「ロックのルーツ5」

 ロックの歴史を探るために60年代から遡らなければいけないのだけど、もうすこし60年代をさまよってみたい気もするのですが・・・。

 さて、現在のロック界の「ボス」といえば、間違っているかも知れないけどボブ・ディランかなとおもいます。ジョン・レノンが生きていればその座を競っていたかも知れませんが運が強いのはボブ・ディランです。人生、才能というのは生きていくためには非常に貴重なことだけど、運・不運というのは、説明が付かないし一人の人間にとってはどうしようもなく、選べないことで、誰が決めているかも知れないものだ。前者のほうは結構努力も関係しているかと思うが、後者は、人間の力では予測できない巡り合わせ、としかいいようがない。

 さて、前回はストーンズについてお話ししたが、以前(ロッキンオンの)渋谷陽一氏とストーンズ・ファンの作家、山川健一氏との雑誌での対談を読んだのだが、渋谷氏はそうとうのビートルズ・ファンで、ストーズのどこがいいのかと山川氏を揶揄したら(ちょっと失礼かと思いましたが、彼らは友達なのかな)、山川氏曰く「あの全く変わらない音楽がなれてくると心地がいいし、彼らも年を重ねる毎に楽器もうまくなっているんだ」とストーンズを擁護していた(それだけじゃない思いますが)。たぶん、ストーンズは、ガキの頃やったビールや、タバコみたいなものなのかもしれない。大人への憧れでうまくもないビール、タバコをやっているうちに気がついたら病みつきになっている、そんなところだろうか。ビール、タバコを最初から「うまい」とおもったガキはいないと思う(私は一年間涙ポロポロぱっぱ吸いでした)。逆に大人になってからやった酒、聴いた音楽が瞬間「いいなあ」と思っても、すぐに飽きが来たということはよくあることで、今尚ストーンズが飽きないファンとはストーンズのあのカリスマに憧れ聴き続け、気がついたら病みつきになっていた、というところか(そういえば、クラプトンのファンの知り合いもそういうニュアンスのことを言っていた。とにかく彼について行くんだとまるで宗教のごとくだ。いや、ロックは宗教なのかも知れない)。60年代のバンドが生き残っていない現在、ストーンズ、クラプトンに思いを託す年配ロック・ファンが多いのはしごく当然なことかも知れない。とにもかくにも、継続とは「偉大」な力なのです。

 次元が違うかも知れないけど、矢沢永吉氏もミックをお手本にしているようで、偶然ですが、彼が40才になったとき、50才になったときのライブのビデオを持っています(彼は私の2つ上です)。私(わたくしは)40前で「ぱたっ」と彼の音楽は聴か(け)なくなったけど、がんばっていることに関しては見習わなくてはと常日頃思っています。彼は永遠の「ロカビリー」であるとともに、日本では数少ないファンキーな精神を持ったロック歌手だと思っています(外国のロック・ファンが彼をどう見るか興味あります)。彼こそ変わらない、と言うところが素敵ではないかと思います(髪の毛は淋しくなったけど)。私にとっては、えいちゃんは、ロックでの「空白」の70年代を埋め合わせしてくれた恩人なのです。なんで彼との出会いがあったか、大いに語りたいところですが、余りにも露悪趣味だなと言われそうなのでやめておきます(希望があれば書きます)。とにかく、私は付き合った人(男でも女でも)に影響を受けやすい、と言うところで止めておきます。次回はまた60年代・ロックについて参考文献を頼りにおしゃべりしましょう。2005/1/31/12:30/

 「ロックのルーツ・その6」

 前回、渋谷陽一氏をとりあげましたが、ロッキンオンといえば、松村雄策氏のことも思い出します。とはいえ、私が記憶ある音楽雑誌と言えば「ミュウージック・ライフ」しかありません。

