先日、わしは久しぶりに麻雀をした。結果は聞かないで欲しいのだが(^^;、その日わしはふとあることに気がついたのだ。それはなにかと言うと、そこの主である、わしの友人の家の台所の横の、廊下の目線上に「神棚」が祀ってある(?)という事だ。何回もそのお宅にはおじゃましているわけだが、その日はじめて神棚に気がついた。そこの主T氏が勝利祈願で柏手を「ぱんぱん」ってやっていたのではじめて知ったのだ。
そのT氏、個人的にはとても愛する男だけど、いかんせん皇太子殿下のことを「***」にしていたので、いささか左系(唯物論者)かと思っておったのだが、本人の家に「神棚」が存在したので、なんか妙にうれしくなっちまった。でも、それが日本人の摩訶不思議なとこなのだよね。たぶん仏壇もあるのじゃないかな?
さて、昨今世間を騒がせた森総理の「神の国発言」。マスコミ各社・野党は彼の言葉尻をとらえ一斉に「憲法違反である」とか「信教に自由を侵している」とヒステリックに吠え続けた。しかし、それは「戦争」と言う言葉を口にしただけで、ただちに「憲法第九条に違反している」「取り消せ」と議論するのと同レベルではないだろうか。
そもそも、憲法第1条の条文「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とある。森総理はそれを「天皇中心」であると言い換えたのではあるまいか。もちろん総理の発言の全文を読めば(みんなしらないでしょ)、日本は多神教であって天皇が神であるとは一言も言っていない。長い挨拶におけるほんの少しのくだりを取り上げて揚げ足を取られたと言って過言でないだろう。
挨拶の内容と言えば、我が富山県の綿貫民輔氏が「神官」ということでいささかの「よいしょ」があったと思うが、全体的に言えば、今日の少年犯罪を憂い、命の尊さを滔々と述べたものであって決して戦前の価値観をどうこう言うことではないと思う。ただ、言い回し自体は若い世代には戦前を感じさせる雰囲気があるのかも知れない。でも、少なくとも日本国を愛するものにとってはなんの違和感もないけどね。
さて、それでは「象徴天皇」とはなにかと言えば、日本国という無形の抽象的な存在、あるいは国民統合と言う無形の抽象的な事相を、具体的な天皇の姿を通して我々国民が思い浮かべると言うことではないだろうか。それはとりもなおさず、「天皇中心」と言うことではないか。
まあ、しかし、現実に於いては、本来廃止されるべきものなのに奇妙な妥協でしばらく生かしておくだけのもの、と言う、実は否定的な意味でしかないと考える人々が存在しているという事である。しかし、この”統合の象徴”とは、精神的に言えばとりもなおさず「国の中心」を意味しているはずである。
それではなぜ憲法違反だと攻撃されるのか。その理由は、日本の憲法学の中に「天皇を強調すると国民主権に反する」という思想があるからだ。結局、日本では天皇に関する解釈がなされていないままなのだ。
そもそも、国民主権と言う考えはフランス革命から来ている。フランスの君主は民衆を抑圧していたが、民衆がこれを倒して国民主権になった。君主と国民が対立して戦い、その結果として国民主権が生まれた。だから、君主制は悪であり、国民主権が善である、と言うわけだ。
では、その考えがそのまま日本に当てはまるのか?憲法がそれぞれの国の歴史を前提にして生まれているものである以上、当てはまるはずがない。日本の歴史に於いて重要なのは、フランス革命のような革命は起きていないと言うことだ。
あるいは、百歩譲って1945年8月15日に革命が起きたとして、その結果として日本国憲法ができたのだとして、無理やりフランスの歴史を日本の歴史の中に読もうとしたとしてもそれは大きな矛盾を感ずるだけである。天皇主権と国民主権と言うことを考える限り、革命の如きを想定せざるを得ないのはわかるが、理屈のための理屈になってしまう。実際には、日本では国民と君主の間に闘争が起きたことはないのである。
君主制イコール悪と言う構図をそのまま当てはめて、天皇制イコール悪とこじつけ、天皇はなるべく存在しないように解釈する。それが象徴と言うことの意味なのだろうか。その結果、天皇”は実質的な権力を持たない、形式的なそんざいである”と言うことのみが強調されてきたのかも知れない。しかし、象徴と言うことの積極的な意味は何であるか、そう言う問いは日本国民はしてこなかったのかも知れない。
日本では、議会で法律が通ると、最後は天皇が公布すると言うことになっている。この公布とはいったい何の意味があるのか?形式的に公布するだけというのだが、形式的とは言えなぜ天皇が公布をする必要があるのか?
