65話「皇国史観」

64話「大和朝廷の起こり」

「古事記」や「日本書紀」は、神武東征によって大和朝廷が誕生したという。戦前までは、神武東征は史実だと考えられていた。そのため、神武天皇の即位を紀元前660年とする計算にもとづいて、西暦元年より660年前を元年とする神武紀元が用いられた。

 そして、神武天皇が即位したとされる2月11日が紀元節とされたのだ。今でもその日は建国記念日とされている。しかし、戦後になって神武東征伝説は後世に創作されたものだとする考えが一般化した。

 戦時中は、日本神話が史実として扱われ、神武以来の「万世一系」の歴史が徹底的に教え込まれたのだ。戦後、「皇国史観」に反対である学者らは、それを打ち壊す痛快さを覚えたのか、日本は単一民族国家でないばかりか、日本の成立は朝鮮からの渡来人の手によるものとする考え方を広めるに至った。そして、日本に固有で独自の文化などなく、王権でさえ渡来人によって奪われたとする考え方が常識となったのである。

 このような発想を最初に世に出したのが「騎馬民族渡来説」で有名な”江上波夫”氏であった。つづく

[その65でーす] /welcome:

 騎馬民族渡来説は以前にも書いたのだが(10/25、1.2話の「騎馬民族渡来説」がそれです)重複するのを承知でまた記述することにする。

 北方騎馬民族の絶え間ない南下政策に悩まされ続けた朝鮮半島の中で、百済は騎馬民族による少数支配国家となっていった。そこで、江上氏の説では、その隣国伽耶(かや・古事記・日本書紀ではみまな、任那になっている)も騎馬民族が支配し、さらに海を渡った彼らは日本を占領し支配したというのである。

 この江上氏の斬新な発想は、古代史学界にセンセーションを巻き起こし、賛否両論交えながらも多くの支持を得、形を変えながら朝鮮あるいは伽耶(あるいは任那)による日本支配と言う今日の史学論争の流行の火付け役となったのである。

 戦前歴史教育を受けた人々の中にはこの江上説は、、万世一系の歴史を打ち壊す痛快さ、斬新さがあり解放感をあたえた事は確かだろう。また、人々の心の奥底には、日本が朝鮮半島や中国にたいして過去に行った事への償いの役割を、あるいははたしたのかも知れない。しかし、そんな十字架を背負った心情は理解できるにしても、歴史を語るには首をかしげざるを得ないのだ。

 このまま、日本の古代史が”敗戦の自虐性”を引きずり続けることは許されないはずだ。朝鮮半島から文化も王権もすべてやってきたのだとする「進歩的」で自制心のある者の態度であるかのような風潮の方が怖い気がするのはわしだけなのだろうか(と参考文献の著者が言っておるんだよ)。

 日本には多くの大陸系・半島系の遺跡、文化、芸術が残る。だからといって、すべてが半島から来たのではないだろう。

 それでは、日本固有の文化とは何なのか・・・・?それは、弥生人が登場する以前の日本の住民、縄文人の文化こそ日本固有の文化なのだ。もちろん、縄文人でさえ、半島からやってきた可能性は否定できない。しかし、日本列島に安住し、一万年の時間をかけて醸し出された彼らの体臭こそが、日本固有の文化に発展したのである。稲作民族・弥生人の渡来により、彼ら縄文人は混血を繰り返し、肉体は変化していったが、日本原住民・縄文人としての意識と誇りはそう簡単に消えるものではないはずだ。

 参考文献・関裕二著「なぞの出雲・伽耶王朝」徳間書店。