 ちなみに、松村氏はわたくしと同じ1951年生まれですが、彼がビートルズを聴いたのは小学6年生といってますから、学年ではわたくしのほうが一つ上のようです。

 さて、松村氏はロッキンオンの1977年10月号で面白いことを書いています。『・・・だけど、僕は、なんというか通ぶった奴というのはどうしても好きになれない。そういう奴と一緒にいると、こちらは卑屈になることを強いられているようで、なにをいいやがんでえ、ふん、おまえが、「タイム、イズオン、マイ、サイド」を歌っているわけねえだろうと、対抗上と言おうか、行きがかり上というか、ずいぶんと勇ましく戦ったものである。今思えば趣があって、なかなか味わい深い。僕がビートルズだというと、そう言う風にストーンズというのがいる、俺がゼム(バン・モリスンがリーダー)が好きだとなんてのがいると、おっ、こいつはなかなか詳しそうだと注目した。そうかというと、ビートルズもストーンズもガキだ、やっぱしビーチ・ボーイズが一番だという奴もいて(きっと、山下さんでしょう)、それを聞いて、お前達はベンチャーズを知らないのか、とムキになるものもいた』

 残念ながら、わたくしの中学時代には、ポップスを聴く人間は(わたくしの)そばにあまりおらず、ストーンズをどうこう言った人間は一人しかおぼえていない。ちなみに、ビートルズといえど、あの時代イギリス・アメリカと違ってそれほどファンがいたとは思えない。「抱きしめたい」や「シー・ラブズ・ユー」より、カンツォーネの「夢みる想い」やボビー・ソロの「ほほにかかる涙」、シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」とか、フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」というほうが、人気があったように思える。「涙の乗車券」や今や「何でも鑑定団」のテーマソングになってしまっている「ヘルプ」なんかより、映画音楽の「ブーベの恋人」や「夜霧のしのび逢い」(日本に帰化したクロード・チアリ)と言う曲のほうが、ずっと人気があったように思える。

 これはわたくしの勝手な推測ですが、ストーンズファンは、わたくしより一回り年下の世代に断然多いような気がします、かといって、ビートルズファンがわたくしの世代にたくさんいるかと言えば、どうかなぁ、ってかんじもします。ひょっとして、ビートルズ・ファンもわたくしの年代よりずいぶん下の年代のロックファンのほうが多いのかも知れません。これについては、渋谷、松村両氏も同じ様なことを言っていますね。

 とにかく、あの時代は「500マイルはブラフォ(ブラザーズフォ)より、PPMがいいとか、ワシントン広場の夜が更けて」がどうだとか、結構フォークが流行っていたんですよね。そういえば、あの時代はてっきり「風に吹かれて」はPPMの持ち歌かと思っていました(ミスタータンブリーマンは、バーズの作品だとも思っていました)。デュランが、すでにわたくしのそばにいたなんて知りませんでした。続く(次回はブルース・ロックについて)。参考文献<アビーロードからの裏通り松村雄策著>

 2005/2/1/4:10/

「ロックのルーツ・その7」

 ブルース(ズ)と聞くと実はわたくし、頭を抱えるのだ。白人ロックはブルースをベースにして発展していったとは頭でわかっているのだが、40年代、50年代の神様と呼ばれるブルースマンの曲を厳粛にひざまずきながら拝聴しても、なんかあんまり古典過ぎてぴんとこないのだ(日本で言えば、浪花節語りを聴いているみたいぃ、なーんて言ったら怒られかな)。

 早い話、ストーンズよりビートルズのあの聴きやすい音を選んだことを考えても、音楽の理屈もこねなかったあの時代、すでにわたくしにはその傾向はあったんだあろう。とはいえ、ストーンズ、ビートルズ以前の音楽に飽き足らないからこそ、とにかくビートルズの音に共鳴したのだから若干の黒っぽさは無意識ながら感じていたのだろう。

 さて、白人でブルースと言えば、ヤード・バーズ出身の三大ギターリスト。エリック・クラプトン、ジミーペイジ、ジェフ・ベック。この3人をわたくしは語るほどの知識は持ち合わせていない。がしかし、クラプトンはわたくしのそばには結構ファンがいるので数枚だがレコード・CDは揃えてある。動くクラプトンもビデオで観ている。そのうちの一枚のビデオにフィル・コリンズと一緒に、BBキング、アルバートキングとの共演のものもある。観ていておかしかったのは、黒人の大御所の前で、ロック界ではトップクラスのカリスマであるにも関わらず、緊張しているのか、何かいつもと違って堂々としてなくて縮こまっている感じなのだ。クラプトンはギターの神様とロック界では言われているのだけど、彼が憧れのBBキングは神様以上なんだと言うことがそのビデオは証明していた。

