71話「ニギハヤヒノミコト」

70話「オオモノヌシ蛇伝説」

 崇神天皇の大叔母にあたるヤマトトトビモモソヒメは、大物主神を祭って疫病を鎮めたと伝えられる。その後彼女は、大物主神の妻となった。ところが、彼女はある日、夫が蛇であることを知ってしまう。そのため、大物主神は怒って山に戻り、姫は悲しみのあまり亡くなったという。

 と言うわけだが、今少しオオタタネコが崇神天皇に語ったことを詳しく述べてみることにしよう。

 そのあらましは・・・ある夜、どこからともなく立派な男が姫(古事記ではいくたまよりひめだったよね)の部屋へ入ってきて(不謹慎ではあるが)二人は男女の関係になった。とこうするうちに当然の如く姫は身ごもってしまう。両親が怪しんで、「お前は夫もいないのにどうして妊娠したんだ」と問いつめると、「はい。名も知らない立派な男が夜毎訪ねてまいります」、なーんて不思議なことを(しゃあしゃあ)と答える。が、しかし、家人に見とがめられずに娘の部屋にしのび込むなんて、できるはずがないのに・・・。

 両親は訝しく思い「では、赤土を布団のまわりに散らして起きなさい。それから針に麻糸を通しておいて、たずねてきた男の着物のすそにそって刺しておきなさい」と教えた。

 姫は教えられたとおりにする。朝になって確かめれば・・・なんと、麻糸は鍵穴を抜けて外へ出ている。部屋の中には、麻糸の端が三つ輪を作って残っているばかり。男は鍵穴を抜けていったらしい。長い糸を追っていくと、山の神社に着いた。祭神はオオモノヌシである。

 姫の両親は思った・・とすると「娘のところへ訪ねてきたのは神様であったか」と納得して、この地を麻糸の輪にちなんで「三輪」と呼び大三輪神社の命名となった、と言うのが縁起であるというのだが・・・??。

 まあ、とにかく、オオタタネコから話を聞いた崇神天皇は、自分が見た夢もオオモノヌシだったのかと合点して、オオタタネコ(女、男?)を神主にして大三輪神社で盛大な祭祀を催した。そして、伝染病もおさまり、天下が安らぎ栄えたそうである。

 さて、その三輪山の神は、水をつかさどる神とも言われておる。それは、そこでうまい水が湧いたからだ。古代人はその水を用いて酒を造った。そして、山に酒を表す古代語「みわ」の名前を付けた。それが「みき」になり、神に捧げる酒を「御神酒(おみき)」と言うようになった。

 「箸墓(はしはか)」は、実際に三輪山の西北の麓にある。「日本書紀」の伝承の真偽はともあれ、三世紀後半に成立した日本最古の前方後円墳の一つである。飛び抜けて規模が大きく、時代を画するものである。「大王(おおきみ)」の世紀の出発点は「箸墓」にあったのだ。

参考文献・武光誠著「古事記日本書紀を知る事典」東京堂出版+阿刀田高著「楽しい古事記」角川書店。

 さて、オオモノヌシ(大物主神)が大和朝廷にとっていかに畏怖すべき存在であるかがわかったが、その正体については今一つつまびらかにはなっていない。そこで、今一度神武天皇の段に戻ってみることにしよう。さすれば何か謎が解けるかも知れない??

[その71でーす] /welcome:

 またまた、神武東征の物語に戻るが、とても大事なくだり部分なのでもう一度繰り返し読んでみることにしよう。

 初代の大王(おおきみ)である神武天皇は、実名を磐余彦(イワレビコ)といった。かれは、物部氏の祖神(おやがみ)にあたるニギ速日命(にぎはやひのみこと)が東方に天降ったという話を日向国(ひゅうがこく)で聞いた。そのときかれは、兄たちに東方にある日本の中心地に遷(うつ)ろうとすすめた。「記・紀」では、神武東征によって大和朝廷が誕生したと言うことを口を酸っぱくしながら我々に語りかける。

 さて、神武東征伝説は、長髄彦(ながすねひこ)を最大の敵とする。彼の別名は登美彦(とみびこ)。ナガスネヒコは、天から下ったニギハヤヒノミコトを主君としていただいていた。ナガスネヒコがニギハヤヒの意向でイワレビコ(神武)と戦ったと考えられる。また、ナガスネヒコは、縄文時代的首長でもあったから、その主君でもあるニギハヤヒノミコトが縄文人の主君(親分)とみてもいいのではないだろうか??ニギハヤヒノミコトが天降ったと「記・紀」では言っているが、実はニギハヤヒは天津神(天孫族)でなく、国つ神(縄文系)なのではないだろうか?

  それをわかりやすく?解明してくれたのが「消された大王ニギハヤヒ」(学研M文庫)の著者「神一行(じんいっこう)氏」なのである。彼の解明したことをおおざっぱに語りたいのだが・・・それはもう一度本文を読み直してさらに理解を深めてからと言うことで・・・とにかく今回はおしまい。

 でも、次回の予告としていっておくなら、神一行氏の見解は、三輪山の大物主とは、ニギハヤヒノミコトその人で、そのニギハヤヒは、なんとスサノノミコトの子供であるという大胆なことをおっしゃる。とにかく、氏はわが国の神社をくまなく回りそこに祭ってある神々を研究された。意味もなく神社に神が祭ってあるはずもないだろう。それにより、大物主と大国主は別人であり、また、出雲神話についても目からウロコが取れるような新説を導き出して下さった。さらには、物部氏の歴史書と言われる「先代旧事本紀」略して「旧事紀(くじき)」を丹念に調べられ、大和における古代伝承では、皇室の祖先と言われる神武の天孫族(アマテラス系)よりニギハヤヒ物部伝承の方が圧倒的に多いことを証明された。もちろん、ニギハヤヒが物部の祖神(おやがみ)であるから当然といえるが、偽書とまで言われた「旧事紀」が若い学者らに支持されていると聞くし、物部氏を探ってみることも今後の課題だろう。とにかく、わし的には物部と言えば聖徳太子時代の神と仏の戦い「蘇我」VS「物部」ぐらいしかしらんからね。

 とにかく、縄文人イコール物部氏か・・・というところなのだが??どこまで解明できるだろうか。とにかく、日本武尊(やまとたける)の段へ移る前に「出雲」に関しても調べなくてはいけないだろう。神一行氏は、九州王朝(アマテラス)、出雲王朝(スサノウ)と考えられておられるので、神々のふるさとと呼ばれる出雲はなんとしても調べなくてはいけない。とにかくこのコーナー、しきり直しでしょう。