発酵とは

「はじめに」

「発酵」とは英語でfermentationである。これはラテン語のfervereから生まれた

もので、その意味するところは「湧く」である。おそらく、アルコール発酵の際に

生じる炭酸ガスが泡となって盛り上がる現象をさして、こう名付けたのでしょう。


これからご紹介する発酵の知識はすべて「中公新書」の発酵<ミクロの巨人達の神秘>

東京農業大学教授の小泉武夫氏の著書から抜粋させていただきます。先生の本では

講談社の「酒の話」、「銘酒誕生」も利用させていただきましたm(_ _)m。


第1章 地球と微生物

発酵のことを書くまえに、まず宇宙のことについて説明しなくてはいけないだろう。

しかし、とてつもなく広くて無限の宇宙を説明するほど正太郎は博学ではないが、

とりあえず、先生の本を読んでみると、45億年前に地球を含む9個の惑星の母体が

でき、この惑星達は独自の力で自らを形成していくらしい。

このようにして(^^;)形成された原始地球の周りには、原始太陽系星雲の厚いガス

が取り巻いていたが、次第に鉄やニッケルなどの重い金属は地球内部に沈んで地核

を形成し、さらにその上部と地核との間にはマントルができあがった。この時点から

今日までの時間を一般に地球年齢と言い、放射性同位元素を使って求めたその年齢は

45・5億年である。その地球はその後も活発な地殻運動を起こしながら大気や海水

大陸などを形成し、次第に今日的地球ができあがってきた。

そのような創成期の地球上に、はやくも生命の根源が宿り始めたのは、、地球年齢が

10億年ほど経った今から35億年前のことである。

南アフリカで、先カンブリア時代の地質層の岩石を掘り出して調査したところ、

その中に微化石(顕微鏡的大きさの微生物の化石)が混じっていることから明らかに

なった。非常に興味あることは、それらの生物が出現した当時、この地球の大気中には

酸素がなかったことで、酸素を必要としない微生物であったようである。ただ、水は

いかなる生物にとっても不可欠の物質であるが、これがすでに地球上に存在していた

ことは、西グリーンランドで出土した35億年前の岩石試料が水中で堆積された

ものであることから明らかになっている。その後、地球の大気に酸素が漸増しはじめる。

こうして地球上に誕生した最初の生命は、原生生物(微生物)としてそのままの形で

とどまり今日を迎えたものや、「生物進化」を繰り返しながら成長を続けてきて、

ついには様々な植物や動物にまで発展して今の世を迎えたものなど、まさに神秘に

満ちた感動的な営みが続けられてきた。

微生物が誕生した35億年前を1月1日として地球カレンダーを作ると、人類が登場

したのはおよそ12月31日午後11時50分頃になる。微生物は人間不在の

気の遠くなるようなその間、地球維持のために実に大切な発酵作用をしてきたのです。

それでは、その地球維持のための大切な発酵作用とはどのようなものか、

自然界での微生物によるすばらしいメカニズム(働き)をご説明いたします。

さて、地表上での動植物による有機物の総生産料は、年間5000億トンから1兆トンと

推定されている。もし、ここに微生物の発酵作用がなかったならば、地上はたちまち

のうちに動物や植物の遺体で埋まってしまうことだろう。もしそうなったとすれば、

自然界のすべての物質循環は停止してしまい、あらゆる生物体は完全に滅んでしまう

ことになる。地上のすみずみに生息している微生物の自然界での発酵作用が、いかに

大切であるかが容易に理解されるのである。

「動物の死骸や、植物の落ち葉や枯死体を構成する主要なものは有機化合物である。

有機化合物とは、その構造骨格に必ず炭素(C)を持ったもので、動物体の主体となる

タンパク質や脂肪、植物体の炭水化物などはすべて炭素を中心に構成された有機化合物

である。動植物が死滅すると、空気中に浮遊していた微生物や土壌表面などにいた微生物

が直ちにその遺体に群がって、増殖を開始し、分解発酵が始まる。ここに活躍する微生物

