53話「オオナムチから大国主命へ」

52話「もう一つの日本誕生?」

 今日のわれわれの多くの祖先となる弥生人が登場するのは、紀元前300年頃と言われている。もちろん突然弥生人が登場したわけでなく、もともと先住民である縄文人が存在していて、そこへ稲作を行う弥生人が渡来し、どんどん稲作を広めていったに違いない。したがって、何年から何年までが縄文時代で、ここから何年までが弥生時代としているのはあくまで歴史学上の便宜的なものであり、日本の古代は連綿と続いてきたのであった。

 だが、残念なことに太古の人々にはそれを記録する文字がなかったために、われわれは今考古学によってしか、それを知ることができないのである。「記 紀」、古事記・日本書紀の伝える初期の神々の伝承は、こうした悠遠の気の遠くなるような太古の物語であり、有史以前の姿を現しているのである。

 ひるがえって、では、日本の古代がいつ頃からはっきりとした記録に残っているかだが、それは中国の資料である「漢書地理志」が初見である。それによれば「紀元前後、倭国はすでに百余国に分かれていた」と記されている。この倭国とは北九州を中心とするものだろうが、弥生時代の中期には、国と言えないものでも”ムラ”が100あまり存在したことを示している。「漢書地理志」から「記 紀」が登場するまで、じつに700余年。その間の歴史を「古事記」「日本書紀」は網羅したことになるのであるが、逆に言えば「記 紀」は現代から見て700年前の、つまり鎌倉時代中期にあたる歴史振り返って記録したことになる。これは果たして正当なる古代史が記述できるのか、と言う疑問もわくのである。

 それはともかくとして、「記 紀」の流れを述べておくと、多くの神々の中で現実味をおびてくるのは、具体的に国土を形成したイザナギ・イザナミの夫婦神が登場してからである。この夫婦から皇祖神(こうそしん)なるアマテラスや出雲神話の中心となるスサノオが誕生する。

 問題となるのは、どこから実在性のある神で、なぜアマテラスは皇室の先祖となり、スサノオは出雲の中心の神となったか、ということだ。つまり、これらの神々の足跡をたどっていけば、日本誕生の真実が明らかになるのではないかと思うのである。

 アマテラス、スサノオ、これらの神々の足跡は稚拙ながら、わしもたどってみた。ところで、「記 紀」の二書は誰に対して書かれたものか、これは「天孫降臨」を創作した8世紀の権力者のために書かれたものであることを以前に書いたと思うので、ここでは割愛させてもらうが、アマテラスは持統天皇(女性)の反映、と見たほうがわかりやすい。ちなみに、皇祖神であるアマテラスを最初に伊勢神宮に崇めたてまつったのは、誰であろう、その持統と、その黒幕と目される藤原不比等である。まず、このことは念頭に入れて置いた方がいいだろう。

 そして今一つ、「記 紀」に隠された目的があった。それは古代において大和朝廷の誕生以前に栄えた出雲王朝の痕跡を抹殺することだった。こうした事実を「記 紀」から読みとれれば幸いである。

 先に触れたように、イザナギ・イザナミの登場で神話は俄然具体的様相をおびてくる。そして、その夫婦神から神話の主人公というべきアマテラスとスサノオが誕生する。つまり、二人は姉弟の関係になっているが、一方で誓約(うけい)として子供まで産んでいる。ところがこの二人は仲が悪くって、スサノオの高天原における狼藉(ろうぜき)でアマテラスは”天の岩戸”にこもってしまう。

 この事件でスサノオは、神々の故郷である高天原(たかまがはら)を追放され、どういう訳か突然、島根県の出雲地方に舞い降りてくるのだ。ここからが「出雲神話」となる。

 注目すべきは出雲神話の分量で、なんと”神代の巻”の三分の一をこの出雲神話にさいている。しかも「八俣蛇退治」いまわしが書こうとしている「大国主の受難」そして次の「国譲り」など、雄大なスケールで他に類のない一地方の神話を挿入している。なぜ、出雲地方をそんなにクルーズアップする必要があったのか?

