシコリドメ)を合祀する鏡作坐天照御魂神社などがあります。
今日の読書 『戦中派不戦日記』 山田風太郎(講談社文庫)
皇大神宮(伊勢神宮内宮)
一年間と一ヶ月の参拝記。
オンラインでもオフラインでも、完全に秘密にしていましたが、去年の11月下旬に明治神宮に参拝して初めての御朱印を戴いて以来、この一年間と一ヶ月を全国の神社への参拝に費やしてきました。その結果、310社の神社から御朱印を戴きました。また、写真が趣味ですので、1万枚以上撮影しました。
また、この期間の読書の大部分は神道関係でした。元々『古事記』が特に好きでしたので、現代語訳で7種類、原文(書き下し文)で3種類読みました。『日本書紀』や『出雲国風土記』も一応読んでいますが、愛読する『古事記』レベルの読み込みは出来ておらず、もっと読み込んでいきたいと考えています。
なお、当方の最大の興味は国家神道と近代天皇制であるため、参拝の対象として、近代社格制において国家から奉幣を受けた官国幣社の内、天皇と縁が強い官幣大社から官幣小社の全て、国幣社では最高位である国幣大社の全てへの参拝を目標にしました。その結果は下記の記録で確認して下さい。
あと、今回の参拝では縁があったのか色々とタイミングが良い場合が多かったです。例えば、出雲への旅では島根県立古代出雲歴史博物館が開館したばかりで、開館記念特別展「神々の至宝−祈りのこころと美のかたち−」を観られましたし、奈良国立博物館の特別展「神仏習合」も素晴しい内容でした。
また、当方はとにかく旅行が好きな人間ですので、様々な場所に行けるだけで幸せになれます。今回の参拝の旅のお陰で未訪問だった県の数も少し減らす事が出来て、これまで経験した事が無い県は高知県と長崎県だけになりました。図示すればこんな感じで、東北三県と佐賀も訪問したいところですが。
今後の予定としては、ペースは落としますが、特に興味がある一宮(飛騨、越中、但馬、周防、讃岐、土佐、肥前)への参拝、古社にも興味があるので関西圏で延喜式神名帳に記載されたいわゆる式内社への参拝、気に入った神社への再参拝を考えています。もう十分無理をしているので可能な範囲で。
上段で気に入った神社への再訪と書きましたが、この一年一ヶ月で最も多く参拝したのは、靖國神社(東京)への5回。それに次ぐのは、明治神宮(東京)、日吉大社(滋賀)、石清水八幡宮(京都)への3回。2回は多数になるので省略。いずれも特に気に入っている神社ですので、今後も参拝すると思います。
一年間一ヶ月では十分な成果だったと考えていますが、如何でしょうか。唯一参拝出来なかった官幣大社である月山神社(山形県)は来年の宿題というか、最初から今年は無理だと思っていました。遠いだけでなく、高山の山頂にあるので、まともな登山になるからです。諦めずに今後も機会を狙いますが。
豊受大神宮(伊勢神宮外宮)
【一年と一ヶ月の参拝記録】
《御朱印を戴いた神社》 310 社 (以下は「御朱印を戴いた神社」の内訳)
《近代社格制度》
伊勢神宮(内宮/外宮/別宮 5/5 社)
官幣大社 57/58 社、官幣中社 22/22 社、官幣小社 5/5 社
国幣大社 6/6 社、国幣中社 18/45 社、国幣小社 13/37 社
別格官幣社 12/28 社《延喜式神名帳》
式内社総計 181/2861 社
式内名神大社 96/224 社、式内大社 23/129 社、式内小社 62/2508 社《参拝した一宮》 47 国
(畿内)山城、大和、河内、和泉、摂津
(東海道)伊賀、伊勢、志摩、尾張、駿河、伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸
(東山道)近江、美濃、信濃、上野
(陸奥)−
(北陸道)若狭、越前、加賀、能登、越後
(山陰道)丹波、丹後、因幡、出雲、石見
(山陽道)美作、備前、備中、安芸、長門
(南海道)紀伊、淡路、阿波、伊予
(西海道)筑前、筑後、豊前、豊後、肥後、大隅、薩摩《未参拝の一宮》 21 国
(畿内)−
(東海道)三河、遠江、甲斐
(東山道)飛騨、下野
(陸奥)陸奥、出羽
(北陸道)越中、佐渡
(山陰道)但馬、伯耆、隠岐
(山陽道)播磨、備後、周防
(南海道)讃岐、土佐
(西海道)肥前、日向、壱岐、対馬《県別一覧》 35 都道府県で参拝
北海道神宮
【北海道】 5 社
・北海道神宮(官幣大社/開拓三神と明治天皇を祀る/北海道総鎮守)
・北海道神宮頓宮(北海道神宮末社/北海道神宮の旧遙拝所)
・開拓神社(北海道神宮末社/北海道開拓の功労者を祀る)
・札幌三吉神社(札幌唯一の旧県社/秋田県の本社から入植者が勧請)
・札幌護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
一之宮貫前神社
【群馬】 1 社
・一之宮貫前神社(国幣中社/式内名神大社/上野国一宮/経津主神を祀る)
筑波山神社
【茨城】 2 社
・鹿島神宮(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/常陸国一宮/鹿島社の総本社)
・筑波山神社(式内名神大社/伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る/筑波山の山岳信仰)
安房神社
【千葉】 4 社
・香取神宮(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/下総国一宮/香取社の総本社)
・安房神社(官幣大社/式内名神大社/安房国一宮/天太玉命を祀る)
・玉前神社(国幣中社/式内名神大社/上総国一宮/玉依姫命を祀る)
・小御門神社(別格官幣社/藤原師賢を祀る/建武中興十五社)
金鑚神社
【埼玉】 6 社
・氷川神社(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/武蔵国一宮/氷川社の総本社)
・金鑚神社(官幣中社/式内名神大社/武蔵国二宮/天照大御神と素盞嗚尊を祀る)
・秩父神社(国幣小社/式内小社/武蔵国四宮/八意思兼命を祀る/秩父三社)
・氷川女體神社(式内小社/武蔵国一宮/奇稻田姫命を祀る/氷川神社女体宮)
・宝登山神社(日本武尊関連/神武天皇を祀る/ダイダラボッチ伝説/秩父三社)
・高麗神社(高句麗の末裔、高麗王若光を祀る/伊東忠太設計)
靖國神社
【東京】 10 社
・明治神宮(官幣大社/勅祭社/明治天皇を祀る)
・日枝神社(官幣大社/准勅祭社/大山咋神を祀る/皇居鎮守)
・大國魂神社(官幣小社/式内小社/武蔵国総社/大國魂大神を祀る)
・靖國神社(別格官幣社/勅祭社/戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
・神田神社(准勅祭社/江戸鎮守/平将門を祀る)
・東京大神宮(天照大御神を祀る/神前結婚式の元祖)
・東郷神社(東郷平八郎元帥を祀る)
・乃木神社(旧乃木邸隣地/乃木希典大将を祀る)
・平田神社(国学四大人の一人、平田篤胤を祀る)
・三囲神社(稲荷神を祀る/三井家と三井財閥の守り神/三柱鳥居)
寒川神社
【神奈川】 5 社
・鎌倉宮(官幣中社/護良親王を祀る/建武中興十五社)
・鶴岡八幡宮(国幣中社/相模国一宮/三大八幡)
・寒川神社(国幣中社/式内名神大社/相模国一宮/寒川大明神を祀る)
・報徳二宮神社(二宮金次郎こと二宮尊徳を祀る)
・児玉神社(児玉源太郎大将を祀る/伊東忠太設計)
武田神社
【山梨】 2 社
・武田神社(武田信玄を祀る/本拠地だった躑躅ヶ崎館跡)
・山梨縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
諏訪大社上社本宮
【長野県】 5 社
・諏訪大社上社前宮(官幣大社/式内名神大社/信濃国一宮/諏訪社の総本社)
・諏訪大社上社本宮(官幣大社/式内名神大社/信濃国一宮/諏訪社の総本社)
・諏訪大社下社春宮(官幣大社/式内名神大社/信濃国一宮/諏訪社の総本社)
・諏訪大社下社秋宮(官幣大社/式内名神大社/信濃国一宮/諏訪社の総本社)
・手長神社(建御名方神の曾祖母神である手摩乳を祀る)
彌彦神社
【新潟】 3 社
・彌彦神社(国幣中社/式内名神大社/越後国一宮/天香山命を祀る)
・彌彦神社御神廟(彌彦神社の祭神である天香山命を祀る霊廟)
・新潟縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
富士山本宮浅間大社
【静岡県】 5 社
・富士山本宮浅間大社(官幣大社/式内名神大社/駿河国一宮/浅間社の総本社)
・三嶋大社(官幣大社/式内名神大社/伊豆国一宮/伊豆国総社)
・井伊谷宮(官幣中社/宗良親王を祀る/建武中興十五社)
・神部/浅間/大歳御祖神社(国幣小社/式内小社/駿河国総社)
・伊豆山神社(国幣小社/式内小社/伊豆山神を祀る/関八州総鎮護)
熱田神宮
【愛知】 8 社
・熱田神宮(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/尾張国三宮)
・真清田神社(国幣中社/式内名神大社/尾張国一宮/天火明命を祀る)
・尾張大國霊神社(国幣小社/式内小社/尾張国総社/尾張大國靈神を祀る)
・津島神社(国幣小社/式内小社/天王社、津島社の総本社)
・高座結御子神社(式内名神大社/熱田神宮摂社/高倉下命を祀る)
・八剣宮/上知我神社(式内小社/熱田神宮の別宮と摂社)
・氷上姉子神社(式内小社/熱田神宮摂社/熱田神宮の発祥地)
・愛知縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
南宮大社
【岐阜】 1 社
・南宮大社(国幣大社/式内名神大社/美濃国一宮/金山彦命を祀る)
椿大神社
【三重】 12 社
・皇大神宮(神宮内宮/式内大社/二十二社/天照大御神を祀る)
・豊受大神宮(神宮外宮/式内大社/二十二社/豊受大御神を祀る)
・伊雑宮(神宮内宮別宮/式内大社/志摩国一宮/天照大御神を祀る)
・瀧原宮(神宮内宮別宮/式内大社/天照大御神を祀る/元伊勢)
・月讀宮(神宮内宮別宮/式内大社/月讀尊を祀る)
・倭姫宮(神宮内宮別宮/倭姫命を祀る/大正時代創建の別宮)
・月夜見宮(神宮外宮別宮/式内小社/月讀尊を祀る)
・多度大社(国幣大社/式内名神大社/伊勢国二宮/天津彦根命を祀る)
・敢國神社(国幣中社/式内大社/伊賀国一宮/四道将軍、大彦命を祀る)
・椿大神社(式内小社/伊勢国一宮/猿田彦社の総本社)
・椿岸神社(式内小社/椿大神社別宮/天鈿女命を祀る)
・二見興玉神社(夫婦岩で有名/猿田彦大神を祀る)
気多大社
【石川】 4 社
・気多大社(国幣大社/式内名神大社/能登国一宮/大己貴命を祀る)
・白山比盗_社(国幣中社/式内小社/加賀国一宮/白山社の総本社)
・尾山神社(別格官幣社/加賀藩初代藩主、前田利家を祀る)
・石川護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
若狭彦神社
【福井】 4 社
・氣比神宮(官幣大社/式内名神大社/越前国一宮/伊奢沙別命を祀る)
・金崎宮(官幣中社/尊良、恒良親王を祀る/建武中興十五社)
・若狭彦神社(国幣中社/式内名神大社/若狭国一宮/彦火火出見尊を祀る)
・若狭姫神社(国幣中社/式内名神大社/若狭国二宮/豊玉姫命を祀る)
日吉大社西本宮
【滋賀】 20 社
・近江神宮(官幣大社/勅祭社/天智天皇を祀る)
・日吉大社西本宮(官幣大社/式内名神大社/二十二社/近江国二宮/日吉社の総本社)
・日吉大社東本宮(官幣大社/式内名神大社/二十二社/近江国二宮/日吉社の総本社)
・日吉大社宇佐宮(官幣大社/山王七社/田心姫を祀る/三十番神)
・日吉大社牛尾宮(官幣大社/山王七社/大山咋神の荒魂を祀る/三十番神)
・日吉大社白山宮(官幣大社/山王七社/菊理姫神を祀る/三十番神)
・日吉大社樹下宮(官幣大社/山王七社/鴨玉依姫神を祀る)
・日吉大社三宮宮(官幣大社/山王七社/鴨玉依姫神の荒魂を祀る)
・建部大社(官幣大社/式内名神大社/近江国一宮/日本武尊を祀る)
・多賀大社(官幣大社/式内小社/近江国三宮/伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る)
・御上神社(官幣中社/式内名神大社/近江国三宮/天之御影神を祀る)
・佐久奈度神社(式内名神大社/四柱の祓戸大神を祀る)
・川田神社(式内名神大社/天湯川田奈命と天川田奈命を祀る)
・小野神社(式内名神大社/天足彦国押人命と米餠搗大使主命を祀る)
・都久夫須麻神社(式内小社/市杵嶋姫命を祀る/通称、竹生島神社)
・沙沙貴神社(式内小社/佐佐木大明神を祀る/佐佐木源氏の発祥地)
・苗村神社(式内小社/國狭槌尊を祀る/本殿は国宝)
・水口神社(式内小社/大水口宿禰命を祀る/水口曳山祭で有名)
・白鬚神社(猿田彦を祀る白鬚神社の総本社/近江国最古の神社)
・滋賀縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
北野天満宮
【京都】 69 社
・平安神宮(官幣大社/勅祭社/桓武天皇を祀る/伊東忠太設計)
・白峯神宮(官幣大社/最強の祟り神と言われる崇徳天皇を祀る)
・伏見稲荷大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/稲荷社の総本社)
・伏見稲荷大社奥社奉拝所(官幣大社/二十二社/奥の院)
・伏見稲荷大社御膳谷奉拝所(官幣大社/二十二社/三ヶ峰への神供所)
・松尾大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/松尾社の総本社/松尾三社)
・賀茂別雷神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/勅祭社/山城国一宮)
・賀茂御祖神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/勅祭社/山城国一宮)
・石清水八幡宮(官幣大社/二十二社/勅祭社/三大八幡)
・八坂神社(官幣大社/二十二社/素盞嗚尊を祀る/祇園社の総本社)
・平野神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/源氏と平氏の氏神)
・梅宮大社(官幣中社/式内名神大社/二十二社/酒解神を祀る)
・吉田神社(官幣中社/二十二社/平安京の春日社/吉田神道)
・貴船神社(官幣中社/式内名神大社/二十二社/貴船社の総本社)
・北野天満宮(官幣中社/二十二社/天満宮の総本社)
・大原野神社(官幣中社/二十二社/長岡京の春日社)
・出雲大神宮(国幣中社/式内名神大社/丹波国一宮/元出雲)
・籠神社(国幣中社/式内名神大社/丹後国一宮/元伊勢)
・護王神社(別格官幣社/和気清麻呂を祀る)
・建勲神社(別格官幣社/織田信長を祀る)
・豊国神社(別格官幣社/豊臣秀吉を祀る)
・梨木神社(別格官幣社/三条実萬、三条実美を祀る)
・木島坐天照御魂神社(式内名神大社/天之御中主神を祀る/蚕ノ社/三柱鳥居)
・自玉手祭来酒解神社(式内名神大社/大山祇神を祀る)
・許波多神社(式内名神大社/天忍穂耳尊を祀る)
・月読神社(式内名神大社/松尾大社摂社/月読命を祀る/松尾三社)
・河合神社(式内名神大社/賀茂御祖神社摂社/玉依姫命を祀る)
・岩屋神社(式内名神大社/天忍穂耳尊を祀る/陰陽の巨大イワクラ)
・角宮神社(式内名神大社/乙訓坐大雷神社/火雷神を祀る)
・羽束師坐高御産日神社(式内大社/高皇産霊神と神皇産霊神を祀る)
・岡田国神社(式内大社/生国魂尊と菅原道真を祀る)
