特別企画3「アメリカの戦争はこうして始まった?」

特別企画・文明の衝突「一極・多極体制?」

 まえおき・・・ここに書き記す文面は、アメリカのテロ事件以前の2000年1月に出版されたアメリカの政治学者による論文からの引用です。

 ー冷戦時代の世界では、パワー(力)の構造は基本的に二極体制だったが、現在つくられつつある構造は、それとは非常に異なっている。

 今や世界には一つの超大国しか存在しない。しかし、それは世界が一極支配の体制にあるという意味ではない。一極支配の体制では、一つの超大国が存在するだけで、主要な大国は存在せず、後は多数の小国ばかりである。

 その結果、超大国は重要な国際問題を単独で効果的に解決でき、その他の国々がいかように力を合わせても、超大国のそうした行動を阻止することはできない。

 かつての、ローマ時代の数世紀間と、中国が東アジアを支配していた時代は、この一極体制に近かった。一方、冷戦時代のような二極体制の場合は、二つの超大国が存在し、その超大国間の関係が国際政治の軸となる。超大国はそれぞれ、同盟関係にある国々を支配し、同盟関係にない国々への影響力を求めて競い合う。

 また、多極体制の場合は、多数の大国が拮抗し、世界の流れに応じて協調し合う事が必要になる。ヨーロッパの政治は、数世紀にわたってこのモデルに近い状態にあった。

 現在の国際政治は、これらの三つのモデルのいずれにも当てはまらない。現在は、超大国(アメリカ)といくつかの大国からなる「一極・多極体制」という、これまでにないモデルである。

 その超大国であるアメリカの政府当局者は、世界があたかも一極体制(先述したローマや、中国のように)にあるかのように振る舞いがちである。彼らはアメリカの力と美徳を誇り、アメリカは慈悲深い覇権国家であるという。そして、アメリカの原則・習慣・制度は全世界に通じる妥当性を持つと、他の諸国に対して説教する。

 もちろん、グローバルな規模の重要な課題に取り組む上では、アメリカの参加が不可欠であることは否定できない。しかし、英知の源としてアメリカがかけがいのない存在であるとアメリカ自身が思いこむのは、他の諸国にしてみれば、少し思い過ぎではないかと言わざるを得ないのである。

 他国のそんな思いを知ってか知らずか、アメリカの外交政策にかなりの部分が、こうした傲慢な信条によって推進されている。この数年間、アメリカは多かれ少なかれ単独で行動しようと試みるか、あるいはそうしようとしていると見なされている。

 人権と民主主義に関して、アメリカの価値観や習慣を採用するよう他国に圧力をかけ、通常戦力におけるアメリカの優位を脅かすような軍事力を他国が持つことを阻止し、アメリカの法律を他国の社会で適用させた。

 そのいい例が、イラクに対しての軍事行動であり、その後の過酷な経済制裁、そして一部の国を「無法者国家」呼ばわりし、アメリカの意向に従順でないと言う理由から、それらの国を世界的な機構から締め出している。

 冷戦末期とソ連崩壊後の一時的な一極体制の時代には、アメリカがみずからの意思を他国に強制できる場合もしばしばあった(湾岸戦争に於いても)。だが、一極体制の時代はすでに過去のものである。現在、アメリカが試みている二つの主な強制手段は、経済制裁と軍事介入である。しかし、経済制裁が効果を上げるのは、他国が制裁に同調する場合だけなのだが、「それも次第に同調されなくなっている」

 しかし、現在(2000年)より本格的な軍事介入のためには、次の三つの条件が満たされなければならない。

 第一に、ロシア、中国、フランスが拒否権を持つ国連など、一定の国際機関から正当性を認められること。

 第二に、同盟諸国の参加をとりつけること。これはうまくいくかどうかわからない。

 そして、第三に、アメリカ人の犠牲者がでてはいけないし、実質的に「巻き添え」の民間人犠牲者もでてはいけないことだ。

 <テロ事件の後になれば『』内は赤色で書きたいよ・・・。>

 『たとえ三つの条件を満たす場合でも、軍事介入は国内で批判される恐れがあるだけでなく、海外における政治的反発を招き、他国民の反感を買う危険がある』

 どういうわけか、アメリカの政府当局者にはわからないようだが、アメリカが外国の指導者を非難すればするほど、非難された人物のその国での評価がしばしばうなぎ登りになるというのが実情だ。世界最強の大国に立ち向かったとして称賛されるのである。

