オオクニヌシの命(みこと)はスサノオの命の娘スセリビメを妻として、因幡(現在の鳥取)のヤガミヒメともむつみ合ったのだが、悲しい男のサガなのだろうか、それとも、男の身勝手な論理で言うならば「英雄色を好む」、というわけで、その二人の美貌の女性だけではどうにも収まりがつかなくて、次は越(高志)の国のヌナカワヒメにアタックする。
ヌナカワは、現在の新潟県糸魚川(いといがわ)市付近の地名。越前、越中を飛び抜けてゆくとは、我らが国さの越中には美人はいなかったのだろうか?越中の女性の名誉を守るために、オオクニヌシに問い詰めたい気持ちやぶさかではないが、それはさておき・・・。
そのオオクニヌシとヌナカワヒメとの間に交わされた歌があるらしいのだが、詳細はいずれということでカットするが、その歌の中で、オオクニヌシは八千矛(やちほこ)と呼ばれている。オオクニヌシには、いくつもの名前が付いていて、ヤチホコもその一つだ。武器をいっぱい持って強いぞ!と言う意味だ。歌の大意を述べるなら・・・。
「私ことヤチホコの神は大八島(おおやしま・日本のこと)じゅう妻を捜して見つけそこね、遠い遠い越の国にかしこくて美しい女がいると聞いて求婚の旅に出発・・云々」、と言うものだ。とにかく色っぽい歌のようだ。
オオクニヌシは出雲を中心に、周辺の諸国を次々に従え始めていたから、年中家を留守にしなければいけない。行く先々で愛人ができてしまう。正妻のスセリビメは根が嫉妬深く、夫のオオクニヌシ(ヤチホコ)は大変だ。さぞかし、スセリビメをなだめるために苦労したのではないだろうか。察するに、旅に前にはスセリビメのおねだりに応じなくては出発もままならなかったのではないかと勝手に想像してしまう。
その二人が、酒を酌み交わし、唄い、むつみ合ったところが出雲大社であり、そんなふうに男女が物語のように歌い合う相聞(そうもん)の歌謡を神語(かんがたり)と呼ばれている。
しかし、オオクニヌシは、その後もあちこち出向いて、いろんな女性と親しくなって子をなした。たとえば、福岡県宗像(むなかた)のタギリビメ、そして、カムヤタテヒメ、あるいはトリトリヒメと言う女性である(宗像三神か?)。
が、しかし、オオクニヌシをただの漁色家と見るのは下賤(げせん)の考えることだ。古代には古代の考えがあり、神話の世界を現代感覚でばかりとらえてはならない。ギリシア神話然りである。
ゆえに、オオクニヌシが大勢の女性を妻とし、たとえ百八人の子供をもうけようと、何ら驚くにあたらないのである。偉大な人物が各地で妻を娶っても、よい子孫を作り、恵みを垂れるケースは古代社会にあっては日常的な現実であって、今現在、わしのような凡人がよこしまな心でよそに子を作るのとはわけがちゃうのである(ーー;)。
神がよい子種をまき散らすのは、豊作や大漁と同じこと、人々の祈りに応えて神が俗世に示す恩恵なのだ。だからこそ、「大黒」さんは子だくさんのシンボルとなり、繁栄の神として祀(まつ)られるわけである。 参考文献・阿刀田高著「楽しい古事記」角川書店。
前回は、オオクニヌシがいかに多くの国々を旅し、そして、それぞれの土地で妻をめとり、多くの子孫を残したか。なおかつ、それこそが神話においての神である所以だということを理解した。だから、決して、よい子である「お父さん達」は、オオクニヌシのまねはしてはいけない、と言うことで章を閉じた。
さて、そのオオクニヌシが出雲の美保の岬にたたずんでいると、波の上からガガイモ(背の高い草で秋には細長い果実をつける。だから芋ではないらしい)の船に乗り、がちょうの皮を剥いで作った着物を着て、こちらにやってくる神があった。
そこで、オオクニヌシが家来の神々に名前を聞いたが、一同「存じません」、と答えるだけであった。しかし、ヒキガエルが「これはきっとクエビコが知っているでしょう」といったので、オオクニヌシはクエビコを召し上げてたずねてみると(クエビコはかかしのことらしい)、「この神は(スクナビコナ)は、神産巣日神(かみむすひのかみ・創世の神々の一人)の御子(みこ)のスクナビコナの神です」、と答えてくれた。
以前オオクニヌシが兄たちにいじめられ、イノシシに似た焼け石を抱いて大火傷したとき、貝の汁を使って命を救ってくれた恩人、それがカミムスヒノカミだった。それならば話が早い。オオクニヌシがカミムスヒに確かめてみると・・・「間違いなく、これは私の子だ。多くの子の中でも、わしの手の指から洩れ落ちた子。今から、お前と兄弟になり、お前は子の国を造り固めよ!」、オオクニヌシに託宣を下した。
そのカミムスヒの言葉を受けて、オオクニヌシとスクナビコナの二人(二柱)の神は、協力し合って葦原中国(あしはらなかつくに)を造り固めたという。その後には、このスクナビコナは黄泉(みよ)の国にスタスタと消えてしまった。
スクナビコナがさっさと消えてしまうと、オオクニヌシは大いに困惑し、「どうしたらよいか」と頭を抱え込んでしまった。
オオクニヌシが嘆き苦しんでいると・・・その懊悩に答えるかのように。
「わたしを大和の国の青々とした山の上に祀りなさい。さすれば国がよく治まるだろう。怠ると国はつくれんぞ」、とのたまうのであった。
さて、オオクニヌシがその言葉に素直に従ったのは言うまでもない。大和の三輪山(みわやま)に鎮座する神として、大物主・・・すなわち、現在の桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られている大物主の命(みこと)がその声の主である。しかし、この神の正体もよくわからない??(すくなくとも、オオクニヌシとは違うだろう)
ついでに述べておけば、これまでのオオクニヌシの物語は、因幡の白兎も、兄弟達のいじめも、スサノオとのやり取りも、さらに越の国へ出掛けての求婚も、みんな古事記に記されているが、日本書紀にはないということだ。日本書紀にはわずかにスクナビコナのことに触れているだけである。日本書紀は意図的にオオクニヌシの記述を少なくしたのだろうか?だったら、どうしてだろうか?
さて、このあと日本の神話は大和朝廷につながる神々が、オオクニヌシから領土を譲り受ける方向へと進む。大和朝廷の正当性を主張することに熱心な藤原家の日本書紀としては、建国の功労者についてあまり多くの伝説を語りたくなかったのかも知れない。日本書紀では、オオクニヌシの影は極端に薄い。
次回も、出雲地方にちなんだお話を。