 それにしても、本国のアメリカでなくイギリスでブルースがもてはやされ、イギリスの若手ミュージッシャンがアメリカを席巻したというのも面白いものですね。ちなみに、そのことをブリテッシュ・インベーションというのそうですが、それについては次回へ続く、です。2005/2/2/3:20/

 「ロックのルーツ・その8」

 アメリカのロックン・ロールは、英国では50年代後半に人気がでたみたいだ。エルヴィス、ジーン・バンセント(ビーバックルーラシスマイベイビイの)、エディ・コクラン(フーもコピーしたサマータイム・ブルースの)を手本とした。その後、ブリティシュ・イミテーター(模倣者)というべきリズム&ブルースやロカビリースタイルの歌手が登場し(バラカン氏の回顧の時紹介したビリー・フェーリーなど)「アメリカン・バンド・スタイル」で人気を博したような刺激に欠けるダンス志向スタイルを排除した。英国のファンはクリフ・リチャードのようなポップ・ロックに走るものもいたが、その手のポップ・スタイルになじまない若者がその時代のロックに幻滅し(ジョン・レノンがその人だけど、彼がクリフが大嫌いと語った時は正直愕然とした、わたくしは一時夢中になったので)50年代ロックがそのルーツとしていた、歴史がありよりガッツな、すなわち「ブルース(リズム&ブルース)」に鞍替えしたのだ。

 英国のミュージッシャン、クリス・バーバーは、ロンドンのクラブでトラッド・ジャズ、スキッフル(ジョンは高校生の時代スキッフルバンドをやっていた)、カントリー・ブルースなどを演奏するバンドを、1954年に始めた。バーバーの崇拝者が育つにつれ、一緒に演奏していたミュウージッシャンはみずからグループ結成のために、彼の元を離れた。60年代初期までにはブルース・クラブがロンドンじゅう、至る所に誕生していた。

 成功したバンドにシリル・デーヴィスのリズム&ブルース・オール・スターズ(50年代後半に結成)アレクシス・コーナー(ブライアンの時に紹介)とシリル・デーヴィスのブルーズ・インコーポレーティッド(1961年に結成)、ローリング・ストーンズも1961年に結成している。あとは、ジョン・メイオールのブルーズブレイカーズ(1963年結成)、スペンサー・デーヴィス・クアルテット(1963年に結成、のちにスペンサー・デーヴィスグループと改名)、ヤード・バーズ(1963年に結成)。

 英国のブルーズ・カヴァーはほとんど、50年代にアメリカ白人アーティストが録音したカヴァーもののように(いずれご説明しよう)、オリジナルのブルーズから好ましからざる箇所を削除し、清潔なものにしてしまったようなやぼったいカヴァーではなかった。

 英国人はヒット曲をだすためにブルーズをカヴァーしたのではなかった。それは音楽に対する「熱い思い」であった。

 ちなみに、ブルーズインコーポレーティッドには、ドラマーではチャーリ・ワッツ(ストーンズ)、ジンジャー・ベーカー(クリーム)、シンガーでは、ミック・ジャガー、ベースではジャック・ブルース(クリーム) などみんなこのバンドから巣立ったのだ。参考文献・キャサリン・チャールトン著ロック・ミュージックの歴史<上>。

 2005/2/5/3:20/

「ロックその9」

 白人が創り上げたロックンロール。しかし、エルヴィスによって、無から有を生じるように突然創り出されたものではない。ロックンロールの息吹は1950年頃にすでに存在した。だけど、それが社会現象として爆発するまでにはエルヴィスやその他の白人ロッカーの登場を待たねばならない。

