38話「黄泉の国」

37話「伊弉諾尊・伊弉冉尊」

   「記・紀」の端緒として、アマテラスを語るための布石としての多くの観念的な神々創られたというが、それでもイザナキ・イザナミを語らないわけにはいかにだろう。

 さて、日本という国をつくったのは、神話によると、イザナキ・イザナミという夫婦の神であるという。しかし、二人はやがてけんか別れして、イザナキはこの世を守る神に、逆にイザナミはあの世を守る神となり、人々の死をつかさどるようになったという。

 二人は、決定的破局を迎えたとき、次のようにののしりあった。

 イザナミ(妻)「私は、一日に1000人の人間を殺す」。イザナキ(夫)「では、私は、一日に1500人の産屋(うぶや)を建てよう」、この言葉によって二人の憎しみの深さがわかる。

 また、日本神話は、日本の庶民の大部分は、イザナキの子孫になると言っているようである。つまり、「日本列島」自体は夫婦の神の子だが、人間は夫であるイザナキの、男性の神の子孫なのだ、と。これは、古代人がきわめて父系の原理を重んじていたことを示す(中国の思想、夫唱婦随によるものらしい)。

 ではなぜ、夫婦である神がいさかいをおこしたのだろう?

 この二人の神は、古代に多く見られる巨人神だった。まず、天のぬぽこ(矛)である、でかいマドラーのようなものを、泥のような地上に降ろして島をつくった。これが日本列島だ。そして、そこに巨大な柱を立てて、そのまわりで婚礼をおこなった。神は、本州、四国、九州といった日本列島を構成する島々より、はるか巨大な存在であった。

 夫婦の神は、大八州(おおやしま=日本列島)をつくったのち、そこを守る山の神、海の神を産んだ。風の神・穀物の神なども次々にできた。そう言った神は人間と同じ大きさであった。最後に火の神が生まれた。この時、イザナミは火の神に焼かれて亡くなってしまうのである。どんな立派な体を持っている者でも、わずかな病気で命を落とすことがあるものだ。神といえど油断してはいけない。

 怒った夫のイザナキは、火の神を捕らえて刀で斬ってしまった。しかし、そんなことをしてもイザナミは生き返るはずもなく、彼は死者がいく黄泉の国(よみのくに)へ、妻を迎えに行こうと考えた。

 神々の時代には、あの世に通じる道がよく知られていた。イザナミは長い道を通って黄泉のくにの入り口にきた。亡くなったものにとって、黄泉路は一瞬の行程である。だから、イザナミは夫よりはるか先に黄泉の国に来ていた。黄泉の国とこの世の間には、石の扉があり、イザナキはその扉の内側にむかって、妻に戻ってきてくれと声をかけた。

 すると彼女は、「私は、もうすでにこちらの食べ物を口にしてしまったので、もう地上には戻れません」といった。すると、イザナキは涙を流さんばかりの表情で、「どうか地上に戻ってきて、国造りを手伝ってくれ」と懇願した。イザナミは、「それならば黄泉の神々にお願いしてみます」と答えたという。さて・・・どうなることやら?

[その38でーす] /welcome:

 イザナミにとって、黄泉の国(よみのくに)に住んでみると、意外と居心地がよかったのだろうか?ごちそうもあるし、友達もできた。彼女は黄泉の国の生活をエンジョイしていた。そこに夫が訪ねてきた。本当に地上に戻りたければ夫とともに黄泉の兵士を振りきって、あとは黄泉の神に「袖の下」でもわたしてうまく渡り合えばよかったのに。無条件で夫についていかなかったところを見ると、彼女の黄泉に対する未練が感じ取れるのは、嫉妬深いわしだけのげすの勘ぐりだろうか?

 「わたしが戻ってくるまで、どんなことがあっても黄泉の入り口に来ないで」、ひょっとしてそちらの男と恋でもしているのだろうか?彼女はそう言い残して中に消えた。きっと見られたくないものがあるのだ。そして、そうして、相手の知られたくない部分を覗いてしまうと、男女の仲はのっぴきならないものになるのが相場だ。

 イザナキはたいそう長い間、黄泉の国の入り口で待たされた。

 「俺は、妻にからかわれているのではないか。今頃、妻は黄泉の国の男と楽しげに酒を酌み交わしているのではないか?」どうもイザナキは想像をたくましくする嫉妬神のようじゃ。せっかちなイザナキは、ついにしびれを切らして、黄泉の国に入ってしまう。イザナミがダメだと言ったのに。

 扉を開けると、そこは一面の暗い肌をさす冷たさ。水がポタリポタリと規則正しくしたたれている。彼は、頭から櫛をとって、それに火をつけて進んだ。そして、彼の視界に入ったものは、見るも恐ろしい情景だった。

 な、なんと、どろどろ腐ったイザナミの体にウジがたかっているではないか。そして、その体から生まれたと思われる、八体の雷神。こんな女の姿を見れば、どんな恋いこがれていた「百年の恋」も雲散霧消だろう。

 その寓意・比喩(アレゴリ)は、ひょっとして、人々に死者のことをいつまでも思い悩んではならないとの問い掛けかも知れない。生きている人間から見れば見にくい姿でも妻は、黄泉の国ではまともに生きているのだ??そして、雷神は黄泉の国では当たり前の人間の姿だ。

 イザナミは、黄泉の国へ来てから、黄泉の国の姿、黄泉の国の暮らしが普通だと思っていた。が、自分の姿を見た夫の尋常ならぬ様子を見て、今の自分は、地上にいたときの自分から見て、とてつもなく堕落したものであることを悟ったのだ。だからといって、もとへは戻れない。そのことが、地上のあらゆる人間に対する憎しみとなった。

 約束を破ったイザナキを、彼女は許せなかった。地上で美しい姿で暮らしている人間がねたましい。この一念で、イザナミは、人々を死の世界へいざなう、世にも恐ろしい神になってしまったのである。だから、二人の神のけんかは男神であるイザナキの責任が大である。今日でも、ややこしい恋愛の原因は、中年の男の「優柔不断」と言われておる。男達よ、反省しておるか。次回はその男である、イザナキの禊(みそ)ぎです。