・岡田鴨神社(式内大社/八咫烏こと建角身命を祀る)
・棚倉孫神社(式内大社/天香山命を祀る)
・梛/隼神社(式内大社/素盞鳴尊を祀る/八坂神社の元社/元祗園)
・小倉神社(式内大社/春日四神を祀る)
・櫟谷宗像神社(式内小社/松尾大社摂社/宗像二女神を祀る/松尾三社)
・綾戸国中神社(式内小社/二柱の直日神と素盞嗚尊を祀る)
・住吉大伴神社(式内小社/住吉三神と大伴氏の祖神を祀る)
・上御霊神社(式内小社/八人の祟り神、八所御霊を祀る)
・下御霊神社(式内小社/八人の祟り神、八所御霊を祀る)
・御香宮神社(式内小社/神功皇后を祀る/伏見城大手門が楼門)
・福王子神社(式内小社/光孝天皇の皇后、班子女王を祀る)
・日向大神宮(式内小社/京の伊勢/内宮外宮で構成される)
・宇治上神社(式内小社/菟道稚郎子を祀る/日本最古の神社建築/世界遺産)
・宇治神社(式内小社/菟道稚郎子を祀る/離宮八幡宮)
・大田神社(式内小社/賀茂別雷神社摂社/天鈿女命を祀る)
・旦椋神社(式内小社/高皇産霊神、神皇産霊神、菅原道真を祀る)
・巨椋神社(式内小社/春日四神と天磐樟船神を祀る)
・向日神社(式内小社/向日神を祀る/幕末の国学者、六人部是香を輩出)
・水度神社(式内小社/和多都美豊玉姫命を祀る)
・相楽神社(式内小社/仲哀天皇を含む八幡神を祀る)
・久我神社(式内小社/上賀茂神社と下鴨神社の神を合祀する)
・與杼神社(式内小社/肥前国一宮である與止日女神社から勧請)
・玉田神社(式内小社/八幡神と春日四神を半分ずつ祀る)
・田中神社(式内小社/飛鳥田神社/素盞鳴尊を祀る)
・荒見神社(式内小社/天火明命など五柱を祀る)
・走田神社(式内小社/春日四神を祀る)
・城南宮(式内小社/鳥羽離宮/京都の南の守護/曲水の宴で有名)
・大将軍八神社(素戔嗚尊を祀る/星の神を祀る陰陽道系神社/王城鎮護)
・離宮八幡宮(石清水八幡宮の元社/嵯峨天皇の離宮跡)
・市比賣神社(稲荷神と大歳神の母神、神大市比賣命を祀る)
・野宮神社(伊勢神宮の斎宮の潔斎所跡/天照大神を祀る)
・晴明神社(安倍晴明を祀る/一条戻り橋の近くに鎮座)
・藤森神社(素戔嗚尊を祀る/神功皇后の三韓征伐関連/王城鎮護)
・宗像神社(宗像三女神を祀る/京都御所の裏鬼門の守り神)
・白雲神社(市杵島姫命を祀る/西園寺家の屋敷神/立命館の発祥地)
・東丸神社(国学四大人の一人、荷田東丸を祀る)
・乃木神社(乃木希典大将を祀る/京都の乃木神社)
・京都霊山護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
談山神社
【奈良】 37 社
・橿原神宮(官幣大社/勅祭社/神武天皇を祀る)
・吉野神宮(官幣大社/後醍醐天皇を祀る/建武中興十五社)
・石上神宮(官幣大社/式内名神大社/二十二社/布都御魂大神を祀る)
・春日大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/勅祭社/春日社の総本社)
・龍田大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/級長津彦命を祀る)
・廣瀬大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/若宇加能賣神を祀る)
・大神神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/大和国一宮/大物主大神を祀る)
・大和神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/大國御魂神を祀る)
・丹生川上神社上社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/高おかみの神を祀る)
・丹生川上神社中社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/罔象女神を祀る)
・丹生川上神社下社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/高おかみの神を祀る)
・談山神社(別格官幣社/藤原鎌足を祀る)
・多坐彌志理都比古神社(式内名神大社/太安万侶を輩出した多氏の氏神)
・穴師坐大兵主神社(式内名神大社/兵主神を祀る/日本最古の神社の一つ)
・葛城一言主神社(式内名神大社/一言主大神の降臨地)
・葛木御歳神社(式内名神大社/御歳神を祀る/中鴨社)
・高天彦神社(式内名神大社/高皇産霊神を祀る/境内は高天原のモデル)
・鴨都波神社(式内名神大社/事代主命を祀る/下鴨社)
・飛鳥坐神社(式内名神大社/事代主命などを祀る/奇祭で有名)
・高鴨神社(式内名神大社/味耜高彦根命を祀る/鴨社の総本社/上鴨社)
・村屋坐禰冨都比賣神社(式内大社/大神神社別宮/三穂津姫を祀る)
・鏡作坐天照御魂神社(式内大社/八咫鏡を作った石凝姥命を祀る)
・石園座多久虫玉神社(式内大社/多久虫玉命を祀る)
・十市御縣座神社(式内大社/豊受大神を祀る)
・徃馬大社(式内大社/伊古麻都比古神を祀る/生駒山が神体山)
・檜原神社(式内大社/大神神社摂社/天照大神を祀る/元伊勢)
・伊射奈岐神社(式内小社/伊弉諾尊と菅原道真を祀る)
・狭井神社(式内小社/大神神社摂社/大物主大神の荒魂を祀る)
・率川神社(式内小社/大神神社摂社/姫蹈鞴五十鈴姫命を祀る)
・等彌神社(式内小社/天照大御神、春日明神、八幡大神を祀る)
・賣太神社(式内小社/古事記の編纂者、稗田阿礼を祀る)
・漢國神社(式内小社/園神と韓神を祀る/境内社は饅頭の祖神)
・天河大弁財天社(大峯本宮/色んな意味で有名な芸能の神様)
・手向山八幡宮(大仏建立時に勧請された初めての八幡宮分社)
・久延彦神社(大神神社摂社/物知りの案山子、久延毘古命を祀る)
・氷室神社(氷室の創始者を神として祀る)
・奈良縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
住吉大社
【大阪】 23 社
・水無瀬神宮(官幣大社/後鳥羽、土御門、順徳天皇を祀る)
・住吉大社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/摂津国一宮/住吉社の総本社/三大住吉)
・大鳥大社(官幣大社/式内名神大社/和泉国一宮/大鳥社の総本社)
・生國魂神社(官幣大社/式内名神大社/生嶋神と足嶋神を祀る/灘波大社)
・枚岡神社(官幣大社/式内名神大社/河内国一宮/元春日)
・坐摩神社(官幣中社/式内大社/摂津国一宮/坐摩神を祀る)
・四条畷神社(別格官幣社/楠木正行を祀る/建武中興十五社)
・阿倍野神社(別格官幣社/北畠親房、顕家を祀る/建武中興十五社)
・新屋坐天照御魂神社(式内名神大社/天照大神を祀る)
・比賣許曽神社(式内名神大社/新羅から渡来した下照比売命を祀る)
・大依羅神社(式内名神大社/建豊波豆羅和気王と住吉三神を祀る)
・恩智神社(式内名神大社/河内国二宮/大御食津彦大神を祀る/元春日)
・杜本神社(式内名神大社/経津主神を祀る/経津主神の陵墓)
・垂水神社(式内名神大社/四道将軍、豊城入彦命を祀る)
・生根神社(式内大社/少彦名神を祀る/別名、奥の天神)
・神須牟地神社(式内小社/神皇産霊神と少彦名神を祀る)
・大海神社(式内小社/住吉大社摂社/豊玉彦命と豊玉姫命を祀る)
・櫻井神社(式内小社/八幡神を祀る/拝殿は国宝)
・道明寺天満宮(菅原道真の祖先である土師氏の氏神が起源)
・土佐稲荷神社(稲荷神を祀る/三菱財閥の発祥地にある三菱の守り神)
・誉田八幡宮(応神天皇陵に隣接/最古の八幡宮とも言われる)
・少彦名神社(少彦名神を祀る/薬の神様/薬問屋が創建した社)
・高津宮(聖帝と呼ばれた仁徳天皇を祀る)
西宮神社
【兵庫】 8 社
・伊弉諾神宮(官幣大社/式内名神大社/淡路国一宮/伊弉諾尊の幽宮)
・廣田神社(官幣大社/式内名神大社/二十二社/天照大神の荒魂を祀る)
・生田神社(官幣中社/式内名神大社/稚日女尊を祀る)
・長田神社(官幣中社/式内名神大社/事代主命を祀る)
・海神社(官幣中社/式内名神大社/綿津見三神を祀る)
・湊川神社(別格官幣社/楠木正成を祀る/建武中興十五社)
・湊川神社大楠公墓所(楠木正成の墓所)
・西宮神社(蛭子神系えびす社の総本社/廣田神社の元摂社)
熊野本宮大社
【和歌山】 11 社
・日前國懸神宮(官幣大社/式内名神大社/紀伊国一宮)
・熊野本宮大社(官幣大社/式内名神大社/熊野社の総本社/世界遺産)
・熊野速玉大社(官幣大社/式内大社/熊野社の総本社/世界遺産)
・丹生都比売神社(官幣大社/式内名神大社/紀伊国一宮/丹生社の総本社/世界遺産)
・竈山神社(官幣大社/式内小社/神武天皇の兄である彦五瀬命を祀る)
・熊野那智大社(官幣中社/熊野社の総本社/世界遺産)
・伊太祁曽神社(官幣中社/式内名神大社/紀伊国一宮/五十猛命を祀る)
・志磨神社(式内名神大社/中津島姫命を祀る)
・丹生官省符神社(弘法大師が高野口に創建/世界遺産)
・飛瀧神社(熊野那智大社別宮/那智大滝を神体とする/世界遺産)
・神倉神社(高倉下命を祀る/熊野三所大神の降臨地/巨大イワクラ)
宇倍神社
【鳥取】 1 社
・宇倍神社(国幣中社/式内名神大社/因幡国一宮/武内宿禰を祀る)
熊野大社
【島根】 12社
・出雲大社(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/出雲国一宮)
・熊野大社(国幣大社/式内名神大社/出雲国一宮/意宇六社)
・美保神社(国幣中社/式内小社/事代主神系えびす神社の総本社)
・日御碕神社(国幣小社/式内小社/古代日本の西端、日が沈む社)
・物部神社(国幣小社/式内小社/石見国一宮/宇摩志麻遅命を祀る)
・佐太神社(国幣小社/式内小社/出雲二宮/出雲四大神の一柱)
・須佐神社(国幣小社/式内小社/素盞嗚尊の発祥地)
・玉作湯神社(式内小社/櫛明玉神を祀る/古代最大の玉作場/玉造温泉)
・八重垣神社(式内小社/意宇六社/八雲立つ出雲八重垣の歌で有名)
・揖夜神社(式内小社/意宇六社/黄泉との境界、黄泉比良坂に鎮座)
・長浜神社(式内小社/国引きの神である八束水臣津野命を祀る)
・神魂神社(意宇六社/最古の大社造/古代出雲の中心地)
中山神社
【岡山】 4 社
・吉備津神社(官幣中社/式内名神大社/備中国一宮/吉備津彦を祀る)
・中山神社(国幣中社/式内名神大社/美作国一宮/石凝姥命を祀る)
・吉備津彦神社(国幣小社/備前国一宮/吉備津彦を祀る)
・岡山縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
厳島神社
【広島】 3 社
・厳島神社(官幣中社/式内名神大社/安芸国一宮/厳島神社の総本社)
・御袖天満宮(『転校生』のロケに使われた石段で有名)
・広島護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
赤間神宮
【山口】 4 社
・赤間神宮(官幣大社/安徳天皇を祀る/竜宮造の社殿)
・住吉神社(官幣中社/式内名神大社/長門国一宮/住吉三神荒魂を祀る/三大住吉)
・忌宮神社(国幣小社/式内小社/長門国二宮/仲哀天皇行宮である豊浦宮跡)
・乃木神社(長府の乃木神社/乃木希典大将の郷里)
金刀比羅宮
【香川】 4 社
・金刀比羅宮(国幣中社/式内小社/大物主命、崇徳天皇を祀る/こんぴらさん)
・厳魂神社(嚴魂彦命を祀る/金刀比羅宮の奥社)
・白峯宮(崇徳天皇社/崇徳天皇の遺体を保存した霊泉近くに鎮座)
・讃岐宮(香川縣護國神社/善通寺の乃木神社/乃木大将は善通寺初代師団長)
大麻比古神社
【徳島】 2 社
・大麻比古神社(国幣中社/式内名神大社/阿波国一宮/大麻比古大神を祀る)
・忌部神社(国幣中社/式内名神大社/天日鷲命を祀る/阿波国総鎮守)
大山祇神社
【愛媛県】 1 社
・大山祇神社(国幣大社/式内名神大社/伊予国一宮/山祇、三島社の総本社)
香椎宮
【福岡】 13 社
・香椎宮(官幣大社/勅祭社/仲哀天皇を祀る)
・筥崎宮(官幣大社/式内名神大社/筑前国一宮/三大八幡)
・宗像大社辺津宮(官幣大社/式内名神大社/宗像社の総本社/市杵嶋姫神を祀る)
・宗像大社中津宮(官幣大社/式内名神大社/宗像社の総本社/湍津姫神を祀る)
・高良大社(国幣大社/式内名神大社/筑後国一宮/高良玉垂命を祀る)
・太宰府天満宮(官幣中社/天満宮の総本社/菅原道真の墓所)
・英彦山神宮(官幣中社/天孫の父神、天忍穗耳命を祀る/日本三大修験の霊山)
・志賀海神社(官幣小社/式内名神大社/綿津見社の総本社)
・住吉神社(官幣小社/式内名神大社/筑前国一宮/住吉三神誕生地/三大住吉)
・竈門神社(官幣小社/式内名神大社/神武天皇の母神、玉依姫命を祀る)
・宇美八幡宮(神功皇后が八幡神である応神天皇を産んだ地)
・櫛田神社(博多総鎮守/博多祗園山笠、博多おくんちで有名)
・水天宮(水天宮の総本社/天之御中主神、安徳天皇を祀る)
宇佐神宮
【大分】 4 社
・宇佐神宮(官幣大社/式内名神大社/勅祭社/豊前国一宮/八幡宮の総本社/三大八幡)
・西寒多神社(国幣中社/式内大社/豊後国一宮/西寒多大神を祀る)
・柞原八幡宮(国幣小社/豊後国一宮/宇佐八幡宮の別宮)
・大分縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
阿蘇神社
【熊本】 3 社
・阿蘇神社(官幣大社/式内名神大社/肥後国一宮/阿蘇社の総本社)
・八代宮(官幣中社/懐良親王を祀る/建武中興十五社)
・藤崎八旛宮(国幣小社/肥後国三宮/熊本総鎮守/五所別宮)
鵜戸神宮
【宮崎】 3 社
・鵜戸神宮(官幣大社/鵜葺不合尊を祀る/断崖の洞窟に社殿)
・宮崎神宮(官幣大社/神武天皇を祀る/伊東忠太設計)
・宮崎縣護國神社(戊辰戦争以降の戦没者を祀る)
霧島神宮
【鹿児島】 4 社
・鹿児島神宮(官幣大社/式内大社/大隅国一宮/彦穗穗出見尊を祀る/五所別宮)
・霧島神宮(官幣大社/式内小社/天孫、瓊瓊杵尊を祀る)
・新田神社(国幣中社/薩摩国一宮/天孫、瓊瓊杵尊の御陵に鎮座/五所別宮)
・照国神社(別格官幣社/薩摩藩28代藩主、島津斉彬を祀る)
波上宮
【沖縄】 7 社
・波上宮(官幣小社/琉球八社/熊野三所権現を祀る/沖縄総鎮守)
・安里八幡宮(琉球八社/八幡神を祀る/琉球八社で唯一の非熊野系)
・普天間宮(琉球八社/熊野三所権現を祀る/本殿奥に聖地としての洞穴)
・識名宮(琉球八社/熊野三所権現を祀る/本殿奥に聖地としての洞穴)
・末吉宮(琉球八社/熊野三所権現を祀る/岩山上の石垣に鎮座)
・沖宮(琉球八社/熊野三所権現を祀る/御嶽がある霊峰に鎮座)
・沖縄県護國神社(日清日露戦争以降の戦没者を祀る)今日の読書 『慰霊と招魂』 村上重良(岩波新書)
昭和6年、大阪にあるアパートが建てられました。最初期の鉄筋コンクリートのアパートとして、そのモダンさは憧れの的だったそうです。このアパートの建築目的はスラム化の防止でしたが、戦後の混乱期、皮肉にもスラム化してしまいました。
その後、無秩序に建て増しなどの改造が加えられて、特異な高密度の生活空間が形成され、いつの間にか「軍艦アパート」と呼ばれるようになりました。軍艦アパートは元々、三棟が存在しましたが、最後の一棟が昨年閉鎖されて消えました。
以下の写真は閉鎖直前に、小説家で脚本家の飲み友達、涼元悠一氏と、軍艦アパートの最期を看取るために訪問した時に撮影しました。素人写真で恐縮ですが、失われてしまったモノが伝われば幸いです。二度と有り得ない空間にサヨナラ。
