はっきり言って、わしはバーテンダーにむいてるかどうかは非常に疑問だ。
こんなことを言うとわしのお客様に対して不謹慎になると思うが、本当のこと
だからしょうがない。しかし、これは仕事をしている誰にでもいえることだが
わしのこの道は人生に於いての修行の場だと思う。なにも出家しなくてもカウ
ンターがわしの修練の場なのだ。それでもお客様からお勘定を頂いているのだ
ら、もっと謙虚にならにゃいかんの。
さて、そのバーテンダーとしての好ましい資質・条件だが(一般的な物だが)
まずは、いち、お客様に不快感を与えないと言うこと(常識だな)。それにはま
ず、感情が表面にでる人はいかんのー。ところがわしは×だ。ついこの間もやっ
てしまたのだが、どうもお客様に命令されると「ぷっちん」くるようじゃ。これ
って、ひょっとしてわしの「トラウマ」ってのに関係あるんじゃろうか。どなた
か精神科の先生に聞いてもらえんかの。
そのに、お客様のお話を聞き、あくまで聞き上手になる。自分の意見をあまり
全面に出さず、あくまで受け身の立場をとる。だから、僕が私がって人はよくな
いの。わしはもちろん×。なんでかというと、お客さんに対しても堂々と自分の
意見を言ってしまう、時には熱くなる(それじゃ商売にならんよ)。
そのさん、話題が豊富であること。いろんな分野での知識があり、なおかつそれ
をひけらかさない。そして、たずねられたときに適切にお答えする。ん〜ん、これ
もわしゃ×じゃ。まずそんなに知識ないしね。映画なんて、「仁義なき戦い」なら
結構詳しいけど洋画はだめじゃ。この間お勉強と思って「勝手にしやがれ」、邦画
は「羅生門」みたけど、ちょっとわからんだな。でもカクテルに関係ある映画は見
ておきたいの。たとえば「アパートの鍵貸します」とか、それから・・・
そのよん、酒の知識じゃ。これは必須じゃの。カクテルはなんぼ知っておってもじ
ゃまにはならん。わしゃカクテルは100ぐらいはしっとるかの。今回HPをつくるにあたり、結構知識も吸収したつもりじゃったが、NBAの検定問題をやってみたののだが、どうもかんばしくないの。わしゃ今まで何を学んできたんじゃろ。いいわけになるがのー、30過ぎから勉強しても脳細胞が減っておるからどうも覚えの方はわ
るいみたいじゃの。覚えるのなら20代じゃ。ちなみに、わしには師匠と言う人がお
らん。それと、カクテルコンクールなんじゃが、あれにはちょっとコンプレックスか
んじるの。わしなんかでたら、きっとあがってしもうて手が震えてシェーカーもふれ
んだろう。だからもち×。
一応4つあげてみた(まだあるとおもいますが)、4つともわしは×じゃった。で
もどうにか15年間商売をやってきた(でも最近やばそう)。それでは×のわしが商
売をやってこれたのは奇跡なのじゃろうか。それとも、うちのお客さんの目が節穴な
のだろうか。そこのところをちょっとわしなりに検証してみたいとおもう。
わしは酒場に於いて、一番大事なのは「人柄」だと思う。でも誤解してもらっては
こまるが、わしが人柄がいいというわけではない(どちらかというとガラがわるい)。
それは何かというと、お客様各自それぞれのご贔屓のバーテンダーの「人柄」のことだ。
まぁ、お互いの「波長」が合うと言うことじゃ。この波長があわないと何かにつけ意見
がかみ合わずおたがいイライラするもんじゃ。そんなそりのあわないマスターの店に行
っても、おもしろくもなんともない。
この人柄・波長をぬきにしてバーは語れんだろう。これはバーに限らずカウンターを
中心に商売をしているお店はみんな当てはまるだろう。だから人柄と言っても万人に対
してではない。あくまで波長があう者同士での人柄である。たとえば、あるお客さんに
とってはいいマスターでも、あるお客さんには個性の強すぎる「いやな奴」かもしれん。
かといって、そう言う癖のある人間を排除して万人に合う「国民酒場」でも作るってんな
らイエスマンのバーテンダーを選ぶべきだろう(個性のないのが個性ってこともあるぞ)。
なんか独善的な意見に思えるだろうが、お店はお客様が決めるもので、わしら店側がど