 抑圧のたまった白人ティーンエイジャーがそのはけ口を黒人の「リズム&ブルース」に求めようとする動きに対して、それの白人版をあたえることでうっ積から解放してやるための音楽がロックンロールだ。

 エルヴィスは56年に「ハートブレイク・ホテル」で一気にスターダムにのし上がった。それに続いてパット・ブーン、ポール・アンカ、ニール・セダカ、そして女性ではコニー・フランシスといった日本でもおなじみの歌手が次々登場しヒットを放った。

 いずれもロックンロール・ブームの流れに乗ってのことだ。フォークソングも50年代の終わりから60年代にかけて大いにレコード会社を儲けさせた。ロックンロールは大学などに行かない下層民の若者、フォークはカレッジ・ボーイやヤング・インテリという棲み分け図式がレコード業界には都合がよかった、とは(中村とうよう氏の見解である)。

 抜け目ないレコード業界支配の網の目に、同じようにからめ取られた一つの社会層が、黒人だった。40年代に業界支配をかろうじてのがれていたリズム&ブルースは(黒人リズム&ブルースは小さなレコード会社、いわゆるインディーズ・レーベルで盛り上がっていた)黒人は経営しているが白人の業界戦略をたくみに学び取った「モータウン」のような会社によって見事にかいならされ耳障りのいいモータウン・サウンドが作られる。いわゆる「ソール・ミュージック」の流れがでてくる。しかし、南部黒人の歴史にしみついた悲しみをダイナミックなビートに乗せて感情豊かに歌うスタイルを創り上げたオーティス・レディングこそが「ソウル」の名に呼ぶにふさわしい。しかし、そんな逸材はなぜか早死にしてしまう。

 現実は、「ソウルの行方」の著者、ピータ・バカラン氏が嘆くようにモータウンの甘い音楽が隆盛をきわめはじめる。黒人音楽はすべて音楽産業に取り込まれてしまった。ケネディの遺産としての「新公民権法」が成立して、法律上は人種差別が撤廃された64年、これは大きな皮肉である。

 ちょうどその頃、JBことジェームズ・ブラウンのファンクは別格、からだを動かし、ダンス感覚のソウルでまわりに絶大な影響を与えた。彼の音楽性が、マイルス・ディビスのクロスオーバー・アルバム「ビッチズ・ブリュー」にヒントを与えたと考えられる(ちなみに、いぜん読んだジャズのうんちく本で新宿のジャズ喫茶のマスターはマイルスのフュージョンをぼろくそに書いていた。フュージョンなんてロックにすり寄った下等な音楽だと、ジャズは高尚で他の音楽が劣るなんて考えはとうてい受け入れられない)。

 ちなみに、その頃フォーク・ブームの寵児だったディランは人気絶頂だった65年、突然エレキの伴奏でロック調の曲を歌ってファンの激怒を買う。フォークソングの掲げる理念をだだのタテマエで終わらせないためには、そこにはロックという爆弾を仕込む必要があると考えたディラン、ロックを商業主義に盗み取られないために歌詞に社会の真実を盛り込もうと模索したジョン・レノン。モータウン音楽隆盛の頃、英国のロック・ミュージッシャン、ディラン等の才能あふれる若者達が現在のロック(白人の音楽)につながる大きな道筋をつけたのである(ちなみに、64年のフォーク雑誌「シングアウト」にディランとレノンは同一人物ではないか、とまことしやかな記事が載ったことがあるが、二人がまだ新人だったからそんな冗談もでたのだろうか)参考文献・岩波新書「ポピュラー音楽の世紀」中村とうよう著。

次回は「リズム&ブルース」の出現をおおくりします。2005/2/7/12:55/

 「ロック・10」今回は、リズム&ブルースの出現をお話しする予定ではありましたが、ロック(ロックンロール)がなにゆえ50年代後半から60年代前半にかけてなぜにふるわなかったのかを検証したいと思います。それがすんだら、リズム&ブルースに進みたいと思います。