 アメリカが外国の指導者を悪魔呼ばわりしても、これまでのところ彼らの任期をちぢめることには成功していない。カストロは、アメリカ大統領が八人交代するあいだ、ずっと権力の座を守っているし、フセインだって相変わらずだ。

 実際、小国の独裁者が権力を維持し続ける最善の方法は、アメリカを挑発して自分を非難させ、「無法者国家」の指導者とか、世界平和にたいする脅威などと呼ばせることだったのだが。ー

 しかし、<今回のアメリカ本土におけるテロ事件に関してだけは無法者国家の烙印だけではとても事はおさまりそうにないのは、ブッシュ大統領の「ウオー」の一言においても確実のものになるのだろう>参考文献・いずれ上書きしますが高名なアメリカ人の論文によるものです。なお、<>の部分は正太郎の言葉です(^^;。

[特別企画その三] /welcome:

 軍事行動支持の世論が沸騰するなかで、「歴史を振り返ろう」とする動きが出てきている。

 これまで、アメリカが戦争に突入する際にはしばしば、劇的な事件が発生し、これに刺激されて、アメリカ人の間に戦争支持の気運が高まるというプロセスがあった。しかし、後になるときまって、それらの事件そのものが疑われたり、あるいは事件への対応の当否が問われたりしている。

 それぞれにあまりに衝撃的な「アメリカへの挑戦」と見えるだけに、戦争へ突き進むためには、かっこうの材料になってきた。今回の同時多発テロもまた、そうした歴史の延長線上にあるのではないか。

 歴史から得られる教訓があるとすれば、未来へ向かう一歩を決めるための判断基準のひとつやふたつを、それが提供してくれるところにある。過去に視線を向けて、もう少し落ち着こうじゃないかと、自らに、そして周囲に語りかけている人々がいる。この人たちによって、いまこのときに、歴史が掘り返される。

 問題にされている歴史的な事件の最初は、1898年に起こった戦艦メイン号の沈没である。これをきっかけとして、米西戦争がはじまり、以後アメリカは世界の列強あるいは帝国主義国家への道を歩みだしている。

 この年2月15日に、キューバのハヴァナ港内で、アメリカの戦艦メイン号が爆発し、260人のアメリカ人が死んだ。当時のキューバはスペインの統治下にあったが、これに抵抗するキューバ人の反乱が起こっていた。アメリカ国内では、同情が高まり、なんらかの手を打つべきだという声が上がっていた。そこにこの事件が発生した。

 しかも、外部からの機雷による爆破だと、アメリカ海軍の調査委員会が発表し、このような状況をつくりだした責任は全てスペインにあると断定した。これでスペインを糾弾する声が一気に高まり、Remember the Maine(メイン号を忘れるな)の合い言葉も生まれた。後のRemember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)は、ここに「ルーツ」があるわけである。

 この大惨事がきっかけとなって、アメリカはスペインに対して戦端を開き、その結果、キューバやフィリピンを実質的な植民地にするに至る。戦艦沈没の原因については、その後さまざまに取りざたされたが、最終的な結論が出たのは1976年のことである。この年、ハーマン・リッコーヴァ提督(この人物は、カーター大統領が海軍士官時代にもっとも尊敬し影響を受けた軍人である)の報告書が提出され、外部からのものではなく、戦艦内部に原因のある事故だったとされた。

 なお、キューバの反乱軍側が機雷を仕掛けて、アメリカとスペインを戦争に引きずり込もうとしたという推測もある。

 だれかが故意に沈没を工作したかどうかはわからないが、事件はただちに好戦派の利用するところとなって、有無を言わせず戦争へ向かっていくための推進装置になったことはたしかである。

 上述したのは、すべてが作家・枝川公一氏のHPからの抜粋である。