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東京都復興記念館
『もっけ』な妖怪建築探訪。
初めて上京した時、築地本願寺を訪問しました。『帝都物語』(荒俣宏)にも登場するこのお寺は、伯爵であり首相候補にもなった西本願寺門主、大谷光瑞の依頼により、東京帝大名誉教授である伊東忠太の設計により建てられました。
大谷光瑞と伊東忠太という二人の傑物により、東京に築地本願寺というインドが現出したのは昭和9年。世界へのアクセスが容易になった現代人が見ても圧倒されるこの怪建築を竣工当時、72年前に見た人々の驚きは想像できません。
伊東忠太への興味の原点は築地本願寺でしたが、それを決定的にしたのは妖怪趣味でした。文字通り「人を食った」忠太は変わった所があるのか、帝大教授であった大正14年に「化けもの」という文章を『週刊朝日』で発表しています。
湯島聖堂
2月某日。忠太の建築を再訪しようと思い立ち、飲み友達であり妖怪漫画『もっけ』の作者である熊倉隆敏さんを誘ってみました。妖怪好きな熊倉さんなら当然かも知れませんが、以前から忠太に興味があったらしく、良いタイミングでした。
最初に訪れたのは御茶ノ水の湯島聖堂。築地本願寺がインドなら、湯島聖堂は東京の中の中国です。実は湯島聖堂は忠太建築では最も好きな作品なんですが、その理由は近代建築により、神を宿すことに成功した稀有な例だから。
湯島聖堂は四方を取り囲んだ空間から成りますが、一歩その空間に入ると外とは完全に隔絶してくれます。その空間の不思議な雰囲気は言葉では巧く表現できません。ふと見上げれば、四方から霊獣である鬼龍子が見下ろしています。
東京都慰霊堂
次に訪れたのは両国の東京都慰霊堂。関東大震災で3万人が亡くなった業の地に建つこの慰霊堂は、神社と寺院と五重塔と城を組み合わせたような怪建築。東京大空襲の被害者を含め十数万人の遺骨が納められており、重いです。
この重い建物であっても、忠太の妖怪趣味は健在だったようで、建物の外部のあちこちに謎の化け物が配置されていました。建物内部に入ると普通にお参りできる空間で、流石に遊んでいないなと思い見上げれば、3体のガーゴイルが。
最後に訪れたのは築地本願寺。境内に入った途端、目の前にインドが現出。熊倉さんは笑ってしまったそうですが、これはもう笑うしかない建物です。存在自体が奇跡。興奮しながら、内部でお参りしようと思ったら、少し前に閉門で敗北。
築地本願寺
3月某日。意外に早く再チャレンジの機会が巡って来ました。熊倉さんと合流して、今度は最初から築地本願寺を訪問しました。当然、以前とは違い開いていましたので内部へ。そこでいきなり見つけた牛、怪鳥、獅子、馬、猿、象。凄い。
流石は忠太で最も有名な築地本願寺。ただただ圧倒的。本堂も立派ですが、巨大なパイプオルガンが設置されて何か違う。本堂は何もないだろうなと思い、柱を見たら玄武。よく見れば、朱雀、青龍、白虎も。絶対に趣味に走っている。
いきなり満腹になりましたが、続いて靖国神社に移動。境内にある遊就館は多数の兵器が展示され、軍国主義的だとも言われますが、ミリタリ好きなら大喜び。実は初めて上京した時に遊就館も訪問しました。実はミリタリ好きでしたので。
頭の中が兵器で一杯になっていると気付かないかも知れませんが、実は遊就館も忠太の建築です。忠太の建築という目で見れば、何だかよく分からない鬼瓦のような物体が正面にあり、これもよく分からないシャチホコにも気付くはず。
一橋大学図書館
余裕があったので、最後は国立市の一橋大学へ。一橋大の象徴ともいえる兼松講堂だけでなく、本館、図書館、東本館も忠太の建築です。しかも、これらは忠太の建築の中でも妖怪趣味が極めて濃く、その意味では築地本願寺以上。
特に忠太の建築で最も化け物が多いと言われる兼松講堂には仰天するしかありませんでした。建物単体でもロマネスク建築で日本を代表する傑作なのに、偏執狂なまでにそこらじゅうに化け物を配置しています。それはもう呆れるぐらい。
この2日間は当方だけでなく、妖怪好きの熊倉さんにとっても、珍しいぐらい過剰な化け物尽くしの日だったのではと思います。化け物で吐きそうなぐらい満腹になりました。本当に吐いたら、そこに新しい忠太の化け物が生まれそうですが。
外灘地区
魔都は遠くなりにけり。
上海航空FM972便で関西空港を15:30発。約二時間のフライトで上海へ。上海に近付くにつれ、郊外の田園風景が見えてくるのですが、全ての家屋が同じ様式というか同じ規格ばかりで玩具の家みたいでした。これも計画経済の結果なのか。
定刻通り17:05に上海の浦東空港に到着。タラップを降りる時にむわっとする高湿度の強烈な熱気に包まれて、南方に来たんだなと身体で感じられました。空港からホテルまでは奮発してタクシー。途中で数多くの日本企業の看板を見かけました。
企業の進出もそうなのだけど、高層建築が異様に林立していて、その経済発展の凄まじさが視覚的にはっきり理解出来ました。ただ、余りに勢いがあり、バベルの街のように罰を受ける日が来ないかと想像したり。貧富の差とかも酷いんだろうな。
上海遠望
ホテルはソフィテルハイランド上海。何と四つ星です。これまで清く貧しい旅をしてきたので違和感を覚えるけど、ツインで一人5,000円程度とリーズナブル。ロビーで数々の旅を共にしてきたW氏と合流。W氏は赴任地のバンコクからの到着でした。
さらに上海在住のN氏と合流。N氏はW氏と同じく京大での旅行サークル仲間。タクシーでN氏のお薦めの料理屋へ。お洒落なビルなのにスカスカな印象。雨後の筍のようにビルが建つ上海では入れ物だけ作って、中身は後から考えるかららしい。
N夫人も合流して、お薦めの担々麺など。上海到着後初の中華でしたが、どれも美味くて満足。帰りにライトアップされた租界時代の石造建築物が見られて心も満足。電力事情が芳しくない上海ではライトアップされない日もあるらしくラッキーでした。
豫園の龍瓦
N夫婦と別れ、コンビニで買ったビールで飲み直し。今回の旅行ではコンビニのお世話に結構なりましたが、この文化は本当に便利。コンビニに行く途中、暗い夜道で女性に付きまとわれました。立ちんぼの売春だけど、この文化もどこでもありますね。
二日目。上海では一二を争う観光地、旧上海城地域にある豫園を目指して歩く。ホテルのある辺りは近代的な建物ばかりでしたが、豫園に近づくと昔ながらの住居が密集して、上海人の生活の空気を感じられました。カメラを向けると怒られますが。
豫園は広大な庭園で数々の楼閣が配置され、その特徴ある瓦に魅せられました。中国では奇岩を愛でる文化がありますが、豫園では岩を組み合わせて人工のトンネルが造られていて、西洋庭園のグロッタ趣味に通じるものがあり興味深かったです。
テレビ塔
バスに乗り、昨日も見かけた租界時代の石造建築物が並ぶ外灘地区へ。上海で最も有名な観光地ですが、居並ぶ建築物は立派の一言。そこから川を挟んで、これまた有名な葱坊主のような形をした、高さでアジア一のテレビ塔が見えました。
その川を渡る観光地下トンネルがあり、N氏から「二度と通りたくなくなる」と聞いていたので嬉しがって挑戦。自動カートに乗ると子供騙しの電飾とBGMが。余りの馬鹿らしさに腰砕け。確かに話の種にはなるけど、料金を返せと言いたくなる。
川を渡ったのでテレビ塔にも登ってみようと思ったのが、今日の失敗でした。途中、260mの展望台から見渡す上海は大都会の偉容を一望出来て良かったのですが、最上階350mの展望台に登って降りるのに一時間以上も待たされてひたすら消耗。
上海の雑踏
まだ時間があったので、地下鉄を乗り継いで、あの孫権が建立したという上海最古の禅寺、龍華寺へ。七層八角の仏塔は立派でしたが、既に疲れ果てていたので、ろくに鑑賞せずに近くのメシ屋で遅い昼食と青島ビール。胃に酒が滲みて癒される。
かなり弱ってきたので、龍華寺から高架鉄道と地下鉄でホテルに一旦引き上げて休憩。ところで、中国では列車を火車、バスを汽車と呼びますが、新しく造られた高架鉄道は新汽車と呼ばれていました。列車とバスの中間的な扱いなんでしょうか。
ホテルで休憩後、本日最大の楽しみである上海雑技団へ。最初に感想を述べると、本当に良かった。過剰なのに洗練されているというか、一つの芸だけで凄いのにさらに別要素を加えたり、手品やコミカルな要素など趣向を凝らして飽きさせない。
上海雑技団
その後、N夫婦と合流してお薦めの湖南料理屋、滴水洞湘菜館へ。湖南料理は野性味と激辛で有名ですが、辛い物好きの当方には極楽でした。特に美味しかったのが、シシカバブ風のスペアリブ。香料の使い方が絶妙、料理名は忘れたけど。
N夫婦と別れて、昨日と同じくホテルで飲み直し。ヒマワリの種をつまみに紹興酒を飲み続ける。何だかひたすら飲んでばっかりの気もするけど、今回の旅行の最大の目的は美味い料理と酒を堪能することなので、これはこれで良い感じだと思う。
三日目。チェックアウトしてタクシーで上海駅へ。これから蘇州を目指しますが、切符は軟座。読んで字の通り、日本の電車のような柔らかい座席で、そこから硬座、無座とダウンしていきます。軟座だけ待合室までリッチなのには驚きましたが。
盤門付近
上海発9:00、蘇州まで80キロ。定刻通り9:47に到着。タクシーでホテルへ。今日の宿は何とあのシェラトン、五つ星です。一人7,000円ですが、貧乏旅行者である自分がシェラトンに泊まることになろうとは。立派な建物にビビりました。プールもあるし。
ホテルから裏手にある盤門へ。盤門とは蘇州で唯一残っている城門で、日干しレンガの城壁と門で構成されていますが、水城都市である蘇州らしく水門もあり、立体的で興味深い景色でした。その後、タクシーに乗って、盤門から少し離れた滄浪亭へ。
滄浪亭は世界遺産に登録された蘇州四大名園の一つで、最も古い庭園。規模はかなり小さいですが、竹林の使い方が趣深く、豫園と同じく岩石のトンネルがありました。ただ、この庭園が世界遺産といわれても、ちょっと弱いかなという印象でした。
拙政園
蘇州の中心である観前街で辛い麺で昼食後、蘇州四大名園で最大の拙政園へ。蓮で満たされた池やそれをとりまく楼閣も立派ですが、大味で規模だけという印象。ここも世界遺産であることに疑問を感じてしまいました。趣味の問題かも知れないが。
拙政園から郊外にある虎丘へ。虎丘には高さが50m近い日干しレンガの七層八角の斜塔があります。地盤沈下で傾き始めたらしいが、明らかに傾いていることが分かります。傾いているのも面白いけど、実に遺跡らしい佇まいで見応えがありました。
虎丘を後に1,500年近い歴史を持つ禅寺、寒山寺へ。参拝客は太い線香の束を手のひらに挟みながら祈っていましたが、日本に伝わっていない作法でしょうか。その後、昨日からの疲れが溜まっていたので、当方はホテルで仮眠、W氏は買い物へ。
虎丘の斜塔
戻ったW氏と適当なバスに乗って、目についた料理屋で夕食。地元の人しか行かないような店で、腹一杯食って、青島ビールを飲んで一人15元、200円程度。安い、それに何より美味かった。上海に来てから外れ無しです。宿に戻ってまたビールで〆。
四日目。蘇州発10:37、上海に若干遅れて11:30に到着。N氏によると中国で定刻通りに列車が運行されるのは稀らしい。N氏との待ち合わせのため、上海駅に留まったけど、人の波が怖いぐらい。今でも農村部から人が雪崩れ込んでくるのかな。
N氏と合流後、地下鉄とタクシーで世界的に有名な小籠包の名店、鼎泰豊へ。あまり美味しい美味しいと書くとボキャブラリーが貧困で嘘くさく聞こえますが、これも流石の美味さ。こんな美味しい物ばかり食べて、良いんだろうかと自問自答状態に。
上海の街角
腹も満たされたので、腹ごなしに日本にもあるスーパー、カルフールへ。食品売り場にお国柄が出て面白いですね。中華は油でしょうが、5リットル入りを何本も買う人が結構居て驚く。あと、サッカー日本代表チップスが売っていたが、売れるのか。
ホテルまでタクシーで戻り、中国式の茶店で中国茶をひたすら飲みながら、サークル同期の近況や思い出話などをして、二時間以上も粘る。流石に旅の疲れもピークに達してきて腰も重かったけど、晩飯までに腹を空かすために夜の外灘地区へ。
夜の外灘は魔都の往時を偲ばせる建築がライトアップされ、対岸のテレビ塔や高層ビルも光り、一番人気のある景色であることを納得させる、一番感動的な景色でした。ただ、観光客がここぞと押し寄せるので、遊歩道は凄まじい人出になりますが。
夜の外灘
腹も減ってきたので、旧フランス租界地区へ。この地区は古い建物が残っているだけでなく、街路樹も多く、フランス租界当時に思いを馳せることが出来ました。そこの怪しげな裏路地に入ったところが、本日の夕食を摂る上海家庭料理のお店。
N夫妻が馴染みというこのお店はこぢんまりとして家庭的な雰囲気。当方の横で主人が中国将棋に興じていたり、良い感じ。N夫人も合流して三回目となる会食。中華料理といえば濃いイメージですが、意外とあっさりした味付けで新鮮。酒も進む。
N夫人とは別れ、N氏とW氏でホテルの部屋で飲み直し。昼間に茶店で散々話したのに話題は尽きず、紹興酒も二本空きました。そして当方は今回の旅行で初めて潰れました。中国人は意識がなくなるまでは飲まないそうで、見習いたいものです。
リニア
五日目。昨晩は飲み過ぎましたが、朝には爽快。今日の予定は帰国するだけ。地下鉄に乗ってリニア駅まで。空港までリニアモーターカーが通じており、日本ではリニアは商業化していないので、上海に行ったら絶対に乗ろうと考えていました。
体感ではスピードが分かりませんが、親切にもメーターが設置されており、時速430キロまで出ているのが分かりました。走行距離と時間を考えれば、異様に速いのは理解出来るけど、流れる景色を見る限り、そんなに速いとは思えなかった。
上海航空FM971便で浦東空港を11:25発、関空14:50着で今回の旅も無事終了。当初の目的通り、本当に美味い料理と酒に尽きる旅でした。同行者のW氏、美味しい店を紹介してくれた上海のN夫妻に心から感謝。また一緒に旅立ちたいものです。
風の道
風の辿り着く場所を目指して。
早朝に京都発、岡山から瀬戸大橋方面へ、9時前には児島駅到着。更に10分程歩けば、14年前に廃線になった下津井電鉄の児島駅。駅舎自体は下電旅行センターとして再利用されていますが、日曜日は休みで、廃線時のまま残っているという構内や時刻表などを確認することは出来ませんでした。
児島駅をぐるっと回って駅舎の背後へ。そこから終点の下津井駅まで続いていく廃線跡が、今回の旅の目的地である風の道。遊歩百選にも選ばれたこの道は、野ざらしだった廃線跡が遊歩道として整備されただけでなく、ホームや架線柱がそのまま残っていて、いつか歩きたいと思っていた道でした。
児島駅から赤崎駅、阿津駅と住宅地を貫き、かつての都電のように、家々と近接した文字通り身近な鉄道だったんだなと。犬の散歩やジョギングに利用する方が散見されましたが、今でも身近な空間なんでしょうね。地元の方が植えられた花や架線柱が次々に連なっていき、目を楽しませてくれました。
児島〜備前赤崎間
阿津駅を過ぎると登り坂となり、JR瀬戸大橋線の下を潜り緑の中へ。山腹にへばり付くように道は続き、琴海駅に到着。高所にあるため、見渡した瀬戸内海は絶景でしたが、下の集落から駅まで登ってくるのは大変だったのではと思いましたが、ローカル線らしく案外のんびりしたものだったのかもとも。
再び緑の中や切通しを進んで、鷲羽山駅へ。『悪霊島』(横溝正史)の発端として有名な鷲羽山への入口。鷲羽山は児島半島の先端で瀬戸内海を一望できる景勝地です。時間の都合で今回はスルーしましたが、鷲羽山駅からでも実に眺望が見事で、瀬戸大橋や下津井東部の集落を一望出来ました。
