さしものパウエルも中東和平にこぎつけることはできなかった。混迷の中東情勢、老将軍二人の因縁の戦いの行方はいかに・・・・とにかく第三次世界大戦の勃発原因となるもっとも危険と言われる中でも中東は、なかんずく目が離せない紛争地だ。
ちなみに、ファタハには「征服する」、「鍵で開く」といった意味がある。PLOはナセル(エジプトの)自らが政策に利用するために作ったものでアラファトがナセルの傀儡から奪い取った組織だ(ファタハはPLOの最大派閥で、その組織には共産党も存在する)。
イスラエルの前首相バラクの労働党の考えは占領地は防衛上重要であるものとする。つまり安全保障の観点から占領地を保持しようとするもの。リクードの現在の首相シャロンは、占領地は占領ではないとするもの。つまりヨルダン川西岸は元来ユダヤ人の土地であるとするもの。エルサレムも同じ論拠によるものであるが、とにかく、神が出てくるようでは妥協の余地がないのだ。
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明治維新の頃、長崎在住のユダヤ人としてよく知られるのが、トーマス・グラバーと牧師のフルベックである。二人が長崎に来たのは、1858(安政6年)のことだった。グラバーは貿易商人、21才にして長崎に造船所「高島鉱業所」を開設。今の三菱造船の前身である。またグラバーは、かなり地位の高いフリーメーソンだったといわれている。事実、彼の屋敷にはロッジ(フリーメーソンの集会所)が建っている。この屋敷には隠し部屋があり、そこに幕末の志士達をしばしばかくまったとも言われる。
フルベック牧師のほうはどうか。彼は牧師として来日した。まず単身できたが、その後妻を呼び、娘が生まれている。娘は長じて、長崎奉行の洋裁所の教師を務めた。牧師は1865(慶応元年)8月、長崎府新町に済美館(のちに広運館と改め)を設立。ここで40人以上の維新の志士達の指導に当たった。その顔ぶれを聞いたら皆さんは驚かれるでしょう。
勝海舟、江藤新平、伊藤博文、大久保利通、西郷隆盛、鮫島清蔵、陸奥宗光、大村益次郎、桂小五郎、大隈重信、岩倉具視、副島種臣、高杉晋作、坂本龍馬など、まさに維新を推進したオールスターたちであった。フルベックを囲んだ(その写真は存在する)そのメンバーの顔ぶれを見る限り、明治維新の主力はフルベックの塾生たちだといっても過言ではない(その写真に写る中央の細身の男性は明治天皇という説もある)。
明治維新は、ユダヤ人フルベックの思想と吉田松陰の教えに触発され、グラバーの資金で達成されたと言う人もいる。それによると、グラバーは1866(慶応2年)正月の薩長同盟成立の背後で操っていた(そのことが竜馬がフリーメーソンとの所以である)。竜馬に資金を与え、薩長の連合へと導いていったというのである。
次回はグラバーは武器商人だった、からお送りします。
002/4/29/23/15/
現在、イスラエルの国内人口は約600万で、その五分の一がアラブ系だ。そして人口は年間2%の割合で着々と増えているから2050年には1千万人に達するはずだ。これは農業資源、水資源の面から見て間違いなく重荷になる。そのほかすべてが順調なら何とか切り抜けられる水準であるが、ことがその様に運ぶ可能性はきわめて低い。国連人口基金の報告書によれば、現在は320万人に過ぎないパレスチナ占領地区の人口が、イスラエルの2倍の速さで増加していることを指摘した。言いかえれば、イスラエルの女性は平均2、3人の子供を産むが、パレスチナ女性は平均5、6人産む。したがって2050年には、すでに過密状態のパレスチナの土地に、約1200万人が居を構えると予測される。
この人口には、他の諸国にいる600万人の難民は含まれていない。彼らもまた、同胞達とほぼ同じ出生率を持つと推測される。従ってその人口も、これから半世紀の間に、やはり二倍増えるだろう。
つまり、2050年までに、800万人のユダヤ系イスラエル人が、約2000万のパレスチナ人と数百万のアラブ系イスラエル人とともに、肩を接して暮らすことになる(5月6日の読売新聞より)。
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幕末維新期の日本では、多くの外国人貿易商が諸藩への武器売買に関わっていた。中でもグラバーの販売量は突出していたようである。「トーマス・グラバーは将軍を打倒する運動に参加した者達の中でも、1860年代に出現した最大の叛逆人であった」とアレクサンダー・マッケイは、その著「トーマス・グラバー伝」で指摘している。幕末における外国艦隊の輸入港としては、長崎は他を圧倒していたが、洋銃に関しても、長崎は横浜に次ぐ貿易港だった。
列強の局外中立宣言にもかかわらず、幕末維新期の政治的緊張の高まりとともに、横浜と長崎の武器市場は、急速に拡大しつつあった。では、グラバーが幕末の日本に持ち込んだ武器は、いったいどこで調達されたものなのだろうか?