うこう言えるものではない。私は一流のバーテンダーですと自己申告してもお客さんが入
らなければ店はいつかつぶれる。免許制にすると言う意見もあるが、個性は試験では採点
できん。極論になるが、たとえそのマスターが己の店で絶対的でも、お客さまにとって金
を払う価値があると認められれば十分に評価できるのである。要するにその店がお客様に
とっておもしろければいいのだ(たとえお客さまの絶対数がすくなくても。ただその客数
で飯もくえんようじゃ、たんなる自己満足だけどね)。
さて、そのお客様にとっておもしろいと言うことはどういうことなんだろう。おもしろ
いとは「興味がある」と言うことではないだろうか。興味があるからその店を訪ねていく
たとえ一言の会話もその店のマスターとなくても、その店の空気、空間に興味があればそ
れでいいのだ(マスターとお店以外でと言うのなら、男は×よ)。それから、一対一での
マスターとの「語り」が好きだというのもよい。マスターと10歳も20歳も違うのなら、人
生についてアドバイスを受けるのもいいではないか。だから懐が深くて父親みたいなマス
ターなら最高だな。たとえ頑固であっても、客に対して親身になってくれるような、そんな
マスターが素敵ではないだろうか。なにもすべての人に笑顔を振りまける人がいいわけで
もないぞ(バーテンダーって、”最後に相談する人”って意味もあるのだ)。
その人柄の次に来るものは、やはり技術だろ。知識・技術なくしてバーマンにはなれん
し、あまりにも粗末なカクテルを作ればお客様は離れていく。たくさんカクテルを知って
いる人、酒の知識の豊富な人は尊敬に値するだろう。ただ、言っておきたいのは、あくま
で知識は人柄の配下であり、サブのフォルダなのだ。そのフォルダを広げれば知識のファ
イルがいっぱい詰まっているが、ルートの人柄フォルダに入らないとアプリケーションと
言うバーは動かないのである。
話しは変わるが、わしが一番怖れる客とはどういう人かわかるか。決して知識が豊富
な人や、リアクションがはっきりした人ではない。お客さんで知識が豊富なひとは我々に
とっても勉強になるしそれはそれでいい。又、いやな顔をしたり怒鳴る客は、それはそれ
ではっきりしているし、バーテンダーであるわしがあとでほんとに悪いと思えば反省なり
後悔もできる。一番怖れるのはわしのカクテルがまずかったりわしの態度に不愉快を感じ
たにもかかわらず、「ごちそうさま」となに食わぬ顔でお勘定を済ませていく人である。
このお客さんはもう二度とわしの店には来ないだろう。尚かつ、わしがそのことにまった
く気がつかないと言うことが、わしの一番怖れることなのだ。
若きバーテンダー諸君、分かるかその怖さが。この怖さを理解できないなら即刻サービ
ス業は廃業すべきじゃ。
だから、なにがしの反応を示されるお客様であれば、たとえ「ぷっちん」と切れるよう
な態度の人でも己の修行の一つと思えばいい。極論をいえば相対的に波長が合わぬお客
様は自分の師匠と思え。そう言うお客様をこなしていくうちにバーテンダーは成長するのだ
自分に都合のいい人ばかり大事にしておると自分を磨けんぞ。これはなにもバーマンに
限っててのことではない。人生すべからくそうである。自分に合わぬからと言って相手に
断絶をい渡すと言うことは、自分自身の否定であり、逃避である。
人が断絶を云々する場合には、遠回しに自分の正当性を主張していることが多いのだ。
人間は、むしろ同じ欠点が自分のなかにある可能性を否定するために、断絶を強調しやしやすい(これはなんかの本に書いてあったのだ、でも、そうだと思う)。 まぁ、ここまで書いてきて結構矛盾してることも言っておるが、こんな未熟なわしがやっておる店でも面白がって来る酔狂な人もいることだし、なにもきめきめのバーテンダーばかりがいいのではないぞ、っと言うことをわかってもらいたかったのじゃ。わからんもんは高岡に直接来るのだ(^o^)。
