「24話・歴史」

 前回も歴史について語りました。今回も歴史について語りたいと思います。とはいえ、わたくしの好きな音楽<ロック>にしても、結局歴史なんですね。人間でいえば「おいたち」とか「履歴」とか、とにかく、歴史がある。世界はもちろん、わが国にも長い歴史があります。アメリカにはアメリカの、イギリスにはイギリスの、中国には中国の言い分があります。それは、その国の歴史がその「言い分」を書けばいい話であり、実際に書かれてきている。そこに使われている史実が虚構のものでなければ、それでいいのではないでしょうか。どの国の史観が正しいかは、数百年も経ってみないとわからないでしょう。それが歴史、というものなのでしょう。

 古代地中海の覇権を相争ったローマとカルタゴにしても、ローマはローマの、カルタゴにはカルタゴの言い分があったと思います。しかし、歴史の問題としては、その後のヨーロッパ史はローマ文明の方に流れたといいう事実が残りました。どちらの言い分が正しかったか、などというのは問題になりません。もし、ローマ史の歴史家たちが、カルタゴの言い分ばっかり取り上げてローマ史を書いたら、それはローマ人でないといわれてもしょうがありません。そういうことも考えながら、歴史を勉強してみるのもいいのではないでしょうか。過去のことはどうでもいい、今さえよければいいという考え方もありますが、自分なりの歴史観を持って今を考えるのはとても大事なことかと思います。とはいえ、ヨーロッパ史、中国史にくらべて、日本の歴史はそれほど古くはありません。これは文献によることですが、わが国の歴史は8世紀に書かれた『日本書紀』『古事記』に頼らざるをえません。たぶん、その時代にわが国は「日本国」になったと思いますが、それ以前の時代になると中国の文献にたよらぜるをえないのであります。

 そういうわけで、『紀記〔日本書紀と古事記)』に登場する「神武天皇」即位紀元前7世紀から初めてもいいのですが、それは虚構、であるというのが大方の一般的な意見です。しかし、戦前は『紀記』に出てくる話は事実であるとされていました。先ほど述べたことから言えば、わが国の歴史書が、そうであるといっているのですから戦前の国民が『紀記』を信じていた、いうのは理解できます。戦争に負けたから『紀記』は信用できない、と言われるようになったのでしょうか。たぶん、いえ、きっとそうなんでしょう。

 戦前は西暦ではなく日本紀があり、わが国一代目の神武天皇が即位したのが紀元前660年。ですから日本紀2600年は、西暦で1940年、昭和では15年です。私(わたくし)が生まれるまではまだ10余年必要です。私の父も母もまだ10歳の子供の時代です。私の父(昭和5年生まれ)は戦争にかりだされることはなかったが、自分の国が完膚無きまでに痛めつけられた瞬間は知っていたでしょう。もうこの世にはいないので、父にそのときの気持ちをきくことはかないませんが、父の兄であるT雄はいまだ健在です。私が伯父の家を訪ねていくたびに彼はは戦争の話をしたがります。香港で捕虜になり、自分は要領よくふるまって助かった、と喜んでいるかと思えば、俺は戦争によって青春は奪われたんだと嘆き、あのときの国家の政策に対して憤懣やるかたない気持ちを吐露するときもあります。それなのに、伯父が子供のころなりたかった職業は「軍人さん」なんです。そんなかれもそろそろ80になろうとしています。

 さて、私がちょくちょくわき水を汲みに行く通称「影なしの井戸」には縄文を感じさせるおおきな石碑があります。その入り口の土塀に今でもくっきりと皇紀2600年と刻まれています。あの時代、日本は西暦1940年ではなく、日本紀2600年だったのです。アメリカに負けたから西暦になったのです。それにしても、よくもあんな恐ろしい国と戦争をしたものだと思います(しかし、あの時代米国と日本が海軍力ではトップを争っていました)。きっと、日本全体が思い上がっていたのでしょうか。中国に勝ち、まさかのロシアとの戦いでの辛勝。日本の地図は韓半島・満州と真っ赤に染まっていました。大人になって気がついたのですが、大人たちが韓半島や中国人に対して高飛車だったのは、あの真っ赤な色があれほどまでに版図を広げていたからなんです。しかし、日本が戦争に巻き込まれた理由はきっとあるはずです。ここではそのことについて書きませんが、現代のわれわれの価値観で、あーだこうだと、先人の方々を評価をするのはいかがなものかとは思います。今の時代のアメリカの行動を見ればわかるとおり、彼らはコロンブスの時代から何ら変わりはありません。そんな白人世界と戦ったわが国がすごいと思うか、あほだと思うかはそれぞれの考え方です。

 しかし、アジアに対しては複雑です。この問題はわたくしごときがどうこういうことはできません。中国には中国の、韓半島には韓半島の歴史があり、わが国があの戦争の正当性をけんめいに主張しても彼らはなかなか納得してくれないでしょう。一ついえることは、白人世界にとって、アジアは団結してもらっては困る、ということ。これは肝に銘じておかなくてはいけません。世界平和は誰しもが願っていると思いますが、それと同時に各国がせっせと武器を作っているのですからとても世界は一つ、国境は要らない国もいらない、なんてことは夢想に過ぎません。イマジンの歌詞を読めばわかるとおり、あれは夢想家が発した言葉です。世界が一つになるとしたら、ほかの星からエーリアンが攻めてきたときでしょう。

 しかし、誰かが平和を祈り続けなくては、戦争屋達に対抗することは出来ません、一人一人が平和を望むことは大切なことなのです。だから、平和のためにボランティアなどを続ける人々には誰もが?頭が下がるのであります。