日本国憲法では、議会で決定すればただちにそれが法律になるのでなく天皇が署名するというこの行為を媒介としてはじめて法律になっていく。日本国を象徴し、国民統合を象徴した人間が署名して法律となる。と言う構図をとっているわけだ。この構図を考えると、「象徴」と言うのはそんなに軽いものではない。
次回は「象徴の持つ重み」です。
参考文献・加地伸行著”日本は「神の国」ではないのですか”小学館文庫。
前回のお話の続きをやる前に以前も言ったと思うが神の概念についてお話ししたい。
そこで気になるのは、今の日本で「神の国」と発言しただけで政教分離に反するという意見があるらしいが、とても不思議に思うのでちょっとアメリカの例を取り上げてみよう。
アメリカでは、大統領就任演説には「ゴット」と言う言葉が登場するが、政教分離に反するとは言われない。アメリカ大統領の言うゴットは限りなくキリスト教的であるが、特定の宗派のものでないと言う。アメリカには、神の栄光のもとに建国したという建国神話があるが、大統領の言うゴットはそうしたゴットであり、アメリカの建国を正当化する宗教的なものがあるとして、「政治宗教」、「国民宗教」とでも呼ぶべきだ。
つまり、個々人の信仰する宗教とは別のものであり、アメリカ国民はこれに政教分離の見地から反対したりはしないのである。政教分離と言うことを学校で習った公式のように振り回していたのでは、こうした複雑な事情は解らないかも知れない。宗教と政治とは独特の関わり方をしており、そのことを踏まえた上で「政教分離」があるらしい。
国民がすべてが「神棚」を持って信じなければならない、と言えばそれは神道(しんとう)の強制であろうが、森首相はそんなことは一言も言っていない。
そもそも、日本では政教分離を厳格に求めすぎている。一国の首長が「神」や宗教的な権威にかかわる話をすること自体が政教分離に違反するなどという国は、宗教そのものを否定した旧共産圏ならいざしらず、ほとんどないのではないかと思う。
それにしても、「神の国」という発言に、本当に危機感を持っている人がいるのだろうか?言葉尻を捉えて騒いでいるのにしか過ぎないのではないか。本当に議会制民主主義を否定して軍国主義の時代に戻そうとしている発言だと本当に思っているのだろうか。
さて、前回の話に戻るのだが・・。日本国憲法では、議会で決定すればただちにそれが法律になるのではなく、天皇が署名する(本文では、なされる、となっている)この行為を媒介としてはじめて法律になっていく、と言うのは前回お話しした通りである。
さて、この構図を考えるに「象徴」というのはそんなに軽いものではないだろう。そう考えるなら、もともと日本の近代的議会制度の源流はどこにあるのであろう?
