59話「統治者の思惑」

58話「国譲り」

 さて、舞台を高く移し、高天原の様子を伝えなくてはならない。

 アマテラス大御神は、自分の父母であるイザナギ、イザナミの二柱(ふたはしら)が作った大八島(おおやしま・本州)が出雲地方を中心にして大いに栄えていることを見て喜びはしたものの葦原中国(あしはらなかつくに)を大国主(オオクニヌシ)が治めていることに不満を感じていた。

 そこで、長男のアメノオシホミミの命(みこと)を地上につかわそうとしたが、ひょっとしてしくじりでもしたら大事な我が子の命が危ない、と思ったのか、オモイカネ(アマテラスが岩屋戸に隠れたときの知恵者)に相談して他の神を出雲につかわした。しかし、ことごとく出雲国の懐柔策にやぶれ、結局、四度目の使者としてタケミカズチノオが、そしてもう一人これも船を操っては並びないアメノトリフネと一緒に、アマテラスの依頼を受けて地上に赴くことになった。

 ところで、三回の失敗だが・・・。それまで高天原側の作戦はわりと平和理に交渉を進めようとしていたらしい。これが、ことごとく丸め込まれてしまうと、こわもての若い使者を送ることになる。高天原と出雲の関係はその三回の交渉で最悪の状態となる。簡単な手段では出雲を支配することは出来ない。そこで武門で誉れの高い一族を送ることを考え、地上への軍隊の出動を匂わせる。すなわち、若い将軍タケミカズチノオのお出ましになるのである。

 地上の総大将オオクニヌシは困惑した。まともに戦っては高天原には勝てない。今までは、娘のシタデルヒメなどのお色気作戦が功を奏したが、武力を背景のこわだんぱん(強談判)ではそうもいかない。

 さて、出雲の海辺に降り立ったタケミカズチノオは、オオクニヌシの前で剣をぬき、刃を砂に突き立てその上に、な、なんと、あぐらをかくではないか。そして、間髪を入れず「国を譲れ」と恫喝する。イエスかノーか有無も言わせね迫力があった。

 オオクニヌシは、高天原の強引さには納得いかないものの、背後に強い武力がひかえているので戦いには持ち込みたくない。そこで恐る恐る「わたしはなんとももうしあげられません。息子のコトシロヌシに相談してみますが、今は漁に出ております」

 なんとも弱気で、昔の面影がないオオクニヌシだが・・・とにかく、即答を避け、息子の居場所を告げた。さっそく、アメノトリフネが船をだし、コトシロヌシを呼びにいく。そのコトシロヌシも相当脅されたのか、からっきしいくじがなく、どうやらびびって、どこかに逃げてしまったようだ(やれやれ)。

 気勢をそがれたタケミカズチノオはオオクニヌシに向かい「ほかに文句を言うものはいないのか」「もう一人息子、タケミナカタがおります。この子さえ承知すれば問題ないのですが」

 タケミナカタは相当の暴れん坊だ、ことは簡単に納まらないだろう。案の定、さっそく事を聞きつけ腕力を誇示し、ぐいっと、タケミカズチノオの手を取って握りつぶそうとする。ところがどっこい、タケミカズチノオの手は氷の刃(やいば)そのもの、冷たくて痛くてとても握れない。逆に、タケミカズチノオがタケミナカタの手を握ると、身体もろとも投げつける。タケミナカタははうほうのていで、しっぽを巻くがごとく逃げ出すのであった。しかし、タケミカズチノオは許さない。なんと、信濃の国の諏訪湖まで追いつめ、命を奪おうとする。

 「お、おたすけを。わたしは絶対にこの地からでません。出雲国もアマテラス様にお渡しします」タケミナカタは平身低頭、額を地にすりつけて懇願して、ようやく命は助けてもらう。しかし、こうなると、オオクニヌシの言い逃れは出来ない。オオクニヌシも事これまでかとかんねんする「わかりました。この国をアマテラス大御神にお渡ししましょう。ただし、わたくしの住まいとして壮大な社(やしろ)をお造り下さいませ。そうすれば、わたくしは隠居します。それから、わたくしの大勢の子供達はコトシロヌシに従ってアマテラス大御神に背くことは断じてありません」、と全面降伏、恭順を示した。この願いが叶って、出雲大社が建てられたというのだが?まあ、アマテラスの弟スサノオの関係上バッサリと亡ぼすのも気が引けたのか??