 さて、1958年頃からロックは変わってしまったと言われる。エディ・コクランとバディ・ホリーは人気絶頂で亡くなってしまう。エディー・コクランは交通事故、バディー・ホリー飛行機事故だ。リトル・リチャードは、彼を乗せたオーストラリア行きの飛行機が火を吹いたので、神の怒りと感じた彼は二度と音楽をやらないと誓い罪滅ぼしに、持っていた宝石を全部シドニー港に投げ入れ、神の道に入ってしまったといわれる。

 チャック・ベリーは、「スウィート・リトル・シックスティーン」を刑務所で書いたといわれているが、それは50年代後半のことで、彼の音楽活動はしゃばでは停止していたのだ。ジェーリー・リー・ルイスは(火の玉ロック)、1958年にいとこと結婚し、それが発覚した後、彼の曲は放送禁止になる。さらに、エルヴィスは軍隊に行かねばならなかった(ヒットチャートには60年代に入っても登場しているが)。

 以上のことから、ロックの中心的人物が50年代後半から60年代初期には、身動きがとれない、もしくはこの世に存在していないのだ。ロックが廃れるのは致し方ない。

 ちなみに、ロックンロールという言葉を世間に広めたと言われるDJ、アラン・フリードは1960年に収賄の疑いで逮捕されている(彼は、黒人の曲もよくかけた)。彼は1965年、失意のうちにこの世を去っている。

 さらにその時代、アメリカではロックを追放しようという気運が急激に高まったように思われる。その証拠に、一部のアメリカの政治家には、ロックはロシア人がアメリカの若者を堕落させるために作り出したなどと言う、信じがたい意見もあったのだ。

 わたくしが小学生の頃、テレビやラジオで聴ける、我が国の歌い手によるアメリカン・ポップスは、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスなどによるヒット曲のカバーであった。曲で言えば、オーキャロル、ダイアナ、ボーイハント、ロコモーション、悲しき雨音(カスケーズ)悲しき街角(デルシャノン)シェーリー(フォーシーズンズ?)

 書き出せばきりがないほどその時代の曲はまだまだあるけれど、私は今でもその時代のアメリカン・ポップスを聴くと胸が「キュン」ときます。でも、ビートルズやストーンズみたいに、その時代バンドをやっていた連中は(あまちょろくて)物足りなくてイライラしていたんでしょうね。わたくしは子供だったので、結構アメリカンポップスは気に入っていたんですが、そんなわたくしでも、ビートルズのあの髪の長さや「イエイエ」という歌い方には衝撃を受けましたね。今の言葉で言うと「パンク」だったのでしょうね。これはリアルタイムで生きていなければ理解できないことで、現代の若者がビートルズがハードだなんて考えられないのかも知れませんね(プレスリーが腰を振ったらテレビではその部分はカットされたという話もありますから、プレスリーがいかにその時代刺激的だったかはその時代の人間でなくてはうかがい知れないのです)。とにかく、わたくしの記憶では、ビートルズは夕方の国際ニースで登場し、たぶんツイスト&シャウトだったと思うけど、声が異常に高音に感じて、友達と「ありゃ、きっとレコードを早く回しているんだ」なんて、寝ぼけたことを本気で言っていたのをおぼえています。今でこそ、ロックは声がかん高いのが当然だけど、彼ら以前はでは、プレスリーの歌声でも聴けばわかるとおもうけどけっこう太い声なので(そういえばドアーズのジム・モリスンは、結構太い声でシャウトしていたので意外でした)ビートルズの高音で「イエーイエー」とシャウトしているのにはひじょうに興奮しましたね。

 50年代はじめ頃、イギリスではモダン・ジャズがさかんであった(ジャズを聴くことがお洒落だった)。その後はアメリカのリズム&ブルースのリトル・リチャード、チャック・ベリー、そしてロックンロールのエルヴィス、ビル・ヘイリーなどが全盛を極めた。しかし、既述したように60年代までには、アメリカ、イギリスではオブラートに包んだようなポップ・ミュージックを聴いていたのだ(我が国でも)、しかし、そのことがイギリスのロックバンドによる、アメリカ侵略に向かった要因でもあるのだ。

2005/2/8/3:45/