特別企画12「積年の願い?」

特別企画・文明の衝突11「マホメットの深謀遠慮?」

 蒙古人は、武力でこそアラブ人を征服したものの、旧来の宗教を捨ててイスラム教に入信した。その他の征服者もこれと同じだ。

 武力における征服者は、たちまち、宗教における被征服者に変身したのである(ローマだって、文化的にはギリシャに征服されちまった)。

 「コーラン」は、アラビア語によって記され、それ以外の言語で訳すことは許されない。他国語のコーランは「コーラン」とはみなされない。コーランの読唱は、アラビア語でなされなければならない。イスラムの聖地は、アラブの世界にある。地球上のイスラム教徒は、究極的には、アラブにある聖地への巡礼が望まれる。

 イスラム教は、世界宗教になった後でも、優れたアラブ的宗教なのである。アラブ人はいくたびとなく外国人の支配を受けたが、征服者を教化してイスラム教に入信せしめた。宗教的には「アラブ化」したことである。征服者も大アラブ共同体の一員となり、イスラム教の命ずるところに従ってアラブ人のごとく生きる。支配者も、アラブ人に連帯せしめられたから、彼らに対する聖戦コンプレックスを育成せしめる契機とはならない。ただ、唯一の例外を除いてだ!

 それがヨーロッパのキリスト教徒である。

 十字軍としてアラブへ攻めてきたヨーロッパ人は、めくるめくほどの高いアラブ文明に驚き、急いで輸入に努めはした。しかし、イスラム教に改宗しようとはしなかった。嗚呼、なんとおろかな、アラーを冒涜する者達だろうか!十字軍の記憶は、大きな後遺症として、アラブ人の無意識の底にわだかまったのだ。

アラブの名誉のために、いま少し筆を進めたいのだが時間が来たので今度にするが、とにかくいま少し、アラブの誇りが何かを白日の下に知らしめたいと思う。01/10/18/14:00

[特別企画その12] /welcome:

 ヨーロッパ人の古典は、ギリシャ・ローマである、と日本人も欧米人も、このように思いこんでしまっている。が、ちょっと待った。それには違いないが、中間項を忘れてもらちゃ困る。その中間に位置するのがアラブなのである。

 ギリシャ・ローマの高い文化。直接にヨーロッパに再生したものだとも限らない。たいがいがアラブ経由で渡来されたのである。

 西ローマ帝国が解体されたとき、その文化的遺産の本質部分は、ゲルマン人ではなく、サラセン帝国によって継承された。キリスト教徒は、本質的には反ギリシア的であったから(イエスがガリラヤ湖畔においての説教をしているときは、少なくともギリシャ哲学など意識していなかったであろう。その後、ヘレニズム世界を往来するうちにギリシャ思想の影響を大きく受けるようになった)ギリシャ文明の吸収にあまり熱心ではなかった。

 西ローマ帝国の没落は、軍事的にはゲルマン人の手によるが、ローマ帝国の文化的遺産を相続するにはそれほどの努力はしていない。その理由のひとつは、軍事征服者たるゲルマン人があまり野蛮すぎた事であるが、もう一つ大事なのがキリスト教が初期の時代において非ギリシャ的であった、ということである。いずれにせよ、初期キリスト教(原始キリスト教であれ、ローマ・カトリックであれ)はギリシア思想を尊重しなかった。

 ヨーロッパのキリスト教が棄ててかえりみなかった作業、ギリシャ文化の継承。このうえもなく貴重な作業をやり遂げたのがアラブ人であった。

 それはきっとマホメットが大変学問を重んじていたからだろう(彼自身は無学と言われておるが)。この点キリスト教的センスとは正反対である。西暦8世紀に始められたギリシア文化の継承の仕事は、わずか一世紀足らずのあいだに、みるべき成果をあげた。

 アリストテレスからプラトンにいたるまで、偉大なるギリシア人達の業績は、アラブ帝国に集められた。これらの業績の中には、医学、自然科学などもほとんど網羅されていた。アラブ人はこれらの著作をアラビア語に翻訳したのである。

 アラブ帝国には文化の黄金時代が開花し、アラビア語は世界の学術語となった。また、教育を普及し文字の読めない人はほとんどいなくなった。中世においては類をみないといっていい。

 アラブとヨーロッパの文化落差が大きいので、志のあるヨーロッパ人はアラブに学んでヨーロッパ文明を開化した。

 医学、天文学から始まって、化粧品、薬品にいたるまで(蒸留酒もそうだよ)、ヨーロッパ人が珍重するものはことごとくアラブから入ってきている。ヨーロッパ人が、アラブの文化のあまりにも高いに気付き、アラブ文献の本格的ラテン語訳に着手することになったのが、ようやく11世紀なのである。

 これほど欧米人は、イスラム教徒のアラブ人から絶大な文化的恩恵うけた。それをすっかり忘れてしまっている。それらの憤懣やるかたなき心的傾向に加え、十字軍コンプレックスが加わるとき、アラブ・イスラム教徒の聖戦志向はは否が応でも高まるのである。

 上述したとおり、イスラム圏とは拡大されたアラブある。聖戦運動は、アラブ以外の世界においても、ヨーロッパ帝国主義相手に激しく戦われる。しかし、激しく戦われた聖戦の努力はすべからく水泡に帰した。近代ヨーロッパ帝国主義の力はあまりにも強く、イスラム教徒の聖戦も、結局、勝利することはできなかった。

 第一次大戦の頃までには、中近東は、完全なヨーロッパ帝国諸国の支配下に入ってしまった。いつの日か、対ヨーロッパ聖戦を起こして、帝国主義諸国を駆逐せん、これがイスラム教徒の積年の宿題、なのだろうか・・・・・・。

 そして思うのは、もう鎖国もできない我が国の行く末・・・否が応でも、そのアラブ世界と不倶戴天の敵である最たる国、アメリカの行く末に大きく大きく関わるのを、我々は肝に銘じなくてはならない。