 それは、この出雲地方にこそ、”真実の古代史”を解く鍵が隠されているからではないだろうか?なかでも、出雲滅亡の歴史ではないかと思われるのが、最後に登場する「国譲り神話」である。

というわけで、出雲神話・・・ますます興味がわくわけだが、次回からその出雲神話、古代史の謎を解く鍵を探す意味合いもあるのだが、あくまでも歴史を楽しむというかる〜い感じて、続けていきたいと思うのだあ(^_^)。では・・・次回までさらばじゃ。

[その53でーす] /welcome:

 因幡の白兎に続いて、古事記では、オオナムチ(大国主)の兄弟である八十神(やそがみ)の執拗なる迫害のシーンに移る。ちなみに、日本書紀においては「大己貴神(おおあなむちのみこと)と少彦名の命(すくなひこなのみこと)」というタイトルで、すでに国造りの話になっている。

 さて、オオナムチに対しての兄弟達のいじめ、というより、抹殺しようと言う執念はすさまじいもので、オオナムチは何回か命を失う。しかし、母親神の助けもあってそのつど復活する。とはいうものの、兄弟達の迫害が終わったわけではない。

 そこで、オオナムチの母親であり、スサノオの子孫でもある彼女は、「ここにいたらろくなことはない。伯耆の国からのがれて、根の堅州国(かたすくに)へ行きなさい。このままでは殺されてしまう?。それに、堅州国にはスサノオの命もいらっしゃるから、きっといい対策を考えて下さるわ」、というわけで、母神が勧めるままにオオナムチは根の堅州国へ赴くことになる。

 とこうするうちに、オオナムチの目の前に、とびっきりべっぴんな娘が立っているではないか。オオナムチと娘はその時「びびびっ」ときた。目と目が合い、一瞬にしてお互いは一目惚れ。身も心もひたすら愛のとりこになった。

 実はその娘、スサノオの娘、スセリビメであった。スセリビメは、父であるスサノオにオオナムチのことをさっそく紹介・・・が、スサノオ、オオナムチをじろり一瞥し・・・「気にいらん!」

 これは現代でもあることだが、娘が連れてきた男なんて、父親が訳もなく好きになるはずがない。「どこが立派な男じゃ。そんな男は、アシハラアシコオと名乗ればいい」

 アシハラは、葦原、地底に対して地上の国の意味か?シコオは醜男。最初からオオナムチをバカにした扱いだ。ついには、スサノオはオオナムチに無理難題をふっかけて、彼の器量を試すことになる。

 そのスサノオが与えた試練を、オオナムチは見事にクリアするわけだが、それは娘の婿に課した入学試験のようなものだったのだろう。とにかく、オオナムチは、その試験に合格した。

 「娘をあの男にゆだねよう」「おい、オオナムチ、わしの太刀と弓矢をつかって八十神を倒せ。スセリビメを妻にして、これから大国主と名乗れ。そして宇か山に立派な宮殿を建てろ」

 豪放磊落(ごうほうらいらく)な暴れん坊のスサノオも、年老いて、娘と二人暮らし?そこへ一人の青年がやってくる。古事記の記述をおおむねたどれば、娘の心をとらえた青年を、さんざんひどい目にあわせるが、最後は手をたずさえてに二人去っていく。スサノオは、大きな笑いを放って「俺はお前達を祝(ことほ)ぐぞ!」

 さて、戦いの場へ戻ったオオナムチは、スサノオからもらった武器で兄弟である八十神をことごとく討ち倒し、大国主命として文字通り出雲一帯に君臨する。因幡のヤガミヒメもやってきて、大国主の子を生むが、スセリビメが正妻にすわっているから大きな顔はできない。彼女が産んだ子供は木の股に挟んで、去っていったと古事記は語っている。いつの世も、涙を流すのは日陰の女性・・・英雄色を好むと、古より言うのだろうが、それは男の一方的な考え方・・・なーんて、それはさておき。

 次回は、領土問題「大国主の治世」です。