まぁ、でも、だいたいのバーテンダーは、いつかは一流になりたいと頑張っていると思うが、またそれが人情というものだが、なかなか理想だけでは飯はくえんもんで、現実との葛藤で理想がかすむこともある。でも、言っておきたいのは、たとえそうであっても「理想」はすててはいかんと言うことだ。現実は厳しいものでなかなか思うように行かないものだ。バーテンダーという道は何十年やってなんぼの道じゃ。そうおいそれとは思うようにはさせてはくれんだろう。そこがまぁ、おもしろいとこで、飽きずに延々と続けていくことだな。「継続は力なり」と言う言葉もあるではないか。お互い飽きずにやっていこうではないか。
それは、20年か、30年か、それとも命が尽きるまでか・・・・
”カサブランカ”→シャンパンカクテル、”旅情”→マンハッタン、”アパートの鍵貸します”→
マティーニー、”酒とバラの日々”→アレキサンダー、”映画カクテル”→カミカゼ・レッドアイ
セックスオンザビーチ・シンガポールスリング・ロングアイランドアイスティー
フローズンダイキリ、”恋人たちの予感”→ブラディーメアリ
”リバー・ランズ・スルー・イット”→ボイラーメーカー。
注釈
(トラウマ・心的外傷)フロイトは、われわれが愛と憎しみについてすべての習慣を
形成するものは、幼時における両親との間の愛と憎しみの関係だという考えを発展
させることになった「フロイトその思想と生涯」より。
(国民酒場)昭和12年、日華事変の勃発とともに、生活のあらゆる面が戦時色に
染まっていった。「亡国酒宴全廃」の合い言葉の元に、昭和15年頃から自粛が
始まり、ついに昭和19年、料理店、カフェ、バー、大劇場が閉鎖された。
料飲関係で営業許可されたのは大衆食堂、変わって登場したのは国民酒場。大阪
では勤労酒場、名古屋では日の丸酒場が誕生した。国民酒場の前には行列ができ
何でも並ばなければ、手に入らない時代、酒も同様だった。
☆今日の一言
音楽家が個性を表現するには、音楽という媒体が要るんだ。
画家が個性を表現するには絵の具とカンヴァスが要るんだ。
個性を表現するために必要な技術を勉強するためなんだ。
技術は「個性」を表現するためにの技術なんだ。
「石川達三・約束された世界より」
酒場というものがいつの時代からあったのだろうかと、ちょいと書物を
ひもといてみれば、なんとあの「目には目」のハムラビ王まで遡れるのだ
(在位BC1729〜1686)。そこには酒場での法律も粘土板に記して
あり、酒場での仕事は女性が携わっていたというから、それもまたおどき
だ。
今から何千年前の昔でも、人々は酒場を必要としていた。それでは何故
人々は酒場に出かけるのだろうか。今日はそんな疑問を追求すべくお話し
を進めていきたいと思う。
まず誰もが酒を意識するのは自分の家庭ではないだろうか。それはお父
さんであったり、また誰か他の家の大人が酒を飲んでいる。中学生ぐらい
になると、ビールぐらいは飲んでもいいと言うことになる。タバコほどは
抵抗はないだろう。タバコを中学生の頃から進める親は、あまりいないの
ではないだろうか。それほど酒は生活に密着している。故に酒の怖さは必然
的に希薄になる。ましてや、テレビのコマーシャルでアイドル歌手が酒は
かっこいいと呟けば尚更である。
では、イスラム圏は何故酒を禁止にしているのだろう。何かきっと意味
があるはずだ。コーランは確か7世紀頃に出来たと思う。彼らは蒸留と言
う技術を持ちながら香水は造ったが、酒はなぜか造らなかった。蒸留酒は
キリスト圏で生まれた。
思うに、イスラムのコーランを作った人は酒の怖さを骨身にしみて知っ
ていたのだろう。マホメットがそのコーランを作ったとしたら、彼は人間
の弱さと愚かさを知り尽くしていたのだろう。不敬罪を覚悟で言うならば
マホメットは若い頃放蕩三昧の生活をやり尽くし、酒と女の怖さを知り尽
くしていたのではないだろうか(お嫁さんは随分と年上のようじゃ)。
イスラム圏の女性が黒い布で顔を隠すのも、人間の欲望、肉欲・煩悩の深
さを知り尽くしたことでの措置ではないだろうか(考え過ぎかね)。わし
には十分納得できる。ミニスカートの女性を見て、なんにも思わない男の
方が、異常ではないだろうか。そんなことを考えると、女性も無意識だと
は思うが、罪なことをやってるもんだ。でも、女性がみんなズボンはいて
ほっかぶりしてたら、わしゃ、男をやめたい(^ ^;)。