日本に入った洋銃の多くは、イギリスから直輸入されたものではなく、ほとんどがすでに海外に出回っていた旧式銃ないしは廃銃の部類に属しておりそれを武器商人が中国あたりで寄せ集めたものである。確かに当時、南京条約(1842年)によって五港が開港になったことから、中国は東アジアにおける一大武器市場と化していた。買い手が誰であろうと、そんなことはいっこうに構わなかった。高くさえ売れればそれでよかったのである。
その時代、洋銃は東アジアにおける重要な交易品であった。したがって、武器商人がそこに群がるのは当然のことで、それをくい止めることなど誰にもできなかったのである。グラバーも、そうした武器商人の一人だったことは疑う余地はない(現在は、アメリカが世界の50%の武器を製造しているのでもわかるように、国自体が武器商人と化している。ゆえに、ブッシュはイラクに爆弾を落としたくてやまやまだ。とにかく、ペンタゴン”米国国防総省”は帝国主義的政策を実質的に策定してる。ようするに、武器輸出を支配しているのはペンタゴンだ。中でも、自衛隊は主要な装備をアメリカから導入しており、我が国はアメリカにとってはお得意さんなのだ。ちなみにこれは受け売りだが、軍産複合体とは、米国の場合で言えば、国防省、CIA、軍事産業が一体となって武器を売ることで経済を成り立たせている、その体系のことだそうだ)。
02/5/7/1/40
歴史は、別にユダヤだけのものではない。しかし、何故かこだわってしまう。ヒットラーがユダヤにこだわったように。立花隆が角さんにこだわったように。
全世界の有数のマーチャント・バンカーの正体はなんであろうか?アメリカで産業が大きく動き始めた19世紀末から今日まで、商業銀行はJ・Pモルガン、シティーバンク、チェース・マンハッタン銀行、バンクオブアメリカなどが全米を支配してきた。これら多くは白人でアングロサクソン系民族のプロテスタントが主導権を握ってきたため、その頭文字をとってWASP(わすぷ)と呼ばれる集団である。世界から見れば、”赤い楯”ロスチャイルドに代表されるユダヤ系ではない。アスター(ニューヨークの土地の王様)のようなアメリカユダヤ人たちの大富豪となっても、結局はこうした巨大銀行の株を部分的に所有していたに過ぎないことになる。
しかし、最近のアメリカ(参考文献の関係で1987年頃)の経済誌に目を向けると、乗っ取り屋(投機屋)と言われる世界の背後には”赤い楯”が見え隠れするのだ。
今日そのトップにあるメリル・リンチ、あるいはモルガン・スタンレー、ファースト・ボストンといった巨大投資銀行を除けば、こちらの世界では異常なほどにユダヤ系銀行が活躍してきた。一体、世に”ユダヤ商人”と呼ばれるものがなんであるかを我々のほとんどの人間が知らず、調査もせず、ただ「ユダヤがハリウッドを支配している」、「ユダヤがジャーナリズムを押さえている」、「金融界の黒幕はユダヤ人だ」と言った言葉が氾濫しているのは、きわめて異常なことである。しかし、火のないところに煙は立たない。その正体を明らかにし、煙の源を探ってみよう。ユダヤ人の世界を動かしているのが、ユダヤ系投資銀行である。今日知られているものの名前を挙げると、次の通りである。
クーン・レーブ商会、ワーバーグ銀行、サロモン・ブラザース、レーマン・ブラザース、ラザール・フレール(ラザール・ブラザース)、J&W・セリグマン商会、ゴールドマン・ザックス、ディロン・リード、ヒル・サミュエル、ハンブローズ銀行、ルイ=ドレフュス銀行。
