「第24話・なぜ中国をシナって呼ぶの?」

新カリスマのルーツを探せ・第23話「朝鮮半島の神話?」

 さて、おとなり朝鮮半島には二種類の神話があるそうだ。それはヨーロッパでヘレニズム的な神話と、ヘブライズムの神話があるようなものかもしれない。

 一つは檀君(だんくん)神話で、これは今から4400年も前に、天神が熊の化身(けしん)の女性に生ませたのが檀君で、彼は今日の平壌(へいじょう)の近くの都を開いたとする。最近、平壌政府は檀君の墓を発見したとして、壮大な墳墓を復元した。韓民族、朝鮮民族は檀君の子孫であるという神話において一致している。その意味で、彼らは一つの民族なのである。

 もう一つは箕子(きし)朝鮮神話である。中国の「史記」によると、箕子は古代中国の殷(いん)の貴族で、殷が滅びるきっかけとなった不徳の帝王である紂王(ちゅおう)に諫言(かんげん)して入れられず、不遇な貴族であった。殷の滅亡後、次の王朝を開いた周の武王(ぶおう)によって、朝鮮に封じられたのだが、箕子朝鮮の建国神話である。

 後者の建国神話は、「史記」を書いた司馬遷(しばせん)の時代の中国皇帝、漢の武帝が朝鮮半島に漢の四郡を置いたとすることから、一層強く語られるようになった神話であろう。

 ちょうどヨーロッパ人がローマに同化しようとしたように、朝鮮半島でも中国文化に同化しようとする傾向が強かった時代には、箕子朝鮮神話は韓民族の知識人に支持された。しかし、民族意識が高揚した今日では、この神話は民族の神話としての力を完全に失った。熊を人間の始祖とするのは東北アジア起源の神話で、韓民族は神話的には檀君の子孫である。

 彼らは日本人ともっともよく似た人々であるが、言葉の上でも、意外な類似と違いがみられる。

 日本民族と韓民族との間に遺伝子的に類似が多かろうとも、韓民族は東アジア、蒙古や満州属などの遺伝子を大量に受けているであろうとし、また長い政治的・文化的関係から、漢民族との共通性も育ててきたであろう。

 一方、日本人にはアイヌ人を代表する、北方アジア人、ツングース・ギリヤーク系の人々とともに、東南アジアの人の血を大量に受け継いでいよう。しかし、韓国人との遺伝子の違いといえば、恐らく、日本の秋田県人と沖縄県人との差程度、いや、それよりも小さいかもしれない。しかし、文化的問題として、日本人は日本人なのである。そして、韓民族は韓民族なのである。次回は「好太王(こうたいおう)碑文の謎」です。

[その24でーす] /welcome:

 えー、今回は「好太王碑文」についてのお約束ではありましたが、最近、お客様より、「石原知事って、なんで中国のこと、シナってゆうの。あれって、中国人に対して失礼じゃん」、と言うご意見をいただいたので、ちょいと調べてみました(もちろん、彼の国の方がいやがっている呼称のしかたはいかがとは思うが)。

 さて、日本人はどこから来たか・・・。

 高天原(たかまがはら)から高千穂に降臨したという『古事記』の記事を昔の人は垂直(空間における上下関係)に考えて、日本を「中国(なかつくに)」つまり、高天原と地下の黄泉国(よみのくに・ここは死者の国だ)との中間にあると考えていた。要するに日本人の先祖も自分の国を一種の「中国(なかつくに)」と考えていたのだ。

 ただ、中国人(支那・辞典には中国の古い呼称となっている))が自分の国を「中国(彼らの発音はどうなんだろう?他国は”China”ですね))と言うときは、この世の真ん中の国で、その東西南北の周辺の諸族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮と蔑視していたのである。すなわち、中国人の中国は水平的な面での真ん中ということであったらしい。

 古代において自分の国を地球の中心、つまり中国と考えていた民族は東洋に限らない。近代においては、どの国でも自国出版の世界地図では自分の国が「中国(なかつくに)」になっている。つまり世界地図の真ん中に自分の国が書いてある。これは水平的な中国で、中国(中華人民共和国)の言うところの意味での中国である。

 古代ギリシアでは、全世界の周囲を「オケアノス」という大きな川が流れていると考えていた。これが英語で言う「太陽・オーシャン」の語源であるが、これに対して、この地の真ん中の海は地中海であった。地中海の「中」は「中国」の中と同じく水平概念である。したがって、古代の中国人やギリシャ人やローマ人のもっていたそれぞれの中華思想(そもそもこの言葉が中国が世界の中心でもっとも文化が進んだ国という意味だ)は、水平的中華思想と言えると思う。

