特別企画10「ジハード?」

特別企画・文明の衝突9「宗教とは、はたまた聖戦とは?」

 はじめに・・・・・。

 世界は一つに(まあ、今の状態ではなんか空しい言葉にも聞こえるが)・・・とはいえども、宗教を理解しないと世界の人々と付き合っていけない。宗教によって行いが決まる。宗教が違えば、当然行いが違ってくる。

 しかし、日本のような無宗教な国の人間は、宗教が違っても人間は皆同じであると思いこんでしまう。このままいくと、ひょっとして日本人は世界で孤立して交流も取引も困難になるかも知れない。

 世界の人々の大方は、この世がどんなに苦しくても、来世でよいところにゆくために努める。しかし、日本人に限って、この世が一番よくて来世なんかどうでもよいと独り合点している。

 この世が最高だと思っている日本は、当然、無宗教の国になった。

 しかし資本主義もデモクラシーも近代法も、深くキリスト教に根ざしている。

 キリスト教が理解できないから、資本主義とは名ばかりの統制経済となり、三権は役人に簒奪され、近代法は機能せず、政治と経済は目標を見失っている。

 さて、宗教とはいかなるものか?宗教とはつまり、この上もなく恐ろしいものなのだ。このことが宗教理解の大切なところである。そして、アメリカやヨーロッパではこれが常識なのである。

 ところが、日本人は宗教を自分や周囲の人間に幸せをもたらす何やらすばらしいものと独り合点しているようだ。だから、サリンをつくるなんて!麻薬をつくるなんて!人を殺すなんて!・・・・・。そこが、それこそが宗教誤解の第一歩なのである。

次回は、ジハード(聖戦)です。

[特別企画その10] /welcome:

 聖戦(ジハード)で戦死すればイスラム教徒は永遠の生命を得られるのか?

 「コーラン」に述べられている善行のなかで聖戦における戦死が、特に重要なのものであることは言うまでもない。コーランでアラーは(イスラムにおける唯一の神がアラー・マホメットはイスラム教の開祖)、戦いにおいて戦士した人々のことを死人などと言ってはならない、と言いきっている。聖戦で戦死した人は永遠の生命を得るだけではなく、至福の楽園(天国)に永遠に住むことを保証されるのである。

 この世は苦痛に満ちているが、いかなる辛苦もなんのその。アラーを信じ、イスラム教の教えを守れば、来世では天国で至福の生活が待っている。

 では、聖戦は実際にはどのような形で行われたのか。イスラム教徒にとって、現時点からみて、特に重要である聖戦とは何か?

 ひとつは、十字軍に対する聖戦である。この時代のヨーロッパ教徒の文化は、イスラム教徒とは比較にならないほど低かった。

 そのキリスト教徒が、ある日突然攻め寄せてきて、エルサレムを占領しようとする。聖地エルサレムは、ひとたびはキリスト教徒の手に落ち、奪回するために大量の血が必要であった。聖地がキリスト教徒に落ちないためには、さらに多くの血が必要であった。

 イスラム世界で、十字軍にたいする聖戦意識が白熱化したのも当然である。イスラム社会では、十字軍に対する聖戦意識が強烈な複合(コンプレックス)として、心底に存在する。このことを忘れるべきでない。

 では、十字軍コンプレックスとしての聖戦意識は何か。ざっと歴史を眺めなおし、このことについてイスラム教徒の深層心理に触れてみたいと思う。

 1096年に、第一次十字軍によるエルサレム攻撃が開始された。1099年には、エルサレムは、ひとたびはキリスト教徒の手に帰した。が、エジプト王サラディンは、1187年、ハッティンの会戦で十字軍を大いに破り、遂にこの年の十月、エルサレムを奪回した。サラディンは聖戦の英雄として長く記憶されることになった(サダム・フセインは彼を意識していたことだろう)。

 イスラム教徒にとって、対十字軍戦争は大変な戦争であった。キリスト教徒は、文化はめっぽう低いが戦争にだけは強い。これが7回にも及ぶ十字軍戦争の結果としてのイスラムの印象であったろう。

 イスラム教徒は、1217年にエルサレムを取り戻し、その後、キリスト教徒に奪回されてはいない。それであるのに、なんでまた十字軍に対する聖戦意識がなおも強烈なコンプレックスとして、今なお残っているのであろうか?

 イスラム教のアラブ帝国を滅ぼしたのは蒙古人であった。中国で元王朝を立てた蒙古人は、史上最大の征服の進軍を続け、中近東にまで侵略を進めてきた。1256年はペルシャ帝国(イラク)を征服し、2年後の1258年には「世界の都」バクダードを占領した。けんらんたるアラブ帝国(アッパース朝)は滅亡した。肥沃なるメソポタミアの農地は荒れ果て、東ローマ帝国のそれと比肩する世界最高の文化の果実は失われた。

 1393年にはチムールの軍が来襲し、1534年には、オスマン・トルコが来襲した。アラブは、世界史の檜舞台から姿を消した。豪華な富を誇ったアラブ人は、トルコの支配下に入った。

 このように、アラブ人は十字軍の侵略を究極的には、はねかえしたのだ。他方、蒙古やチムールやらトルコやらにはさいなまされることになるのだが・・・。

 しかし、アラブの聖戦意識の根底には、十字軍コンプレックスが潜在し、蒙古コンプレックスやトルココンプレックスはない。

 その理由とは何か??

次回はアラブ文明です。

参考文献・小室直樹著「日本人のための宗教原論」「世紀末・戦争の構造」徳間文庫。