鷲羽山駅を過ぎ、東下津井駅を経由してなだらかに下っていき、最後は住宅地を大きく迂回して、下津井港の端にある終点、下津井駅で風の道は終了。フェンスで囲まれているため、駅に入ることは出来ませんが、近代建築好きには堪らない趣を持った駅舎で、遠望した車庫には電車も残っていました。
琴海駅からの眺望
余談ですが、奇しくも風をタイトルに含んだ鮎川哲也の傑作『風の証言』(1971年)において、旦那刑事が下電に乗り下津井駅を訪れています(創元推理文庫版ではP.42)。廃線になった現在ではもちろん、駅や駅前はひっそりとしていますが、『風の証言』を読む限り、33年前でもひっそりしていたようです。
下津井駅到着は10時20分。バス停で帰りの下電バスを確認すると、事前調査通り11時25分、その次になると13時35分。この11時台のバスに乗るために、一般に2時間で歩く行程を1時間強で歩きました。当方は歩くのは速い方ですが、写真を撮りまくりながらでも、楽しい道だったのでさくさく歩けました。
バスまで1時間しかないので早速、町並み保存地区にも指定され、鹿賀丈史主演の角川映画『悪霊島』(1981)のロケ地にもなった古い町並みへ。小さな港町で規模が物足りなかったものの、江戸時代に金比羅詣での出発地、風待ち港として栄えていた頃を偲ばしてくれる格子窓やなまこ壁は見事でした。
下津井の町並み
最後に歴史資料館であるむかし下津井回船問屋を見学して調度良い時間になったので近くのバス停へ。予定通りのバスに乗って12時前にJR児島駅に到着。12時23分のマリンライナーに乗って岡山、12時59分に伯備線へ乗り換えて倉敷の次である清音に13時22分到着。さらに井原鉄道に乗り換え。
13時34分に井原鉄道のワンマン1両が到着。1駅目の川辺宿で降りるので一番前に乗り込みましたが、窓が大きいため、シンプルな鉄骨組みの高梁川橋を渡る際の眺めはなかなかでした。川辺宿には13時38分到着、高架に描かれた金田一耕助と案内板を確認して、金田一耕助ミステリー遊歩道へ。
この遊歩道は『本陣殺人事件』や『獄門島』が書かれた横溝正史の疎開宅や横溝正史コーナーがある真備町ふるさと歴史館などを巡るコース。実は疎開宅を訪問するのは10年振り二度目、当時はコース整備も井原鉄道もなく、疎開時代のエッセイ『金田一耕助のモノローグ』から推定して訪問しました。
横溝正史疎開宅
一応、スタートは川辺宿なんですが、井原鉄道は1時間1本であり、清音から歩く方が遠距離だけど便利だと思います。今回は連絡が良かったのと物珍しさで井原鉄道に乗りましたが、横溝正史が疎開時に利用しただけでなく、『本陣殺人事件』で金田一耕助が最初に降り立ったのが清音駅ですから。
閑話休題して、金田一耕助ミステリー遊歩道。川辺宿駅から2キロほど田んぼに挟まれた遊歩道を延々歩いていくと、真備町ふるさと歴史館に到着。横溝正史コーナーはお世辞にも充実しているとは言えませんが、再現された書斎、自筆原稿、当時の写真などもあり、ファンなら訪れて損は無いかと。
歴史館の背後には横溝正史の散歩コースであり、『空蝉処女』に登場した大池があり、対岸には『本陣殺人事件』が発生した一柳家の推定地とされる竹林も遠望できました。大池から少し歩くと10年振りの横溝正史疎開宅が見えてきました。以前は非公開でしたが、今では整備されて見学可能です。
金田一耕助の影
受付のおじさんと少し世間話をすると、町で家を買い取って整備したとのこと。この家で、この座敷で当方が偏愛して止まない数々の傑作が生み出されたのかと思うと感無量としか言いようがない。音声案内が始まると突然、金田一耕助のシルエットが襖に現れるのは過剰演出な気もしますが、怖いし。
疎開宅を後にして、『獄門島』に名を取られたかも知れない千光寺、同じく『八つ墓村』での濃茶の祠、その横にあり横溝正史が座って構想を練った耕助石、『本陣殺人事件』で三本指の男が最初に登場した場所、山陽道の川辺宿の本陣跡を過ぎて、金田一耕助や横溝正史も渡った旧川辺橋を渡る。
橋を渡れば直ぐJR清音駅。16時前に到着、15時59分の岡山行きに乗車。横溝正史が幸せだった時代として『楽しかりし桜の日々』を記すことになる3年6ヶ月の疎開を終え、昭和23年7月31日に後にしたのがこの清音駅。一時期は『天地無用!』オタクの巡礼地でしたが、今では流石に居ないだろうな。
歩くことが本当に幸せな旅でした。
朝霧の街から毒ガスの島へ 2003年10月11日 【1日目】
合流点、左に比熊山
物怪譚のルーツの地へ。
早朝5時前に起床。京都から在来線で新大阪、のぞみの始発に乗継いで、8時19分には広島着。さらに、8時39分発の急行みよしに乗り、9時58分に終点である三次に到着。『朝霧の巫女』の舞台であり、妖怪マニアには『稲生物怪物語』で有名な土地。早朝ではないため、霧は山に少しかかっている程度でした。
当初は山陰地方を観光してから三次入りして宿泊、朝霧を堪能しようかとも思ったのですが、明日の目的地である毒ガスの島との兼ね合いで諦めました。『朝霧の巫女』で主人公、尋が到着したホームや三江線のホームを観察してから改札、そこで島根から車で駆け付けてくれた、大学時代の旧友K氏と合流。
車で回ってもつまらないので、徒歩で散策。駅近くの大型スーパーCCプラザ、市役所を抜けると、江の川の支流である馬洗川に架かる巴橋に至ります。『朝霧』で何度も登場したこの橋から四方を眺めれば、ここが盆地であることがよく分かり、西城川との合流点や稲生物怪の発祥地、比熊山も遠望できます。
たばこ屋脇の路地
橋を渡ると街が良い意味で古くなり、寺社の配置からもこちらが旧市街と分かります。鉄道が今ほど普通では無かった頃、駅は町外れに設置され、後に駅周辺が中心地になる事が多かったのですが、三次もかな。旧市街では、所謂「うだつが上がらない」という言葉にもなった卯建をアピールしていました。
河原をぶらついてから、本通り商店街へ。味のある建物が多く、デジカメで撮影しまくったのですが、その中で一際目立っていたのが三次銀行本店だった歴史民族資料館。稲生物怪のコーナーもあり、設置されたノートには「朝霧の巫女を読んで三次へ来ました」の文字ばかり。ここでは研究書を購入しました。
再び商店街に戻り、三上たばこ店脇の軒下をくぐって路地へ。こういう入口は情趣があり、京都ではよく見かけますが、他では少ない気がします。さらに三次フードセンター、そこから商店街を離れ、併走する国道183号線に架かる歩道橋へ、西側の三江線尾関山駅、桜並木のある土手へと歩きました。
太歳神社
そして、国道を北上して太歳神社へ。『朝霧』の主人公達が生活する稲生神社のモデル。予想よりこぢんまりした印象でしたが、拝殿まで石段があり、背後には比熊山がそびえ、雰囲気はなかなかでした。国道から外れ細田食料品店を過ぎ、旭橋から西城川を渡り、土手沿いに南下して馬洗川との合流点へ。
水道橋から馬洗川を渡って土手沿いの道を親水公園へ。主人公達が通う高校はこの公園に建っている設定らしいのですが、この日は物凄い光景が。1万台以上のハーレーダビッドソンが集まる大イベントが偶然にも開催されていました。とにかく凄まじい台数。さらに偶然ですが、会社の同僚も参加してらしい。
三次最後の訪問地、大型スーパーのイズミで休憩する頃には脚は疲れ果てていました。たった3時間半歩いただけでこれとは、運動不足を痛感。時間が勿体ないので、休憩もそこそこに国道184号線を南下して、午後3時には尾道に到着。チェックイン後、大林映画探訪の拠点マルコシ書店へと思ったら、無い。
仕方ないので、観光案内所でロケ地マップを入手。疲れた足を酷使して千光寺公園へ一気に登る。見下ろした街と尾道水道は一年振りでしたが、見飽きません。『転校生』の石段を過ぎ、タイル小路と思ったら撤去済み。理由は理解できたけど残念でした。最後に港周辺を徘徊、晩飯に刺身を食べて本日は終了。
朝霧の街から毒ガスの島へ 2003年10月12日 【2日目】
中部砲台跡
地図から消された島へ。
今日も早朝、5時半に起床。散歩に昨日訪問し損ねた西願寺へ。尾道観光は基本的に駅の東側ですが、西側の高台にあるこの寺は当方が一番好きな邦画である『さびしんぼう』の舞台。ガイドにも載らない場所ですが、二度目ですので迷わずに坂道を上り到着。見下ろした薄明で青く染った街は幻想的でした。
折り返して直ぐにチェックアウト、三原に向かって西へ。7時半には三原港に到着。ここから高速船で渡る大久野島が今回の旅の最後目的地。朝飯にコンビニで買ったパンを噛りながらボーッとしていたら、港の隣で交通事故発生、救急車やパトカーが次々と来たけど、眠いのでさらにボーッと。しかし、不吉だな。
8時29分、高速船が出港。20分程で島が見えてきた。これが日本軍の要塞であり、イペリットや青酸など毒ガスを大量に製造していたために地図から抹消された島かと。戦後も毒ガス処理のため、米軍に占領されていましたが、国民休暇村として生まれ変わり、今では瀬戸内の明るい島の一つにしか見えません。
毒ガス貯蔵庫跡
下船したのはK氏と自分だけ。当たり前だけど平和な風景、休暇村に遊びに来た子供達が駆け回っている所に場違いな二人。作業の安全を祈ったであろう大久野島神社に参ってから、毒ガス資料館へ。当時の防毒技術と意識の低さもあるだろうけど、多くを手作業に頼り、多数の犠牲が出たのが何とも重い。
背景も理解できたので、さっそく出発。釣りに興じる人達を尻目に島の南斜面にある消えかけの道を登る。目指すは南部砲台跡。開けた場所にやっと出たと思ったら何もない。いや、足元を見て吃驚。踏みしめていたのは堅固な石組み構造、砲台跡の上部でした。不謹慎でしょうが、興奮で震えを覚えました。
抜けるような晴天の下、今は平和そのものな島で砲台跡は圧倒的な存在感を主張していました。戦跡を見に来たのだから、そこに在って当然ですが、正直ギョッとしました。南部砲台跡を後に最上部を目指す途中、見下ろした先に蔦まみれの発電所跡を認めてもっと吃驚。こんな巨大な廃墟は見たことがない。
発電所跡の外観
ルートの関係で発電所跡は最後。後ろ髪を引かれながら島の最高点へ。道かどうか分からない場所を彷徨った末に中部砲台跡を発見。レンガ造りの分厚い壁で出来た建物が実に綺麗に残っていて、南部砲台以上に興奮してひたすら観察。半地下に潜って探索するも完全な闇で断念。懐中電灯を忘れるなんて。
ひたすら島を登って来ましたが、次は島を縦断するようにひたすら下り。北部砲台跡を目指したのですが、道が消えかけていて少し迷う。見つかった道は海岸近くまでひたすら続く階段。昨日の三次と尾道の散策で疲れ、今日の登りで弱り切った脚には難行苦行。暑さでヘトヘトになり、蜘蛛の巣に引っ掛かりまくる。
下りきった先には北部砲台跡。中部砲台の方が大規模だったそうですが、構成はこちらの方が複雑で面白かったです。ここから直ぐに舗装路に出られ、ホッと人心地が付きましたが、少し西に行けば最大の毒ガス貯蔵庫跡。異様に分厚いコンクリート壁と毒ガス貯蔵タンクの基底部が往時を偲ばせてくれました。
発電所跡の内部 1
残るは最後で最大の目的地、発電所跡。貯蔵庫跡から海岸沿いに周回道路を半周、上から見下ろした時も圧倒されましたが、近くから見上げた迫力には負けます。崩落の危険もあり、当然の如く立入禁止なので侵入はお薦めしません。怪我をしても馬鹿にされるだけですので、自己責任でのアホな行動です。
内部の様子は黒く錆びた窓枠が歪みガラスも割れているのに、白壁との対比で意外にも美しく感じました。何よりその巨大な空虚さに圧倒され、声が出ませんでした。中心で呆然としながら何度も見回しました。ほとんど何も無いのに、その入れ物が大きくなればなる程、逆に何かの存在感を感じるという逆説。
9時前に上陸して、2時間半が経過。強行軍になりましたが、12時過ぎの船に乗れないと次の便が16時前ですので必死でした。残りわずかな時間で野良ウサギ達をからかったり。日本軍の実験動物だったのが繁殖したとまことしやかに言われますが、デマだそうです。12時9分に乗船、客はまた当方らだけ。
発電所跡の内部 2
三原港に12時32分到着。そこから呉線に沿って、尾道に続いて一年振りの竹原へ。江戸時代の町並みがそのまま残る町並み保存地区が有名ですが、当方を含め偏った人には『時をかける少女』の通学路として有名です。どちらにせよ、本当に素晴らしい町並みであることは確かですので、不便ですがお薦め。
この町並みには広島で2番目に古い酒造会社でニッカウヰスキー創始者の生家でもある竹鶴酒蔵があり、思わず利き酒をして1本購入。禁酒中なのにいつ飲むのやら。別の酒造会社の酒蔵交流館では、『夏子の酒』の尾瀬あきらの色紙を発見。意外でない場所だけど予想外。竹原を後に1時間程で再び尾道へ。
尾道での目的は昨日食べ損なった、大林宣彦監督が日本一と言う尾道ラーメンの有名店『朱華園』。行列に並んでまで食べた感想としては、日本一かどうかは流石に分からないけど、確かに美味い。しかも、たったの460円。全ての目的が果たせたので、島根に帰るK氏と別れ、山陽本線と新幹線で京都へ帰還。
脚はボロボロになりましたが、こんな旅もありかなと。
フェリーざまみ
日本一怠惰かも知れない沖縄行。
往復2万円で沖縄まで行けることから計画された今回の旅行。どこに行くかが決まったのは昨夜。相変わらずいい加減だけど何とでもなるから。京都からはるかに乗って関空へ、先着していたW氏と合流。これもいつもの面子。
1ヶ月ぶりの再会を祝していきなり飲み出したら、W氏に仕事の電話。飲んで電話、飲んで電話を繰り返していたら、出発時間5分前。久しぶりに沢山のスチュワーデスさんに迎えられてというか、急かされて搭乗する羽目に。
何だか先行き不安というか、旅にも暗雲たれ込めるというか、早起きで酒飲んでダッシュでグッタリして到着した那覇は曇り空。半年振りということもあり、すっかり見慣れた風景。試運転しているモノレールは初めて見たが。
タクシーで泊港へ。昼飯にゴーヤチャンプルなどを食いながら、キンキンに冷えたオリオンの生ビールで乾杯。美味いなあ、沖縄に来たんだという実感は先ず食から来ました。沖縄で一番に楽しみにしているのは食ですから。
到着したフェリーに乗って座間味島へ。今回の目的地は日本一美しい海とも言われる、ホエールウォッチングとダイビングで有名な慶良間諸島。そこでひたすらのんびりする予定です。酒を飲んで寝て1時間半で座間味港到着。
シーズン前ということで観光客らしい人は見かけず。取り敢えず決めた民宿に着いてみれば、異様に侘びしい佇まい、高齢の御主人もこちらの言葉が伝わっているのか怪しげ。気配が無く、離島時まで再会できませんでした。
シロを待ち続けるマリリン
もう夕方でやることもないので、港周辺を散策。W氏は東京、スペインに仕事の電話。先方も南の島から電話されているとは思わないだろうというか、W氏も散々。W氏は徹夜明け、朝一で羽田から関空、そして沖縄ですから。
港の外れで、実は楽しみにしていた物を発見。それはマリリンの像。犬が海を渡る『マリリンに逢いたい』(1988)という映画を憶えている人もいると思いますが、本物のマリリンが住み、映画の舞台にもなったのが、座間味でした。
暗くなってきたので、地元の人しか行きそうにない飲み屋を探索。苦労して見つけた一軒目の雰囲気が良く、一発で大当たり。沖縄料理を食いつつ、オリオンビールと泡盛が空いていく。この至福の時間のために来たんだよ。
途中で来店した、仙台で中学教師をしているという英国のニーちゃんとオーストラリアの彼女にも泡盛を勧めて、怪しげな英語で会話。地元の人も合いの手を入れて良い感じに盛り上がる。気が付けば、泡盛も2本目に突入。
一体どれだけ飲んだのか、完全に酔い潰れつつもお金を払って民宿まで帰還。街灯がほとんど無いため、本当に真っ暗闇。晴れていれば夜空が凄いんでしょうが、曇り空。泡盛のボトルをキープしたので、明日も同じ店に決定。
有名なんですか?