さて、個人を尊重するミーイズム?である白人社会であるからと、それ
ぞれの判断を個人にゆだねようとするのかどうかはしらんが、聖書では酒
は禁止しておらんようじゃのう。聖書にも、ワインは出て来るんじゃろ。
手塚治虫の「旧約、聖書物語」にはでてきたような気がしたのじゃが、はて
が、しかし、アメリカでは禁酒法と言われる実験が行われた。途方もな
い愚法になったらしいが。そう言うところが、アメリカたる所以かね。歴史
の浅い若い国だから、やることもスケールがでかいのか。
もともとアメリカに渡ってきたピューリタンの人たち(日本で言う神話
に属する人たち?)は敬虔なプロテスタントで、もともと、酒は生活の一
部にはしていたが、教会にも行かない飲んだくれ達の飲酒に対しては結構
ナーバスになっていた。それに彼ら自身はそこそこ上流階級の人間が多く
庶民の生活には結構疎かったのではないか(熱心な信仰を持つピューリタン
には、独立自営業のヨーマン、中産階級の上位のジェントリーなどが多い)
酒の乱用については、ピューリタニズムの影響を強く受けた北部ニューイ
ングランドだけでなく、中部や南部の植民地でもすでに法律によって規制さ
れていた(植民地時代、1607〜1776)。彼らの禁酒法に対する運動
は20世紀に成就する(禁酒法は1919〜1933、最終的な終止符がう
たれたのはミシシッピー州が批准した1961年)。しかし、さっきもすこ
しふれたが結果はアルカポネ、エリオット・ネスで有名なギャングがまかり
通る、さんざんな結果であった。しかし、そのおかげで有名なカクテルなど
が登場することにもなる(スピーク・イージーと言われる、もぐり酒場など
で開発されたと思われる)。
禁酒法でも証明済みだが、イスラム圏はともかく、我々人間には酒はどう
しても必要である。酒なしで生きるには、あまりにもこの世は矛盾だらけで
人間関係は混沌としている「酒をおくれ、お酒だよ」って歌なかったっけ。
と、言うことは、人間はとにかく心の憂さを晴らすためにとりあえず酒を
を飲むのである。もちろんうまい酒に越したことはないが、とにかく酔えれ
ばいいと言うときがある。そうすると、麻薬でも言い訳なのだが、お上がそ
れを御法度にしている。だから、国が合法化している酒と言うことになる。
では、酒が危険でないかというと、とんでもないことである。ただ、刑務所
に入りたくないから、国が許してくれている酒を飲むのに過ぎない。
わしの若い頃は、とにかくしこたま飲めればいいと、国産ウイスキーのジャ
ンボ・ボトルを買ってきて、しこたま飲んだものだ。アパートにつまみがな
くなると、冷蔵庫に残っているマヨネーズをつまみにして飲んだものじゃ。
お店にしたところで、喧噪であろうが、なんであろうが飲めればよかった。
しかし、ある程度自分の給料で飲めるようになると、おなごと違って男は
ホステスさんのいるお店に行きたくなる。最初はスナック、まず、ボトルキ
ープ、カラオケ水割りじゃ。次が、ピンクキャバレー(わしだけかの)。もう
それはそれは、ただれた青春ってもんだ。その遊びが一段落すると(だいたい
痛い目にあって、懲りるのだ)、カクテルなんぞおぼえて、ちょっと気取って
飲んでみたくなる(最初は、形から)。女を連れていくにはお手頃と、バーも
どきに行く(もどきですぞ)。結構酒にも凝ったつもりになる。ほんの付け焼
き刃の酒の知識で、酒場に行って「うんちく」垂れて、店の人に嫌われる。
う〜ん、酒は奥が深いぞ、なんでこんな「ジャンル」が多いのじゃ。そうこ
うして、年も30幾つになると、「マイ・ドリンク」も決まってきて、昔ほ
ど、あれこれと注文しなくなる。酒より、店の雰囲気が重要になってくる。
そうなると、必然的に静かなお店と言うことで、年輩の落ち着いたマスター
の店がいいと言うことになる。店の話題も、若い頃は酒のうんちくで「口角
泡を飛ばし」まるで戦いながら酒飲んでるみたいだったが、別に酒の知識な
んぞ語らなくとも、店の空気・空間とか、マスターとの会話とかで十分満足
出来るようになる。お酒そのものより、店の雰囲気が大事になるのだろう。
