「第26話・なぜ中国をシナって呼ぶの・しょの3?」

新カリスマのルーツを探せ・第25話「なぜ中国をシナと呼ぶの・しょの2?」

 ついでながら、「中国」という名称の使い方についても一言述べねばならないだろう。これは、すべて渡部先生の見解であるゆえに、諸君は耳をそばだて(耳垢をかっぽじって)聴いてもらいたい。

 戦後いつ頃からかしらないが、気がついてみたら、シナのことを日本のジャーナリズムや出版界がすべて「中国」と言い始めていた。シナの正式の国名が、戦前において中華民国であることを知っていたので、その略称として中国と言っているのかと思ったら、どうもその本来の意味で用いているのでビックリした(本来とは、自分の国が世界の中心だということ)。

 「中国」というのは、自分の国が世界の真ん中であるという美称であって、よその国に使うことを強制出来る性質のものではない。それだけならまだよいのだが、日本には、先に述べたように、「中国(なかつくに)」という神代(かみよ)以来の言い方があるうえに、「日本書紀」にも「中国」を日本の言い方に使っている。

 それ以後、その用法が廃れたのならまだよい。9世紀の後半には「類聚三代格(るいじゅさんだいきゃく)」元慶(がんぎょう)2年(878年)、山陽道を「中国(ちゅうごく)」と呼んでいる。これは山陰道と南海道の間にあったからだという。また、これよりさきに大宝令(たいほうりょう・710年)にも、この語が用いられたことが知られている。その後、山陰と山陽を合(がっ)して、「中国(ちゅうごく)」と呼ぶようになり、「太平記」にも「備後(びんご)」の鞆津(ともつ)に座し給(たま)ひて、中国(ちゅうごく)の成敗を司(つかさど)るに<足利直冬(ただふゆ)>は、備後の鞆津に赴任され、中国地方の裁判を担当したが」とある。その後、この言い方は普通で、秀吉も毛利攻めも、中国(ちゅうごく)征伐と言っていたことは、誰でも知っている。

 そして、江戸時代を通じてこの用法は確立し、現代の日本地理の教科書に至るまで、一貫して用いられている言葉である(それには皆さん異存がないですね)。

 こうしたところに、シナが「中国」と呼ぶ言い方をしているからといって、日本のジャーナリズムや出版界が、挙げてこの用法に飛びつくと言うのは混乱以外の何ものでもない。事実、シナにおいては、「中国」が?「中国」の民でない民族が王朝を作った時代が何回もあった。元国はモンゴル族が、清国はツングース系、つまり元来(中華思想でいうところの蔑視の意味での)「北狄(ほくてき)」と言われた連中が建国しているのである。

 シナにおいては「中国」が何度も断絶している(要するに漢民族でない政権が幾度かあった)。ともかく、日本は千数百年間、確実に連続して「中国」の語法を用い、地名として確立しているのだから(そういや、中国地方は天気予報でもいってましたっけ)、たとえ現在の「中国政府」に圧力を受けても、「日本はこういう風に昔から中国と言う言葉を使っていますから、貴殿の国を中国として、一般に使うことが出来ません。外交文書だけなら使わせていただきます」といっていいはずであった。それがそうならなかったことに、戦後の日本人の卑屈さがまざまざと現れている(それが今後、どのような影響を与えるだろうか?)。中略

 こんな憎まれ口をきくのは、別にシナ人に対して反感があるからではなく、なぜ日本人の知識人が隣国を「中国」と呼ぶのかがおかしく思うことと、もう一つは、なぜシナ人がシナ人と呼ばれることをいやがるのかが不思議だからである。

 シナは戦前は支那と書かれるのが普通であったが、そのほか至那、脂那などがあり震旦、真丹とかいても同じである。このような書き方がたくさんあるのもその語源に関係があるのでそれを一瞥しておくことにする。続く。

[その3でーす] /welcome:

 シナという名前は、秦の始皇帝が海内(かいだい)を統一し、当時としては大帝国を築き、その威勢が周辺の諸民族に及んだので、周囲の国々がそう呼びだしたのである。インド人もそう言うのを耳で聞いてシナと言っていた。それで、のちシナの仏教徒がインド人から聞いた自国の名前を漢訳仏典に用いたため、脂那、至那など、さまざまな書記法が生ずることになった。

 ところで、始皇帝の属していた秦の氏族(古代の日本には秦(はた)氏と呼ばれる渡来人がいて、聖徳太子の舎人で秦野造(みやっこ)河勝が有名である)の発祥地は甘粛(かんしゅく)省の秦州であるが、これは地図で見れば一見して明らかなように、西域だ。そして、その先祖は、さらに西からきたと考えられるから、うんと古代においては、インド・ヨーロッパ民族と接触しうる地方にいたとも考えられるので、シンが訛(なま)ってシナとなってインドに入ったとしても、何の不思議もない。今日でもヨーロッパは、シナをシナまたはヒナ(英米ではチャイナ)と呼ぶが、それはやはり秦のことである。

 しかも「秦」の語源は「進」などと通じ、「草のごとく成長の速やかなる様」を指している。いわば、大変めでたい名前で、秦の国の成長もそのごとく速やかであったのだろう。秦という漢字の「あし」にある「禾」は穀物の苗とか茎の意味である。

 このようによい国名をどうして当のシナ人がいやがるのか(いやなんだからしょうがないかともおもいますが)。それは「中国」という名称を好きすぎることにもよるであろうが、これは前にも言ったように他国に押しつけてはならない「美称」である。


 我々は子供の頃より、中国(シナ)のことをずっと「中国(ちゅうごく)」と教えられ今でもそう呼んでいる。だから、今さら「シナ」と呼べと言われてもむりであろう。が、しかし、もし、中国文学の研究者や、中国研究家らが彼(か)の国に対して「やましい気持ち」から「中国」と言う呼称を使い始めたとしたら、また、日本人として彼の国へのコンプレックスからそうしたというのなら、それは後々の時代に禍根を残すことになるだろう。もちろん、わが国は彼の国より多大な影響を受け尊敬に値する思いはあるが、そうだからと言って決して支配される国ではないからである。

 とはいえ、今の政治家に中国に対してはっきりものが言える人は存在しないとなれば、渡部氏のような歯に衣着せぬ愛国者もいてもらわねば、心許ないというのも正直な気持ちでもある。とにかく、自国の悪口を他国で言う人は、他国においては一番軽蔑されるそうだ。結局のところ、自国の国の歴史を語ることはそれはとりもなおさず、自分の先祖を語ることである。それは、自分の近親者、あるいは親について語ることみたいなものである。どうしても現在のエモーション(情緒)がからまってくるだろう。

 日本史の暗黒面ばかり、関心を持ち、日本の悪口を言うことを正義と思っている人達の書いた本も読めないことはない。それはそれなりに面白いし、また教えられることもある。それに、自分の国の悪口ばかり言っている人を自由に活動させておく自体、現在の日本が高い文明状態にあると思い、それを誇りにも思える。日本の悪口を言ったり書いたりすることが出来ないような国になってしまったらそれこそ困るのである。ましてや、悪口を言うのも日本をよくしたいという思いがあると言うのであれば、何らとがめられることではないであろう。それどころか、そんな人こそが、実は、本当の「愛国者」なのかもしれない。