TVの天気予報は雨、それも大雨。
潰れるまで飲んだのは何年振りだろうか。楽しい酒だったから良いのですが、起きてみれば結構な時間。空を見上げれば、昨日の曇りから雨降り寸前にまで悪化。TVの天気予報でも最悪の予報。沖縄の青い空は余りに遠い。
飲み食いがメインにせよ、座間味で海に入らないのは流石に勿体ないので、集落で唯一のスーパーで弁当を買ってから、20分程歩いて古座間味ビーチに到着。空模様は悪化して小雨、そして当然のように誰も居ませんでした。
海は確かに綺麗なのですが、雨空を反映して今一つ。それ以上に問題だったのが、高い波と低い水温。ついでに最初は勘違いして遊泳禁止区域に入っていたので、打ち上げられたサンゴが痛くて散々なコンディションでした。
それでもなお、意地になって泳ぎましたが、体感として本当に怖い。しかも間抜けにも、10数年振りに泳いだら、すっかり泳げなくなっていたことも判明。水中眼鏡で見れば綺麗な魚が平和に泳ぎ、見ている自分といえば、無様。
冷たく怖い波
疲れ果てて、波打ち際でぼーっと黄昏れていたら、更に高くなってきた波に打ち倒されたり、大雨になってきたため撤退決定。寒さに震えつつ、スーパーで買った弁当を食べながら、少し無茶だった気がするなあと今更な感慨。
客が全然居なくて暇そうな浜茶屋の御主人に訊いたところ、今年は梅雨入り後も雨が少なく、まとまった雨が降ったのは久しぶりで、ダムの貯水量が減ってきていたので助かるとのことだけど、よりによってこの日に降らなくても。
親切にも御主人が呼んでくれた送迎バス(250円)で民宿へ。外は相変わらずの雨でやることもないので、本を読んだり昼寝をしたり。何となくTVをつけたら、『ガンダムSEED』が放送されていて吃驚。沖縄でも観られたのですね。
また暗くなってきたので、昨日と同じ飲み屋へ。昨日と同じく生ビールから泡盛へ速やかに移行。店は昨日以上に繁盛して超満員で盛り上がっていたけど、今日は疲れ果てているためか酒が回りに回って、たった3時間でダウン。
最後は沖縄そばで締めたかったので、飲み屋で教えて貰った食堂で一杯。今回の沖縄行で初めてのそばでしたが、やっぱり好きだなあ。島とうがらしをぶっかけて、懐しい味を再確認。当方は帰って寝たけど、W氏は飲み直しに。
野良猫たち
最終日。まあ、こんな旅もありかと。
朝起きてみると、昨日以上の大雨。フェリーがちゃんと運行されるのか少し不安。宿を出ようと御主人を捜すもなかなか見つからず、予想外のところに寝ているのを発見。前にもも書いたけど、全く没交渉というか謎の存在でした。
港に荷物を置いたもののやる事もないので、近くの軽食屋パーラーザマミのハンバーガーで朝飯。島には野良猫がやたら居ましたが、食べている内に2,3匹が寄ってきたので、ハンバーガーを千切っては投げ、千切っては投げ。
更に時間が余ったので、後回しにしていた慶良間海洋文化館へ。日本軍の特攻艦や魚雷など沖縄戦関係と琉球時代の交易資料を館長自ら説明してくれ面白かったけど、興奮の余り太い指示棒が飛んでいったのが怖かった。
知らなかったのですが、慶良間諸島は沖縄戦で最初に上陸された場所で、多数の自決者が出たそうです。もう時間も無いので、船で飲む酒をスーパーで買って港へ。しばらくするとフェリーが到着。遂に座間味島ともお別れです。
日本軍の魚雷
W氏が買った『シロとマリリンの追憶』を船室で読んで吃驚。シロとマリリンの物語は琉球新報が報じたのがきっかけで、全国に知られ映画にもなったのですが、その記事を書いた人こそ当方らが毎晩飲んだ飲み屋の御主人でした。
島に滞在中に知っていれば色々と聞けたのに残念。飲み屋の在り方としてはそれで正しいんだけど、馬鹿話しかしなかったなあと思いながら、シークアーサーチューハイが効いて熟睡。気が付けば、那覇の泊港に戻っていました。
タクシーで国際通りへ。昼食にソーキそばを食べ、お土産を発送した後、W氏は三線専門店へ、当方は製菓屋で買ったサーターアンダギーを噛りながら、地元の商店街をぶらぶら。半年振りで新鮮さはないけど、落ち着きますね。
W氏と合流して那覇空港、最終便で大阪へ。伊丹空港への着陸態勢に入った途端、トラブルが発生して上空待機となり、異音も流れてビビらせてくれた事が、この怠惰な旅の掉尾を飾ってくれました。何よりこうしてネタになりますし。
後日談。この旅は呆れられました。
公設市場にてちょっとビビる
久しぶりに何も考えずに旅立ちたくなった。
我ながらいい加減だが、那覇までの航空券を買っただけで当日を迎えてしまった。同行者はカンボジア、みちのくと一緒に無茶をしたW氏。計画を立てると言ったW氏からの旅行プランは当日になっても届かなかった。まあ、当方らの旅行はいつもこんな感じだが。
前日の忘年会で体調は絶不調。関空から那覇へ約2時間。那覇空港に着いてみれば、あいにくの雨でしたが、とにかく暑い。温度計を見れば20度オーバー。暑さでボンヤリたそがれていたら、羽田からのW氏も到着。W氏も昨日が忘年会で徹夜状態。何だかなあ。
タクシーが安いとのことで、首里城近くまで乗車。W氏から沖縄のタクシー運転は荒いと聞いていたが、確かに車線変更がかなり無茶な感じ。ただし、道路状態が良くないのと交通量が多いので、スピードは妙に遅い。道路に関しては米軍施設が邪魔なんだろうな。
昨日、W氏が首里城近くの民宿を予約したとのことでチェックイン。宿のおばちゃんに傘を借りて首里城へ。途中、おばちゃんに教えて貰った店で沖縄そば。おにぎり付きで500円也。辛いモノが好きなので、島とうがらしをぶっかけてかき込む。美味くて安くて満足。
そして首里城。往時の勇壮さは伝わってくるものの、実は再建部分にはあまり興味が無いひねくれ者ですので、古い遺構に注目して拝観。古写真に残る姿が沖縄戦で破壊され尽くしたのが残念。ただ、その石組みなどをじっくり観察するだけで圧倒されました。
高橋尚子のサイン前で酒盛り
再びタクシーで沖縄観光の中心、国際通りへ。W氏の友人N女史が奇遇にも沖縄に来ていたので、合流して飲むことに。国際通りは完全に観光地化されているので、安く美味く飲むためにタクシーの運ちゃんから観光客が少ない地元の飲み屋を紹介して貰う。
N女史とは直ぐに合流。彼女の希望で牧志公設市場へ。解体された豚が有るのは当然として、熱帯魚みたいな魚を食べるのには少し引く。食材を選べば2Fの食堂で食べられるので、社会人マネーで1万円分のエビと魚を選択。オマケをねだってシャコ貝ゲット。
3日前に来た高橋尚子のサインを背後に酒盛り開始。1万円の大部分を占めたエビ、オマケして貰ったシャコ貝の美味いこと。お造り、味噌仕立て、唐揚げ、食で癒されるとはこういうことか。泡盛のペースも加速して、1瓶を空ける頃には何も考えられない状態。
でも、これでは終わらない。十分満足するにはしたのですが、沖縄料理で泡盛が飲みたいという欲求を満たすために、タクシーの運ちゃんに聞いた店で飲み直し。ゴーヤチャンプルーなどを食った記憶はあるが、更に泡盛を1本空けたので記憶がかなり怪しい状態へ。
ご機嫌な状態でN女史とはお別れ。お互い変わった仕事に従事しているとはいえ、酒飲み話が仕事関係になるのは社会人だからかなと思ったり。とにかく楽しい一夜でした。タクシーで宿に戻り、風呂で一服してから就寝。寝る前に見下ろした夜景は絶品でした。
旧海軍司令部壕
泡盛は次の日に残らない。何故だか分からないが素晴しい。
昨日は夜景でしたが、首里城近くの高台から見下ろす朝の那覇市街も異国を感じさせて良い感じ。フランス支配を経た東南アジアがその雰囲気を未だ残しているように、米国風と元々の琉球風が入り混じって、明らかに「違う」独特な雰囲気を醸し出しているなと。
民宿の朝食はゴーヤチャンプルーが付いている以外は焼き魚、豆腐、味噌汁など、絵に描いたような日本の朝食でしたが、宿のおばちゃんに豆腐にも味噌汁にも島とうがらしをかけるのが沖縄流と言われ試してみる。成る程、これはこれで楽しく美味しい沖縄流。
朝食後、レンタカー屋に迎えに来て貰って民宿とおばちゃんとはお別れ。ちなみに宿泊したのはペンションなかはらという所ですが、おばちゃんの人柄もイイ感じで、料理も美味くて文句無し。リピーターも多いそうですが、実に納得というかお薦めできる宿でした。
レンタカーに乗って南へ南へ。先ず向かったのが、旧海軍司令部豪。激しい攻防戦の末、集団自決した地下壕がそのまま残っており、ウネウネと続く薄暗い壕内を徘徊していると、どんどん口数が少なくなっていきます。外の抜けるような青空と比して余りに重い。
参謀らが自決した司令室には「滅不州神」、「滅覆米醜」と記され、ボコボコな壁があると思えば、「幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとがくっきりと残っています」との解説文が。当方らは悪趣味系の人間ですが、流石にこのリアルの前では喜べても騒げない。
喜屋武岬 沖縄戦最大の激戦地
さらに南下、最果てを目指す。畑の中に延々と続く狭い道を抜けると、突如広がる断崖絶壁、沖縄戦最大の激戦地である喜屋武岬。南に追い詰められた日本兵、住民に向け、数百万発の砲撃が加えられ、地形は変わり果て、かなりの人が飛び降り自殺した地です。
そこには今や平和の塔があり、低いながら柵が出来ています。当然ながら乗り越えて真下を覗いたら吸い込まれそう。腰が引けてしまったので柵を越えて戻ったら、パトカーと警官が。偶々、塔の陰で見付かりませんでしたが、バレたら説教を食らったことでしょう。
今では青い空と海が広がるこの地に地獄が現出したとは信じがたい。2年前に訪れたカンボジアのキリングフィールドでもそうでしたが、余りに現実感が無いなと。何だか「重い」ところばかり回っているなあと思いながらも、それ系では一番有名であろうひめゆりの塔へ。
献花を買い、ひめゆり学徒ら数十名がガス弾で殺された壕の前に供え手を合わせる。実はこの時点で、ひめゆりの塔が何なのか良く知りませんでしたが、併設のひめゆり平和祈念資料館で死因が記された犠牲者の写真パネル群に囲まれながら、証言を読んで絶句。
気分を変えようと間近な海、玉城村の奥武島へ。途中、良い感じに寂れた食堂でチャンポン。チャンポンとは長崎のそれではなく、野菜、ポーク、卵を炒めて御飯にぶっかけた沖縄独自の料理。これも美味しかったというか、沖縄に来てから美味い物ばかりでした。
琉球最高の聖地から海を望む
奥武島は特に観光地ではないのですが、干上がった珊瑚が広がっていたので散策。潮溜まりでヤドカリやナマコをつついて呆ける。遠くには隆起した珊瑚に沿って立ち上がる波頭が見える。いや、平和ですね。気分を晴らすため沖縄に来たんだっけ、忘れていた。
すっかり平和な気分になったので、次の目的地である知念村の斎場御嶽へ。琉球王国最高の聖地であり、世界遺産でもあるここは複数の巨岩と拝所からなり、その大きさと鬱蒼と囲い込む樹林に圧倒されました。詳しくはないけど、イワクラ信仰にも通じるのかな。
中でも2枚の巨岩から三角形のトンネルが形成された三庫理は距離感を失わせるスケール。そこを抜けた先にある拝所からは海と神の島だという久高島が望まれ、なるほどこれは聖地だなと。場所は全然違いますが、摩周湖の神の島カムイシュを思い出しました。
本島南部からひたすら北へ、中部の宜野湾市へ。察しの良い方ならお分かりでしょうが、あの普天間飛行場がある街です。地元の人には失礼かも知れませんが一度拝んでみたかったんです。基地に近付くにつれ、英語表記が増して米兵や軍属らしき姿もちらほらと。
迷わず正面ゲートへGO。何故か止められないので、更に進むと屯所が。流石にビビって米兵の数メートル前でUターン。後続車の金髪女性に笑われる。アホだ。この時に気付いたんですが、基地関係者のナンバープレートは、平仮名部分が英文字であるだけです。
普天間飛行場からしっぽを巻いて更に北へ、極東最大の空軍基地である嘉手納基地に隣接する沖縄市へ。コザ市という旧称で記憶していて、沖縄県に沖縄市があることを知りませんでしたが、改称から28年経った現在でも、コザという名前は方々で見かけました。
売ってるのか?嘉手納基地近くで
今日の宿はコザに決めていたので、適当なホテルにチェックイン。料金は1人3,500円と異様に安い。門限は無いので勝手に出入りしてOKとのことで、鍵はどうするのかと訊いたら、フロントから勝手に奪って構わないとのこと。流石は3,500円というか、大丈夫か。
まあ、気にしても仕方が無いというか、気にしない方なので飲みに出る。しかし、沖縄料理で飲める店が見付からない。やたらデカい外人さん達が徘徊していると思ったら、彼ら向きのバーとかショーパブばかり。普通の飲み屋かなと思いきや白木屋で意味がない。
あと、外人さん達の中心であるゲート通りは違った意味で面白かった。雰囲気が怪しく柄が悪いのはさておき、似非オリエンタリズムが爆発していて、チャイナ服やカンフー着の専門店があり、刺青屋が繁盛していたり、日本が誤解されていく様子がまざまざと。
肝腎の沖縄料理で飲める店は1時間近く徘徊してやっと発見。疲れが溜まっているので酒が回る回る。チャンプルー各種にラフテー、スク豆腐、トーフヨーとベタなセレクションを肴にオリオンの生ビールから泡盛へ。迷惑な電話をかけつつ、今日も1瓶空けました。
すっかり出来上がったので、最後は沖縄そばで締めようと探したらまた見付からない。村さ来とかはあるのに。地元の人は家で作るからニーズがないのか。タクシーの運ちゃんに美味しいそば屋を教えて貰ったら札幌ラーメン。確かに美味しいのかも知れないけど。
もはや意地。風俗の呼び込みに教えて貰って、遂に沖縄そばにありつく。シンプルなせいか、どこでも外れ無し。店内のTVに映るパリの街並をボーッと眺め、夜は更けていく。何だかとても遠くに来てしまった気がしてきた、実際の距離以上に。さて、明日は最後日。
海中道路から広く青い海と空
休むつもりが動きまくっている旅も今日で終わる。
泡盛は今日も残らず、素晴らしい酒だと再認識。高度数の酒なんだけどなあ。陽光の元で初めて見たコザ市街を後に、海を目指してひたすら東方の与那城町へと。今日の第一目標は海中道路、島に向かって海上を真っ直ぐ、何と5キロも延びているそうです。
イメージとしてピンと来なかったんだけど、百聞は一見にしかず。青い空と海の境界に向かってただ真っ直ぐ延びていく道をひた走る。ひたすら青い青い、沖縄に来て最も綺麗な海、それ以上に感動的なまでに広い空。柄にもなく爽やかな気分になっていきます。
対岸の平安座島から浜比嘉島に渡り、砂浜をぶらぶら。寄ってきた野良犬と遊んでいると、メメクラゲならぬハブクラゲという気持ち悪い立看板と共に酢箱という箱を発見。クラゲに刺された時に酢をかけるそうなんですが、良くあるモノなんでしょうか。初見でした。
平安座島に戻るとスケール感を狂わせるぐらい巨大な石油タンクが見えてきました。海中道路の建設を条件に米国の石油基地を誘致したものだそうです。怪獣がいれば絵になるなあと不謹慎にも思ったり。タッコング。最果ての伊計島まで回ってから本島へ帰還。
すっかり昼になっていたので、適当な食堂に入ってソーキそば。これが最後の沖縄料理になったのですが、ソーキ(豚のあばら肉)が良く煮込まれていて美味。この旅では、観光客向けの店を外した方が美味いに違いないと思い行動しましたが、正解だったかな。
天空にそびえ立つ勝連城