 さてそれはさておき、裏で事の次第を見守っていた高天原のアマテラスは・・・・。

 「よかったよかった」安堵に胸をなで下ろし、かねてからの計画通り、我が子のアメノオシホミミを出雲に派遣しようとした。が、その時息子に子供が出来たため、アマテラスは何を思ったか、心変わりし(息子を信じていなかったのか)その孫であるニニギを地上に遣わすことにする。こうして、アマテラスによる孫の「天孫降臨」となるのである。

[その59でーす] /welcome:

 誰だって、国土の統治者が天上から舞い降りてきた、などと言った話を信じるものはいない。これはやっぱり「侵略者」のエピソードだろう。とはいうものの、今さらもとの支配者へ権力を戻せなどと、野暮なことをいっているではない。とにかく、われわれが現在存在するのはどうしてなのかを知りたいだけだ。だから、決して、皇室がどうだとか、藤原家は天皇家に寄生した恐るべき家系だなんて、そんなことを言いたいのではない。その証拠に、わしは「天皇制賛成」の立場を貫いておる。しかし、こと歴史となると、真実を知りたい気持ちは抑えられないのだ。

 さて、そこで疑問だが、なぜ、最初の統治者となるべきアマテラスの息子であるアメノホシホミミのミコトが、その栄光の地位を我が子のニニギのミコトに譲ったかである。逆に言うなら、アマテラスの意志はなぜ「子」ではなく「孫」に受け継がれたかと言うことだ。これは重要なポイントである。

 実はこれにそっくりな皇位継承が「古事記」「日本書紀」=「記 紀」編纂の中の持統天皇の御代におこなわれたのである。まず、持統天皇は、神と崇められた夫でもある天武天皇の後継者に、最愛の息子、草壁皇子(くさかべのみこ)をつがせようと思った。ところが、その草壁が早逝したため、やむなくみずから皇位についた。そして、次の天皇には、ほかに天武天皇の皇子がいるにもかかわらず、彼女の血をわけたただ一人の男孫である軽皇子(かるのみこ)に皇位を譲った。これが文武天皇(もんむてんのう)である。

 実は、ここにわが国初めての祖母から孫への皇位継承がなされたのである。さらに、これに「記 紀」の編纂の黒幕と目される藤原不比等の野望が加わった。

 文武天皇が即位すると、不比等はその皇后に娘の宮子(みやこ)を入れ、その二人のあいだに首皇子(おびとのみこ・のちの聖武天皇)がうまれた。そのため文武天皇が崩御すると、不比等はこれまでの慣例に反して、文武の母である元明女帝を皇位につけた。皇位が子から母に継承されたのも、これが最初で最後である。

 そして、この元明天皇も孫である首皇子(不比等の孫でもある)に継承させるために画策し、その間に、元明天皇の娘である元正女帝を立て、そのあとに本筋の首皇子に皇位を譲ると言った複雑な経路をたどっている。

 さらに、不比等は、みずからの孫である聖武天皇(首皇子)に、後妻である犬養三千代(いぬかいのみちよ)との間に生まれた光明子(こうみょうし)を嫁がせ、天皇家と藤原家との姻戚を強くし、のちに”藤原王朝”と呼ばれる基盤をこのとき築くのである。

 言うなれば、持統天皇と不比等は、祖母から(持統天皇は天智<中大兄皇子>の娘、不比等は中臣鎌足の息子・要するに、両者は大化改新の立役者の子供)孫への皇位継承が、神代(かみよ)の昔、それも最初の日本の統治者の時に実在した前例を、是が非でも入れて、正統づけたかったのであろう。

 つまり、祖母アマテラスから天孫ニニギへの皇位継承は、持統天皇から軽皇子、さらには元明天皇から首皇子への皇位継承を正当化するためにつくられた神話だと考えられるのだ。

 これが「天孫降臨」を創作した真相で、又それこそが神話が神話である所以なのだ。ようするに、神話にはなにがしかの理由があるということで、決して荒唐無稽のものではないという、ひとつの理由付けにもなるのだ。だから、神話を無視して歴史を語ってはいけないと言う証でもあるのだ。