イスラムの聖典であるコーラン。コーランはいつも不可侵の位置にあった。十字軍の時代(12世紀から13世紀。ご存じの通りその時代まではイスラム文明がキリスト文明より優勢だった)にコーランの見直しを行おうと言う機運があったが、イスラム勢力の拡大の時期に当たり、何も検討されず、以来700年コーランはコーランであり続けた。十字軍後のイスラム世界はその世界内での戦いに明け暮れ、頂点を迎えていたイスラム世界は凋落の一途を辿った。イスラムの知識人はコーランを前にして議論を戦わさなかった。議論をしようとすると、そのたびに圧殺された歴史がある。
一方、イスラム教徒と対峙するキリスト教は何度も聖書の再解釈及び教会機構の改革が行われた。教会の腐敗を糾弾したルターの宗教改革、新教(プロテスタント)と教皇庁機構について議論がなされた北イタリア、トレントで開催された公会議(1545年)。つまり、キリスト教は状況に合わせて改革されてきたのだ。
認知された新教が現在の西欧の価値観を生んだ宗教である。合理主義や実用主義(プラグマティズム)はプロテスタントの賜物と言われている。メイフラワー号(1620年。ブルグリーム・ファーザーズ、巡礼始祖と彼らのことを呼ぶ)の人々はプロテスタントに連なる清教徒達だった。
プロテスタントのオランダは、マリファナ(マリワナ)をヘロインの抑止として許可するなど、合理的な思考をする。安楽死を立法化しているのもオランダだ。
しかし、コーランは自己批判も新解釈もされることもなく現在を迎えている。
かつて、イスラム文明はキリスト教世界の規範であり、先端技術は憧れだった。だが、イスラム文明はコーランと同じようにルネサンスを経験しなかった。西欧文明はルネサンス、大航海時代、重商主義、帝国主義と世界の舵取りをし、資本主義、市場システムを確立し、富を握った。
そこで現在に立ち戻れば・・・。
資本主義対原理主義と言う図式は物質主義対精神主義と置き換えてもいい。アメリカとアフガンのタリバンはこの図式。物質主義の繁栄を最大限に望むアメリカとイスラム教だけを希求するタリバン。
もちろん、イスラム世界の中にも物質主義の富めるイスラムと精神主義の貧困のイスラムが存在する。精神主義のイスラムにも温度差がある。
メッカを中心に地球儀を回せば、西はモロッコ、東はインドネシア、フイリピンとイスラム世界が展開している。イスラム世界は西欧の価値観に対応しながら、また浸食を受けながらコーランを信奉している。観光立国チュニジアがその典型であり、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一国としてインドネシアは市場経済に組み込まれている。
それぞれの原理主義は内に過激な部分を有している。それはイスラム原理主義だけに言えることではない。その中で一番厳格で過激なのがイスラム原理主義である。その頂点に位置する武装原理主義勢力が今回のテロを遂行した。
ちなみにこの参考文献の筆者は、原理主義の中には、イスラムの他に、仏教、ヒンズー教、汎スラブ、そしてエコロジーの緑の党もその範ちゅうにはいるという。とすると戦前の我が国はひょっとして天皇原理主義(神道)、マルクスレーニンも原理主義か?