 古代の日本を「葦原(あしはら)の中国(なかつくに)」と言ったとき、この中国(なかつくに)の意味についてはいろいろな論議がある。

 「中」の字は陰陽の中(ちゅう)、気候の中などを意味し、暑からず寒からず、温暖にして、万事において中庸を得ているからだと言う意味。しかし、この場合、周囲の国々と言う意識がないこと、それに反して天の意識があること、ついで黄泉国(よみのくに)がでてくることから考えると、原義として、垂直的に考えての中国(なかつくに)と言う宇宙観からでていると考えるのが至当だろう。天孫降臨(てんそんこうりん)が九州の高千穂という、国の中心からうんとずれたところに起こったと言う神話も、中国(なかつくに)が水平的な地理感覚での真ん中と言う意味でないことを暗示しているようである。

 さて、話は少し飛躍するが正鵠を得ているのでどうか聴いて欲しい。

 古代ゲルマン人にとっての「中国(なかつくに)」が、やはり日本と同様に垂直性の「中国」であり、水平性でなかったことも偶然ではない(ちなみに、キリスト教に改宗する前のゲルマン人は日本の古代と同じくシャマーニズムにおける神木崇拝や柱の崇拝だった)。古英語で「この世」のことをミッダン・イアル(middan-geard)と言う。今の英語にそのまま直せばミッドル・ヤード(middle-yard)、つまり「中庭」である。この中庭は、水平的な概念でなく、垂直的な概念であったことは、それが、つねに天上界と黄泉国(すなわち闇の国)の中間にある世の中の意味でもちいられていたことによっても明らかであり、まさに、わが国の意味での「中国」であった。特に北ゲルマンの神話では、天上にそびえる世界木と、その根本(ねもと)にある世と、地下にある闇の国とに分かれているのが、根本(こんぽん)構造は同じである。

 このような宇宙観をもっているところでは、社会全体の意識がタテに働くとしても当然である。つまり、系図とか、上下とかに対する意識が敏感なのである。日本の皇室の系図は、どんどん遡っていくと神武天皇に至り、それから先は神様となる。神武天皇の曾祖父がニニギノミコトで、この神が天から下ってきたことになっており、その祖母が天照大神(アマテラスオオミカミ)であり、この神は太陽神と言われている。その両親がイザナギ、イザナミの二人の神で、日本をつくったことになっている。『神様の系図と、天皇の系図には切れ目がないのだ』

 これは新約聖書のマタイ伝のかきだしのところにある長い系図とはまったく異質であるという。マタイ伝のほうは、アブラハムからダビデ王まで14代、ダビデからソロモンを経てキリストに至るまでの28代の名を並べてある。アブラハムの系図は、さらに遡れば、結局アダムとイブまで行く。しかし、そこで系図は切れる。アダムとイブと言うのは人間の祖先はなく、そこが行き止まりなのである。神とアダムは親子の関係でなく、アダムは生まれたのでなく『神に作られたのである』

 だから欧米人にとっては、日本のように神から人間の系図が切れていないと言うのがちょっと理解できないのであろう。

参考文献・渡部昇一著・日本人らしさの源流『日本史からみた日本人・古代編』詳伝社。

 ちなみに渡部氏は、中華人民共和国のことを「シナ」と書いておられました。わたくしは申し訳ないですが、彼の国が最初の「中」とさいごの「国」を繋いで中国と呼ばれたいならそう読んであげようかな、と思いまして「中国人」と書きましたスイマセン(それに、どこの国も一番と思いたいのは当然だと、先生も仰っておられたようですし)。ですが、決して先生にどうこう思っているやからではありません(ーー;)。書物ではいつも蒙をひらかせていただいておりますm(__)mペコ

ちなみのちなみですが、中華人民共和国というのは、907年に唐が滅んでからは異民族の征服王朝があり、満州族の「清国」がそうですし、その前は漢民族の「明」ではありますが、その前の「元」は遼(りょう)、金(きん)モンゴル人が建てたものです。だから、たぶん、満州族の「清国」までは日本国では「支那(しな)」と呼ぶのが一般的だったのでしょう。だって、「シナそば」とか「シナチク?」「しなのよる」ってえのもありますしね。それに「China」は、ローマ字読みはシナになります(ちなみに、支那(しな)は、秦(しん・秦(始皇帝)の転用といわれておる。であるなら、誇り高い言葉じゃん)。