そうすると、自ずと飲み方も落ち着いてきて、無意識に身体をいたわる飲み
方になる。一石二鳥である。
わしは、いい飲み手になると言うことは段階を踏むことだと思う。結論を
言えば、年をとると言うことは経験を積むということじゃ。人は誰でもが1
年に1回年をとる。しかし、ただボーと生きていれば、その人の一年はただ
時間が過ぎていっただけで、決して年を「とった」なんて言えないのじゃ。
そんなわけで、皆さんには職場でもそうですが、プライベートである酒場
でも、いろんな経験を積んでもらいたい。バーテンダーにはいろんな人がい
ます。結構癖のあるやつもいる。そんなことも踏まえて、これから酒場をの
ぞいてもらいたい。カクテルもよし、バーボン、スコッチをすするのもよし。
しかし、その傍らには心地よい音楽そして語らい。そんなものを素直に楽し
める飲み手になってもらえれば幸いじゃ。が、しかし、自分に合う店を見つ
けるというのもまた大変だ。自分でいい店だと思ったら、ぜひ大事にするた
めにも、しっかりしたマナーを身につけてもらいたい。マナーといっても決
して難しいものではないぞ、それは「常識」と言う簡単なものじゃ。
それでは、みんながいい飲み手になることを信じて筆を置くことにしようか。
長い時間つきあってくれてほんとにありがとう、次回はお水の軌跡第8話じゃ。
お楽しみに・・・
☆今日の一言
煩悩を離れるために神があるのではなく、煩悩から生涯
離れることが出来ないからこそ、信仰が必要であるのだ。
<石川達三・約束された世界より>
非を悔いて転向したとて、決して悪いことではない。
過てば則ち改むるに憚ること勿れ(論語)
わしは今まで、オリジナルカクテルは意識して作ってこなかった。なぜならスタンダードをある程度知ってないと作れないと思ったからだ。スタンダードをある程度知っているということは酒を熟知していることに他ならない。が、しかし、この世界は奥が深い。ウイスキーには5大国あり、スピリッツは数知れず、他リキュール、ベルモット、酒精強壮ワインエトセトラ。んもう、ワインでよそ見している暇はない(言っても、バーテンダーでソムリエの資格をもとってしまう強者もいるが、それはないでしょうって感じ、ショボン)。
とにかく、もー覚えなくてはいけないものが目白押し。試験の前の一夜漬け
ではとてもとても、直ぐに記憶は遥か彼方に。ましてや、書物だけに頼るなど
愚の骨頂だろう。日々の現場での努力、積み重ねこそが本物の知識を増やして
いくと言って過言ではないだろう。まぁ、そんなわけで、わしはまだ発展途上
と言うことで、オリジナルは作っておらん。でも、いずれ作るときが来ることを
信じたい。と、言っても一つオリジナルがある。セピアカラーの憎いやつ「夜
の高岡」じゃ。最近もう一つできて、淡い群青色が夜の深い海の底を表現する幻想的
なカクテル「新湊のよさる」がそれじゃ。前者がウオッカ、後がブランデーじゃ。
特に夜高は根強いファンがおるので、現在も生き続けておる。まぁ、そんなところが
わしのオリジナルなのだが(ちなみに、「よさる」とは新湊市では「夜」のこと)。
さて、そのオリジナルカクテルなのじゃが。最初は作者のたんなるオリジナル、
名も知れぬものだ。それが一躍有名になり、定着しいつしかスタンダードになった
ものがある。まぁ、よーく考えてみれば、最初は名も知れぬ単なるオリジナルだ。
ジャズのスタンダードを思い浮かべてもらえれば納得がいくと思うが、時代を経ても
いつまでも色あせない普遍的なものがあるが、早い話カクテルもそれと同じなのだ。
いいものはいつまでも語り継がれる。お店も同じことが言えるの。
それでは日本にはスタンダードとなったどのようなカクテルがあるのだろうか。
わしがバーテンダーの見習をしておった約30年前、店で恐る恐る作ったカクテルに
「青い珊瑚礁」がある。これは昭和25年の作品で、創作者は「鹿野彦司氏」。
「マイ東京」サントリーが東京オリンピックを記念して作ったもの。これは残念
ながらスタンダードにはならなかったが勤めていた店がサントリー系だったもので
結構店では注文があったように思える。「細雪」これは作者がわからないのだが?
