その2話「血のルーツ?」

その1話「まず最初に一言」

 「NEWカリスマ」を始めるにあったって一言申し添えておきたいことがある。

 それは、我々現代人の価値観で昔の人々をとやかく言うのは差し控えなくてはいけないと言うこと。我々の想像力を駆使してその時代の人々はどのように国を興し、どのように現在の国の形になったのか・・・そのことを考えなくてはいけない。そのことは、先の「敗戦」においても同じことといえるが、我々の先人達は過去に近隣諸国に迷惑を掛けたかも知れないが、現代の我々がとやかく言うのは僭越であり、現代の我々が軌道修正していけばいいのであって、同時代に生きてもいないくせに「あーだこうだと」ご託を並べるのはいかがなものであろうか(悪いことは謝らなくてはいけないが政争の具(愚)と化すのはよろしくない。心で謝りつつも、外交においては手練手管を駆使するのが政治家ではないか?いつまでたってもぺこぺこじゃ(世俗世界の自分自身に置き換えてみたら)世界中に笑われるよ。例の教科書問題(靖国)だって、彼の国はそれを外交の切り札にしているんだから)。

 というわけで、これから新たに古代の歴史を学んでいくつもりだが、とにかく歴史とは戦いの連続で、とうてい今の価値観では計り知れないものがある。「武器を持つな」!「戦争反対!」みたいな考えで歴史をみれば世界中が悪人で塗りつぶされてしまう(将来的にそう言う世界になることを祈るが、それを過去の歴史にまで持ち込むのはナンセンス)。

 だから、わし的には、天皇家がどうだとか、藤原家がどうだとかは(寄生の貴族と言った人がいる)あくまで歴史的好奇心ゆえに追求するのであって、縄文と弥生の相克も、あくまで現在につながる歴史の流れみるものである。決してその出自を暴いて溜飲を下げるというものではない。

 とにかく、今現在の日本においては「象徴天皇制」でまとまっておる。日本は明治から敗戦まではともかく、その後は、それで何とかやってきたのだ。未来のことは未来の人々が決めることと思うが、歴史を学べば学ぶほど天皇制の不思議を感じるのだ。なぜ、わが国の先人達は天皇家を亡ぼさなかったのか?

 それを解明するには、天皇のルーツを探らなければならないだろう。だから、天皇家が朝鮮半島からであろうが中国からであろうがモンゴルであろうが、はたまたユダヤの末裔であろうと?かまわないのである。それが、わが国の天皇のルーツなら。我々だって、どこから流れてきたかわかったものではないのだから。

 というわけで、「カリスマのルーツ」、しきり直しで、またやんわりと書く進めていきたいと思うのである(とにかく、えらいもんに首を突っ込んだと、うれしさ半分おとろしさ半分でござる(^^;)。01/8/26/

[その2でーす] /welcome:

 わが国の古代を探るにあたって、ぜひとも検証しておかなければならぬことがある。それは、我々の血のルーツである。

 今日、考古学の進歩により、先史時代の日本の姿も、かなり克明に再現できるようになってきたと言われる。

 日本の血の中には、大きく分けて二つの種が交わっていることも明らかになってきている。「古モンゴロイド」と「新モンゴロイド」である。

 これを別の言い方に直せば、狩猟採集民族・縄文人と、稲作民族・弥生人ということになる。

 今から二千数百年前、稲作技術を携えた弥生人達は、九州北部へ上陸した。こののち、稲作技術は驚くほどの速さで東へ伝播していくが、この弥生人たち、いったいどこから来たのだろう?

 実は、今日ではほぼ明らかになっているという。

 考古学的に言えば、北九州の地に稲作をもたらしたのは、長身・高顔型?の渡来人と、低身長・低顔型の二つに分けられるという。

 前者は北アジア系であり、彼らが朝鮮半島から来たことは間違いないとされる。一方、後者は、中国・江南(こうなん)地方の出身ではないかとされている。

 そこで次回は、モンゴロイドについて、も少し詳しく述べたいと思う。続く