与那城町から隣の勝連町へ。海中道路への途中、山頂を覆う城壁が見えて気になったんですが、それこそが世界遺産、勝連城跡。その城壁の規模はもちろん、山頂それも断崖ぎりぎりまでという立地に吃驚、まさに天空の城。外壁にも登りましたが、本気で怖い。
旅の終わりに向け、再び那覇を目指して沖縄自動車道をひたすら南下。レンタカーを返して、国際通りでお土産というか泡盛を物色。古酒家本店の地下で古酒を試飲。自分用に泡盛の原酒、酒好きの作家涼元悠一氏へのお土産にハブ酒を購入。酒ばっかだな。
同行者W氏がこの旅というか、普段から持ち歩いている三線(サンシン)の修理のためちんだみ工芸へ。ご主人の見事な演奏を拝聴したり、W氏が愛機をつま弾いたり。東京の空の下、今もどこかの飲み屋でW氏が弾いているんだろうな。楽しい気分になりながら。
国際通りから外れて地元の商店街へ。観光客向けにパッケージされたお土産より普通に売っているモノの方が美味しいと思っているので、サーターアンダギーを袋詰めで購入。別に島とうがらしを買ったら、オバチャンが黒砂糖もオマケしてくれたり。人情に感動。
バスで那覇空港へ。速攻で手続きを済ませ、ロビーでミミガーチップを肴にオリオンビールで乾杯。心は休めたけど、身体は酷使したかも。まあ、充実という意味では十分以上だったから。W氏は羽田へ、当方は伊丹へ帰りますが、また訪れたいそんな旅でした。
キリストの墓
青森生まれの寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と書きました。
仕事を終え帰宅してから駅へ、のぞみ最終号に乗って日付が変わる直前に新横浜に到着。以前、カンボジアで同行したW氏と合流して、ひたすら北への徹夜ドライブを開始。正直なところ、とっても眠たくて危険な感じ。事故渋滞に遭遇したとはいえ、お昼過ぎに青森の県境に到達。それにしても青森は遠いですね。東京から700キロ。
第一目標はキリストの墓。ムー読者には説明不要でしょうが、キリストは処刑されずに戸来村(ヘブライの転化、現在の新郷村)で106才まで生きました。丘の上には確かに十字架墓が存在し、今も残るユダヤの風習や5万年前のピラミッド。村ぐるみで割りと本気のようですが、信じる信じない以前に出典があの『竹内文書』というのが。
蕪島のウミネコ
続いて八戸近くにある蕪島へ。日本一のウミネコ繁殖地であり、産卵期の今が見頃というか恐怖の季節。何せそれほど大きくない島に数万羽のウミネコが集結して、人がいようがお構いなしで飛び交いまくり、糞を落としまくる、まさにヒッチコックの『鳥』状態。今回の旅行で最もインパクトを受けた場所でした。興味深いが、本気で怖い。
宿無しというか、元から野営予定だったので米軍三沢基地の隣でキャンプすることに決定。途中で買った魚介類を適当に調理して夕食、まあ、酒さえ飲めれば取り敢えず問題無し。ただ、陽が落ちても基地上空が赤く光っていて不気味なのが難点かも。三沢の皆さんは慣れているのかも知れませんが、浮世離れした異様な光景です。
旅の醍醐味は温泉。年を取ったためか、社会人になってから温泉好きになりました。今回は三沢空港前の空港温泉(料金は何と250円)。露天風呂もあり満足。体も温まったところで寝ようと思ったのですが、異様に寒い。実はこの時の気温は6度、青森でキャンプの季節はずっと先のようです。いきなり拙い展開ですが、キャンプ決行。
六ヶ所村
凍えながらもテントで就寝。無事に朝を迎えられたことに感謝。
最初に訪れたのは寺山修司記念館。サーカステントような外観で、壁には天井桟敷メンバーのメッセージ入り陶板が埋め込まれ、内部は天井桟敷のセットでが構成されています。資料展示も机の引出しを懐中電燈で照らして読むなど洒落ています。机に座った途端、声が流れたり、映像が天板に映される演出も寺山に相応しいです。
三沢から下北半島を北上して原子力で有名な六ヶ所村へ。ここには原子力の素晴らしさを伝える六ケ所原燃PRセンターがあります。パンフは『Let's try ほうしゃせん!』、マスコットはプルト君とウランちゃんと素晴らしいセンスです。ゲームも線量計付きドライビングゲームなど充実。良い子の皆んなも原子力と友達になれることでしょう。
恐山
更に北上して日本三大霊場、恐山へ。火山性の亜硫酸ガスが漂い、岩石だらけの荒涼とした噂通りの地獄風景。しかも、やたらカラスが飛び交っていて情趣を加えています。あと、『鳥頭紀行』で西原理恵子が不味いと怒った霊場アイスを食べましたが、確かに不味い。そもそも、まだ雪が残っている恐山でアイスを売るのが無茶では。
下北半島には温泉も多いので、奥地にある奥薬研温泉かっぱの湯(無料)へ。千人入れる巨大な湯船は川の脇で、近くの橋から丸見えなのに混浴の露天風呂。たとえタオル巻きだとしても、勇気を出して入浴する若い娘さんは称賛に値すると思いましたが、目のやり場に困りました。温泉自体は景色が良く、湯加減も良く満足でした。
合掌 霊場アイス
今度は下北半島をひたすら南下。途中、菜の花で有名な横浜町で菜の花ソフトクリームを発見。変なソフトクリームを食べることを密かなライフワークにしている当方は当然入手。黄色いのは当然として、蜂蜜ベースの味わい。菜の花入りとのことでしたが、そもそも菜の花の味ってどんな味なんだろう。色々と謎でしたが、普通に旨かった。
下北半島の付け根まで戻り、大湊線の始発駅である野辺地へ。地元の人で繁盛している飲み屋でナイターを観ながら夕食。味がきちんとして激安なのは嬉しいが、お店の雰囲気が巨人ファン率が高いようで関西人には居心地が悪い。その後、駅近くにある野辺地温泉(料金は350円)でさっぱり。露天風呂が無かったのだけが残念です。
そして懲りずに今夜もキャンプ決行。しかも、陸奥湾を見下ろす高台で風が強い。キャンプ場の管理人さんも寒いから止めた方が良いとの御意見。昨日は防寒着すらない状態でしたが、今日は一歩前進して、使い捨てカイロを調達してました。焼け石に水のような気もしますが、地酒でさらに酔いを深めた当方らに恐いモノはありません。
津軽半島
今日も無事に朝を迎えられましたが、やはりキャンプは無理。
海岸沿いに西へ向かい青森市へ。県庁所在地だけあって都会。青森駅と青函連絡船を見学。青函連絡船が現役だった頃、駅構内から陸橋を伝わって直接に船に乗り込めたそうです。今でも陸橋の一部が残っているのが印象的。探偵小説マニアの当方としては、某探偵小説のモチーフになった海難事故に思いを馳せてしまいますが。
今度は津軽半島をひたすら北へ。太宰治が『津軽』で「文字どほり、路の尽きる個所である」と記した竜飛岬に到着。この下を貫いて青函トンネルは松前半島に至ります。太宰の碑もありますが、ここへ来た目的は日本で唯一の階段国道(339号)のため。その名の通り、階段なので車は通れません。こんな国道があるのをご存じでしたか。
階段国道
階段国道を登り切った先にあるのが、石川さゆりの名曲『津軽海峡冬景色』の記念碑。ボタンを押すと「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと」と二番だけが流れます。かなり巨大な音声で恥ずかしい装置ですが、ここからの眺めは最高でした。遂に本州の最果てまで来たんだなあとという実感がより深まっていきます。本当に演歌の世界。
後は引き返すだけなので、津軽半島西岸をひたすら南下して七里長浜へ。8年前にロシアの大きな貨物船が座礁しました。この船が数年間も放置されたままになっているとの情報を頼りに探し回りましたが跡形もありませんでした。今回の旅行で唯一の空振りでしたが、流石に撤去されたということかな。まあ、探す方も探す方なのですが。
五能線 木造駅
気を取り直して最後の目的地、五能線の木造駅へ。木造は有名な遮光器土偶が出土した町ですが、駅まで遮光器土偶の形をしています。とにかく大きくて冗談みたい、しかも電車が通ると眼が光ります。隣の公園にある公衆便所も竪穴式住居型で徹底した古代趣味。これが旅の最後というのが、何とも自分らしい選択だったと思います。
午後6時半、東京に向けて出発。仮眠を挟みながら南へ南へ。11時間後の午前5時半、東京駅に到着。横浜へ帰るW氏と別れて、午前6時発のぞみ号始発で京都へ。午前8時15分に京都駅着。これにて、今回の旅行は終了。突然思い立ち、深く考えないまま決行した旅行にしては濃い内容だったと思います。しかし、青森は寒かった。
雨期で沈んだカンボジア
取り敢えずはバンコクへ。タイ航空TG523、関空発11:45、バンコク着15:35。約6時間のフライトを経てバンコクに到着。深夜到着のW氏との合流まで時間があることから、日本で知り合ったタイ人P氏に連絡して遊んで貰うことに。空港から市内中心部までは結構な距離でしたが、直通バスを待つのが面倒なP氏に連れられるまま複数のバスを乗り継いで中心部に到着。
バンコクの街並みは復興期の日本に似ている感じがしました。『人狼』という映画をご存じでしょうか、ああいう感じ。タイ独自の雰囲気はありますが、どちらの街もとにかく発展していこうと指向する熱気を感じます。もちろん古いだけでなく、近代的なビルも乱立していますし、やたらコンビニもありますが。その混沌が面白くて魅力的。ミスタードーナツは不味かったけど。
雨季も終わりに近づいているそうですが、スコールに遭遇。バケツをひっくり返したような激しさ。驚いたのは、傘を持っている人が少ないこと。大部分の人は雨宿り。30分もすれば晴れ上がるのでしょうが、それを呑気に待てるゆとりは国民性なんでしょうね。日本人なら待つ人は少なそうです。雨が街の臭いをより引き立たせて、本当に異国に来たんだなあと再認識。
何もないシェムリアップ空港
食事のためにマーブンクロン・センターへ。とにかく巨大で綺麗な建物に圧倒。現地の日本人がよく利用する東急も入っています。ここでP氏とタイカレーで昼食。チキンレッドカレーと魚のカレーも戴く。タイカレーが好きで、このためにバンコクに立ち寄ったようなものです。「美味い、日本円で幾らぐらいですか」「90円ぐらい」「げっ!安いですね!」。実はバンコク入りしてから、交通費も食費も全てP氏におごって貰っていたので、物価を理解してませんでした。
食後、仕事に戻らなければいけないP氏と別れて、一人でバンコクオタク事情を観察。グッズ関係を軽く流した感じでは、バンコクでピカチューとたれぱんだが人気のようでした。ピカチューは分からないでもないが、何故にたれぱんだ。ミスタードーナツでもたれぱんだグッズがオマケに付いていました。どの辺が受けているんだろう。あと、デザインが変な偽物を探すも見つからなかったのが残念。
日本のマンガはタイでも好評なようで、多くの作品がタイ語で出ていました。少年漫画が主でしたが、『カードキャプターさくら』も目立っていました。タイ人でも萌えられるのかな。取り敢えず、お土産にタイ語版『JOJO』(200円)を購入。次にDVDだと思ったのですが、VIDEO-CDの方が普及しているようです。アニメではセーラームーンが人気かな。エヴァもあったけど、LDを違法にコピーしたものみたい。
アンコール・ワット遺跡
ゲームはやはりプレステが強い。PS2も正規版か不明でしたが一応ありました。ゲームソフトは違法コピーばかりのようで、安いのになると100円程度。ギャルゲーを探すも絶無。日本語表記では仕方ないかと思っていると、違法ですが、日本のギャルゲーの画像集発見。ネタとして買おうと思ったら、なんと6000円。カレー1皿やゲーム1本が100円の世界で6000円ですよ。ネタへの投資には辛いので流石に買いませんでした。
オタク探索に夢中で、気が付けば午後9時。ホテルに帰ろうとタクシーに飛び乗れば、メーター未使用=ぼったくりタクシーでした。失敗したと思いながらも、「ホテルはここやけど、なんぼ懸かるねん(英語)」と訊ねたら、英語が分からないらしく降されました。助かったのは良いのですが、道の真ん中で降されるのはどうも。二台目は良心的なタクシーでで無事ホテルに到着。
ぼーっと待っていると、午後11時にW氏が到着。再会を祝うビールを買い出ると、女性の写真を持った怪しいオッサンが接近。「おおっ!流石はバンコク!」と間違った感慨を抱きつつも無視。まあ、女性を買う買わないはさておき、タイでもカンボジアでも非常にスラッとしてスタイルが良い人が多いように思えました。同じ米を食べているのに何が違うんだろ。長粒種だからか。いや、冗談ですが。
カンボジア日記 2000年10月26日 【2日目】シェムリアップ、アンコール遺蹟
バイヨンの微笑み
航空会社から午前6時に発券手続をするように指示されたので、午後5時半起床。搭乗便はBangkok Airways PG930、バンコク発8:00、シェムリアップ着9:00。予想はしていたけど、当然の如くプロペラ機。1時間のフライトでアンコール観光の拠点シェムリアップへ到着。機上からシェムリアップを眺めると、洪水で田畑や家屋が沈んでいて吃驚。浸水なんてものじゃなく、思いっ切り冠水。「何だかとんでも無いところに来たなあ」と不安がよぎりました。
遂にカンボジア入国。シェムリアップ空港は国際空港なのに田舎の無人駅のような感じ。カンボジア入国にはビザが必要なので、申請書、写真、20ドルを提出し入国承認。取り敢えず、タクシーを雇い出発。道が未舗装どころか、ボッコボコで水たまりだらけ。安宿を求めて二人で17ドルで泊まれるところを運ちゃんに紹介して貰う。何だか怪しげな中国人が経営するゲストハウス。表の泥道には怪しげな商店が建ち並んでいるなと思ったら、メインストリートらしい。カンボジアでも主要都市らしいが、それでこの規模なのかと色々考えさせられました。
貴重品以外の余分な荷物を置いて、待望のアンコールへ。途中、30ドルほど現地通貨(リエル)に両替したら、想像を絶する分厚い札束を渡され面食いました(1ドル=4,000リエル、30ドルで120,000リエル)。当方が無知でしたが、カンボジアでは警官の月給が20ドル程度で、30ドルといえば相当な大金でした(ただ、警官の給料は一般に比べ極めて低いそうですが)。アンコール遺蹟の拝観料は20ドルですので、ビザ代と合わせて相当な外貨稼ぎになっているんでしょうね。
アンコール・トム遺跡
タクシーに揺られながら、密林を眺めていると巨大な堀割の向こうに塔らしきものが、「あれがアンコール・ワットだ」と運ちゃん。アンコール・ワットを初めて知ったのは小学生の頃で、その頃からの自分の眼と脚で味わいたいと思っていました。今、長大な石敷参道に自分の脚で立ち、正面に遙かにそびえ立つアンコール・ワットを自分の眼で捉えられた感動は言葉で巧く表現出来ません。ただただ、本当に感動したとしか言いようがない。
感動を噛み締めていると、周りに人の気配がして「オニーサン!エハガキ!」、「ガイドは要らないか?」、「ジャパニーズ?」。取り囲んでたかろうとする子供達。中には露骨に小銭をせびるの子供も。噂には聞いていましたが、結構しつこいです。完全に黙殺すれば諦めて去っていきますが、日本からのツアー旅行のオッチャン、オバチャンはその愛らしさに負けるらしいです。民族性でしょうが、西洋の方々がクールですね。そして、無防備な日本人がカモられる。