少し遡って見れば例の「五箇条の御誓文」の第一項「広く会議し万機公論に決すべし」にあるという。その内容は、天皇の統治は当然ながら議会を伴うと言うものである。
なぜそうなったかを調べてみると、実は、幕末の黒船来航以来、幕府の権威が落ちていく段階で、「公儀與論」、つまり、広く意見を集めて物議を決めなくてはいけないと言う意見が強くなっていったからだ。また、もう一つの理由としては、幕府が欧米諸国になし崩し的に妥協し、征夷大将軍としての任命した幕府はその職務を果たしていないのではないかということになった。
そして、いったん幕府の権威が落ちてくると、各大名が直接朝廷から指示を仰ぐようになる。公儀与論で意志決定していこうと言う動きの強まりと、天皇の権威の上昇と言う二つの現象が生まれたわけである。だが、その一方で朝廷の立場も微妙に揺らぐようにもなっていく。
ある時は幕府側に立ったり、ある時は長州側だったり、その時々の権力抗争の中で朝廷の意志が動揺するようになっていく。そして、そんなことでは朝廷の権威自体が落ちてしまうと言う危機感が生まれた。
そう言う知恵の中で生まれてきたのが「公論にしたがって政治を行う」という天皇自身の宣言だった。逆に、公論に従うことによって、天皇の地位も安定的に保証されると言う構図である。天皇を中心とした議会制民主主義の誕生である。
とは言うものの、それでは天皇の権威なんて要らなかったのではないか、「公儀與論」だけでやっていけばよかった、との意見もあるだろう。しかし、この時代においては、国民の意思によって政治をするかというが、国民の意思と言うのは誰の意思なのか、誰が国民を代表しているのか、と言うことがはっきりしていなかったのだ。
たとえがまたまたフランスで恐縮なのだが、フランス革命の時の恐怖政治、ジャコバン派の独裁を見ると(ロベスピエールのジャコバン党は、マリー・アントワネットをはじめとして、多くの人々を断頭台におくった)、人民の意思を代表すると称する勢力が、人民の名において、まさしく別の人民とその代表たちを抑圧したと言うことだ(日本の幕軍と官軍との戦いとはちがうようだし、慶喜は生を全うした)
最近の我が国において、耳目を騒がせた「都市博」の件にしても、前知事青島氏が、東京都民の「意思」を代表して都市博を開催しないと言ったのに対して、都議会側もまた、都民の「意思」を代表して都市博をやるべきだと言った。どちらが都民の意思なのかわからない。
人民主権などと高らかに謳うが、人民の意思をどのように確認するかということに合意がないと意味がないのである。さもなければ、人民の意思を主張するもの同士の血で血を洗う闘争になってしまう。19世紀のフランスの政治体制が動揺を繰り返したのもそのためである。国民主権と簡単に言うが、国民主権を安定させるには、国民の意思を確認するための制度について合意がなければならず、そのことが大変なのだ。
「権威」というと、わしなんかやたら「反対」したくなるけど、しかし、幕末の時期に天皇の権威がなかったら、幕府も「公儀與論」と言い、薩摩も「公儀與論」と言い、長州も「公儀與論」と言い、内戦がずっと続くことになっただろう。今の政治家なら幕末とちがって成熟した考え方を持っているから大丈夫なんて、決して思わないでしょう。
戊辰戦争と言う内戦が比較的簡単に済んだのは、単に公論だけでなくて、天皇による意思決定というメカニズムが日本の政治文化の中にあったからだと思わざるを得ない。公論だけだと内戦、天皇の意見だけだと、その天皇の権威自体が失墜しかねない。この二つの利害をうまく結びつける知恵が五箇条の御誓文の中にあったのである。その時代、国をあずかる人々の考えがまことに深かったとただただ敬服する次第である。
それもこれも歴史に培われてきた我が国の伝統的な知恵がなせる業であろう。それから百年以上が過ぎて、今21世紀を迎えようとしている。今の日本人は幕末に生きた人々ほどの知恵はあるだろうか?それは来年からのお楽しみと言うところだろうか。とにかく、21世紀を背負う皆様にお願いするしかないだろう。でも、その人々を選ぶのはわれわれ一人びとりの「日本人」なのだから・・・。
参考文献・加地伸行編・書き下ろし「日本は”神の国”ではないのですか」小学館文庫。いささか文章をいじくったことをお許し下さいm(__)m。内容は変えていません。ちなみに、與論(世論)が「与論」になっていましたので、次回は反省も含めて「與論」について少しお話ししたいと思います。