「ポピュラー音楽のルーツ・その5」

 数奇な生い立ちを持つニューオリンズ・・・・ニューオリンズがあるルイジアナの地に、最初に入植したのがフランス人だった。このフランスの手で、ミシシッピー河口のデルタ地帯に築かれた港町がニューオリンズだ。建設が始まったのは1718年のことで、当時はフランス領ルイジアナの都市として、そしてミシシッピー・デルタの港町・商業都市として、ニューオリンズは栄えていく。その後、一時スペイン領になるが、1801年に再びフランス領に。そのすぐあとの1803年には、今度はアメリカに譲渡される。1815年には、米英戦争の戦場にもなっている。

 文化的にも、フランスやスペインの影響が強く、アフリカ文化も、アメリカのように制限されなかった。はっきりいって、ここはなんでもありだった。もっとも象徴的な存在といえるのが、クレオールだ。もともとクレオールとは、ルイジアナに移植したフランス人・スペイン人と、その子孫を指す言葉だった。ところが、クレオールと結婚した人とその子孫もクレオールとみなす、という制度があったため、次第に混血のクレオールが増えてくる。そうこうするうちに、黒人の血を引くクレオールのみを「クレオール」と呼ぶほうが一般的になってしまった。結果として、フランスの植民地だったルイジアナでは、白人と結婚した黒人女性は無条件に白人。その子孫もやはり白人、という拡大路線を選んだことになる。このあたり、「ちょっと黒人の血が混じっている者は黒人」というかたくなな純潔主義をくずさなかったアメリカ合衆国とは対照的です。

 ルイジアナがフランス領であるうちは、これでよかった。ところが、ルイジアナがアメリカに買収されると、クレオールの身分はあやしくなる。さらに決定的だったのが、南北戦争の奴隷解放だ。黒人奴隷が自由人に格上げされたといえば聞こえがいいが、実際に起こったのはクレオールの相対的地位の低下であった。アイデンティティーの危機である。とはいえ、クレオールは経済的に恵まれていたし、教養も高かった。こうゆう逆境をパワーに変えて、さらに新しい文化を作り上げていったという見方もあります。クレオールという人的資源に加えて、ニューオリンズの自由な気風や制度、さらにミシシッピー・デルタの湾岸都市というロケーションがもたらしたフランス、スペイン、西インド諸島、アフリカ文化の混合などがあいまって生み出されたのが「デキシーランド・ジャズ」や「ラグ・タイム」といった音楽です。ブルースの成立過程に関しては、多くの研究がなされているにもかかわらずわからないことが多い。それでも、ブルースが生まれた時期は意外と新しく、19世紀の末か、20世紀初頭あたりだというのがほぼ定説になっています。とはいえ、問題は「ブルース」です。

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