は、動物体では主に細菌と少数の酵母、植物体では細菌および糸状菌(カビ)の仲間である。

増殖の開始と同時に微生物は菌体外に酵素を分泌し、死骸の有機物をその酵素によって分解する。

たとえば動物遺体の場合、その主要成分であるタンパク質は、それを分解する蛋白質分解酵素

によって分解されてアミノ酸となる。また脂肪は脂肪分解酵素によって分解され、脂肪酸と

グリセリンになる。一方、植物の主要成分である炭水化物の一種、繊維素はこれを分解する

繊維素分解酵素によって分解されブドウ糖となる。こうして精製されたアミノ酸や脂肪酸、

グリセリン、ブドウ糖などは微生物達が直ちにこれを菌体内に取り込んで、さまざまな

代謝系に利用し、最終的には有機物の骨格を作っていた炭素を二酸化炭素(炭酸ガス)

に変えて自然界に放出する。自然界の有機物は、その乾燥重量の約50%が炭素であるから

炭素の循環はエネルギーの流れと密接に連結していることになる。ここに放出された

二酸化炭素は、再び植物の光合成(炭酸化同化作用)に消費され、植物を育むと同時に

大気中に大量の酸素を放出させる循環に寄与することになる。

一方、アミノ酸のような窒素化合物に由来した窒素成分も、微生物の分解発酵作用をうけて

自然界で再利用されるのは言うまでもないだろう(長くなりそうなので、これまで(^^;)。」。


第2章 微生物と発酵の発見

地球にとっても人類にとっても全く不可欠の微生物を、人間が初めて発見したのは

1674年のことである。前にも述べた35億年前の微生物の誕生を1月1日として

地球カレンダーにあてはめれば、微生物の発見は12月31日午後11時50分付近

ということになる。実に35億年もの間、この微細で偉大な生き物は他の生物の誰にも

知られることなく、地球とその自然界のためにせっせと働き続けてきた。

この顕微鏡的生物の存在を明らかにしたのは、オランダ人のレーウェンフック

(1632〜1723)であった。彼はオランダ西部の南ホラント州、デルフト

で生まれたが、正規の学歴もないまま、生まれ故郷で編み物商を営んだり、

市の下級雇用人となったりしながら、その間隙をぬって様々な科学研究にも着手

していた。なかでも、独特の構造を持った単レンズ顕微鏡の製作に異常なほど

執念を燃やし、ついにユニークな顕微鏡を発明するに至った。

この顕微鏡は大体50倍から300倍の拡大率で明瞭な像をとらえるという精度の

高いものであった。50倍であれば糸状菌(かび)の胞子はよく見え、300倍

では5ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリメートル)ほどの酵母の形

なども容易に観察できる。

レーウェンフックは、このタイプの顕微鏡を数百個もつくって、手の届く自然の

多くのものを克明に観察した。彼が自然科学の歴史上、非常に偉大な業績を

残したのは、実はこの顕微鏡の発明よりも、それを使って様々のものを発見

したその観察力にあった、と言った方が正しい。原生動物、細菌、カビ、淡水性

の藻類と言った微生物の発見(1673年)、横紋筋の微細構造(1683年)

など、次から次に顕微鏡下の世界を世に知らしめた。

彼が顕微鏡で観察を始めたちょうどその頃、科学の研究成果を収集して報知する

目的でイギリスに王立協会が創設されたが、これがレーウェンフックにとっては

まさに絶好のタイミングとなった。彼はその協会に、発見した自然界の事実を

毎月のように送って、人々に大きな衝撃を与え、王立協会も彼を正会員に迎えた。

たちまち彼の業績は協会の機関誌に毎号のように載るようになり、ついにはロシアの

皇帝ピョートル1世やイギリスのジェームズ2世と言った当時のヨーロッパの著名人,p> までも、彼の顕微鏡を覗きにオランダのデルフトに集まったほどである。

こうして彼は、以後死亡する1723年までの50年間、王立協会に絶えず

新発見を書簡の形で送り続けた。微生物と言う偉大な発見の他に、私たちが

忘れてならないものに精子の発見(1677年)や赤血球の発見(1682年)