とても日本的で素敵なカクテルだ。グレープの紫の中を白い筋が流れ落ちていく。
あと日本人が作ったのかどうかわからないのだが、「ハワイアンナイト」といって
ウオッカ、カルピス、ブルキュラソ、水というものだ。カルピスだから日本のもの
だろうね。最近ではテンダーの上田氏のカクテルが巷を賑わし、高い評価を受けて
いることは、カクテルフリークの皆さんには今更ご説明する必要もないだろう。
さてさて、次ぎに登場するのが今回わしがこの番外編を書くきっかけになった
日本人が作ったスタンダードの大御所じゃ。みんなもよく知っているその名は
回数をこなしているはずなのに、作者の名前さえ知らぬ体たらく。実際当HP
のご意見番のお一人でもある、ある方にもしっかりお叱りを受けてしまった(だれじゃろう?)。誠に
情けないことではありますが、とにかくこの「雪国」番外編を書くきっかけに
なった発端とは・・・。
ある日、見知らぬ人からメールが届いた。最初わしのことを「先生」なんぞと
書いてあるもので、てっきりいたずらメールかと思ったのだが、読んでいくうちに
どうもそうではないらしい。その方は山形県の酒田市の方で、とてもカクテルが
お好きな方のようじゃ。だから、その「先生」ってのも、わしをいっぱしのバー
テンダーと見ての敬称なのだろうか(いえいえ、わしはまだヒヨコ、次回からは
ごかんべんを)。ただ、その方(斎藤さんとおっしゃる)のそばにはどうも本当の
カクテルの先生がいらっしゃるようだ。その本当の先生というのは、斎藤さんの
お知り合いで、この道50年のキャリアをお持ちの、現在70代の(現在は80歳を過ぎておられると思います、年賀状のやり取りは現在もしています)現役バリバリの
わしから見たら、この世界の「神様」的存在の方である。そのお方にはお弟子さんが
数知れず。そして、その方が「最後の愛弟子」と言わしめたのが、「凱旋門」という
バーのオーナーの酒田市日吉町の篠崎勝さんだ。この方のお写真を拝見したところ
60代半ばかと思われるのだが、この方も相当「マーティニ」に拘っておられる
ようだ。ちなみにジンは「ビーフィーター」ベルモットは「ノイリープラット」だ。
さて、斎藤さんのお知り合いの、その先生自身が「私の宝ですよ」っておっしゃる
ほどのオリジナルカクテル「雪国」。今から40年前に出来たカクテルらしい。
雪の下で緑の芽が眠る様をイメージに、春を待ちわびる北国の心を表現した傑作
である。同じ雪の国なのに、なぜわしの「夜の高岡」はダッサイのだろう(くよくよ)。
まぁ、わしのことはさておき、そのわしから見たらまるで生き神様のようなその方が
磨き抜かれたカウンターを前に蝶ネクタイ姿でシェーカーを振る(そのお写真を拝見
すると、わしは思わずひれ伏すのであった。まるでメッカの方角へ礼拝するが如く)。
シェークするには理由がある、氷の間を急速にくぐらせることにより、アルコール
の角をとってまろやかな味にするためだ。ほどなく出来上がったそのカクテル、まさしく
その「雪国」は、爽やかな口当たりながら凛々しさを秘めた味わい。今までお名前も知
らず作ってきたわしはほんと「罰当たり者」じゃ(しゅん)。
さて、その「雪国」の作者の名は、皆さんは先刻ご存知であろう。そう”井山 計一氏”
なのじゃ。井山さんは一時期酒場が「水割り」「ボトルキープ」になった時、そのことを
憂えて、お店を喫茶店に変えられたそうじゃ(斎藤さんによれば)。カクテルを愛する者
にとってあの時代の酒場の風潮は、あまりにもその思いを逆なでし、移り気な飲み手達の
心を垣間見るようで、一抹の寂しさもあった。が、しかし、斎藤さんにお聞きした限りで
は、現在はお客さんの要望にこたえて、注文があればカクテルも作っておられるそうじゃ。
いやはや、日本の酒場には我々の神様が(生き神様だよ)何人もいらっしゃる。著名な
雑誌に頼って、そこに紹介される方ばかりがすべてと思ってはいけませんな。ひょっとして
一度も紹介されず街のどこかで密かにお店を営むバーテンダーが存在するかも知れな
い。そんなお店を見つけるのはあくまで「運」だろうが、出会ったときの喜びはまたひとしお
ではないだろうか。まぁ、とにかく今回は山形の斎藤さんのメールによって井山さんの
人となりを知ることが出来た。とかく大都会の酒場に目線がいってしまうのだが、
これからはそうではなく、まんべんなく興味を持つようにしたいものだ。そんなわけで今回
は斎藤さんに感謝の気持ちを捧げて「バーテンダーに恋をして」、新番外編を、ひとまず
これにて、お開きにしましょうか。
参考文献→斎藤さんから送られてきた酒田市の月刊「スプーン」2月号、GW中、5/3 pm4:00