参考文献・サピオ10/24号(小学館)の11ページ。「汚い戦争」より。筆者はフランスの経済学者・ギ・ソルマン氏。
現在も紛争がたえない中東、第二次世界大戦後には「世界の火薬庫」と呼ばれることになるのだが、それ以前の「火薬庫」と言えば第一次大戦の発火点だったバルカン半島であり、90年代の旧ユーゴ解体で再び悲劇の舞台となった。
13世紀から20世紀初めまでバルカン、中東、北アフリカを支配していたのがオスマントルコ帝国であり、欧州が聖地奪回に十字軍で遠征したのも、大航海時代や産業革命を起こすのもこの帝国の存在があったからだ。
20世紀前半は世界に植民地と工場を築いた大英帝国が、後半は世界にエネルギーと軍事基地を築いた米国が、中東に深く関わる。第一次大戦中、英国がオスマントルコを落とす際に、シオニズムの高まりを見せていたユダヤ人に民族国家建設を確約した(バルフォア宣言)、一方でアラブ人にも独立を確約した(フサイン=マクホマン書簡)した。ユダヤ人の財力とアラブ人のトルコへの反乱を期待しての策謀だったが、この二枚舌が現代の深刻なパレスチナ問題の引き金になったことは、このコーナーでも何度も話ししたと思う(そのつけを今米国が受け持っている)。
さて、今回の表題の「死の商人」、売春婦の次に古い職業であるとも言われている。弓矢、投石の石器時代から刀剣、鉄器、騎馬隊を経て、中世の火薬と銃の時代にも武器商人はいた。ただし、武器を専門に製造販売する業者が現れ、武器市場、軍需産業を形成するのは、産業革命以来後、大砲、戦車、戦艦、爆撃機などの多量殺戮兵器が登場してからだ。死の商人としてなを残すのは19世紀から20世紀にかけてである。
その代表的企業には・・・英国のサー・バジル・ザハロフ(ビッカースーズ社)、アームストロング社、ドイツのクルップ家(クルップ社)、フランスのシュナイダー・クルーゾー、米国のデュポン財閥、サミュエル・コルトなどである。
ちなみに、現在世界の軍事費の総計は約120兆円。世界中で武器の輸出入に巨額の金が動き、兵器産業は莫大な死者の上に繁栄を続けている。通常兵器の輸出額をデーターでみてみると、米露英仏独オランダの上位6カ国における95年から99年の5年間輸出額は1113億ドル、米議会の報告では世界の武器取引額は1530億ドルで、共に米国が5割弱を占める。6カ国についで中国やイスラエルも大きな武器輸出国だ。
さて、話を武器商人に戻そう・・。
欧州はバルカン戦争、第一次世界大戦では、祖国民族敵味方関係なく武器を売り、影で戦争を仕掛け、ナチスの武装化に加担した者も少なくない。その最たる人物、トルコ生まれの怪人ザハロフは、トルコやスペインへの武器輸出で巨利を得た英国のビッカーズ社を手中にする。一般に武器商人は影の存在だが、ザハロフは欧州の社交界にも政界にも派手に出入りし、第一次大戦に英国に加担してサーの称号を得るに至っている。そのビッカーズとアームストロングは合併し、今でも英国最大の兵器産業(ブリテッシュ・エアロスペース)の中核をになっている。デュポン財閥も米国の火薬工業を支配、原子爆弾を製造した。デュポン、ロックフェラー、メロンのどの現代の大財閥の多くは、南北戦争、第一次大戦で巨利を得たことが基盤になっている。ダイナマイトを発明した、ノーベル賞創設者、スウェーデンのアルフレッド・ノーベルや、幕末に長崎に来日したグラバーも武器弾薬や軍艦で巨利を得た武器商人だった。
日本では三菱財閥(岩崎弥太郎)が日露戦争や大陸進出で大きくなり、今でも最強の企業集団であり、中核の三菱重工業は日本最大の軍需企業として君臨している。
ところで、アラビアのアドナン・ガショギとは代表的武器商人だが、彼は80年代の「イラン・コントラ事件」で米政府がイランに禁止していた武器輸出したときにも登場する。また、今年2月に誕生したイスラエル強硬派のシャロン首相とは以前から知己の関係と言われている。ちなみに、カショギの甥が英ダイアナ妃の愛人で、共に交通事故で死んだトディ・アルファイドだ。トディもカショギの薫陶を受けて貿易商をしていた時代があったため、地雷撲滅運動に熱心だったダイアナ妃との関係ゆえに、かなり根強く殺害説が飛び交っていたのである。
ところで、月刊サピオにおいての落合信彦氏の見解によれば、カショギは全盛期には40億ドルを越える資産を形成し、まさに死の商人そのものであったらし。しかし、彼がフイリッピンのマルコス大統領の不正蓄財に助力したとして逮捕されたときに彼がやっていたことと言えば武器売買ではなく、美術品の横流しだったり、国際的に有名になった超高級売春宿の経営者だったりした。この転職の理由は、現代はもはや個人での武器商人の時代ではなく、先ほどのデーターが示すとおり、国自体が武器を売買しており、個人の力ではとうてい付け入るスキがないと言うのが現状である。とにかく、世界の武器市場の90%以上は国家や政府御用達の巨大軍需産業が占めるのだ。たとえれば、米国の兵器産業は日本の公共事業と同じ事で、今度のテロの報復により確実に戦争特需を作り出すことだろう。
参考文献・月刊サピオ。