「第22話・すべての歴史は神話から?」

新カリスマのルーツを探せ・第21話「日本人は単一民族か?」

 天皇家起源について話を続けよう。『日本書紀』によれば、鹿児島の霧島山に天から神が降ってきて、それが天皇家と隼人(はやと)の君主の両方の祖先になったとしている。

 初代の神武天皇が日向(ひゅうが)から大和に移って即位する。それから860年が経って、第14代の仲哀天皇と(ちゅうあい)、その妻の神功皇后(じんぐうこうごう)が熊襲(くまそ)征伐に九州に行く。熊襲は南九州の古い呼び名だが、その時、博多湾の香椎宮(かしいのみや)で神が神功皇后に憑依(ひょうい)する。

 「熊襲征伐をやめよ、その代わりに、新羅といって、金銀財宝のまばゆく輝く宝の国がある。わたしを祭れば、刃に血塗らずともその国は服従するであろう」

 と言う、託宣(たくせん)を下す。仲哀天皇は高い丘に登って大海を望むが、広々として国は見えない。それで神を祭ることを拒み、熊襲をうつのだが、勝てずに引き返して、そのまま死んでしまう。

 まるで「旧約聖書」にでてくる絶対神を彷彿とさせるが、それはさておき、神功皇后が摂政となり、海人(あま)を遣わして、西海に国があるかどうか偵察させる。すると何日も経って帰ってきて、「西北方に山があって雲がかかっています。国があるかもしれません」と報告する。

 そこで、神功皇后が船出すると、大風が吹いて、潮とともに艦隊は新羅の国中に到着し、あっけなく新羅国王は降伏する。これがいわゆる「神功皇后の三韓征伐」だ。

 この事件は、『日本書紀』では西暦200年のことになっている。『日本書紀』がこの話で言いたかったのは、日本列島の住民と韓半島の住民の間に交渉が始まったのは、日本の建国よりもずっと後の新しいことだ、と言う主張だ。

 つまり、日本人は前7世紀以来、日本列島の中だけに住んでいたが、建国以来900年近く経ってから、初めてアジア大陸の存在を知った、ということ。これはどういう考えてもほんとうでなくて、7世紀の本当の日本建国に至るまでの、アジア大陸と日本列島との関係の歴史を逆転させている(日本列島がアジア大陸を発見したのではなく、アジア大陸が日本列島を発見したのだ)。

[その22でーす] /welcome:

 国家の成立、そして国の歴史を書くには、神話が必要なことは何度もふれた、かなと思う。

 それは例えば、雪だるまを作る場合の最初の雪を集めるために、昔は炭を使ったそうだ。それを雪の上に転がすと、雪がよく付着するらしい。やがて雪の巨大な球ができてしまうと、芯にある炭は見えなくなる。また多くの人はそこに雪からすると異物である炭が存在することなど忘れてしまう。諺に「氷炭相容れず」などと言い、炭と氷は対立概念とされるのである。

 そこで、神話などと言うのは非合理的なものであって、それを除外して、合理的な部分だけで歴史や国家の本質を論ずるべきである、と言った議論が生まれる。しかし、それは必ずしも正論ではない。問題はその様な非合理な神話がなければ、雪の球、つまり国家とその歴史は作れなかったという事実である。

 前に述べたことを復習すると、アメリカ合衆国の建国の次第を、メイフラワー号に乗ってきた敬虔な清教徒たちと、それに遅れてきたものの、やはりこの新天地に理想の国家を造ろうとする人達によって、アメリカ合衆国が造られたとするのも、実は神話である。神話を前提にしてアメリカ合衆国の歴史を検証すると、侵略、人権無視などの、この国の過去は腐臭を放つ事実に満ちあふれている。

 同様に、現代のヨーロッパの文明が、古代ギリシア・ローマの文化を継承するものだ、つまり彼らは古代文明の子孫である、とするのも神話である。ヨーロッパやアメリカのように、本来的でない文明を採用した国では、その歴史は客観的な事実によって造られているように見えるが、そこにはやはりヘレニズムとヘブライズムの非合理な神話が底辺となっている。彼らにとって、人祖(じんそ)アダムとイブの物語も、天帝デウスや美神ビーナスもたんなる説話以上のものである。

 その点、東アジアのように、古代文明をそのまま継承してきた諸国では、歴史の始まりはどうしても、神々から始まり、人間はその神々の子孫と言うことになる。ヨーロッパ人達は、人神アダムの神話を神話と受け止めながら、自分の家系をアダムと結びつけることはしない。しかし、東アジアでは人間は依然として、神の子孫なのである。第二次大戦後のアメリカ占領軍は、天皇が生ける神である神話を破壊しようとしたが、彼らは全日本人が神の子孫である、という神話の存在には気が付かなかったのだろう。韓国の神話へ続く。

参考文献・三浦朱門著・日本の体質「天皇」海竜社より。