「ハワイアン」
ハワイのカメハメ王がハワイ諸島に初の統一王朝を打ち立てたのも、実はヨーロッパ人の来訪の衝撃に対するリアクションからだった。18世紀末の王朝成立以来、文化の面でも、キリスト教を始めとする西洋文明の影がハワイに強く及んだ。
宣教師たちは、フラ・ダンスは不道徳だとして王に禁止を迫ったと言う。
しかし、西洋人到来以前の古代のフラは、自然崇拝のメッセージをこめた神聖なものであり、体を衣服ですっぽりおおって、緩やかに踊って、卑猥さなどどこにもなかった。
それでも王は宣教師の指示通りフラを禁止し(1824年のことで、別の王が復活させる)、みずからキリスト教の賛美歌を学んだ。
王の一族は音楽の才能に恵まれていた様で、賛美歌を消化し独自のハワイとヨーロッパの融合音楽を作り出す。
19世紀の後半から20世紀初めにかけてヒーメニ(英語のヒムのなまり)がそれで、初歩的なハーモニー進行を取り入れて素朴だが美しいメロディーをもつ、有名なのが「アロハ・オエ」だ。(その他、海から来た恋人、変わらぬ心で)
ハワイにギターが入ってきたいきさつについては一つの俗説があるようだ。
カメカメハ王にイギリス人が献上した牛の取り扱いを教わるために、19世紀前半、メキシコから牧童を招いた。そのメキシコ人がギターを置いて帰ったのだが、ハワイ人は調弦の仕方も弾きかたも知らなくて、我流でいじっているうちに、スラッキーというスタイルを生み出した。スラッキーとはいわゆるオープン・チューニングの調弦で弾く素朴な美しさを持ったギター・スタイルで、伝統回帰の動きの中で近年その魅力が見直されている。
ギターについで、ハワイに伝わったのがポルトガルの小型ギター、最初にポルトガル人がもちこんだのが1878年とされるが、まもなくウクレレとしてハワイに定着した。もう一つハワイ音楽に欠かせないのがギター系の楽器に、スティール・ギターがある。
これはハワイ人の発明で、1890年前後に誕生したらしいが、その経緯に諸説あって詳細は明らかでない。
1898年、ハワイは米国に併合される。そして、1914年、サンフランシスコで太平洋万博が開かれ、アメリカ人の関心が太平洋に向けられた。観光地としてのハワイが注目を集め始めると、スティール・ギターを中心にしたハワイ・バンドがアメリカ次から次へと渡っていく。まずしいハワイ人にとっては、本土の仕事は魅力だった。ソル・ホービィ(1902〜53)など多くのミュージッシャンがアメリカのクラブで稼ぎ、レコードを録音した。スティール・ギターはそのようにしてアメリカに知られるようになった。
参考文献・中村とうよう著「ポピュラー音楽の世紀」。
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