これらの名前は、業界の人間が耳にすればいずれも目を見張る大物揃いだが、一方、市民と呼ばれるなかば善良な人々は、このようなマーチャント・バンカーの活動に一向に関心がない。それでいて、戦争にかり出されては悲憤し、莫大な税金をせしめられながその原因さえ知ることがない。それでよいはずはない。たとえば筆頭に記したクーン・レーブ商会ひとつ見ても、我が国には忘れられない歴史がある。続く・・。2002/5/20/1/04/
参考文献・集英社・広瀬隆著「赤い楯」ロスチャイルドの謎(上)より。
クーン・レーブ商会は、ジェイコブ・ヘンリー・シフによって育てられた投資銀行である。商会の創設者は、サミュエル・クーンとソロモンレーブ。この両家のファミリー・ネームを組み合わせてクーン・レーブ商会となったが、両家は事業で手を組んだわけではなく、クーン家の息子モリスが結婚して、一族となっていた。そのレーブの娘テレサと結婚したのが日露戦争で日本に資金を調達したジェイコブ・シフであった。
1904(明治37年はタイタニック沈没の8年前)年、戦費がないまま大帝国ロシアに宣戦布告し、無謀な戦争に突入した日本は、日銀副総裁の高橋是清に命じて1千ポンドと言う巨額の日本公債をロンドンのシティーで売り出し、ヨーロッパの買い手から金を集めなければならなかった。すでに2年前に日英同盟に調印していたので、イギリスから救いの手がさしのべられると期待していた日本である。
しかし、高橋はどこへ行っても断られ、最後の望みを託したのがロスチャイルド家であった。その豪邸を訪れた高橋は、予期に反して断られたのである。国家としてのイギリスはロシアと敵対しているように見えたが、ビジネスの世界は、別の力学で動く。当時のロスチャイルドはロシア皇帝の許可によってカスピ海に臨むバクー油田の利権を獲得していたから、それに敵対する日本に戦争資金を与えることなど論外であった。さらに複雑なことに、それが表面上の姿勢としての論外、と言う意味であった。なぜならロスチャイルド家はロシアを叩く戦争を華々しくやって欲しいと望んでいた。ユダヤを迫害し続けるロシア人のポグロムが最高潮に達する時代であった。
高橋是清に誰が入れ知恵したものがあったか、ここで日銀副総裁はシティーに見切りを付けると、ニューヨークへ急行し、苦難の末、ウォール街で1千ポンドの現金を手にしたのである。その半分まで引き受けてくれたのが、クーン・レーブ商会のシフであった。参加した兵士は百万を数え、20万人の死傷者を出した日露戦争で、日本は初めての大戦争に勝利を収め、しかし軍国主義と言う地獄の道へ転落していったのである。
ユダヤと日本の関係をお話しした後は、舞台を中世(キリスト教的歴史家は、ローマ法王グレゴリウス1世<590〜604>の即位をもって中世の始まりとしている)そして、近世に渉猟させます。
さて、ゲルマン諸国の大移動時代におけるユダヤ人に関する記述資料は、きわめて乏しいらしい。しかし、ヨーロッパ再統一をしたカール大帝(在位768〜814、ちなみに、カール大帝にはいずれと昨年の11月頃に記述していましたがやっとたどり着きました。なんともう一年の半分は過ぎましたね)の時代になると、ユダヤ人の国際的な通商活動が伝えられる。ヨーロッパの秩序を回復したフランク王国にとって、ユダヤ人の活躍と能力はきわめて魅力のあることだった。カロリング時代(751〜911)にユダヤ人と「商人」の名称がしばしば同義語に用いられたのは注目に値する。