アンコール・ワットは高さが60mもある中央塔を三重の回廊で囲む構造で、最も外側の回廊には叙事詩『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』が彫り込まれたレリーフが延々と続くのですが、一辺150mという長さと殺人的な熱さで汗が滝のように流れクラクラします。中央部にも登れるのですが、落ちたら死ぬような急勾配で高い階段。恐々と這い登りましたが、それだけの価値がありました。そこからは密林に広がるアンコール遺跡群が一望の下に眺められました。手すりも何にもなくて怖いけど壮観。
アンコール・トム遺跡
アンコール・ワット脇に並んでいた露店を通りかかると、一斉に「オニーサン!コーラ!ツメタイ!」と連呼されましたが、誰がこんな変な日本語を教え込んだのやら。取り敢えず、ミネラルウォーターを4,000リエル(1ドル)で購入。ついでにTシャツや絵葉書を売ろうとされましたが、「Tシャツ!5ドル、ヤスイ!」、「高い、要らん」、「Tシャツ!4ドル、OK?」、「ホンマはなんぼやねん」。別の露店で水を買い足そうとしたしたら、当方が最初に買った店にダッシュして売値を聞くオバチャン。値段なんて有って無きが如し。値切りまくっても、ぼったくられてるんだろうな。
近くの食堂でクメール料理の昼食。カレーを注文したら、「タイのグリーンカレーみたいだけど、辛さが控えめなのは何故」。食べている真横では愛らしい子供たちが、「エハガキ!ウデワ!」と叫んだり、民族楽器の実演販売に必死でしたが、このしつこさにも慣れてきた。「Tシャツ、なんぼ」、「4ドル!」、「うーん、2ドルOK?」、「オー!3ドル!」、「10,000リエル(2ドル半)」、「11,000!」、「じゃあ、10,500リエル」、「OK」。200円にも満たない金額を必死で値切るなんて、カンボジアの金銭感覚が身に付いてきたかな。
腹拵えも済んだので、王都アンコール・トムへ。先ずは巨大な四面仏の微笑で有名なバイヨン。アンコール・ワット同様に中央の尖塔群を回廊が取り囲む様式。内部は暗く迷路みたい。突然現れた謎の老人に懐中電灯を渡され、言われるままに見ると暗闇の中に浮かび上がる井戸。老人は日本語で「イド!イド!」と叫んだ後、「マネー!マネー!」と手を差し出してきました(井戸の見物料なんでしょうが)。無視したところ、怪老人はしつこく追いかけてきました。ホラーです。結局、最後まで払わずに無視しましたが。
タ・プローム遺跡
内戦時の破壊もあり、バイヨンを始め多くの遺蹟で大規模な修復作業が行われていましたが、オッチャン達のやる気はかなり無さそうでした。暑いためか、やたらと昼寝をしている人が多かったです。どう考えても、遺蹟を修復するスピードより荒廃するスピードが速いような気が。自分の目でアンコール遺蹟を見たい方は荒廃し尽くす前に訪れることをお薦めします。これは冗談ですが、アンコール遺蹟だけならタイ旅行のオプションで気軽に訪れられるようですから、考慮されてはと思います。
遺蹟の修復の一方で、荒廃するに任せているタ・プロームという遺跡もあります。樹木が遺蹟を押しのけるというか、破壊しながら生い茂って、『天空の城ラピュタ』のイメージそのまんまでした。ここでベトナム経由でやって来た日本人女性バックパッカーと知り合いましたが、こういう旅行をやっている女性には多いタイプで、気持ちの良い豪快さん。遺蹟を絡まる木によじ登る当方とW氏のアホな写真を撮って貰いました。
その後、次々と現れる執拗な売り子達と殺人的暑気に耐えながら、最後に向かったのがアンコール遺跡で一番高い位置にあるプノン・バケン遺跡。ここからの夕陽は絶品らしいのだが、見上げんばかりの急勾配の参道に顔面蒼白。弱り切った脚を考慮して、観光用の象の通り道を足を引きずりながら登る。傾斜が緩いのは良いのだけど、狭い道を巨大な象が行ったり来たりするのを擦れ違うのはかなり怖かった。
プノン・バケン遺跡で夕陽を待つ
登り切ったところにあるプノン・バケンを見てみれば、6層のピラミッド型。ここで完全に脚にトドメを刺されました。気合いで急勾配の階段をダッシュで登ってみれば、そこに輝いていた夕陽。感動で声を失いました。凄いとか綺麗とか在り来たりの言葉しか浮かびませんでした。集まった旅行者達も同様にただ夕陽を見つめ続ける。これがアンコールで一番感動した瞬間でした。
宿に立ち寄ってから、夜のシェムリアップへ。メインストリートすら街灯がないこの街では陽が落ちれば真っ暗。暗い室内灯やランプの明りが漏れる中、怪しげな人々がうろちょろ。声を掛けられるだけで何をされるわけではないが、やはり怖い。怪しげなチケット屋で明日の船便(シェムリアップ〜プノンペン)を予約(25ドル)。店の奥では1時間6ドルでインターネットサービス。データ転送速度が遅そう。お客は欧米人ばかり、何もこんな所に来てまでやらなくても。
適当な店で晩飯。取り敢えず、カエル料理とスープを注文。アンコールビールを飲みながら、疲れを癒すというか、疲れすぎて食が進まず。カエルは普通の味でがっかり、スープは辛さ控えめのトムヤンクンという感じ。昼にカレーを食べた時にも思ったのだが、クメール料理は辛さ控えめのタイ料理なのかな。帰国後に調べたら、クメール料理はタイ料理をベースに香辛料が控えめの料理とのことでした。まあ、タイ料理より辛くないと言うだけで、十分辛いのですが。
疲れで良く染み込んだビールでご機嫌になりながら、屋根を見上げるとそこらじゅうにヤモリ。地面を見るとカエルが飛び跳ね、野良猫が戯れていました。ちょっと不気味ですが、疲れと酔いでどうでも良くなり、気になりませんでした。帰りはバイク乗りを500リエル(13円)で雇い、後部座席に乗って宿まで疾走。酔いの陽気も手伝って爽快感がいや増していきました。
カンボジア日記 2000年10月27日 【3日目】トンレサップ湖、プノンペン
プノン・バケン遺跡の夕陽
昨日に引き続き5時半起き。街は真っ暗。昨日のチケット屋によると港まで車で送ってくれるそうだが、次から次へと怪しげなタクシーやバイク乗りが自分の車に乗れと寄ってくるので混乱。プノンペンへの船便は午前7時発の1日1便のみだから乗り損なうと悲惨。不安で呆然と立ちすくんでいると、さらにタクシーやバイク乗りが群れてくる。カンボジアの皆さんは早起きなのか。
何とか無事にチケット屋のライトバンに拾われたのは良いのだが、乗せられるだけ乗せる根性はどうにも。大荷物の乗客が15人は居てギュウギュウ詰め。街を抜け港へ向かうと、川が増水しているというか、土手が決壊している。道が思いっ切り沈んでいるのをどうするかと思えば、躊躇せずに突進。慣れているのでしょうが、なんともアバウト。よくもまあエンジンが壊れないものです。
30分ばかり冠水した道路を走った後、港に到着というか、これが本当に港なんだろうか。湖に張り出した一軒家にボロボロの木製桟橋が一本あるだけ。そこに不釣合なまでにデカいスピードボート。大阪の水上バスのような細長い船体の上には人の山。定員オーバーは普通で、救命具はもちろん不備、転覆することもある、強盗に襲われることもあるそうで、旅行の本などでは船では移動するなと書かれていますのでお薦め出来ませんが。
船の屋根に乗る
予想通り定員オーバーで船内は無理だったので、屋根の上に乗ることに。実はこの船は乗入れ口が一箇所しかないため、転覆すればまず助かりません。安全を考えると屋根の方が安全だそうです。ただ、屋根に脚を引っかけられる所がほとんど無いために結構怖いです。なにせスピードボートに名に恥じず、時速50〜60キロは出してきます。やはりというか当然というか、年に何人か船から落ちてしまうそうです。
船は直ぐに高速に達して、東南アジア最大の湖トンレサップへ。プノンペンまで220キロ、約5時間の船旅です。朝日に照らされたベトナム系の船上生活集落が何とも美しい。港で買った弁当、ご飯に照り焼きにした鳥と野菜がのっている物を食べながら、ひたすらノホホンとした時間。船の上を渡る風が怖くも気持ち良く、当方を含めた旅行者達は泥で汚れるのも気にせずに屋根に寝転がって眠りだす。ほんと長閑だなあ。
気持ちよく寝られたのも束の間、身体が焼けるような感覚で目覚める。何かと思えば、曇り空を貫いて強烈な太陽光線が射し込んできました。琵琶湖の10倍以上の大きさから、周りは見渡す限りの水平線で太陽を遮るものありません。しかも、こちらは屋根の上なので逃げようがない。道理で船便が早朝の一本だけなわけです。日が高くなってからなら、生命の危険があると思います。
トンレサップ湖の夜明け
出港から5時間。暑さにへばっていると、大きな橋が見えてきた。あれは何だと訊いたところ、カンボジア日本友好橋という何とも政治的な名前の橋で、港はすぐそこらしい。近づいてきた港を見ると、やっぱり木の桟橋が一本有るだけ。シェムリアップ港よりはマシという程度。正午過ぎ、やっとのことでプノンペン上陸。着いただけで疲れ果てた感がある。貴重で面白い体験だったけど、体力に自信がなければ飛行機が無難でしょうね。
上陸でホッと出来ると思って前を見ると大群衆。「あれ。何なのかな」と思っている間に取り囲まれ、ひっ掴まれて、「オレのバイクを雇ってくれ!」、「うちのホテルに泊まってくれ!」と怒号の嵐。自分がカリスマかオイルショック時のトイレットペーパーになった気分になれます。とにかく凄まじいパワーにひたすら圧倒。ただ一度の到着便に彼らの生活を賭けて必死なんでしょうが、本気で怖かった。
適当なバイクタクシー(モト)を1日5ドルで雇ってプノンペン市街へ。シェムリアップとの違いは舗装道が多いこと。もちろん、舗装されているのは主要道路だけで、その道すら戦禍のせいかボコボコになっているところが多いのですが。それと、交通量は多いのに、交通ルールなんて存在しないも同然でかなりのスリル。交通事故も多いそうですが、観光にはモトが最もポピュラーで便利な交通手段だそうです。値段交渉が面倒ですが。
プノンペンの雑踏
先ずは宿を決めなきゃ始まらないので、運ちゃんに紹介して貰ったのが、繁華街の近くにある安ホテルで二人で20ドル。シェムリアップの時と同じく華僑系経営。華人がユダヤ人と並んで商売達者なのは有名ですが、カンボジアだけでなく東南アジア全域で経済的影響力を持っているそうです。確かにカンボジア人の商売人は押しばかりで、駆け引きがヘボいような印象を受けましたね。商売への姿勢も含めて、勝負にならないんだろうな。
適当に入った食堂で昼食。米の麺が入ったスープをすすりながら、ふと気が付く、「これから何処へ行ったら良いんやろ」。実は旅行計画段階で、「何となくカンボジアってマニアックだから、取り敢えず入国しよう」としか考えていませんでした。この時まで何の疑問も感じていなかったのには我ながら呆れますが、大学時代からW氏とは行き当たりばったりな旅行ばかりやってきたから、これが普通なんです。
取り敢えずバイクに跨って、プノンペンで一番の見所だという王宮とシルバーパゴダへ。入場券売場で並んでいたところ、ズボンの裾を引っ張られたので下方を見てみると、台車に乗った両足が無い乞食が帽子を突き出して「Please Sir !(どうか旦那様)」。気が付けば、松葉杖の片足の乞食達にも囲まれている。地雷にやられたのは可哀相だと思いますが、平和ボケした日本人にはただただ圧倒というか怖い。
カンボジア王宮
乞食の皆さんを振り切って、王宮見学。今もシアヌーク国王が執務中ということで一部しか見られませんが、金がふんだんに使われピカピカ。国民の貧しさとの矛盾はありふれた話ですが、こういう矛盾がポル・ポト派などの共産主義を招いたのも単純な流れかな。ポル・ポト派の統治時には、この豪華極まる王宮はもちろん破壊されました。ただまあ、その時代にはプノンペンの住人は農村に強制移住させられ、街はゴーストタウン化したそうですが。
続いてお隣のシルバーパゴダ。王室の仏教行事のための寺院なんですが、こちらもピカピカというか王宮以上に豪華。床には銀板が敷き詰められ、金銀製の仏像には宝石が埋め込まれまくっていて、感覚が麻痺しそうです。本尊は2000個以上のダイヤが散りばめられた黄金仏や、巨大なエメラルドから彫り出された仏像だったりします。感動するより、よくもまあここまでやったもんだと呆れました。帝政ロシア、ロマノフ王朝の金ピカ主義みたいです。
シルバーパゴダを拝観した頃から暑さにバテ始める。アンコールも暑かったですが、プノンペンは殺人的な暑気。この街では真昼が仕事にならないのか、公共機関であっても昼前から午後2時頃まで休むそうです。こちらも休んで汗を拭いていると、何故かタオルが黄変。まあ、綺麗とは言い難い街だし顔も汚れるかなと思ったのですが、顔が痛いし何か変。よく見てみると、「鼻からダラダラながれているこれってリンパ液やんか。顔面中が火傷や」。
プノンペンの夕涼み
想像だにしなかった事態に慌てるがどうしようもない。やたら痛いと思ったら鼻の皮がもげてきました。カンボジアではいつも長ソデを着ていたので腕は大丈夫だったのですが、そのせいで気が付くのが遅れたというか、せめて帽子ぐらい被れということですね。一番酷いのは鼻ですが、顔面全体が日焼けを超えて火傷になっていました。それどころか、強烈な太陽光線により眼が焼かれ、視力が低下して散々。
もはや気にしても仕方がないので、次の目的地である郵便局へ。途中、トンレサップ河岸では夕涼みする人々で溢れていました。露店も出て何とも楽しそう。夕方も暑いことは暑いですが、昼と比べれば穏やかでホッとします。さて、郵便局はフランス統治時代の名残りか立派な西洋風建築でした。早速、エアメールにカンボジアの酷暑への恨み言を書き連ねて投函。やや荒れていましたが、内戦で多くの建物が破壊されたのに比べればましでしょう。
最後に巨大なドームを中心としたプノンペン最大の市場、セントラルマーケットへ。日常品から貴金属まで商われて、凄い賑わい。外国人観光客も多いことから、地雷で脚をやられた乞食や同情を引くために赤子を抱いたオバさん乞食が付きまとってくれます。もちろん市場だけあって、一番しつこいのは商売人。特にしつこく付きまとわれたのはハンモック売りでしたが、いくら丈夫だと説明されても、木陰にハンモックを吊って昼寝をする日本人は少ないと思うのだが。
市場に来て買い物をしないのも馬鹿らしいので物色。目に付いたのが、赤い髑髏に「Danger!! Mines!!(地雷危険)」と書かれたTシャツ。「おおっ、こういうのが欲しかったんだよ!」と喜んでいると、小学校高学年ぐらいの店番の娘さんに「これはPolo!これはアディダス!」と頻りに偽ブランド物を勧められました。マニアックというものが分かって無いですね。偽物っぽいピカチューとかも探しましたが、完璧にコピーしてる。偽物っぽい方が良いのに、本当に分かってないなあ。
Tシャツ売りの少女達
そして日が暮れ、夜のプノンペン。日中でも治安が良いとは言えませんが、夜は怖いというか危険です。最近も外国人を狙ったピストル強盗が多発していると知っていながら出歩いたのですが、襲われていたら日本で笑い者になれていたでしょう。当方が帰国してから、百人規模の武装集団が官庁を襲撃なんて事件も起きていますし、夜は出歩かない方が良いですね。まあ、そんな危機意識の高い人はプノンペンなんて旅行しないでしょうが。
着飾った娼婦の皆さんも多かったです。昼間、バイクの運ちゃんから「ジャパニーズガール、タカイ!バット、カンボジアガール、ヤスイ!」と度々勧められたのですが、娼婦の大半はエイズに感染しているので割に合わないと思います。安全なら買っちゃうんじゃないのと訊かれたら、正直なところ自信が無いかな。バンコクのところでも書きましたが、スラッとしていてスタイルが抜群な人が多いです。やはりこれが長粒種の力か。
