先述したとおり、大まかに見れが、日本人は二つの身体的特徴を持った種類に分類できる。新モンゴロイドと古モンゴロイドである。
両者の違いがもっともわかりやすいのは、体毛の濃度の差だという。すなわち、体毛の濃い人は古モンゴロイドであり、薄い人は新モンゴロイドということになる。すなわち、古モンゴロイドは縄文人の末裔であり、今日では主に東北地方に多く分類する。
ちなみに、体毛の濃い人種が東北地方に多かったのは、寒さに強かったからだと思いがちだが、実は逆なのである。
動物の毛皮のようにふさふさした毛ならともかく、人間の体毛ぐらいでは寒さから身体を守るまでにはいたらず(裸になればわかるでしょう)むしろ、凍ったりして様々な弊害を生じるので、だんだんと少なくなっていくのだ。
ところで、古モンゴロイドも新モンゴロイドも、元を正せば同じモンゴロイドである。
その特徴は、目が大きく二重まぶたで、鼻や口が大きい。そして体毛が濃く、手足が長い。これはまさに縄文人の体型とよく合う。このモンゴロイドが日本にやってきて、そのまま住み着いた。日本の気候が彼らにあっていたため、彼らは身体的変化をおこさずに済んだ。そこで彼らを指して、古モンゴロイド、と呼んだ。
一方、新モンゴロイドは、今から2〜3万年前に、氷河期の最盛期に東シベリアへ展開した。ここの異常ともいえる寒さに適応することを迫られたモンゴロイドは(それについてはNHKで8月よりいい企画が始まった)、体温を外に逃がさないために胴が長くなり、手足が縮まり、凍傷を防ぐために顔は扁平になり(高顔型?)、目を守るために細く一重まぶたになたという。
この新モンゴロイドが次第に南下し、縄文時代末期、稲作を携えて日本にやってきたというのだが・・・・・?
次回は「倭人」です。01/8/29/
前回お約束の倭人を語る前に一言述べることにする・・・「天皇家はなぜ現在まで続いたか?」なあんてことを、もし昔、市井の一市民が言おうものなら、それこそ非難ごうごう、非国民扱いで世間からは指弾を受けるだろう。
幸いにも、戦後多くのタブーが取り除かれ、天皇をめぐる議論は活発化した。しかし、本当に知りたい「天皇の正体」、「天皇が存続しつづけられた」理由は、いまだ明らかにされていないし、人に話したところで一笑に付されるのが関の山だ。
しかしだ、「天皇」の謎と言おうか、なぜ天皇には理屈では説明できない不可侵性が備わっていたのか?それが果たして人の手によってつくられたものなのか?それとも古代人の信仰が今日まで受け継がれてきたものなのか?と言う不思議である。
「天皇に刃向かえばたたられる」。長い間人々は、そう考えてきた。十万という軍勢を統率する武士団でさえ、もし「錦の御旗(にしきのみはた)」が掲げられたら、戦うことなく退散するなんて、いったい「天皇」のどこにその様な不思議な力が秘められていたのだろうか。
善し悪しはともかく、天皇には魔力があるらしい。いや、そう人々は信じてきた。その最もいい例が・・承久の乱(1221)。いやいや、近代日本が誕生としていたときでさえ、徳川慶喜(よしのぶ)は錦の御旗に震え上がったではないか。
信じられないと言うなら歴史書をひもといたらいい。とにかく、そうやすやすと隅に放っておけない、千数百年に渡り恐れられてきた天皇。月並みに言うなら、天皇が神の存在だった。あるいは、権力のない祭祀王だった。そうとでも考えない限り、天皇を説明できないのだ。
でも、でも、よーーく考えれば、「天皇」とは人の手で創られたものだろう。天皇とは、天皇の権威とは、政治権力を握ったものによって築き上げられた幻想であるはずだ。だったら、人の手によって破壊されるべきものである(わしは”ぜったい”違うが、そう願う人はいないことはない)
形のない「権威」であるならば、その威光は消え失せるのは人の世であるはずなのに、他国の権力者も天皇制には一目置いた。あーー不思議だ。ひょっとして、天皇って、本当に人の手によって創られたのかしらん??
次回こそ、「倭人」です。02/9/2