ところで、中世の身分社会においては、貴族だとか偉いお坊さんとかは、みんな特権をもっていた。もちろん王様も同じで、王様の特権は大きいから大権といったが、大権も特権の一種であって、大権をもってしても各貴族の特権を否定することはできなかった。しかし、その大権が次第に他の特権と比べようもないほど大きくなっていく。なぜ大きくなったかというと、一つは大都市で商業や工業が発達して、その商工階級と王様が結託したからだ。商工階級というのは品物を売らなくてはいけない。ところがいたるところで匪賊、馬賊、山賊、海賊(エリザベス一世の主たる提督、ドレーク、サー・ウオーター・ローリーなどは海賊だ)がやたらと出没する。そんなわけで、商人は危なくてしょうがない。そこで王様に守ってくれるように頼む。王様は守ってやるから「金よこせ」といって、献金させる。あるいは「借金」する。で、その金で、専門の兵隊を雇って訓練する、もしくはイギリスのように海賊そのものを自家薬籠中の物にする。
王様の庇護を受けた都市はますます商工業が盛んになって発展する。近代になる以前から、ヨーロッパでイギリスが大きな顔をしていたというのは、すでに12、3世紀頃から、王様と都市との間にこうした商人が関わっていたから王権も非常につよくなっていたからである。
とはいえ、ヨーロッパ諸国のうちで、ドイツほど宮廷に召し抱えられていたユダヤ人の経済力に依存した国はなかった。時代は下り17、8世紀のバロック時代、そして19世紀にいたるまで、ドイツの諸侯でユダヤ人を宮廷の側近として持っていなかった者はほとんどいなかったと言って過言でない。
ドイツの分裂と衰退を決定的なものにした30年戦争(1618〜48)の際、フォン・ヴァレンシュタイン将軍はカトリック側に立って、ドイツの皇帝フェルデナンド2世のために傭兵隊を組織したが、その財源はオーストラリア、ハプスブルク家の宮廷ユダヤ人ヤコブ・バセヴィにより提供されたものであった。30年戦争から19世紀のナポレオン支配からの解放戦争(1813)に至るまで、ユダヤ人の資金無しで行われた戦争はほとんど全くなかったのである。
戦争に明け暮れたプロイセン王国のフリードリヒ2世大王が、いかに側近ユダヤ人による軍事物資の調達に依存していたかは注目に値する。なのに、なぜ、彼を尊敬してやまないヒットラーは、ユダヤを敵にまわしてしまったのか・・・歴史に学ぶと言うことを彼は怠った。
ちなみに、アメリカの奴隷解放戦争(1861〜65)の北軍が、フランクフルトのロスチャイルド銀行にその資金を仰いだことを思えば、ユダヤ人の力がいかなるものかは、思い半ばに過ぎるだろう。
ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の5人兄弟の母親グードオゥラが戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対して、「心配には及びませんよ。私の息子達がお金を出さない限り戦争は起こりませんからね」と答えたという。19世紀にはいると、宮廷ユダヤ人は今や立派な宮廷銀行家として、王国の財政を左右するほどに力を持っていたのである。つづく
参考文献・小室直樹著「世紀末・戦争の構造」徳間書店・大澤武男著「ユダヤ人とドイツ人」講談社現代新書・中丸薫著「闇の世界・権力構造と人類の指針」文芸社。