そんなこんなで、何事もなく無事にホテルに帰還。併設されている食堂で遅めの晩飯。ご飯に照り焼きにしたチキンと野菜が添えられているものを注文。香辛料のクセがありますが、結構美味でした。昨晩と同じく、アンコールビールで乾杯。日本人には驚きかも知れませんが、ビールには氷が放り込まれます。海外旅行では生水を飲むなと言いますが、氷も元が生水の可能性が高いので要注意。気にせずにガリガリ噛み砕いて食べましたが。
カンボジア日記 2000年10月28日 【4日目】プノンペン
キリング・フィールドの頭蓋骨
プノンペンも二日目だけど、目的地が定まっていないのは昨日と同じ。取り敢えず、ホテルの食堂でオレンジジュースとトーストで簡単な朝食を摂りながら算段。その結果、悪趣味な当方の発案によりポル・ポト派による大虐殺の跡を観に行くことに決定。余談ですが、ここのオレンジジュースは搾りたてでホント美味でした。でも、これも危険行為なのですが、分かりますか。
さて出発。約束していたので、昨日と同じバイクの運ちゃんがお待ちかね。他のバイクと合わせて10台以上も集まっていたので、間抜けにも勘違い。「Forgot me !? My friend !」と嘆いた昨日の運ちゃんでしたが、外国人に日本人が同じような顔に見えるように、当方から見てカンボジアの皆さんは似通って見えましたから。それに皆んな、「My friend !」って叫ぶんだもんな。安い友達ですね。
バイクに跨り、最初に向かったのは薬局。実は前日の顔面大火傷は治るどころか、悪化してリンパ液だらだら状態でした。薬局のオバチャンにバイクの運ちゃんが説明すると出てきたのは、妙に大きい謎のカプセルと錠剤。「えーと、これ何の薬ですか。塗り薬とかはないの」と訊いたら、不服そうなオバチャンが次に取り出したのが、何と日焼け止めクリーム。「あのなあ、もう何でも良いわい、買ったる」。酷暑で思考が麻痺しています。
トゥールスレン収容所
薬局を後に、怪しい路地に入り込んだ先にあったのが、通称「ポル・ポト博物館」とも呼ばれるトゥールスレン博物館。元々は高校の校舎だったのが反革命分子用の強制収容所にされたもので、収容された2万人の内、生還できたのは6人だけだそうです。ここでも地雷に脚をやられた乞食の皆さんが大挙して取り囲んできましたが、もはや慣れました。さっき買った日焼け止めクリームを塗って準備OKと思ったら、死ぬほど痛いというかしみる。やたらココナッツミルク臭いのも堪らない。何だかなあ。
痛みでのたうっていても仕方ないので、博物館のガイドさんに案内して貰う。最初は鉄製ベッドがある個室で、スコップが転がっているなあと見ていると、「ここの囚人はそのスコップでノドを突き破られて殺されました。その時の写真がそこ壁に掛かっています」って、絶句。他の個室も同様でしたが、、虐殺の写真を全て残すなんて普通の神経じゃないですね。次の建物に向かう途中、ブランコの枠のような物の下に水を張った大きい壺があったので訊ねたら、拷問のために逆さ吊りにして、頭から何度も水に突っ込んだそうです。何ともはや。
次の建物では殺された人々の写真が壁一面に並んでいて壮観というか、言葉を失いました。子供の数も尋常じゃなく、何の必要があって殺されたんだろうと柄にもなく思ってしまいます。囚人は全て名前を捨てられ番号で呼ばれていたのですが、写真の少年は番号を入れ墨で印されていました。もう笑えないったらありゃしない。別の部屋には囚人に作らせたボル・ポト像が飾ってありましたが、顔やネームプレートにペンキで×印が加えられていました。よく×印だけで済んでいると思います、ホントに。
犠牲者の骨で作られた地図
最後の建物には拷問道具の数々とその道具を使っている場面を描いた絵が展示されていました。ポル・ポト派の非道を告発するのが目的なんでしょうが、ここまで来たら行き過ぎというか、ただの悪趣味に近いものがあります。極めつけだったのが、虐殺された人々の頭蓋骨で作られたカンボジアの地図。川や湖は血の赤色。供養のために花が活けらていましたが、本当にこれで良いのやら。
次の目的地はプノンペンから十数キロ、ポル・ポト関係では極めつけの場所であるキリング・フィールド。その名の通りポル・ポト派による大虐殺が実際に行われた場所です。バイクに揺られてプノンペンを出ようとした時にアクシデント発生。いきなり警察官から停止命令。運ちゃんと警察官が怒鳴り合って喧嘩を始めるも、クメール語なので意味不明。同行のW氏を乗せたバイクは気付かずに走り去っていく。「流石にこれはヤバいんとちゃうか」と焦る。
カンボジアの警察官は極めて薄給のため、外国人旅行者に難癖を付けて金を巻き上げることがあると予備知識では知っていたのですが、まさか自分も同じ目に遭ってるのかと大混乱。一体どうなることかと思っていると案の定、運ちゃん曰く「警察官にお金を渡せば通してくれる」。これ以上揉めても仕方がないので、500リエル札(約13円)を差し出したら、ニッコリ笑って通してくれました。レアな体験は望むところですが、こういうの体験は嫌だなあ。
キリング・フィールド
警察官から解放されて、しばらく走ると一面の田園風景。何処までものどかで、わずか25年前、処刑される人達が大量に運ばれた道とは信じがたいものがあります。また逆に、この平和な風景とのギャップが「冗談のようなリアル」を浮彫りにしているようにも感じられました。途中には地雷や砲撃で深くえぐられた道が散見され、内戦は終わっても本当の意味での戦争は終わってないのかなと。
その後、W氏とも何とか合流できて、さらに田舎道を疾走。風を切っていくバイクは爽快なんだけど、なにせ道が泥濘だらけのボコボコでかなり怖い。もちろん、カンボジアの人達は慣れたもので滅多に転けることはないのですが、やたら上下左右にバウンドするので気を抜くと振り落とされそうになります。目的地に着く頃には、手掛かりである後部荷台を掴んでいた腕がヘトヘトになりました。
そんなこんなでキリング・フィールド到着。鉄条網で囲まれたそこはただの野原。そこにぽつねんと建つ慰霊塔。何が祭られいるのかなあと見てみると、骨、骨、骨、骨の山。慰霊塔の中には十数段の棚が設けられていて、何故か頭蓋骨だけが山と積まれていました。その数はなんと約9000個だそうで、壮観というか何というか。ポル・ポト博物館にあった頭蓋骨を組み合わせたカンボジア地図といい、カンボジア人の感覚って一体。
子供達を叩き付けて殺した木
慰霊塔の後ろにはそこらじゅう掘り返した跡があって、その全てに虐殺の犠牲者が埋められていたそうです。やたら穴がある以外は普通の田園風景なんだけど、立看板に書かれた「この穴からは首のない死体が166体発見されました」とかを読むと薄ら寒くなってきます。最初は「その辺を掘ったら、骨が出てくるかなあ」とか不謹慎なことを言っていたのですが、自然と口数も減っていきました。あと、実際に掘れば高確率で骨が出てくるそうです。
さらに衝撃を受けたのが、一本の木。幹の瘤になっている部分に「→」マークのブリキ板が打ち付けられ、解説には「tree against which executioners beat children」。「これって死刑執行人が子供たちを叩き付けた木って書いてあるやん」。もうお分かりと思いますが、「→」で示された瘤は子供たちを撲殺するのに使われた部分のようです。どれだけ多くの血を吸ったんでしょうね。虐殺から20数年、その木は今も青々とした葉を茂らせていました。
キリング・フィールドのインパクトに打ちのめされたというより、相変わらずの酷暑にふらふらになりながら、プノンペンを目指して田舎道をバイクはひた走る。ポル・ポト時代、この道を戻ることが出来た人はどれぐらい居たんでしょうね。この長閑な風景が強烈な皮肉です。アウシュビッツの入り口に掲げられた「労働は自由に通じる」という言葉思い出しました。これも最悪の皮肉。こちらも生きて戻れた人がほとんど居なかったのは御存じの通り。
プノンペンの市場
約30分でプノンペン帰還。休憩と昼食を兼ねて「どこか安くて美味しい物が食べられる所を教えてくれ」と言って、連れていかれたのが、ロシアンマーケット。適当に作られたとしか思えない木造の店舗が所狭しと建ち並び、1メートル幅のグネグネした通路が入り組み、屋根も低い。これは迷路というか、出火したら皆んな死にます。売られている物も貴金属や骨董品から、違法コピーのソフトまでと、怪しくて楽しい。
取り敢えず昼飯でしたが、こんな所で食べる外国人が珍しいのか、メシ屋のオバチャン達も不審気。当然、英語なんて通じないので、並んでいる鍋からチキンカレーとライスを指差して注文。バンコクでもカンボジアでもカレーばかりでした。バイクの運ちゃんに生野菜に謎のペーストを塗ったものを勧められたが、謎な味でしたそういえば、この頃には生野菜や果物を平気で食べるようになっていましたが、良い子は真似しないように。
腹も落ち着いたところで、お土産を物色しようと思いたったが、今一つマニアックな物が見つからない。バンコクで見かけた藤崎詩織モードのプレステは望むべくも無いというか、Winソフトのコピー物ばかり。Photoshopが5ドルで売っていたのには心が動かされたが、ちゃんと動くのか怪しいです。無難なところで、カンボジアの伝統音楽と『Jazz Angkor』という胡散臭いCDを3ドルでゲット。何故にアンコールでジャズなんだ。
カンボジアの野良猫
買い物を終えて、最後の目的地である国立博物館へ向かおうと思ったのだが、開いていない。前にも書きましたが、カンボジアでは余りの暑さのためか公共機関だろうが、午前11時頃から午後2時過ぎまで休むようです。その間、皆さんが何をしているかというと、木陰で昼寝。気持ち良いというより、夏場の動物園の白熊という感じ。こちらも庇の下に入って、ぐったりごろごろ。
国立博物館の近くにある寺院が歴史があると、運ちゃんが言うので暇つぶしに見に行く。確かに古そうだが、何か変。突然、線香片手の怪しげな老人が寄ってきたと思ったら、「ナカタ、ナカタ!」と連呼。「ああっ日本人だから中田か、サッカーの中田ってカンボジアでも有名なのか」と思ったのだが、老人が指差す方には何故か墓らしき物体。書かれていた名前は中田厚仁。中田違いで国連ボランティア参加中に射殺された中田さんでした。線香を供えて合掌。
こちらが中田さんを知っていたので御満悦な老人。カンボジアでは有名な日本人なんでしょうか。「お堂の仏像も見ていけ、写真もOKだ」と言いながら、奥でゴソゴソしだしたと思いきや、ピカピカ輝きだす電飾の後光。えーっと、これって御利益有るのか。呆れるこちらはお構いなしで、次々と発光させて幸せそうな老人。自慢なんだろうか。仕方なく付き合った後に差し出された手。あまりのトホホさに忘れていたが、こういう国だったなあ。ネタ料として500リエル札(13円)進呈。
国立博物館
時間も頃合いになったので、やっと最後の目的地、国立博物館へ。巨大なクメール様式の建物自体、見応えがありますが、展示されている彫像の数が凄い。右を向いても左を向いても、シヴァ神とヴィシュヌ神ばかり。最もメジャーなヒンドゥー教の神様なのは知っていますが、多神教なんだからもっと多様性があっても良さそうなものですが。ドラクエもFFも結構だけど、MOTHERも忘れないでねという感じでしょうか。
他に目立ったのが、巨大なリンガ(男性器)とヨニ(女性器)。宗教や民俗学に興味があり御存じの方も居られるでしょうが、性器型の石像です。亀頭の下にシヴァ神の顔が彫り込まれている物もあって何ともシュール。有難い物なのでしょうが、「性器に○○とか埋め込む人もいるからなあ」と罰当たりな連想をした当方はアホですね。陽物信仰は日本でも認められますが、共通のルーツを持っているのかな。
そしてW氏とお別れ。仕事の都合上、当方は明日には帰国する必要があったので、ここで解散。ここからは初日以来の一人旅です。何処からともなく現れた戦傷乞食の皆さんに取り囲まれながら、お別れの言葉を取り交わす。いつも通り「んじゃ、またね」。W氏は陸路でタイ・カンボジア国境を越えるつもりらしい。まだ地雷除去が終わっていないような地域と知って挑むのは、流石というかアレというか。
トンレサップ湖の水上集落
W氏と別れ、バイクはプノンペンの玄関口であるポチェントン空港へひた走る。これでカンボジアも見納めかと思うと感慨深いものがあります。空港に着くまでの30分程、運ちゃんとたわいもない話をしながら景色を目に焼き付けていく。シェムリアップ空港が田舎の無人駅のようだったに比べ、ポチェントン空港は国際空港っぽい感じでした。ただし、あくまで「っぽい感じ」であり、大きさは日本の地方空港よりも小さい程度でした。
これでサヨナラなら綺麗ですが、運ちゃんとの値段交渉の時間です。「昨日は半日で5ドルだから、現地紙幣で10ドルでOKか」、「リエルは日本で使えないから、残り全部をくれても良いだろ」、「もう面倒やから、残っている15ドル分の60,000リエルやるわ」、「まだ、小さい札が残ってるよ。それをくれたらウチの子供の小遣いにして、オレの日本の友人がいかに素晴らしい奴だったかを教えることが出来る」、「……却下」。
運ちゃんと別れ、国際線へ行こうとしたら、デカいライフルを持った警官に呼び止められる。「何処へ行くつもりだ」、「えーと、バンコクなんですが」、「こっちで合っているよ」。親切心からなんでしょうが、怖いったらありゃしない。出国手続きを済ませ待合室へ行くと、搭乗ゲートが二箇所しかない。これでカンボジア最大の国際空港なんですよね。まあ、バンコクかホーチミン行きが大部分だから問題無いのでしょうが、日本人の感覚とのギャップは大きいです。
さよなら、カンボジア
さて、本当にカンボジアとお別れです。搭乗便はBangkok Airways PG923便、もちろんプロペラ機です。19:30に無事離陸。「翼よ、あれがプノンペンの灯だ!」とか言えれば良いのですが、カンボジアの夜は暗い。途中、雷雨に襲われて、楽しいぐらい揺れまくりました。小型機の醍醐味というか、ちょっと命が心配な感じでした。まあ、この文章を書けている以上、無事なんですが。バンコクには予定通り、20:45到着。
1日目にバンコク入りした時には、「大変なところに来てしまった」という感慨を抱いたものですが、カンボジアから戻ると「先進国に帰ってきたなあ」と思えるから不思議です。入国審査後、国内線口でタクシーをつかまえホテルへ。カンボジアでは700円の宿に泊まっていたのに、こちらは何と6,000円。何だかリッチな気分になり、調子に乗って日本へ国際電話、「どうも生きています。明日帰ります。電話代がもったいないから、またね」。全然リッチじゃないですね。
後は翌朝の飛行機で帰国するだけですので、カンボジア日記はこれにて〆です。初めての海外旅行として、色んな意味で忘れられない旅になりました。機会があれば、またカンボジア、特にアンコール遺跡に行きたいですが、今度はもう少し安全でリッチな方が良いかも。今回の旅行は綱渡りの部分が結構あり、日記としてはネタに困りませんでしたが、本人には笑えない状況も多かったですから。
それでは改めて、さよなら、カンボジア。
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