といった重要なものもある。


微生物の発生をめぐる二つの説

レーウェンフックによって微生物の存在が明らかにされたが、そのことをきっかけ

として、科学者達は別の問題に興味を抱き始めた。すなわちその微細な生き物たちは

一体、どのようにして発生するのか、と言う点であった。様々な議論が展開されたが

結局その発生説には二つの対立する学派が生まれた。

そのうちの一派は、それらの生物は無生物から自然に湧き出すという、古来の信仰の

影響を多分に受けた考え方で、古くはアリストテレスでさえウナギの自然発生を認め

ていた系列のものである。この考え方を「自然発生説」といい、親なしでも生物が

生じるという概念を持ったものである。

これに対し、レーウェンフックも属するもう一つの学派は、空気中に種または卵

のような親があって、そればもとになって発生するという「有親発生説」または

「生物発生説」をとった。

この説の起こりは、イタリアの医師レディ(1629〜1697)が1675年に

行った実験−二つの容器の中に牛肉を入れておき、一方は蓋をせずにハエが自由に

やってきて卵を生める状態にし、他方は蓋をしてハエが来ても牛肉とは接触できない

ようにしておいた実験で、ハエが肉に卵を産み付けることができないようにすれば

決してウジは発生しないことを証明した−に端を発したものである。

このことによって彼は、ウジは牛肉から自然発生するという巨視的生物の自然発生説

を否定したが、ちょうどそのタイミングがレーウェンフックが顕微鏡を発明して微生物

の存在を明らかにしたのとほぼ同じ時期であったことから、当時微生物の発生について

の考え方にも、自然発生説はその基盤を失いつつあったといってもよい。しかし、微生物

が有親発生することを証明するには、レディが行ったウジの発生実験のように目に見える

条件下で行えないというハンディキャップがあり、その証明方法は技術的に大変難しい

ものであったため、自然発生を唱える一派は意を強くし、微細な生命体の発生は自然発生

によるという考えをまげなかった。

こうして微生物の発生に関するこの二つの、全く異なった説の論争は、19世紀の中頃

までにも及んだ。その間、自然発生説一派は、さまざまな有機物の浸出液に自然に、

そして神秘的に発生するそれらの微細な生物と、その発酵現象を見つめながら、自説を

確信続けた。

これに対し、猛然として反論したのがイタリアの自然科学者であり博物学者の

スパランツァーニ(1729〜1799)である。彼は、煮沸したとしても、その温度に

耐えていきる親もいるはずだというのが彼の主張だった。彼は1767年、非常に

腐敗しやすい動物性や植物性の浸出液であっても、空気中から侵入する微生物と

接触しない限り、腐敗も発酵もしないことを証明するために、溶接密閉法で実験

した。これは浸出液が永久に生命体を発生させないために、溶接密閉した容器に

浸出液を入れ、加熱煮沸して直ちに密閉し、これを数年後に開封して微生物の

発生がないことを結論づけたものだった。この実験は後にフランスの料理人

アペール(?〜1841)が保存食品として缶詰を発明(1759年)するに

あたってのヒントともなった実験である。

19世紀にはいると、生物学界は未だ消滅しきらなかった自然発生説派と、

勢いにのる有親発生説派とが論争する中、ダーウィンの「進化論」や、観念論

と唯物論からの生命発生をめぐる論争などが新たな重要問題として登場し、

大いに賑わいをみせた。しかしついに、これまでの微生物の問題は、

フランスの偉大な科学者であり微生物学者であるパスツールの実験によって

終止符が打たれる(つづく)。

(パスツールに関しては、「蒸留酒と醸造酒」に記述してありますから

今回は割愛させていただきます。)

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